喘息死は減少している🌸[新]テレサ・テン 歌姫を愛した人々 第1話「突然の別れ」
喘息死は減少している
こんにちは
猫好き父さんです
テレサ・テンさんの訃報を
聞いたときに
その死因とともに
かなり驚いたことを
覚えています
まさか
喘息が死にいたることがある
危険な病気だとは
思ってもいなかったからです
その後
子供が小児喘息を発症し
嫁さんまでもが
喘息を発症してしまい
かなりその管理に気を使いました
テレサ・テンさんが亡くなった
1995年当時は7,123人もの方が
日本でお亡くなりになっています
その後病気に対する理解であったり
治療法の進歩それも
パラダイムシフトとも思えるくらいの
変化が起きて大幅に減少して
2023年には887人と
約1/10までに減少しています
タラレバなんですが
今だったら
テレサ・テンさんは
お亡くなりになることもなく
素敵な歌を世の中に
届ていたかもしれません
このシリーズしっかり
拝見したいと思います
画像は公式からの引用です
あらすじ
1995年春。台北では鄧麗君(ドン・リージュン)の母、趙素桂(ジャオ・スーグイ)の70歳の誕生日を祝う寿宴が盛大に執り行われていた。タイに滞在していた鄧麗君は、最愛の母に電話で祝福を寄せるが、ほどなくしてホテルで喘息の発作を起こし、病院へと搬送される。そして、鄧麗君の3番目の兄、鄧長富(ドン・チャンフー)の元に届いたのは、あまりにも突然すぎる鄧麗君の訃報だった。 (日本語字幕放送・全48話)
ミシェル・チェン,ピーター・ホー,ポン・グアンイン,リュー・イー
【製作総指揮】ディン・ヘイ 【監督】ウー・モンエン 【脚本】リー・シュンツー
アジアの歌姫
「テレサ・テン」さん(中国名:鄧麗君 デン・リージュン)は、アジア全域で絶大な人気を博した、伝説的な女性歌手です。「アジアの歌姫」とも称されました。
経歴と活躍:
- 出身: 台湾(1953年生まれ)
- アジアでの活躍: 中国語圏(台湾、香港、中国大陸)や東南アジアなど、アジア各地で早くからスターとして活躍しました。
- 日本でのデビュー: 1973年に日本にデビューしました。
- 日本での人気: その優しい歌声と、叙情的で美しいメロディーの楽曲で、日本でも瞬く間に人気を獲得しました。外国人歌手として日本の歌謡界で非常に大きな成功を収めました。
代表曲(日本での主なヒット曲):
日本には数多くの名曲を残しています。
- 空港 (日本でのデビュー曲でありヒット曲)
- つぐない
- 愛人 (日本レコード大賞を受賞)
- 時の流れに身をまかせ (日本で最大のヒットとなり、日本レコード大賞を再び受賞した代表曲中の代表曲)
- 別れの予感
これらの楽曲は、日本国内だけでなく、中国語圏でもカバーされるなど、アジアを越えて歌い継がれています。
逝去とレガシー:
1995年、滞在先であるタイで気管支喘息の発作により、42歳という若さで急逝されました。
その死はアジア全体に大きな衝撃を与えましたが、テレサ・テンさんの音楽は没後も色褪せることなく、現在でも多くの人々に愛され続けています。彼女は、アジア各国の文化や言葉の壁を越えて人々の心に響く歌を届けた、稀有な存在として、歴史にその名を刻んでいます。
1995年(平成7年)の日本における喘息(ぜんそく)による死亡者数は7,123人
この年の喘息による死亡者数は、厚生労働省の人口動態統計によると、
7,123人
でした。
これは、先ほどお話しした2023年の887人という数字と比較すると、非常に多い数であることがわかります。
1990年代は、現在のように喘息の病態や治療法(特に吸入ステロイド薬など)の理解が進んでおらず、重症化した場合に命を落とすケースが今よりも多かった時代でした。
1995年という年は、人気歌手のテレサ・テンさんが喘息で急逝された年でもあり、喘息という病気の恐ろしさが改めて認識された時期でもありました。
その後の医学の進歩や、適切な治療管理の普及により、喘息による死亡者数は現在では大幅に減少しています。
2023年(令和5年)の日本における喘息(ぜんそく)による死亡者数は887人
日本における喘息(ぜんそく)による死亡者数は、厚生労働省の人口動態統計で集計されています。
近年、喘息の治療法が進歩したことにより、長期的に見て喘息による死亡者数は大幅に減少しています。
厚生労働省が発表した**2023年(令和5年)の人口動態統計月報年計(概数)**によると、喘息が直接の原因となった死亡者数(ICD-10のJ45-J46に分類されるもの)は、
887人
でした。
これは、確定数である2022年(令和4年)の1,005人からさらに減少しています。
過去のピーク時(例えば1950年代などには年間1万人以上の死亡者数だった時期もあります)と比較すると、現在の死亡者数は非常に少なくなっており、これは治療管理の進歩による大きな成果と言えます。
したがって、最新の概数ではありますが、2023年の日本における喘息死の発生数は887人となっています。
喘息死が大幅に減少した要因
日本における喘息死が大幅に減少した直接的な要因は、主に喘息という病気そのものへの理解が進み、それに伴って治療戦略が大きく変化したこと、そして効果の高い薬剤が登場し広く普及したことです。
特に重要なのは、以下の点と関連する治療法です。
-
喘息の病態理解の変化:
- 以前は、喘息は「気管支が急に収縮して息苦しくなる発作の病気」という側面だけが強調されがちでした。
- しかし、1990年代以降、喘息の本質が**「気道の慢性的な炎症(アレルギーなどが原因で、空気の通り道である気管支が常に炎症を起こしている状態)」**であるという理解が深まりました。この炎症があるために、気道が過敏になり、些細な刺激(冷たい空気、アレルゲン、運動など)で発作が起きやすくなることが明らかになりました。
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治療戦略のパラダイムシフト(発作治療中心から、炎症を抑える長期管理中心へ):
- 病態理解の変化に伴い、治療の考え方が大きく変わりました。これまでは発作が起きた時にその場で気管支を広げる薬(リリーバー、発作治療薬)を使う**「発作を止める治療」が中心**でした。
- しかし、炎症が喘息の本質であると分かったことで、「炎症を日常的に抑えて、発作が起きにくい状態を維持する」という長期管理が治療の中心となりました。これが「コントローラー(長期管理薬)による治療」です。
喘息死を減少させた具体的な治療法(コントローラー):
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吸入ステロイド薬(ICS):
これが喘息死を劇的に減らした最も重要な薬剤です。ステロイドと聞くと副作用を心配される方もいますが、吸入薬はごく少量で直接気道に届くため、全身性の副作用が少なく、効果的に気道の炎症を鎮めることができます。
この薬を毎日継続して吸入することで、気道の過敏性が抑えられ、発作の頻度や重症度が大幅に減少し、命にかかわるような激しい発作(喘息死の原因)を予防できるようになりました。
-
吸入ステロイド薬と長時間作用型β2刺激薬の配合剤:
気道の炎症を抑える吸入ステロイド薬と、気管支を広げる効果が長く続く吸入β2刺激薬を組み合わせた薬剤も広く使われるようになりました。これにより、炎症抑制と気道を広げる効果の両方を同時に得られ、より安定した喘息コントロールが可能になりました。
-
ロイコトリエン受容体拮抗薬や生物学的製剤など:
炎症に関わる別の物質の働きを抑える飲み薬(ロイコトリエン受容体拮抗薬)や、重症喘息に対して使われる注射薬(生物学的製剤)なども登場し、様々な病態の喘息に対応できるようになり、さらに喘息管理の精度が高まっています。
これらの「気道の慢性炎症を日常的に管理・治療する」という考え方と、それを可能にする吸入ステロイド薬を中心とした効果的な薬剤の登場・普及こそが、日本における喘息死を劇的に減少させた最大の直接的な要因と言えます。
BS11「テレサ・テン 歌姫を愛した人々」
— TVer新着 (@TVer_info) May 6, 2025
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テレサ・テン歌姫を愛した人々⏰5/13~ 毎週(火) よる8時