自由奔放で挑発的なアイコン🎶ドキュランドへようこそ「私はマドンナ 前編 世界を征服したい」
私はマドンナ 世界を征服したい
こんにちは
猫好き父さんです
最初にマドンナを聴いたのは
ボーダーライン
あのイントロが好きだったな
丁度MTVが流行り始めた頃で
毎週金曜日には
夜明けまで観てました
この頃のアメリカって結構
今と似ていて
非常に保守的になってたころだから
マドンナにとっては
厳しい時代だったのかも
でもそれをこじ開ける
若い力があったんですね、きっと
後半が楽しみです
あらすじ
はみ出し者の学生時代を送ったマドンナは35ドルを手に、知り合いのいないニューヨークに飛び込む。独学でドラムやギター、ピアノを身につけ、音楽活動を始めた彼女の目標は「世界を征服すること」。出会った人を踏み台に、スターへの階段を駆け上がっていく。1984年に「ライク・ア・ヴァージン」を発表するが、初披露のステージが物議を醸すことに。 原題:Becoming Madonna(イギリス 2024年)
~2024年 イギリス Optomen/All3Media制作~
マドンナ
マドンナ(本名:マドンナ・ルイーズ・チッコーネ、1958年8月16日生まれ)は、アメリカ合衆国出身のシンガーソングライター、女優、実業家、音楽プロデューサーなど、多岐にわたる活動を行うアーティストです。「クイーン・オブ・ポップ」と称され、世界の音楽シーンおよび大衆文化に計り知れない影響を与えてきたアイコン的存在です。
キャリアの概要と音楽性の変遷
1982年にデビューして以来、マドンナはその時代の音楽やトレンドを巧みに取り入れながら、常に自身のスタイルを変化させてきました。
- 初期(1980年代): ダンスポップやポスト・ディスコといったジャンルで登場し、「Holiday」「Like a Virgin」「Material Girl」などのヒット曲で一躍スターダムに駆け上がりました。キャッチーなメロディーと、自由奔放で挑発的なイメージで注目を集めました。
- 絶頂期(1980年代後半~1990年代): 音楽的に深みを増し、「Like a Prayer」「Vogue」といった革新的な楽曲を発表しました。ゴスペル、ハウスミュージックなど様々な要素を取り入れ、ミュージックビデオも芸術性の高い作品として高い評価を得ました。性的表現や宗教的シンボルを大胆に扱うことで、しばしば物議を醸しましたが、これも彼女の表現の一部であり、議論を巻き起こすことでさらに注目を集めました。
- 以降: エレクトロニカを取り入れた「Ray of Light」でグラミー賞を受賞するなど、常に新しいサウンドに挑戦し続けています。ポップミュージックの最前線で活躍し続けながら、自身のルーツや内面を表現する作品も発表しています。
代表曲
数多くのヒット曲がありますが、特に象徴的な楽曲としては以下のものが挙げられます。
- Holiday
- Like a Virgin
- Material Girl
- La Isla Bonita
- Like a Prayer
- Vogue
- Frozen
- Music
- Hung Up
パフォーマンスとビジュアル
マドンナのライブパフォーマンスは、その革新性とエンターテイメント性で常に話題となります。 elaborate なステージセット、 meticulously 計算されたダンス、そして次々と変化する衣装やヘアメイクなど、視覚的にも強いインパクトを与えます。彼女のビジュアルは、単なるファッションではなく、その時々のメッセージや音楽性を表現する重要な要素となっています。
社会への影響
マドンナは単なる歌手にとどまらず、社会や文化に大きな影響を与えました。
- 女性のエンパワーメント: 伝統的な女性像に囚われず、自身のセクシュアリティや表現の自由を主張し、多くの女性に影響を与えました。
- 性的表現: 性的表現をタブー視せず、むしろ積極的に取り入れることで、ポピュラーカルチャーにおける性的表現のあり方に変化をもたらしました。
- LGBTQ+コミュニティの支援: デビュー当時から一貫してLGBTQ+コミュニティを支持し、その認知度向上に貢献しています。
- ファッションとアート: 音楽とファッション、アートを融合させるスタイルを確立し、その後のアーティストに大きな影響を与えました。
その他の活動と受賞歴
音楽活動以外にも、女優として映画に出演したり(「エビータ」でゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞)、映画監督や絵本作家としても活動しています。慈善活動にも熱心で、特にマラウイ共和国への支援などで知られています。
音楽業界での受賞歴も非常に多く、グラミー賞、MTV Video Music Awardsなど、数多くの賞を受賞しています。最も売れたアーティストの一人として、ギネス世界記録にも認定されています。
現在
60代を迎えてもなお精力的に活動を続けており、近年も新しい楽曲の発表やワールドツアーを行っています。常に進化し、挑戦し続ける姿勢は、多くのファンを魅了し続けています。
マドンナは、その音楽、パフォーマンス、そして社会的なメッセージを通じて、ポピュラーカルチャーの歴史に indelible な足跡を残した、真のレジェンドと言えるでしょう。
MTV
MTV(エムティーヴィー)は、「Music Television」の略称で、1981年8月1日にアメリカで開局した、世界的に有名な音楽専門チャンネルです。開局当初はミュージックビデオを24時間放送するという画期的なコンセプトで、音楽業界やユースカルチャーに絶大な影響を与えました。
歴史と役割
- ミュージックビデオ時代の到来: MTVの登場により、ミュージックビデオは単なる楽曲のプロモーションツールではなく、独立した表現媒体としての重要性を確立しました。MTVでビデオが放送されることが、アーティストの知名度向上やレコードセールスに直結するようになり、音楽業界の構造を大きく変えました。
- 文化への影響: 音楽だけでなく、ファッション、ダンス、ライフスタイルといったユースカルチャー全般に大きな影響を与えました。特定のアーティストのファッションやヘアスタイルを真似る若者が現れるなど、社会現象を巻き起こすこともありました。
- 放送内容の変化: 開局当初はミュージックビデオ中心でしたが、時代の変化と共に、音楽関連のニュース、ドキュメンタリー、ライブ番組、そして特に2000年代以降は「リアルワールド」に代表されるようなリアリティ番組やドラマシリーズなど、音楽以外のエンターテイメント番組の割合が増加しました。
主な番組・イベント
MTVは様々な音楽関連の番組やイベントを企画・放送しています。
- ミュージックビデオ番組: ランキング番組や特定のジャンル、アーティストに焦点を当てた番組など。
- 音楽授賞式:
- MTV Video Music Awards (VMA): アメリカで開催される、ミュージックビデオに贈られる権威ある音楽賞です。毎年豪華なアーティストが出演し、 spectacular なパフォーマンスが繰り広げられます。
- MTV Europe Music Awards (EMA): ヨーロッパで開催されるMTVの音楽賞で、VMAと並んで世界的に注目されています。
- リアリティ番組: 若者の日常生活や恋愛などを追ったリアリティ番組は、特に若い世代からの支持を集めました。
世界展開
MTVはアメリカにとどまらず、世界各国でローカライズされたチャンネルを展開しています。それぞれの国や地域の音楽シーンに合わせた番組編成や、独自の音楽授賞式(例: MTV VMAJ - 日本版)なども行っています。
現在
インターネットやストリーミングサービスの普及により、音楽の視聴方法が多様化する中で、MTVもその役割を変化させています。ケーブルテレビや衛星放送での放送に加え、オンラインでのコンテンツ配信やSNSでの発信にも力を入れています。音楽専門チャンネルとしての原点も持ちつつ、若者向けの多様なエンターテイメントを提供するメディアとして、現在も影響力を持っています。
MTVは、単なるテレビチャンネルではなく、一つの文化現象として、過去から現在にかけて世界の音楽シーンとユースカルチャーを牽引してきた存在と言えるでしょう。
1980年代のアメリカ合衆国
1980年代のアメリカ合衆国は、政治的にも社会的にも大きな転換期を迎えました。特に、ロナルド・レーガン政権の登場とその政策、そして保守的なキリスト教勢力(キリスト教右派)の政治的影響力の増大が、この時代の特徴として挙げられます。政治と信教は密接に結びつき、互いに影響を与え合いながら、アメリカ社会のあり方を形作っていきました。
1980年代の政治:ロナルド・レーガン政権と保守化
1981年に大統領に就任した共和党のロナルド・レーガンは、「強いアメリカ」の復活を掲げ、経済と外交の両面で大胆な政策を推進しました。
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経済政策(レーガノミクス):
レーガン政権の最たる特徴は、「レーガノミクス」と呼ばれる経済政策です。これは主に以下の柱から成り立っていました。
- 大幅な減税: 特に所得税や法人税の減税を行い、投資や消費を刺激しようとしました。
- 規制緩和: 企業活動に対する政府の規制を緩和することで、自由な経済競争を促進しました。
- 歳出削減: 社会福祉プログラムなどの歳出を削減しようとしましたが、軍事費は大幅に増加させました。 レーガノミクスは、経済成長を促進した一方で、富裕層と貧困層の間の格差を拡大させたという批判もあります。
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外交政策:対ソ連強硬姿勢:
冷戦下において、レーガン政権はソ連に対して非常に強硬な姿勢を取りました。「悪の帝国」と呼び、軍事力の増強を進めました。特に、戦略防衛構想(SDI)、通称「スター・ウォーズ計画」は、宇宙からのミサイル迎撃を目指すもので、ソ連に大きなプレッシャーを与えました。この強硬姿勢は、後の冷戦終結に向けた流れにも影響を与えたとされています。
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保守主義の台頭:
レーガン大統領の登場は、1960年代後半から高まっていた保守主義の波を象徴するものでした。大きな政府への不信、伝統的な価値観の重視、自由市場経済への信頼といった考え方が、多くの国民に受け入れられるようになりました。
1980年代の信教:キリスト教右派の政治参加
1980年代は、保守的なキリスト教徒、特に福音派(Evangelical)が政治の舞台に積極的に進出した時代です。彼らは「キリスト教右派」や「新右翼」とも呼ばれ、政治に大きな影響力を持つようになりました。
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「モラル・マジョリティ」などの活動:
ジェリー・ファルウェルによって設立された「モラル・マジョリティ」(Moral Majority)に代表されるように、テレビ伝道師(Tele-evangelists)や草の根の組織が、政治的なメッセージを広め、保守的な候補者を支持する活動を活発に行いました。
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政治的な関心事項:
キリスト教右派は、主に以下のような社会問題に関心を持ち、政治に影響を与えようとしました。
- 人工妊娠中絶(Abortion): ロー対ウェイド判決(1973年)によって認められた中絶の権利に強く反対し、プロライフ運動を推進しました。
- 家族の価値観: 伝統的な家族のあり方を重視し、性の多様化やジェンダー平等といった動きに反対する傾向がありました。
- 学校での祈り: 公立学校での祈りを求めるなど、教育現場における宗教の影響力を回復させようとしました。
- その他の道徳的な問題: ポルノグラフィー規制など、社会の道徳的な規範に関わる問題に積極的に介入しました。
政治と信教の結びつき
1980年代において、政治と信教はより緊密に結びつきました。
- レーガン政権とキリスト教右派の連携: レーガン大統領は、キリスト教右派の価値観に共感を示し、彼らからの強い支持を得ていました。大統領選挙において、キリスト教右派の組織が有権者の動員に重要な役割を果たしました。
- 政治 rhetoric における宗教: 政治家の演説や public な場で、宗教的な言葉や価値観がより多く用いられるようになりました。
- 宗教団体の政治的ロビー活動: 宗教団体がワシントンD.C.などで政治家へのロビー活動を活発に行い、政策決定に影響を与えようとしました。
総括
1980年代のアメリカは、ロナルド・レーガン大統領の下で政治的な保守化が進むとともに、保守的なキリスト教勢力がかつてないほど政治的な影響力を持つようになった時代でした。レーガノミクスによる経済改革と対ソ連強硬外交が展開される一方で、社会的には人工妊娠中絶や家族の価値観といった問題が、政治と信教が intertwined した形で議論されました。この時代の政治と信教の結びつきは、現在のアメリカの政治や社会にも続く、重要な流れを作り出したと言えます。
【マドンナ 1984年】
— NHK PR (@NHK_PR) May 15, 2025
「ライク・ア・ヴァージン」を発表。
しかし、初披露のステージが物議を醸すことに。
音楽活動を始めた彼女の目標は「世界を征服すること」でした。
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「私はマドンナ 前編 世界を征服したい」
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