幸福行きを二枚ください~♪😎ブラタモリ北海道・十勝▼なぜ農業王国に?食卓を支える大地の原点に迫る
幸福行きを二枚ください~♪
こんにちは
猫好き父さんです
なんか
いつもと違う感じの
ブラタモリでした
坂も地層もなかったからですかねえ(笑)
画像は公式からの引用です
ブラ十勝
旅の舞台は、日本有数の食料供給地・北海道十勝。小麦や小豆、乳製品など全国屈指の生産量を誇る農業王国は、なぜ生まれたのか?果てしなく広がる畑、その始まりはわずか30人の挑戦だった?大規模農業を夢見て移住した人々を襲った数々の苦難、生活を支えた知恵、そして福井の人たちとの意外なつながりとは?豊かな実りを支えてきた大地の秘密、農業王国・十勝の原点を探る!大ブームを巻き起こした幸福駅、誕生秘話も明らかに!
出演者
【出演】タモリ,【アナウンサー】佐藤茉那,【語り】あいみょん
【わずか30人による移住者から農業大国へ】 タモリ 「挫折の連続だったんですね。こんな忍耐強さ、私にはありません。」 農業王国十勝は、なぜ生まれたのかに迫ります🥔🧀 ブラタモリ北海道・十勝 📺10(土)夜7:30 [総合] https://t.co/DbpIjV0Lrs https://t.co/yHVsv7FaXT
— NHK PR (@NHK_PR) October 10, 2026
晩成社(ばんせいしゃ)
晩成社(ばんせいしゃ)は、明治時代に依田勉三(よだ べんぞう)らによって結成された民間開拓結社であり、「十勝・帯広開拓の原点」となった組織です。
官主導(屯田兵など)による開拓が多かった北海道において、民間資本と志をもった結社による北海道開拓の代表例として知られています。
1. 晩成社の結成と帯広への入植
- 結成(明治15年 / 1882年)伊豆(現在の静岡県)の豪農であった依田勉三が、兄の佐二平や渡辺勝、鈴木銃太郎らとともに設立しました。志として「大器晩成」から「晩成社」と名付けられました。
- 帯広入植(明治16年 / 1883年)勉三率いる移民団(13戸27人)が、当時の下帯広村オベリベリ(現在の帯広市中心部)に入植を開始。これが本格的な十勝開拓の第一歩となりました。
2. 想像を絶する苦難
入植初期の晩成社は、相次ぐ自然の脅威と過酷な環境に晒され、事業としては壮絶な困難の連続でした。
- 天災と虫害の連続冷害や早霜などの気候不順に加え、バッタ(トノサマバッタ)の大発生による蝗害(こうがい)や、ネズミの大量発生によって作物がことごとく全滅しました。
- 極貧の生活食事にも事欠き、勉三は「開拓のはじめは豚とひとつ鍋」という有名な句を詠んでいます。豚の餌を煮る鍋と人間の食料を煮る鍋を区別することもできないほど困窮した様子を表しています。
3. 多角化の模索と先進的な試み
帯広での畑作苦戦後、晩成社は十勝各地(大樹町生花・当縁や湧洞、函館など)へと拠点を広げ、様々な産業に挑戦しました。
- 酪農・畜産のパイオニア大樹町に当縁牧場(とうぶちぼくじょう)を開設し、牛や豚の飼育、半地下式サイロの作製などを実施。明治35年(1902年)頃には十勝初となる「バター(マルセイバタ)」の製造にも成功しました。
- 多角事業の試み澱粉製造、缶詰加工(牛肉大和煮など)、水産・製糖、練乳製造など多岐にわたる事業に挑戦しました。
4. 歴史的評価と現代へのつながり
商業的・企業的な経営としては、投資の多くが回収できず、晩成社自体は試行錯誤の末に解散・倒産のような形を辿ることとなりました。しかし、彼らが残した功績は現在の十勝に絶大な影響を与えています。
- 「農業王国・十勝」の基礎晩成社が切り開いた土壌改良や土木・道づくり、そして酪農・水田・畑作の実験データは、その後に十勝へ入植してきた多くの農民たちの道標となりました。
- 六花亭「マルセイバターサンド」の由来帯広を代表する銘菓・六花亭の「マルセイバターサンド」は、晩成社が明治時代に十勝で初めて作られたバター「マルセイバタ」と、そのパッケージに描かれていた「〇に成」のマーク(晩成社標語)に敬意を表して名付けられたものです。
- NHK朝ドラ『なつぞら』のモデル・背景十勝を舞台とした連続テレビ小説『なつぞら』などで描かれた開拓精神や酪農文化のルーツとしても、晩成社の存在が描かれました。
晩成社は、まさに「事業としては報われなかったが、地域の礎を築いた不屈の開拓者集団」として、今も十勝・帯広の歴史の中で深く尊敬されています。
幸福駅(こうふくえき)
帯広市にある旧国鉄・広尾線の「幸福駅(こうふくえき)」という美しい名前は、最初から観光目的で付けられたものではなく、地元の地名(歴史)と移住者たちの想いが組み合わさって誕生したものです。
その由来には、主に2つの大きな要素が関係しています。
1. 「幸震」と「福井」が合体してできた地名
かつてこの地域は、アイヌ語の「サツナイ(乾く川)」に由来する「幸震(こうしん)」という地名で呼ばれていました。
明治時代になり、この地に福井県からの移住者集団(福井団体)が入植し、過酷な開拓をスタートさせました。
その後、昭和31年(1956年)にこの地域の小字名(集落名)を整理・再編する際、「幸震」の『幸』と、開拓の礎を築いた「福井県集落」の『福』という一文字ずつを取り合わせて、新たに「幸福」という縁起の良い地名が誕生しました。
そして、この地域に新しく設置された駅に、そのまま地名をとって「幸福駅」と名付けられました(昭和31年11月開設)。
2. 「愛の国から幸福へ」空前のブーム
1970年代(昭和48年頃)、NHKのドキュメンタリー番組『新日本紀行』で、隣駅の「愛国駅(あいこくえき)」とともに「愛国から幸福ゆき」という切符の語呂合わせが紹介されたことをきっかけに、全国的な大ブームが巻き起こりました。
「愛の国から幸福へ」というキャッチフレーズのもと、結婚式を挙げるカップルや観光客が殺到し、幸福駅の記念切符は累計で数百万枚も売れる大ヒットとなりました。
3. 現在の幸福駅
国鉄広尾線は昭和62年(1987年)に廃線となりましたが、幸福駅は地元住民や観光客の強い要望により交通公園として整備・保存されました。
現在もピンク色の切符形記念紙が無数に貼り付けられたレトロな木造駅舎や、ディーゼルカー(キハ22形)が保存されており、「恋人の聖地」として世界中から人々が訪れる人気のスポットとなっています。





















