大山詣りは江戸の粋😎ブラタモリ 大山詣り山頂へ▼絶景・天空の神社へ!江戸のヒーローなぜ参拝?
ブラ大山詣り
こんにちは
猫好き父さんです
大山詣り
面白かったですね
最近
ブラタモリで学ぶことが
多くなりました
画像は公式からの引用です
ブラ大山詣り
旅の舞台は神奈川県伊勢原市にある大山。年間約100万人が訪れる人気の山で、山上の大山阿夫利神社は多くの参拝客で賑わう。今回は山を登り参拝へ。江戸っ子の間で大ブームとなった「大山詣り」の魅力に迫る!“江戸のヒーロー”火消しがなぜ大山に?秘密は急峻な山の成り立ちにあり!山頂から見える大パノラマの絶景&天空の神社へ。タモリも驚きの超巨大な奉納品とは?とことん楽しみ尽くす江戸っ子の“粋”な参詣旅を堪能!
出演
【出演】タモリ,【アナウンサー】佐藤茉那,【語り】あいみょん
火消は江戸のヒーロー
火消(ひけし)は江戸時代において、間違いなく庶民から「ヒーロー」として絶大な人気と尊敬を集める存在でした。
なぜ江戸のヒーローだったのか?
江戸時代は、木造家屋が密集し、乾燥した気候が続くことが多かったため、「火事と喧嘩は江戸の華」と称されるほど火事が頻発しました。一度火の手が上がれば、あっという間に市中に燃え広がり、甚大な被害をもたらすため、火事は江戸の人々にとって最も恐ろしい災害でした。
このような状況において、火消はまさに命懸けで江戸の町を守る存在でした。彼らがヒーロー視された理由は多岐にわたります。
命がけの消火活動:
当時の消火方法は、現代のような放水ではなく、主に燃えている建物の周りの家屋を壊して延焼を防ぐ**破壊消火(建物を壊して防火帯を作る)**が中心でした。火の勢いが強い中で、破壊作業を行うのは非常に危険な行為であり、常に死と隣り合わせでした。彼らの勇敢な姿は、人々に感動と畏敬の念を与えました。
町を守るという使命感:
火消は、自分たちの住む町や隣近所の家屋を守るという強い使命感を持っていました。彼らが消火に成功すれば、町全体が安堵し、その功績は惜しみない拍手で迎えられました。
「粋(いき)」と「いなせ」な文化:
装束: 彼らの着用する半纏(はんてん)は、組ごとに異なる意匠や色使いが凝らされ、非常に「粋」で格好良いものでした。防火の機能だけでなく、美意識も追求されていました。
刺青: 体に派手な刺青を入れている者も多く、その肉体美と相まって、男らしさの象徴とされました。
まとい: 各組の象徴である「まとい(纏)」を火事場の屋根の上で振りかざす「まとい持ち」は、一番危険で最も目立つ役割であり、彼らのパフォーマンスは人々を熱狂させました。
職人気質と侠気(おとこぎ): 命を張る職業であるため、職人気質で一本気、義理人情に厚い「いなせ」な男たちが多く、庶民の憧れの的でした。
公的な組織と私的な絆:
江戸の火消には、大名が所有する「大名火消」、幕府直属の「定火消」、そして町人が組織した「町火消」がありました。特に町火消は、それぞれの町内に住む鳶職人や大工などが中心となって組織され、自分たちの町は自分たちで守るという強い連帯感と地域住民との絆がありました。
火事場での活躍と評判:
火事場では、どの組の火消が一番早く現場に到着し、一番手柄を挙げるかという競争意識も高く、その活躍ぶりは評判となり、人々の間で語り継がれました。
まとめ
火消は単に火事を消す技術集団というだけでなく、危険を顧みず町を守る勇敢な男たちであり、その独特の美意識や生き様が、当時の江戸の人々の心を捉えました。彼らの存在は、江戸の町が抱える最大の脅威である火事から人々を守り、日常生活に安心と秩序をもたらす、まさに「ヒーロー」そのものだったと言えるでしょう。
現代の消防士が尊敬を集めるのと同様に、江戸時代においては、火消は特別な存在として、畏敬と憧れの対象だったのです。
大山詣りは江戸の粋
江戸時代の火消たちが大山詣り(おおやままいり)を好んだのは、いくつかの複合的な理由があります。特に信仰上の理由と、当時の社会慣習が大きく関係していました。
1. 鎮火の神への信仰(水の神・火防の神)
大山(神奈川県伊勢原市)は、古くから雨乞いの山として、また水利の神として信仰されてきました。山頂には大山阿夫利神社(おおやまふりじんじゃ)があり、特に水を司る神として崇められていました。
火消にとって、水は火を鎮めるための最も重要な要素です。火事が頻発する江戸において、火防(ひぶせ:火事除け)や鎮火の願いは切実であり、水の神である大山への信仰は自然なことでした。火消たちは、大山に詣でることで、自身の危険な仕事の安全と、江戸の町を火災から守ることを祈願したと考えられます。
2. 滝行による身心の清めと鍛錬
大山には**「大山講(おおやまこう)」と呼ばれる、講(信仰集団)が組織され、多くの人々が登拝しました。その際、山中の滝(特に「大山不動の滝」など)での滝行**が修行の一環として行われていました。
火消たちは、普段から体を鍛え、精神を律する必要がある職業です。滝行は、冷たい水に打たれることで、肉体的な鍛錬になるだけでなく、精神を清め、集中力を高める効果があると信じられていました。命がけの消火活動に臨む彼らにとって、滝行は身心を清め、厄を払う重要な儀式だったのです。
3. 男気と「粋」の表現
江戸の火消は、その勇敢さや「いなせ」な生き方で庶民のヒーローでした。大山詣りは、単なる信仰だけでなく、集団での行軍や厳しい修行を通じて「男気」を示す場でもありました。
一体感と結束: 各組の火消仲間が揃って大山を目指し、共に苦しい道のりを乗り越えることは、組の結束力を高め、連帯感を強める機会となりました。
「粋」な行事: 江戸っ子にとって、季節の行事や祭り、旅行は生活の楽しみの一つでした。大山詣りもその一つで、仲間と連れ立って旅をし、信仰を深めることは、火消たちの「粋」な生き様を体現するものでもありました。
4. 独特の風習と講組織
江戸時代には、庶民の間で特定の神社仏閣へ集団で参拝する「講」という組織が盛んでした。火消たちも地域や組ごとに「大山講」を組織し、毎年決まった時期に大山へ集団で出向きました。
資金の積み立て: 講のメンバーは普段から少しずつお金を積み立て、そのお金を使って大山詣りに出かけました。
社会的役割: 講の存在は、火消たちの生活保障や相互扶助の役割も果たしていました。
これらの理由から、大山詣りは江戸の火消たちにとって、信仰、鍛錬、仲間との絆、そして「粋」な生き方を象徴する、非常に重要な年中行事だったのです。
大山ケーブルカー
神奈川県伊勢原市にある大山阿夫利神社への参拝や、大山登山に利用されるケーブルカーです。
大山ケーブルカーの概要
所在地: 神奈川県伊勢原市大山
運行会社: 大山観光電鉄株式会社
路線: 大山ケーブル駅 ~ 大山寺駅 ~ 阿夫利神社駅
運行時間: 季節や曜日によって異なりますが、概ね9時頃から17時頃まで運行しています。夜間運行が行われる時期もあります。
所要時間: 全線(大山ケーブル駅~阿夫利神社駅)で約6分です。
特徴と役割
大山阿夫利神社へのアクセス:
大山は、古くから信仰の対象とされてきた霊山であり、山頂には大山阿夫利神社があります。ケーブルカーは、この神社への参拝客や、登山客にとって主要な交通手段となっています。特に、下社(阿夫利神社駅のすぐ上)まではケーブルカーで手軽にアクセスできるため、多くの観光客が訪れます。
眺望:
ケーブルカーの車窓からは、相模湾や湘南の海岸線、天気の良い日には江の島や三浦半島、房総半島まで見渡せる絶景が広がります。特に紅葉の時期や、夜間運行時の夜景は人気があります。
大山寺へのアクセス:
途中の「大山寺駅」で下車すると、関東三大不動の一つである大山寺へアクセスできます。紅葉の名所としても知られています。
バリアフリー化:
2015年には新型車両が導入され、バリアフリー化が進みました。車窓も大きく、より快適な乗車体験が提供されています。
観光と信仰の融合:
大山ケーブルカーは、観光客が気軽に大山の自然や眺望を楽しむための手段であると同時に、古くからの大山信仰を支える重要な役割も担っています。
利用方法
アクセス: 小田急線伊勢原駅からバスで「大山ケーブル」バス停まで行き、そこから徒歩で大山ケーブル駅へ向かいます。
運賃: 片道運賃と往復運賃があり、小田急電鉄からお得な「丹沢・大山フリーパス」も販売されています。
大山ケーブルカーは、大山の豊かな自然と歴史、そして絶景を手軽に楽しめる、人気の観光スポットです。
日本のケーブルカーで唯一、途中駅で上下線がすれ違う(離合する)構造
大山ケーブルカーの**大山寺駅(おおやまでらえき)**は、日本のケーブルカーで唯一、途中駅で上下線がすれ違う(離合する)構造を持っています。
大山ケーブルカー「大山寺駅」の特別な構造
一般的なケーブルカーは、単線の線路の途中に列車交換のための**交換設備(待避線のようなもの)**を設けますが、その場所に駅を設けて乗降できる構造になっているのは非常に珍しいです。
ケーブルカーの基本的な仕組み:
ケーブルカーは、1本のワイヤーロープの両端に2台の車両が繋がっており、モーターでロープを巻き上げることで、車両が同時に山を登り降りする仕組みになっています。そのため、通常は山の中間にすれ違うための場所(交換所)があり、そこで上下の車両が一時的に並びます。
大山寺駅の特殊性:
大山ケーブルカーの場合、このすれ違いのポイントに**「大山寺駅」**が設置されています。つまり、乗客は、上りの車両と下りの車両が同時にホームに到着し、すれ違う瞬間を駅のホームで直接体験することができます。
なぜ唯一なのか?
この構造が珍しい理由はいくつか考えられます。
安全面・運用面での複雑さ:
途中駅ですれ違いを行う場合、車両の停止位置やドアの開閉、乗客の乗り降りなど、運行管理が複雑になります。安全確保のためには、厳密な設計と運用が必要となるため、あえてこの構造を採用するケースは少ないです。
地形や施設の制約:
ケーブルカーの路線は急勾配であり、途中に駅を設置すること自体が難しい場合があります。また、交換設備を駅として利用するには、十分なホームの幅や安全スペースを確保する必要があり、地形的な制約から困難な場合も多いです。
大山ケーブルカーの新型車両が導入された2015年以降も、この大山寺駅でのすれ違いは健在であり、鉄道ファンにとっては非常に興味深いポイントとなっています。
大山寺駅で下車すると、大山寺への参拝ができるだけでなく、この独特のケーブルカーの運行風景を間近で見ることができるため、ぜひ立ち寄ってみることをお勧めします。
独楽(こま)は縁起物
独楽(こま)が縁起物とされる理由は、その回転する動きや形状、そして日本に伝わった歴史的背景など、複数の意味合いが込められています。
1. 「物事が円滑に進む」・「お金が回る」
円滑な回転: 独楽は滑らかに、そして長く回転し続けることが良しとされます。この動きが、**「物事が滞りなく円滑に進む」ことや、「人生がスムーズに運ぶ」**ことを象徴すると考えられています。
「お金が回る」: 独楽の回転は、商売において**「お金が滞りなく巡り、富が回ってくる」**という縁起に通じるとされます。特に商売繁盛や金運上昇の願いが込められます。
2. 「地に足が着く」・「基礎が固まる」
独楽は、軸の一点でしっかりと地面に接し、安定して回転します。この姿から、**「地に足が着いた生活を送れる」とか、「物事の基礎がしっかりと固まる」**という意味が込められています。安定した生活や事業の基盤を築くことへの願いが込められています。
3. 「子供の成長と健康」
昔は、子供の遊び道具として独楽が広く親しまれていました。子供が独楽を回して遊ぶ姿は、**「子供が健康に、くるくるとよく育つ」**ことを願う象徴とされました。
また、独楽が長く回り続けることで、子供が長生きするという願いも込められていました。
4. 安定と忍耐
独楽は回り続けることで安定を保ちます。これは、どんな困難な状況でも、粘り強く耐え、安定を保つという精神を象徴しているとも解釈されます。
5. 厄除け
独楽を回す行為や、その回転自体が、邪気を払う力を持つと信じられたり、魔除けの意味合いが込められることもあります。
まとめ
独楽が縁起物とされる主な理由は、その**「円滑な回転」が象徴する物事の順調な進行や金運、そして「安定した軸」が示す生活や事業の基盤、さらに子供の健やかな成長**への願いに集約されます。これらのポジティブなイメージから、お祝い事や贈り物、また新年の飾りの一つとして親しまれてきました。
両詣り(りょうまいり)
江戸時代、大山詣り(おおやままいり)と江の島参詣がセットで巡礼・行楽ルートとなっていたのは、非常に一般的なことで、これを「両詣り(りょうまいり)」と称しました。特に、火消に限らず、多くの江戸庶民にとって人気の高いコースでした。
このセット巡礼が好まれた理由はいくつかあります。
1. 男神と女神の「両参り」という信仰的背景
大山(男神): 大山阿夫利神社には、山の神、水の神である**大山祇大神(おおやまつみのおおかみ)**が祀られています。これは男性の神様とされています。火防や雨乞いの神として信仰を集めました。
江の島(女神): 江の島には、芸能・音楽・知恵の神として信仰される**弁財天(べんざいてん)**が祀られています。これは女性の神様とされています。
江戸時代の人々は、男性の神様だけを参拝する「片参り(かたま いり)」を忌み嫌う風潮がありました。そのため、大山の男神を参拝した後に、江の島の女神にも参拝することで、男女両方の神様に敬意を表し、より完全なご利益を得られると信じられました。この「両詣り」の思想が、大山と江の島をセットで巡る最大の理由でした。
2. 精進落としとしての行楽
大山詣りは、山岳信仰に基づく厳かな巡礼であり、期間中は精進料理を食し、肉や魚を避けるなど、修行的な側面がありました。しかし、山を下りた後には、その禁欲的な生活から解放される「精進落とし(しょうじんおとし)」として、楽しみの場が設けられました。
江の島は、江戸からも比較的近く、風光明媚な景勝地であり、海の幸(新鮮な魚介類など)を楽しむことができる絶好の行楽地でした。大山での厳しい参拝の後に、江の島で美味しいものを食べ、景色を楽しみ、温泉に入るなどして心身を癒やすことが、当時の庶民にとって大きな楽しみであり、セットで訪れる理由となりました。
3. 交通の便と道中
街道の整備: 江戸時代には、大山道や江の島道といった街道が整備されており、江戸から大山、そして藤沢宿を経由して江の島へと向かうルートが確立されていました。
宿場町の賑わい: 藤沢宿などは、大山詣りや江の島詣りの参拝客で大変賑わい、宿泊や飲食の拠点となっていました。
4. 浮世絵や古典落語での普及
大山詣りと江の島参詣は、当時の江戸庶民にとって非常に人気のある一大イベントでした。そのため、歌川広重などの浮世絵にもその様子が多数描かれ、また古典落語「大山詣り」にも、その道中の賑わいや精進落としの様子が面白おかしく語られています。これらの文化的な描写が、さらにこの両詣りの習慣を広める要因となりました。
火消とのかかわり
火消もまた、大山を火防の神として深く信仰し、組で大山詣りを行う習慣がありました。彼らにとって、生命を危険にさらす職務の安全を祈願する大山詣りの後に、厄を落とし、仲間と英気を養う江の島での「精進落とし」は、まさに理想的なセットコースだったと言えるでしょう。
このように、大山詣りと江の島参詣は、信仰、行楽、交通の便、そして文化的な普及が複合的に絡み合い、江戸時代の庶民にとって定番の人気ルートとなっていたのです。
大山は雨降山(あめふりやま・あふりやま)
大山が「雨降山(あめふりやま・あふりやま)」と呼ばれるようになった主な理由は、その地理的・気象的な特性と、それに基づく古くからの雨乞い信仰にあります。
地理的・気象的な理由
大山は、神奈川県の中央に位置し、相模湾に比較的近い場所にあります。
水蒸気を多く含んだ風: 相模湾から吹く湿った風(水蒸気を多く含んだ空気)が、大山の山肌にぶつかることで上昇気流が発生します。
雲や霧の発生: 上昇した空気は冷やされ、水蒸気が凝結して雲や霧になりやすい特性があります。そのため、大山の山頂付近は、下界が晴れていても雲や霧に覆われていることがよくあります。
雨の多さ: 山上に雲や霧が発生しやすいということは、そのまま雨が降りやすい気象条件に繋がります。実際に、丹沢山地では平地よりも雨量が多いことが観測データでも示されています。
このような自然現象から、「大山に雲がかかると、やがて麓(ふもと)で雨が降り出す」という経験則が生まれ、人々は親しみを込めてこの山を「雨降山」と呼ぶようになったのです。
古くからの雨乞い信仰
「雨降山」という別名は、単なる気象的な特徴だけでなく、その土地に根付いた信仰と深く結びついています。
水の神・雨乞いの神: 農耕が中心だった時代、雨は人々の生活や作物の生育に直結する非常に重要なものでした。大山は、その気象特性から「雨を降らせる山」「水を司る神が宿る山」として古くから信仰を集めました。
山頂に鎮座する大山阿夫利神社の主祭神である**大山祇大神(おおやまつみのおおかみ)**は、山の神、水の神、農業の神として崇敬されてきました。
また、日本書紀に記されている水神様である**高龗神(たかおかみのかみ)**も祀られており、祈雨(きう:雨乞い)や止雨(しう:雨を止める)の神として信仰されています。
生活に根ざした信仰: 江戸時代には、関東一円の農民や漁民が、日照りや豊漁を願って盛んに大山詣りを行いました。特に「大山講」という講組織を通じて、地域の人々が団結して雨乞いのために大山へ参詣する習慣がありました。
「アメフリヤマ」から「阿夫利山」へ: 「雨降山(あめふりやま)」という呼び名が、やがて音読みで「あふりやま」となり、現在の大山阿夫利神社の社名にも使われている「阿夫利山(あふりやま)」へと転じたとされています。
このように、大山が「雨降山」と呼ばれるのは、実際に雨が降りやすいという気象特性と、その特性から「水を司る山」として人々の切実な願いに応える「雨乞いの霊山」として信仰されてきた、という歴史的な背景があるためです。
ブラタモリ、大山詣りシリーズいかがだったでしょう?
— 大山阿夫利神社(公式) (@afurijinja) July 5, 2025
江戸庶民が親しんだ大山詣りの歴史の一端をご覧頂けたと思います。
紹介しきれなかった旧所名跡も数多くありますので、来山の際にぜひ色々な場所にもお立ち寄り下さい。
ご視聴ありがとうございました!#大山阿夫利神社 #ブラタモリ #大山詣り pic.twitter.com/qTKjl7TD7Z