【録画必須】😎ブラタモリ「ゆふいん~“遅咲きの由布院”人気温泉地への道のりとは!?~」
こんにちは、猫好き父さんです。
これは録画しないわけにはいけないですね!
初回放送日:2021年2月6日
由布院があこがれの温泉地になったのは実は最近のこと!?長い下積みを経て人気温泉地となる道のりをタモリさんがブラブラ歩いて解き明かす!▽お湯の湧出量全国2位の秘密
「ブラタモリ#175」で訪れたのは大分県の由布市。「行ってみたい憧れの温泉地」ナンバー1として人気の湯布院だが、江戸時代の温泉番付に由布院は載っていない。旅のお題「“遅咲きの由布院”人気温泉地への道のりとは!?」を探る▽スタートは「ゆふいんの森」号の前から▽豊富な湯量は断層のおかげ!?▽繁栄の痕跡・巨石はどこから来た?▽日出生台が旧陸軍の演習場に選ばれた理由は地層にあり!?▽運命の分かれ道は鉄道!

由布院物語
由布院(ゆふいん、由布院温泉)が、日本を代表する人気温泉地の一つとなった背景には、一般的な温泉街とは一線を画した、地域住民による独自のまちづくりの歴史があります。
単なる観光地化ではなく、「静けさ」「緑」「空間」を重視した独自の哲学に基づき、地域の人々が主体となって、由布院の魅力を育ててきました。
由布院の歴史と転換点
由布院は古くから温泉地として知られていましたが、大正時代に別荘地として注目され始めたものの、大規模な開発や歓楽街の形成はされていませんでした。昭和30年代(1955年)に由布院町と湯平村が合併して湯布院町となり、「国民保養温泉地」に指定されるなど、温泉地としての基盤は整いつつありました。
しかし、由布院が本格的に独自の温泉地としての地位を確立し始めるのは、昭和40年代以降(1970年代以降)です。この時期、日本の高度経済成長とともに、多くの温泉地が団体客向けの大型ホテルや歓楽的な施設を乱開発する中で、由布院は異なる道を歩み始めました。
独自の「クアオルト構想」とまちづくり
由布院のまちづくりを牽引したのは、地元の旅館経営者を中心とした人々でした。彼らは、ヨーロッパ、特にドイツの「クアオルト(療養保養地)」の考え方に注目しました。
当時の由布院の状況を鑑み、彼らは「緑・静けさ・空間」を重視し、派手な娯楽や大規模な開発を排して、自然と調和した「滞在型保養温泉地」を目指すことを決定しました。
この方針は、以下のような具体的な取り組みにつながりました。
1. 環境保全と景観維持
由布院の特徴である田園風景や雄大な由布岳の眺望を守るため、高層の巨大なホテル建設を規制し、温泉街としての景観を維持しました。バブル期の大規模なリゾート開発の波に対しても、「潤いのある町づくり条例」を制定するなど、地域住民が一丸となって抵抗し、自然と調和した街並みを守り抜きました。
2. 文化活動の導入
温泉に加えて、文化的な魅力を作り出すことに力を入れました。昭和40年代後半からは、地域住民が主体となって「ゆふいん音楽祭」や「湯布院映画祭」といった文化イベントを毎年開催しました。これにより、温泉客だけでなく、文化に関心の高い人々や女性客を惹きつけることに成功しました。
3. 「癒し」と「上質さ」の追求
団体客向けの歓楽的な要素を排除し、静かで落ち着いた滞在を求める客層をターゲットとしました。この結果、「亀の井別荘」「由布院玉の湯」といった上質な老舗旅館が由布院ブランドを確立し、リピーターを増やしました。
由布院の成功要因
由布院が人気温泉地となった「物語」は、経済的な利益だけを追求するのではなく、地域の個性や自然環境を尊重し、住民が主体となってまちづくりを進めた点にあります。
自然との調和: 由布岳や金鱗湖、広がる田園風景といった自然環境を最大限に活かした景観づくり。
文化的な魅力: 芸術や映画といったイベントを通じて、温泉以外の楽しみを提供したこと。
「生活の場」としての温泉地: 温泉街が観光客だけのものではなく、住民の生活空間と調和していること。
女性に人気の理由: 歓楽性を排し、おしゃれなカフェや雑貨店が多く、落ち着いた雰囲気が女性客に高く評価されました。
由布院は、地域住民の強いパブリックマインドと「由布院らしさ」を追求する姿勢によって、単なる温泉街ではなく、「まちづくり」の成功例として、国内外から注目される温泉地へと成長しました。
「ゆふいんの森」号
「ゆふいんの森」号は、JR九州が運行する観光列車(D&S列車:デザイン&ストーリー列車)であり、由布院観光の象徴的な存在として非常に高い人気を誇っています。
由布院の豊かな自然と融合するような緑の車体、クラシカルで温かみのある内装が特徴で、「走るリゾート列車」として知られています。
列車概要と運行ルート
「ゆふいんの森」は、主に福岡県の博多駅と大分県の由布院駅・別府駅を結ぶ特急列車です。
運行会社: JR九州
主な運行ルート:
博多駅 — 久留米駅 — 日田駅 — 由布院駅 — 別府駅
運行区間は主に久大本線(ゆふ高原線)です。
運行開始: 1989年(平成元年)
由布院のまちづくりが「自然との調和」を重視していたのと同様に、「ゆふいんの森」も車窓の景色を最大限に楽しめるよう設計されており、乗車体験そのものが旅のハイライトとなっています。
車両とデザインの特徴
「ゆふいんの森」は、その特徴的なデザインと内装で乗客を魅了します。
1. 深緑のクラシカルな外観
深い森を連想させるメタリックグリーンの車体は、レトロでありながらモダンな印象を与えます。
2. 温かみのある内装とハイデッカー構造
内装には木材が多く使用され、温かみのある落ち着いた雰囲気が特徴です。座席は通常の特急列車よりも高い位置に設置された「ハイデッカー」構造になっており、窓が大きくとられているため、車窓から由布岳や渓谷などの景色をより見やすく楽しめます。
3. 車内設備とサービス
ビュッフェ・サービス: 車内販売(ビュッフェ)では、由布院や大分の特産品を使った軽食、スイーツ、地ビールなどが提供されます。
ラウンジスペース: 木の温もりを感じるラウンジスペースがあり、リラックスして過ごすことができます。
記念撮影: 車内には記念撮影用のパネルなどが用意されており、乗務員によるサービスも充実しています。
由布院への旅の「演出」
「ゆふいんの森」は、単なる移動手段ではなく、由布院の旅の始まりを演出する重要な役割を果たしています。
豊かな自然の中を走り抜ける列車は、観光客に由布院の「癒し」の雰囲気をいち早く体感させ、由布院が目指す「静かで上質な保養地」というブランドイメージを体現しています。その人気の高さから、繁忙期の切符は入手困難となることもしばしばです。
日出生台(ひじゅうだい)が旧日本陸軍の演習場として選ばれた主な理由
日出生台(ひじゅうだい)が旧日本陸軍の演習場として選ばれた主な理由は、その地理的・地形的な特徴にありました。明治時代、日出生台は農業に適さない痩せた土地であり、広大な草原が広がっていました。
選定理由
広大な敷地と地形:
日出生台は非常に広大であり、大規模な部隊による実弾演習や機動訓練を行うための十分なスペースがありました。特に、満州(現在の中国東北部)など、将来の戦地となる可能性のある地域の地形に似ていると見なされたことが重要でした。当時の陸軍は、広大な大陸での戦闘を想定しており、日出生台の地形がその訓練に適していると判断しました。
農業に適さない土地:
当時の日出生台は、植林が適切に行われず、土壌が痩せており、農業には不向きな土地でした。そのため、演習場として土地を取得しやすかったという経済的な側面もありました。
歴史的経緯
旧日本陸軍は、日清・日露戦争を経て、本格的な近代軍隊として大規模な演習を行う必要性が高まっていました。日出生台は、このような軍事的な要請に応える形で、明治時代に演習場として利用されるようになりました。
現在、日出生台演習場は、日本の陸上自衛隊と、日米地位協定に基づいて米軍が共同で使用する、日本国内でも最大級の演習場の一つとなっています。
由布院の地政学的特徴:温泉、自然、そして住民自治が織りなす独自の発展
大分県中部に位置する由布院は、単なる温泉観光地にとどまらない、その地理的条件と住民の強い意志によって独自の発展を遂げてきた、地政学的に非常に興味深い地域です。その特徴は、閉鎖的な盆地という地形、豊富な温泉資源、そして外部の論理に屈しない住民自治の精神に集約されます。
1. 盆地が生んだ「守り」の地理と独自の景観
由布院は、名峰・由布岳の麓に広がる盆地に位置しています。四方を山に囲まれたこの地形は、外部からのアクセスを物理的に制限する一方で、外部の急激な変化から地域を守り、独自の文化と景観を育む「揺りかご」の役割を果たしてきました。
特に秋から冬にかけて発生する朝霧は、盆地特有の気象現象であり、由布院の幻想的な風景を象徴するものとなっています。この地理的閉鎖性が、後述する住民本位のまちづくりと相まって、由布院ならではの静かで落ち着いた「保養地」としてのブランドイメージを強固なものにしました。
2. 交通網の発展と観光地への飛躍
かつては農村地帯であった由布院が全国的な観光地へと飛躍する大きな転機となったのが、交通網の整備です。特に1964年の九州横断道路(やまなみハイウェイ)の全線開通は、別府や阿蘇といった九州の主要観光地と由布院を結びつけ、多くの観光客を呼び込む原動力となりました。
さらに、JR久大本線の特急「ゆふいんの森」の運行や、大分自動車道・湯布院インターチェンジの開設により、福岡都市圏や大分空港からのアクセスが飛躍的に向上。これにより、由布院は九州を代表する観光地としての地位を不動のものとしました。しかし、この交通の利便性向上は、同時に観光客の集中による交通渋滞という新たな課題も生み出しています。
3. 温泉と自然:最大の資源を活かしたブランド戦略
由布院の最大の天然資源は、豊富な湧出量を誇る温泉です。しかし、由布院の巧みさは、単に温泉の効能を謳うだけでなく、由布岳を望む雄大な自然景観や、のどかな田園風景といった周辺環境と温泉を一体化させ、「滞在」そのものに価値を見出すブランド戦略を打ち出した点にあります。
多くの旅館が、由布岳を眺められる露天風呂を設え、宿泊客に心身の癒やしを提供しています。この「温泉×景観」という付加価値が、他の温泉地との明確な差別化要因となり、質の高い保養を求める人々を惹きつけています。
4. 「由布院モデル」:住民自治による景観と文化の防衛
由布院の地政学的な特徴を語る上で最も重要なのが、住民が主体となった「まちづくり」の歴史です。1950年代のダム建設計画に対する反対運動を原点に、由布院の住民は「静けさ」「自然」「景観」を町の財産と位置づけ、それを守るための独自のルールを築き上げてきました。
その象徴が、バブル経済期の1990年に制定された「潤いのある町づくり条例」です。この条例は、建物の高さを10m以下に制限するなど、大規模なリゾート開発を抑制し、由布院らしい景観の統一感を守るための法的な裏付けとなりました。外部資本による無秩序な開発の波に抗い、地域の自律性を保ったこの「由布院モデル」は、全国の観光地づくりの手本とされています。
このように、由布院は盆地という地理的条件を活かし、温泉と自然という資源を磨き上げ、そして何よりも住民の強い意志で町の品格を守り抜いてきました。これらの要素が複雑に絡み合うことで、由布院は単なる消費される観光地ではなく、人々を惹きつけてやまない独自の魅力を持つ場所として、その地位を確立しているのです。
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