富士山登りたい!🗻ブラタモリ 最新!富士山SP▼78分拡大版!人はなぜ富士山が好きなのか?
人はなぜ富士山が好きなのか?
こんにちは
猫好き父さんです
富士山
良いですねえ
またまた知らないことだらけでした
昔の映像も出てきましたね
桑子真帆アナウンサーとか
近江友里恵アナウンサーとか
懐かしかったですねえ
ブラ富士山
須走口五合目登山口からスタート!富士山はなぜ美しい?秘密を探るために向かったのは・・・陸上自衛隊東富士演習場!?林の中で、何と2900年前に失われた“幻の富士山”古富士の痕跡を発見!須走の町では、江戸時代の大噴火の秘密を探る。3メートルの噴出物で埋まった神社や町は、どうなった?消えた町の新事実にタモリさん、ビックリ!過去の貴重な名シーンもたっぷり!10年前、タモリさんが富士山に初登頂した場面も!
出演
【出演】タモリ,【アナウンサー】佐藤茉那,【語り】あいみょん
須走口五合目登山口
富士山須走口五合目登山口について、交通アクセスや施設、登山ルートの特徴などをまとめました。
登山口の基本情報
標高: 約1,970m
ルート: 須走ルートの登山口です。富士山の東側に位置し、吉田ルートと合流するまでは比較的静かで自然豊かな樹林帯を歩くのが特徴です。
営業時間: 登山シーズン(開山期間)中は多くの人で賑わい、売店やトイレも営業しています。
交通アクセス
マイカー
ふじあざみライン: 須走口五合目までは、ふじあざみライン(県道足柄停車場富士公園線)を利用します。
駐車場: 五合目には約200台収容可能な無料駐車場がありますが、登山シーズン中の特定の期間はマイカー規制が実施されます。
マイカー規制期間中: 規制期間中は、ふじあざみラインは一般車両が通行できません。麓にある道の駅すばしり隣の「須走多目的広場」などの臨時駐車場に駐車し、そこからシャトルバスやタクシーに乗り換える必要があります。
公共交通機関
バス: 登山シーズン中は、JR御殿場駅や小田急線新松田駅から路線バスが運行されます。
登山口の施設
山小屋: 登山口には「山荘菊屋」や「東富士山荘」などの山小屋があり、宿泊や休憩、食事、お土産の購入などができます。
トイレ: 公衆トイレが設置されています。開山期間中は24時間利用できるところが多いですが、時期によっては利用時間(例:8:00~16:00)が制限される場合もあるので注意が必要です。
その他: 総合案内板や富士山須走口インフォメーションセンター、古御岳神社などがあります。
登山ルートの特徴
樹林帯: 須走ルートは、他のルートに比べて樹林帯が長く続くのが特徴です。日差しを遮る木陰の中を歩けるため、比較的涼しく感じられます。
砂走り: 下山時には、七合目から砂地の下り坂「砂走り」が続き、スピーディーに下山できます。ただし、砂が靴の中に入るため、スパッツなどの準備が推奨されます。
最新の道路状況やマイカー規制、施設の営業状況などは、静岡県や富士登山オフィシャルサイトなどで事前に確認することをお勧めします。
古富士(こふじ)
古富士(こふじ)は、現在の富士山の山体をつくりあげた火山活動の歴史における、一つの重要な時代区分を指します。現在の富士山は、複数の火山が重なってできた複合火山であり、その活動は大きく「小御岳(こみたけ)火山」「古富士火山」「新富士火山」の3つの段階に分けられます。
古富士火山の特徴
活動時期:
古富士火山の活動は、およそ10万年前から1万年前までの期間にわたります。その前に活動していた小御岳火山の上に、新たな火山活動として始まりました。
噴火様式:
古富士火山は、現在の新富士火山とは異なり、爆発的な噴火が特徴でした。大量のスコリア(軽石のような多孔質の岩石)、火山灰、溶岩を噴出し、標高3,000mを超える大きな山体を形成しました。この爆発的な噴火によって噴出した火山灰は、風に乗って東へ運ばれ、関東平野を覆う関東ローム層の上部を形成したと考えられています。
山体形成と崩壊:
古富士火山は、噴火を繰り返して大きな山体をつくりましたが、同時に何度も山体崩壊を起こしています。特に、2~3万年前の活動末期には、火砕流を伴う泥流(古富士泥流)が、現在の富士川や酒匂川の上流付近まで流れ出しました。この古富士泥流の堆積物は、白糸の滝や宝永山の赤岩などで見ることができます。
古富士から新富士へ
古富士火山の活動がおよそ1万年前に落ち着くと、その火山の中心火口とほぼ同じ場所で、新富士火山の活動が始まりました。新富士火山は、古富士火山を覆うように溶岩を流し、現在のなだらかな円錐形をした富士山の姿をつくりあげていきました。
現在の富士山は、この新富士火山の活動によってつくられた部分が大部分を占めていますが、その基盤には古富士火山や小御岳火山の山体が埋もれています。
陸上自衛隊東富士演習場にある古富士の痕跡
複数の情報源によると、陸上自衛隊東富士演習場の中には、およそ2,900年前に活動を終えたとされる古富士の痕跡が残っているとされています。
古富士泥流の堆積物: 東富士山麓の地下には、古富士火山の爆発的噴火によって流れ出た「古富士泥流」の堆積物が広範囲に分布していることが、深井戸の調査などから判明しています。これは、東富士演習場の地質的な基盤をなしていると考えられます。
火山灰層: 古富士火山の爆発的噴火によって降り積もった火山灰層(関東ローム層の一部)も、この地域の地層を形成しています。
溶岩流: 新しい時代の噴火で流出した溶岩流によって覆われている場所が多いですが、演習場内の一部の崖などでは、古富士時代の堆積物や溶岩が露出している可能性があります。
テレビ番組での紹介: NHKの『ブラタモリ』で、東富士演習場の林の中で「幻の富士山」である古富士の痕跡が発見されたという内容が放送されたようです。
ただし、これらの痕跡は一般に公開されているわけではなく、陸上自衛隊の演習場は通常立ち入りが制限されています。そのため、現地の痕跡を直接見学することは困難です。
富士山グランドキャニオンの概要
正式名称: 通称のため、正式な名称はありません。
場所: 富士山の東側、須走口五合目から下った富士箱根トレイルの旧道沿いにあります。標高はおよそ1,500m付近です。
特徴: 長さ約300m、深さ約70mにも及ぶ巨大な谷で、むき出しになった崖には、過去数万年にわたる富士山の噴火によって積み重なった、火山灰や溶岩の地層がはっきりと見て取れます。
形成過程: 富士山の雪解け水(「雪代(ゆきしろ)」と呼ばれる、土砂を含んだ雪崩)や雨水によって、火山灰の地層が長い年月をかけて浸食され、このような深い谷が形成されました。
観光とアクセス
アクセス: 一般的には、ふじあざみラインを車で須走口五合目方面に進み、「旧馬返し」のバス停を過ぎたあたりにある入口から徒歩で向かいます。
注意点: 一部のエリアは陸上自衛隊東富士演習場の敷地内にあり、立ち入りが制限されている場合があります。特に、演習が行われている期間は入山が禁止されるため、事前に情報収集が必要です。
景観: 谷底に降りることは危険なため、通常は崖の上からその壮大な景色を眺めます。秋には紅葉が美しく、四季折々の風景を楽しめる穴場スポットです。
富士山グランドキャニオンは、富士山が成層火山(噴火のたびに溶岩や火山灰が積み重なってできた山)であることを物語る貴重な場所であり、富士山のダイナミックな歴史を肌で感じられる場所として知られています。
雪代(ゆきしろ)
雪代(ゆきしろ)は、雪解け水が原因で発生する河川の増水や現象を指す言葉です。特に山岳地帯や豪雪地帯に住む人々にとっては、春の訪れを告げる季節の言葉として、また、災害につながる自然現象として古くから認識されてきました。
雪代の主な特徴と現象
河川の増水: 冬の間積もった雪が春になって一気に解け出すと、その大量の水が河川に流れ込み、水位が急激に上昇します。
水質の変化: 雪解け水には、冬の間に河川底に溜まった泥や土砂が混ざり込むため、川の水が白く濁ることがよくあります。これが「雪代」という言葉の語源の一つとも言われています。
土砂災害のリスク: 雪解け水は、土砂崩れや地滑りの原因になることがあります。特に、水分を多く含んだ重い雪が、地面が凍結したままの斜面を滑り落ちることで、土石流などを引き起こす危険性があります。
農業への影響: 水田に雪解け水を引いて利用する地域もありますが、大量の冷たい水は農作物に悪影響を与える場合もあります。
富士山における雪代
富士山でも、春から初夏にかけて、山頂や斜面に積もった雪が解け出し、大量の水と土砂が下流へと流れ出す現象が起こります。これが、富士山グランドキャニオンの形成に関わった「雪代」です。富士山の場合、火山灰が堆積した不安定な地層を、雪解け水が勢いよく削り取っていった結果、深い谷が形成されたと考えられています。
雪代は、豊かな自然の恵みをもたらす一方で、人々の暮らしに脅威を与えることもある、両面性を持った自然現象です。
赤色立体地図(あかいろりったいちず)
赤色立体地図(あかいろりったいちず)は、地形の微細な起伏や構造を、視覚的にわかりやすく表現するために開発された、新しいタイプの地図です。
赤色立体地図の原理と特徴
開発者: 国立研究開発法人産業技術総合研究所の**千葉達朗(ちば たつろう)**氏によって開発されました。
作成の原理:
等高線データ: 航空レーザー測量などによって得られた高精度のデジタル標高データ(DEM)を基に作成されます。
陰影表現: 地形の起伏を強調するために、太陽光を当てたかのような陰影(シェード)を付けます。一般的な陰影図が1方向からの光を想定するのに対し、赤色立体地図は8方向からの光を合成して影を表現するため、より詳細な凹凸が浮かび上がります。
赤色の利用: 地形の傾斜度に応じて色分けされます。傾斜が緩やかな場所は白や淡い色で、傾斜がきつくなるほど赤色が濃くなります。この赤色が、微小な地形の起伏を強調し、視覚的に立体感を際立たせる役割を果たします。
普通の地形図との違い:
情報量: 等高線や等高線間隔では見えにくい、わずかな起伏(微地形)をはっきりと可視化できます。例えば、過去の噴火による火砕流の流れた跡、古い火山泥流の跡、あるいは古墳や城の遺構といった人工的な地形も浮かび上がらせます。
直感性: 等高線を読む専門的な知識がなくても、地図を見るだけで直感的に地形の状況を把握できます。
活用事例
防災: 過去の土砂災害の痕跡や、土石流の危険性がある地形を読み取ることで、ハザードマップの作成や避難経路の検討に役立ちます。
考古学・歴史学: 古墳や城跡などの埋もれた遺構を発見・調査する際に、非常に有効なツールとなります。
地質学: 火山の噴火による火砕流や泥流の流路、活断層の痕跡など、地質の歴史を読み解くために利用されます。
登山・ハイキング: 従来の地図よりも地形の状況がわかりやすいため、登山道のルート選定や危険箇所の把握に役立ちます。
赤色立体地図は、私たちが住む土地の成り立ちや歴史、そして潜在的なリスクを可視化する、画期的な地図表現手法として注目を集めています。
須走浅間神社
須走にある**東口本宮冨士浅間神社(須走浅間神社)**は、富士山東側の信仰の拠点として、古くから重要な役割を果たしてきました。特に1707年の宝永大噴火と、その後の再興の物語は、この神社の歴史を象徴しています。
須走浅間神社の由緒と宝永大噴火
創建: 平安時代の延暦21年(802年)、富士山の東麓で噴火が発生した際に、当時の国司や郡司が鎮火を祈願する斎場を設けたことが起源とされています。噴火が収まった後、その地に大同2年(807年)に神社が創建されました。
御祭神: 木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を主祭神とし、大己貴命(おおなむちのみこと)、彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)が相殿に祀られています。
宝永大噴火による被害: 江戸時代には、須走口登山道の起点として、多くの富士講信者や登山者で賑わいました。しかし、1707年の宝永大噴火では、大量の火山灰や砂礫が降り注ぎ、社殿は壊滅的な被害を受けました。
奇跡的な再興の物語
復興への道のり: 噴火後、須走村は壊滅状態となりましたが、村人たちはこの地を捨てませんでした。幕府の関東郡代、伊奈忠順(いな ただのぶ)らの尽力もあり、住民は復興に向けた活動を開始します。
神社の再建: 焼失した社殿は、その後の復興を象徴するように、1718年に再建されました。この再建された社殿や神門は、現在も当時の姿をそのまま残しており、小山町の文化財にも指定されています。
富士講信者の貢献: 江戸時代中期に富士講が隆盛すると、村上光清(むらかみこうせい)をはじめとする富士講の信者たちが、境内の社殿修復に大きく貢献しました。
現在、富士山世界文化遺産の構成資産の一つにもなっているこの神社は、富士山の噴火を鎮めるために建てられ、そして噴火による被害を乗り越えて再建された、富士山信仰の歴史を今に伝える貴重な場所です。参道には富士講信者が寄進した石碑群も残り、当時の信仰の熱気を感じることができます。
日本版ポンペイ
1707年の宝永噴火によって埋没した須走村の集落跡について、近年、その痕跡が発見され、調査が進められています。
埋没集落の発見と調査
発見場所: 静岡県小山町須走地区の住宅街です。宝永火口から東に約10km離れた地点です。
調査手法: 小山町と東京大学、東京工業大学の専門家からなる研究チームが、地中レーダー探査を用いて調査を行いました。
発見内容: 地下およそ2.5メートルから、江戸時代の住居の柱跡や生活用品(鎌、鍬、茶碗、包丁など)が発見されました。地中レーダーの探査結果からも、火山噴出物の下に水平な地層(宝永噴火以前の地表面)や、建物の部材と推定される凸状の埋蔵物が確認されました。
発見の意義と特徴
「日本版ポンペイ」: この発見は、イタリアのポンペイ遺跡のように火山噴火で一瞬にして埋もれた集落の様子を伝える貴重なものとして、「日本版ポンペイ」とも呼ばれています。
街並みの連続性: 調査の結果、現在の須走の街並みが、宝永噴火で埋没した集落の上にそのまま築かれていることが明らかになりました。これは、江戸時代も現代も、同じ場所に街があったことを裏付けるものです。
噴火の脅威の再認識: 噴火当時、須走村は3メートルを超える火山灰に覆われ、家屋は倒壊・焼失したと記録されていますが、この発掘調査によって、その被害の甚大さが考古学的に裏付けられました。
現在も、これらの遺構は専門家による調査が進められている段階であり、一般公開されているわけではありません。しかし、この発見は、富士山噴火の脅威と、人々が噴火を乗り越えて同じ土地で暮らしを再建してきた歴史を物語る貴重な資料となっています。
富士講(ふじこう)
富士講(ふじこう)は、江戸時代に特に隆盛した、富士山を信仰する人々の集団のことです。以下にその詳細をまとめます。
富士講とは
富士山を霊山として崇め、登山や修行を通じて救済を求める、庶民の間に広まった民衆信仰の一つです。「講」とは、共通の目的のために組織された集団を指します。
創始と発展
創始者:長谷川角行(はせがわかくぎょう)
戦国時代から江戸時代初期にかけての行者で、富士山の人穴(ひとあな)で修行を重ね、「富士山に登ることで罪穢(つみけがれ)が清められ、寿命が延びる」という教えを広めたとされています。
中興の祖:食行身禄(じきぎょうみろく)
江戸時代中期に現れ、長谷川角行の教えを庶民にもわかりやすく説きました。富士山七合目で断食をして入定(にゅうじょう)したと伝えられており、その求道的な生き方が人々の共感を呼び、富士講は江戸で爆発的に流行しました。
信仰と活動の内容
富士山登拝(とはい): 富士講の最も重要な活動です。白い装束を身につけ、金剛杖を持って「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」と唱えながら富士山に登りました。
富士塚(ふじづか): 遠方から富士山に登拝できない人々のために、身近な場所に富士山を模した塚を築き、そこに登ることで富士山に登ったのと同じご利益を得られるとしました。
御師(おし): 富士山の麓には、富士講の信者(講員)を受け入れ、宿泊や食事、登山の案内、祈祷などを行う「御師」と呼ばれる人々がいました。
「お焚き上げ」や「月拝み」: 富士山を模した線香を焚く「お焚き上げ」や、毎月決まった日に集まって教えを学ぶ「月拝み」などの行事も行われていました。
巡礼: 富士講の信者たちは、富士五湖や白糸の滝、忍野八海などの富士山周辺の霊場も巡りました。
現在
明治以降、富士講の多くは新興宗教へと移行したり、組織としての活動を終えたりしました。しかし、現在でも一部の地域では富士講の伝統が受け継がれており、富士山への登拝や、富士塚への参拝、月拝みなどの活動を行っている講社も存在します。また、富士講の拠点であった御師の家も、富士吉田市などに一部が残されています。
富士山とプレートの関係
富士山は、日本の火山の中でも非常に特殊な場所に位置しています。それは、3つのプレート(地球の表面を覆う巨大な岩盤)が複雑にぶつかり合う場所に、ちょうど乗っているからです。
フィリピン海プレート: 日本列島の南側から沈み込んでいます。
ユーラシアプレート(またはアムールプレート): 日本列島が乗っている大陸側のプレートです。
太平洋プレート: 日本列島の東側から沈み込んでいます。
富士山は、この3つのプレートの境界が非常に近い、いわゆる**「三重会合点(トリプルジャンクション)」**の近くに位置していると考えられています。
プレートの沈み込みとマグマの生成
プレートの動きが、富士山を形成するマグマを生み出す根本的な原因です。
沈み込み(サブダクション): 太平洋プレートとフィリピン海プレートは、大陸側のユーラシアプレートの下にゆっくりと沈み込んでいます。
水の供給: 沈み込むプレートは、海水を大量に含んだ岩石でできています。このプレートが地下深く、高温高圧の場所に到達すると、岩石に含まれていた水が放出されます。
融点降下: この水が、マントルを構成する岩石(橄欖岩など)の融点を下げます。通常では溶けない温度でも、水が加わることで溶けやすくなり、マグマが発生します。
マグマの上昇と噴火
こうしてできたマグマは、周囲の岩石よりも密度が低いため、浮力によってゆっくりと地表に向かって上昇します。富士山がある三重会合点付近は、プレート同士の相互作用によって地殻が非常に不安定で、マグマが上昇しやすい「通り道」ができていると考えられています。
このマグマが地表に噴出し、何度も噴火を繰り返すことで、現在の富士山(新富士)の美しい成層火山が形成されました。
つまり、富士山の壮大な姿は、数百万年以上にわたるプレートの複雑な動きと、それによって引き起こされたマグマの活動が、何層にもわたって積み重なった結果なのです。
富士山の形成におけるプレートの動きと伊豆半島の役割
伊豆半島の衝突と富士山の形成
伊豆半島は、富士山が形成される上で、マグマの供給源であるプレートの沈み込みだけでなく、そのマグマが地表に噴出する場所を決定づけるという、非常に重要な役割を果たしました。
伊豆半島の正体:
伊豆半島は、もともと日本の本州とは別の場所に存在していた、フィリピン海プレート上にある「伊豆弧」と呼ばれる火山列の最北端でした。つまり、伊豆半島自体が、かつては海底にあった巨大な火山島だったのです。
本州への衝突:
フィリピン海プレートは、年間数センチメートルの速度で北に向かって移動しています。これにより、伊豆半島は数百万年かけて本州(ユーラシアプレート)に接近し、約100万年前から衝突を開始したと考えられています。
地殻の不安定化とマグマの上昇:
この伊豆半島の衝突は、プレートが滑らかに沈み込むのとは異なり、大陸側の地殻に強い圧縮応力とストレスを与えます。その結果、本州の地殻が押し上げられて隆起したり、ひび割れが生じたりしました。
富士山は、この衝突によって地殻が不安定になった場所に位置しています。沈み込むプレートから発生したマグマは、この不安定で弱い地殻のひび割れを通り道として、容易に地表まで上昇することができました。
このように、富士山の美しい姿は、フィリピン海プレートに運ばれてきた伊豆半島が本州に衝突したことによって、マグマが噴出する「通り道」が生まれた結果、形成されたと言えます。つまり、伊豆半島が本州に衝突したことで、富士山が生まれるための舞台が整ったのです。
『ブラタモリ』拡大版で「最新!富士山SP」
— TVLIFE(テレビライフ公式) (@tv_life) August 1, 2025
2900年前に失われた“古富士”の痕跡にタモリ「いとおしくなる」
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