納め大刀を担いだタモリさんが粋ですねえ😎ブラタモリ 江戸っ子の大山詣り▼渋谷発・大流行の参詣旅!百年以上続く宿坊
ブラ大山詣り
こんにちは
猫好き父さんです
いやはや
壮大な旅絵巻になりましたね
まだまだ続く!
ブラ大山詣り
今回の舞台は大山街道。渋谷をスタートし神奈川県伊勢原市にある大山阿夫利神社を目指す旅!粋な江戸っ子の間で大ブームとなった「大山詣り」の魅力に迫る。渋谷・超高層ビルからの絶景&渋谷川は江戸の内と外の境界線?道玄坂、二子玉川の渡し船…江戸の旅人気分で行く2階建てバスツアー!大山の麓で江戸時代から続く宿坊にタモリ大興奮!江戸っ子同士の見栄の張り合いが生んだもの&大ブームの立役者とは?名物・大山豆腐に舌鼓
出演
【出演】タモリ,【アナウンサー】佐藤茉那,【語り】あいみょん
宮益坂(みやますざか)
宮益坂(みやますざか)は、東京都渋谷区にある坂道です。渋谷駅から青山方面へ向かう主要な通りで、多くの店舗やオフィスビルが立ち並び、常に人通りが多い活気あるエリアです。
宮益坂の概要と特徴
-
立地とアクセス:
- 渋谷駅東口から明治通りを渡り、青山通り(国道246号線)方面へ上っていく坂道です。
- 渋谷駅から徒歩圏内で、交通の便が非常に良い場所にあります。
-
歴史と名前の由来:
- 江戸時代から続く歴史ある坂道で、かつてこの坂の途中にあった「金王八幡宮(こんのうはちまんぐう)」の「宮」と、坂を上ることで「益々(ますます)」栄えるという意味を込めて「宮益坂」と名付けられたと言われています。
- 江戸時代には、この坂の周辺に多くの武家屋敷が立ち並び、賑わいを見せていました。
-
現在の様子:
- 現在は、オフィスビル、商業施設、飲食店、銀行、専門学校などがひしめき合う、渋谷のビジネスと商業の中心地の一つとなっています。
- 坂の両側には、様々なジャンルの飲食店が軒を連ね、ランチタイムや仕事帰りの人々で賑わいます。
- 渋谷ヒカリエなどの大型商業施設も近く、ショッピングやエンターテイメントも楽しめます。
- 坂を上りきると青山通りに合流し、表参道や青山方面へとアクセスできます。
-
特徴的な景観:
- 坂道であるため、上り下りがあり、特に坂の上からは渋谷駅周辺の景色を少し見下ろすことができます。
- 道幅は比較的広く、歩道も整備されていますが、時間帯によっては非常に混雑します。
宮益坂周辺の主な施設・スポット
- 渋谷ヒカリエ: 渋谷駅直結の複合施設で、ショッピング、レストラン、劇場などが入っています。
- 金王八幡宮: 宮益坂の名前の由来となった神社で、渋谷のパワースポットとしても知られています。
- 青山通り: 坂を上りきると合流する主要道路で、表参道や青山エリアへと繋がっています。
宮益坂は、渋谷の多様な顔を象徴するような場所であり、ビジネス、ショッピング、グルメ、そして歴史が融合した魅力的なエリアです。
御嶽神社
宮益坂にある御嶽神社。渋谷の喧騒の中にありながら、静かに鎮座するパワースポットです。
宮益坂の御嶽神社について
宮益坂の御嶽神社は、渋谷区渋谷1丁目に位置し、宮益坂のちょうど中腹あたりに鎮座しています。都会の真ん中にありながら、一歩境内に入ると、ビル群の間にひっそりと落ち着いた空間が広がっています。
1. 歴史と由緒
この御嶽神社の創建は、江戸時代に遡ります。記録によると、**江戸時代初期の寛永年間(1624年〜1644年)**に、この地にあった渋谷村の開拓者が、信仰する御嶽大神(おんたけおおかみ)を勧請(かんじょう:神様を分霊して祀ること)したのが始まりとされています。
江戸時代には「御嶽講」と呼ばれる信仰集団があり、彼らが共同で維持管理をしてきました。明治時代以降も、渋谷の発展を見守る鎮守の森として地域の人々に大切にされてきました。
2. 祭神とご利益
御嶽神社の主祭神は、御嶽大神(おんたけおおかみ)、八幡大神(はちまんおおかみ)、**天満大神(てんまんおおかみ)**の三柱です。
- 御嶽大神: 木曽御嶽山(きそおんたけさん)の神様で、武運長久、商売繁盛、病気平癒、開運招福などのご利益があるとされています。特に、生命力や健康、活力をもたらすと信じられています。
- 八幡大神: 武家の守護神として広く信仰され、必勝祈願、開運厄除、家内安全などのご利益があります。
- 天満大神: 学問の神様、菅原道真公(すがわらのみちざねこう)を祀っており、学業成就、合格祈願にご利益があります。
このように、多様なご利益を持つ神様が祀られているため、多くの願い事に対応できる神社として知られています。
3. 見どころと特徴
- 都会のオアシス: 渋谷の繁華街にありながら、鳥居をくぐると空気が一変し、静寂な空間が広がります。ビルに囲まれながらも緑が豊かで、都会の喧騒を忘れさせてくれる隠れ家のような存在です。
- 石段と手水舎: 坂の途中にあるため、少し石段を上ると本殿に至ります。手水舎も整備されており、清らかな水で心身を清めてから参拝できます。
- 小さな境内: 境内はそれほど広くありませんが、手入れが行き届いており、清々しい雰囲気です。
- 絵馬: 参拝者が願い事を書いた絵馬が奉納されており、多くの人々の思いが感じられます。
4. アクセス
- 渋谷駅東口より徒歩約5〜7分。宮益坂を上っていくと、右手に鳥居が見えてきます。
宮益坂の御嶽神社は、渋谷に立ち寄った際に気軽に立ち寄れる、心の落ち着く場所です。都会の真ん中で、古くからこの地を見守ってきた神様に、日頃の感謝や願い事を伝えてみてはいかがでしょうか。
渋谷には他にも金王八幡宮など歴史ある神社がありますが、この御嶽神社は特に隠れた名所として知られています。
納め大刀(おさめだち)
「大山詣り(おおやままいり)」における**納め大刀(おさめだち)**は、江戸時代に特に盛んになった独特の信仰と行楽の文化を象徴するものです。
納め大刀とは
納め大刀とは、神奈川県にある霊峰・**大山(おおやま)への参詣(大山詣り)の際に、参拝者が木製の太刀(木太刀)**を奉納する風習を指します。
歴史的背景と由来
- 源頼朝の故事に由来: 納め大刀の起源は、鎌倉幕府初代将軍の源頼朝にあると伝えられています。頼朝が武運長久(武運が長く続くこと)と必勝を祈願して、自身の太刀を大山の山中にある大山寺(現在の阿夫利神社下社付近)に奉納したという逸話に由来すると言われています。
- 江戸時代の流行: 江戸時代になると、庶民の間で大山詣りが大流行しました。特に江戸市中の鳶職人や火消し、講(信仰グループ)を組んだ人々が、この頼朝の故事にならい、真剣の代わりに木製の太刀を大山に奉納するようになりました。これは、五穀豊穣、商売繁盛、そして「勝負運を上げる」という意味合いも込められていました。
- 日本遺産にも認定: 大山詣りは、その独特の信仰形態や行楽文化が評価され、2016年に文化庁の日本遺産に認定されています。そのストーリーの中心には、この「巨大な木太刀を担いで大山詣り」という風習があります。
納め大刀の特徴
- サイズと装飾: 当初は長さ30cm程度の小さな木太刀が多かったとされますが、やがて「大きいものほど粋である」という「粋(いき)」の美意識が加わり、中には7mを超える巨大なものまで奉納されるようになりました。これらの巨大な納め大刀は、江戸から大人数で担ぎ、道中も大勢の見物客を沸かせたといいます。色鮮やかな装飾が施されたものも多く見られます。
- 「迎え大刀」の風習: 納めた太刀は阿夫利神社や大山寺の神前に奉納されましたが、翌年以降の参拝時には、前年に納めた太刀、あるいは他の講中が奉納した太刀を持ち帰る「迎え大刀」という風習も盛んになりました。これは、持ち帰った太刀を地元の社寺や自宅に飾ることで、招福除災のお守りとする意味合いがありました。
- 浮世絵にも描かれる: 巨大な木太刀を担いで大山へ向かう江戸の人々の様子は、歌川広重や歌川豊国といった浮世絵師によっても数多く描かれ、当時の風習や人々の熱気が現代に伝えられています。
現在の納め大刀
現代では、かつての盛大な納め大刀の風習は途絶えていますが、伊勢原市や大山阿夫利神社では、この歴史的な文化を再興する活動が行われています。復元された巨大な木太刀を担ぐイベントなども開催され、当時の「大山詣り」の賑わいを体験することができます。
納め大刀は、単なる奉納品ではなく、江戸庶民の信仰心、行楽、そして共同体意識が凝縮された、大変興味深い文化財と言えるでしょう。
道玄坂(どうげんざか)について
道玄坂は、東京都渋谷区にある坂で、渋谷駅ハチ公口(西口)からSHIBUYA109を起点として、国道246号線(玉川通り)を越えて円山町方面へ上っていく坂です。渋谷の繁華街の中でも特に賑やかなエリアの一つとして知られています。
名前(道玄坂)の由来
道玄坂の名の由来にはいくつかの説がありますが、最も有力なのは以下の2つです。
-
和田義盛の残党「道玄」説:
鎌倉時代初期(13世紀)、源頼朝の有力御家人であった和田義盛が北条氏との戦いに敗れ、一族が滅亡しました。その**和田義盛の残党である「大和田太郎道玄(おおわだたろうどうげん)」**という落武者が、大永4年(1524年)に渋谷氏が滅亡した後、この坂のあたりに隠れ住み、山賊のような振る舞いをしていたという伝説が最も広く知られています。この道玄の名が坂の由来になったとされています。
-
道玄庵という寺の庵主説:
もう一つの説は、戦国時代の「天正日記」という記録によると、この坂のあたりに**「道玄庵(どうげんあん)」という寺があり、その庵主が徳川家康に由緒書を出した**ことから、その寺の名をとってこの坂が「道玄坂」と呼ばれるようになったというものです。ただし、「天正日記」には偽書説もあるため、この説の信憑性は限定的です。
現在では、和田道玄の伝説が一般的に広く信じられ、坂の名前の由来として語り継がれています。
道玄坂の現在の様子と特徴
道玄坂は、渋谷の多様な顔を象徴するような場所であり、その特徴は多岐にわたります。
- 繁華街の中心: 渋谷駅から最も近い繁華街の一つで、ファッションビル、飲食店、クラブ、ライブハウス、ホテルなどが密集しています。昼夜を問わず多くの人で賑わい、特に夜は若者を中心に活気に満ち溢れています。
- 多様な店舗: SHIBUYA109をはじめとする若者向けのファッションビルから、居酒屋、カラオケ店、風俗店、さらにはオフィスビル、ホテル(ホテルインディゴ東京渋谷など)まで、非常に多種多様な店舗が混在しています。サービス業や飲食店の割合が高いのが特徴です。
- 文化の発信地: 多くのクラブやライブハウスがあり、日本の音楽やエンターテイメント文化の発信地の一つでもあります。かつてはジャズ喫茶なども多く、サブカルチャーが花開いた歴史も持ちます。
- 急な坂道: 見た目以上に勾配がきつい坂道で、歩いて上り下りすると、その傾斜を実感できます。坂上は「道玄坂上」交差点で国道246号線に合流します。
- 複雑な地形と路地裏: 道玄坂の途中からは、「道玄坂小路」や「百軒店(ひゃっけんだな)」といった細い路地が分岐しています。これらの路地裏には、昔ながらの雰囲気を持つ飲食店や個性的な店舗が点在しており、渋谷の「ミックスカルチャー」を感じさせるエリアとなっています。
道玄坂周辺の主な施設・スポット
- SHIBUYA109: 若者文化の象徴ともいえるファッションビル。
- 渋谷マークシティ: 京王井の頭線渋谷駅直結の複合施設で、ショッピング、レストラン、ホテルなどが入っています。道玄坂に面しています。
- 道玄坂通 dogenzaka-dori: 近年の渋谷再開発で誕生した複合施設で、ショッピングエリア、オフィス、ホテルインディゴ東京渋谷などが入っています。
- 百軒店(ひゃっけんだな): 道玄坂の途中の脇道に入る、レトロな雰囲気の飲食店街。関東大震災後、浅草や銀座の名店が移転してきたことがルーツとされています。
- TOHOシネマズ渋谷: 道玄坂沿いにあるシネマコンプレックスです。
道玄坂は、渋谷のエネルギーと多様性を体現する場所であり、常に変化し続ける街の魅力の一部となっています。
大山(おおやま)
神奈川県伊勢原市にある大山(おおやま)は、古くから信仰の対象とされてきた美しい山で、都心からのアクセスも良く、豊かな自然と歴史に触れられる人気の観光地です。登山はもちろん、神社仏閣めぐりや絶景を楽しむことができます。
大山の概要と魅力
- 標高: 1,252メートル
- 別名「雨降山(あめふりやま)」: 古来より雨乞いの山として信仰を集めてきました。
- ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン: 大山阿夫利神社下社からの眺望は、二つ星として掲載されており、その美しさは国際的にも評価されています。
- 四季折々の自然: 春の桜、夏の新緑、秋の紅葉、冬の雪景色と、一年を通して美しい景観が楽しめます。特に秋の紅葉は見事で、多くの観光客で賑わいます。
主な見どころ
1. 大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)
山頂に本社、中腹に下社があります。紀元前97年頃の創建と伝えられる古社で、産業、海上安全、五穀豊穣の神として信仰されています。
- 下社: ケーブルカーの終点「阿夫利神社駅」のすぐそばにあります。ここからの眺めは素晴らしく、相模湾や江の島、遠くは房総半島まで一望できます。夜景の名所としても知られ、期間限定でライトアップや夜間ケーブルカーの運行も行われます。
- 本社: 下社から本格的な登山道を約90分登った山頂に鎮座しています。富士山や都心の絶景が広がる、達成感あふれるスポットです。
2. 大山寺(おおやまでら)
755年に開かれたと伝わる真言宗の寺院。本尊の鉄造不動明王及二童子像は国の重要文化財に指定されています。
- 紅葉の名所: 本堂へ続く石段は「もみじのトンネル」として知られ、秋には見事な紅葉が楽しめます。ライトアップ期間中は幻想的な雰囲気に包まれます。
- アクセス: 大山ケーブルカーの途中駅「大山寺駅」で下車し、徒歩約3分です。
3. こま参道
バス停から大山ケーブルカーの駅まで続く、約360段の石段の参道です。両脇には旅館やお土産物屋、豆腐料理やこんにゃくなどを楽しめるお店が軒を連ね、散策するだけでも楽しめます。
大山へのアクセスと移動
- 電車とバス: 小田急小田原線「伊勢原駅」で下車。北口4番乗り場から神奈川中央交通バス「大山ケーブル」行きに乗車し、終点で下車します(約25分)。
- 大山ケーブルカー: バス停から「こま参道」を15分ほど歩くと、ケーブルカーの「大山ケーブル駅」に到着します。
- 運行区間: 大山ケーブル駅 → 大山寺駅 → 阿夫利神社駅
- 所要時間: 約6分
- 運行時間: 通常は午前9時頃から午後4時半~5時頃まで、20分間隔で運行しています。時期により延長運転があります。
登山・ハイキング
初心者から経験者まで楽しめる様々なコースがあります。
- 初心者向けコース: ケーブルカーで阿夫利神社下社まで行き、そこから山頂を目指すのが最もポピュラーです。登山道は整備されていますが、岩場や急な階段もあるため、しっかりとした靴など登山の準備は必要です。
- 所要時間: 下社から山頂まで登り約1時間30分、下り約1時間10分が目安です。
- 見晴台経由コース: 下社と山頂の中間にある「見晴台」を経由するルートも人気です。
大山は、気軽に日帰り旅行が楽しめるだけでなく、歴史や文化、そして雄大な自然の魅力を存分に味わえる場所です。訪れる季節によって異なる表情を見せてくれるので、何度でも足を運びたくなることでしょう。
二子の渡し
「二子の渡し」は、江戸時代から大正時代にかけて、現在の川崎市高津区二子と東京都世田谷区瀬田の間、多摩川を結んでいた渡し舟のことです。
歴史と役割:
- 始まり: 元禄年間(1688年~1703年)には既に存在していたとされています。
- 大山街道の要衝: 江戸時代、幕府は多摩川を江戸防衛の最前線と位置づけ、長い間架橋を制限していたため、大山街道(江戸と相模国の大山を結ぶ街道)を通る人々にとって、多摩川を渡るための重要な交通手段でした。
- 賑わい: 大山詣での参拝客や行商人、江戸と行き来する農民(野菜や炭などを江戸へ運び、下肥を集めて帰るなど)に多く利用され、渡し場の周りには茶屋や食事処、宿屋などが集まり、二子・溝口宿は街道沿いの宿場町として発展しました。
- 舟の種類: 人を渡す「徒歩船(かちぶね)」のほか、馬や荷車を渡す大型の「馬船」も用意されていました。
- 運営: 江戸時代中期からは、二子村と瀬田村が村の仕事として渡し舟を運行していました。渡し場の権利を巡って、川崎側と東京側で争いが絶えなかった時期もありました。
- 多摩川の特性: 多摩川は「暴れ川」とも呼ばれ、水量が増えると「川止め」となり、何日も足止めされることも少なくありませんでした。また、流路を度々変えたため、渡し場の場所も時期によって変わったと言われています。
- 廃止: 1923年(大正12年)の関東大震災で東京からの避難民が大山街道を通ったことがきっかけとなり、二子橋の架設運動が活発化しました。そして、1925年(大正14年)に二子橋が完成したことで、二子の渡しはその役目を終え、廃止されました。
現在の二子の渡し:
- 2011年には、地域の歴史を学ぶ目的で86年ぶりに一日限定で復活し、以降、毎年1回、一日限定で渡し体験ができるイベントが開催されています。
二子の渡しは、多摩川を渡る交通手段としてだけでなく、地域の経済や文化、人々の交流を支える重要な役割を担っていたと言えるでしょう。
講(こう)
「講(こう)」とは、もともとは仏教において、仏典を講読・研究する僧侶の集団や、その講読を中心とする仏教行事を指す言葉でした。しかし、時代が下るにつれて意味が広がり、様々な目的のために組織された庶民の集団や、その活動自体を指すようになりました。
特に江戸時代には、その役割と種類が多岐にわたり、人々の生活に深く根ざしていました。
江戸時代の講の主な種類と役割:
-
信仰を目的とした講(参詣講・信仰講)
- 役割: 特定の神社仏閣への参詣(巡礼)や、特定の神仏への信仰を目的とした集団です。
- 具体例:
- 伊勢講(いせこう): 伊勢神宮への「お伊勢参り」を目的とした講。当時は交通手段が限られ、遠方への旅は費用も時間もかかったため、講のメンバーが積立金を出し合い、交代で代表者が参詣する「代参」という形が一般的でした。これにより、多くの人々が一生に一度はお伊勢参りに行くという夢を叶えることができました。
- 富士講(ふじこう): 富士山への登山(富士登拝)を目的とした講。富士山を信仰の対象とし、登拝を通じて神仏と一体となることを目指しました。
- 善光寺講、御嶽講、熊野講など: その他の有名な寺社や霊山への参詣を目的とした講も多数存在しました。
- 念仏講、観音講など: 地域の人々が集まり、念仏を唱えたり、観音様を拝んだりする信仰活動を行う講。
- 田の神講、山の神講、水神講など: 農業や漁業、林業など、特定の生業に関わる神々を祀り、豊作や安全を祈願する講。
- 特徴: 旅費の積立だけでなく、参詣先での宿の手配や、旅の安全を祈願する役割も担いました。講の会合は、信仰活動だけでなく、地域の住民同士の交流の場、情報交換の場としても機能しました。寺社側も、多くの信徒を獲得するために講の結成を奨励し、講からの奉納金は寺社経営の重要な財源となりました。
-
経済的相互扶助を目的とした講
- 役割: 貯蓄や融資、共同購入など、経済的な助け合いを目的とした集団です。
- 具体例:
- 頼母子講(たのもしこう)/ 無尽講(むじんこう): 参加者全員で定期的に掛け金を出し合い、抽選や入札で選ばれた一人にまとまったお金を渡す仕組みです。現代の「互助会」や「金融組織」の源流とも言えます。これにより、多額の資金が必要な家の普請(家の新築や改築)や、結婚費用、災害時の復旧費用などを賄うことができました。
- 調度無尽: お膳や畳、ミシンなどの調度品を共同で購入するための講。
- もち米頼母子: お祝い事のためにもち米を貯めておくなど、現物での相互扶助を行う講もありました。
- 特徴: 庶民の経済活動を支える重要な仕組みであり、地域の共同体を維持する上で不可欠な存在でした。
-
社交・娯楽を目的とした講
- 役割: 親睦を深めたり、共通の趣味を楽しんだりする集まり。
- 具体例:
- 飲食を楽しむ講: 特定の日に集まって飲食を共にする講。
- 芸能を楽しむ講: 地域の伝統芸能の練習や発表を行う講。
- 特徴: 堅苦しい規則よりも、人々の交流や娯楽の側面が強いものでした。
講の運営と社会的位置づけ:
- 組織: 講は通常、地域(村や町内)の住民で構成され、講元(こうもと)、世話人などの役員が置かれました。
- 会合: 定期的に集会(講中)が開かれ、信仰活動や金銭のやり取り、食事会などが行われました。
- 共同体との関係: 講は、村や町という地域共同体の枠組みの中で、信仰、経済、社会生活の様々な側面を支える重要な役割を果たしました。単なる集まりではなく、地域の秩序や結束を保つための機能も持ち合わせていました。
このように、江戸時代の「講」は、人々の信仰生活を支えるだけでなく、経済的な相互扶助や社会的な交流の場としても機能し、当時の庶民の暮らしに欠かせない多様な役割を担っていたと言えるでしょう。
大山講(おおやまこう)
「大山講(おおやまこう)」とは、神奈川県伊勢原市にある大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)への参詣を目的として組織された信仰集団のことです。特に江戸時代中期から後期にかけて、関東各地の庶民の間で盛んに行われました。
大山信仰と大山阿夫利神社:
- 「雨降山」としての信仰: 大山は別名を「雨降山(あめふりやま)」とも呼ばれ、古くから雨乞いや五穀豊穣を司る山として信仰されてきました。そのため、農業を営む人々にとって特に重要な信仰の対象でした。
- 神仏習合の霊山: 奈良時代以降は神仏習合の霊山として栄え、武家政権下では武運長久の祈りの場所としても信仰されました。
- 「納め太刀」: 源頼朝が平家打倒を祈願して太刀を奉納したという伝承から、庶民の間でも木太刀を奉納する習慣が広まりました。これは「納め太刀」と呼ばれ、五穀豊穣や商売繁盛、勝負運向上などの願いが込められていました。
大山講の役割と特徴(特に江戸時代):
- 信仰と行楽の融合: 江戸時代、大山詣りは信仰だけでなく、物見遊山(レジャー)を兼ねた旅として人気を集めました。年間20万人もの参拝者が訪れたと伝えられています。
- 講の組織化: 遠方からの参詣は費用や時間がかかるため、地域や同業者ごとに「講」が組織されました。講のメンバーが積立金を出し合い、交代で代表者が参詣する「代参」という形が一般的でした。これにより、多くの人々が比較的費用を抑えて大山詣りに参加できるようになりました。
- 御師(おし)の存在: 大山の麓には、参詣者の世話や神社の取り次ぎを行う「御師」と呼ばれる人々が営む宿坊がありました。御師は、大山講の人々に宿泊場所や食事を提供し、参詣の手配を行うなど、大山信仰を支える重要な役割を担っていました。
- 「山帰り」: 大山参詣の帰りに、江の島や鎌倉などにも立ち寄る周遊型の旅が一般的でした。これは「山帰り」と呼ばれ、お土産として大森名産の麦わら細工のまといなどを持ち帰ることもありました。
- 文化的影響: 大山詣りの様子は、古典落語や浮世絵、歌舞伎などの題材にもなり、江戸庶民の文化に大きな影響を与えました。
- 多様な願い: 農業の神様としての信仰が中心でしたが、出世の神様としての信仰もあり、特に男の子が15歳くらいになると「初山(はつやま)」として大山に参拝することが慣習となっていました。また、借金取りから逃れるためや、博打の勝負運を上げるためといった、庶民の切実な願いを抱いて参詣する者もいたようです。
現代の大山講:
- 江戸時代の「大山講」の伝統は、現在も一部の地域で受け継がれています。また、近年では「平成大山講」プロジェクトのように、大山の魅力を再発見し、観光地として活性化させる取り組みも行われています。
大山講は、単なる信仰集団にとどまらず、江戸時代の庶民の生活、経済、文化に深く関わる、多岐にわたる役割を担っていたと言えるでしょう。
大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)
大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)は、神奈川県伊勢原市に鎮座する歴史ある神社で、古くから関東地方の人々に厚く信仰されてきました。
由緒と歴史:
- 創建: 2200年以上前の崇神天皇の時代に創建されたと伝えられる非常に古い歴史を持つ神社です。
- 「あめふり山」の信仰: 大山は、古くから「あめふり山」とも呼ばれ、雲や霧が山頂によく発生して雨を降らすことから、雨乞いや五穀豊穣の神として信仰されてきました。特に農業を営む人々にとって重要な存在でした。
- 神仏習合: 奈良時代以降は、神仏習合の霊山として栄え、修験道の中心地としても知られました。多くの修験者たちが厳しい修行を行いました。
- 武家の崇敬: 源頼朝をはじめ、北条氏や徳川氏など、武家の崇敬も篤く、武運長久や必勝祈願の場としても利用されました。
- 大山詣り: 江戸時代には、「大山詣り」として庶民の間で大流行しました。信仰だけでなく、観光やレジャーを兼ねた旅として人気を博し、年間数十万人もの参拝者が訪れたと記録されています。この「大山詣り」は、2016年に文化庁が認定する日本遺産にも認定されています。
- 「納め太刀」: 江戸時代には、源頼朝の故事に倣い、真剣の代わりに木太刀を奉納する「納め太刀」という独特な風習が生まれました。これは、五穀豊穣や商売繁盛、勝負運向上などを祈願するものでした。
ご祭神:
- 大山祗大神(おおやまつみのおおかみ): 山の神、水の神として知られ、産業、酒造、海運などの仕事運アップにもご利益があるとされています。富士山の祭神である木花咲耶姫神(このはなさくやひめのかみ)の父神でもあります。
- 高龗神(たかおかみのかみ): 日本書紀に記されている水神様で、祈雨・止雨の神として信仰されています。大山では小天狗とも称されます。
- 大雷神(おおいかずちのかみ): 日本書紀に記されている雷の神様で、火災や盗難除けの神として信仰されています。大山では大天狗とも呼ばれます。
ご利益:
- 五穀豊穣・雨乞い: 古来からの山の神、水の神としての信仰に由来します。
- 心願成就・商売繁盛・社運隆盛: 多くの人々の願いを叶えるパワースポットとして知られています。
- 家内安全・身体健全・厄除け: 日常生活における様々なご利益が期待されます。
- 交通安全: 特に自動車関連の安全祈願に訪れる人も多いです。
- 学業成就・合格祈願: 境内には学問の神様である菅原道真公を祀る天満宮(菅原社)もあり、学業成就や合格祈願のご利益もあります。
- 願望実現・仕事運アップ: 山の神様は人生の新たな変化や飛躍など大きな願いを叶える強いパワーをお持ちとされ、仕事に関する願いにもご利益があります。
- 浄化・厄除け: 大山の山中を守る大天狗や天狗の存在により、心身の疲れや厄を祓うとも言われています。
境内とアクセス:
- 本社: 標高1,252メートルの大山山頂に鎮座しています。下社から徒歩で1時間30分〜2時間程度の登山が必要です。
- 下社: 大山中腹(標高約696m)に位置し、ケーブルカーを利用して比較的容易に参拝できます。下社からの眺望は素晴らしく、ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで2つ星を獲得しています。晴れた日には、相模湾や江の島、そして遠く富士山まで見渡すことができます。
- アクセス:
- 小田急線「伊勢原駅」からバスで「大山ケーブル」バス停へ(約25分)。
- バス停から大山ケーブルカー駅まで徒歩約15分(こま参道を歩きます)。
- 大山ケーブルカーに乗り、「阿夫利神社駅」下車後、徒歩約3分で下社に到着します。
大山阿夫利神社は、その歴史の深さ、豊かな自然、そして多様なご利益から、現在も多くの人々が訪れる人気のパワースポットです。
宿坊(しゅくぼう)
宿坊(しゅくぼう)とは、もともとは寺社に参詣する人々が宿泊するための施設を指します。特に、仏教寺院に設けられたものを指すことが多いですが、神社の境内や門前町にある宿泊施設も宿坊と呼ばれることがあります。
その役割や機能は時代とともに変化し、現代では多様な形が見られます。
宿坊の歴史と本来の役割
- 修行僧の宿泊施設(起源): 最も古い形としては、寺院に滞在して修行を行う僧侶のための宿泊施設でした。
- 参拝者のための宿泊施設: 時代が下ると、遠方から参拝に訪れる一般の人々(特に巡礼者や信者)を受け入れるようになりました。これは、交通が未発達だった時代に、安全な宿泊場所を提供する重要な役割を担っていました。
- 講(こう)の拠点: 特定の寺社への参詣を目的とした「講」と呼ばれる信仰集団の拠点としても機能しました。講の人々は宿坊に泊まり、そこから寺社へ参拝したり、集会を開いたりしました。
- 御師(おし)の役割: 特に有名な寺社(例:伊勢神宮、富士山、大山など)では、「御師(おし)」と呼ばれる人々が宿坊を経営し、参拝者の世話や、神社の案内、祈祷の取り次ぎなどを行いました。御師は、宿泊提供だけでなく、参拝者の精神的なサポートや信仰の手助けも行い、寺社と参拝者を結ぶ重要な存在でした。
宿坊の特徴
現代の一般的なホテルや旅館とは異なる、宿坊ならではの特徴があります。
- 宗教施設の性格: 寺社に付属する施設であるため、宗教的な雰囲気があります。
- 精進料理(しょうじんりょうり): 肉や魚を使わない、野菜や豆類を中心とした質素ながらも栄養バランスの取れた料理が提供されることが多く、これは修行の一環でもあります。
- 写経・座禅などの体験: 宿坊によっては、宿泊者が写経、座禅、朝のお勤め(朝課)、阿字観(あじかん)などの仏教体験に参加できるところも多く、これは宿坊ならではの魅力となっています。
- 質素な設備: 近年では設備が整った宿坊も増えましたが、基本的には豪華さよりも清潔さや静けさを重視した、比較的シンプルな設備であることが多いです。
- 規律と静寂: 寺院の規律に沿った生活を送ることが求められる場合があり、静かで落ち着いた環境が提供されます。
現代の宿坊の多様化
近年では、宿坊の役割はさらに多様化しています。
- 観光客の受け入れ: 信仰心のある人だけでなく、日本の伝統文化や精神性を体験したい一般の観光客(国内外問わず)も積極的に受け入れています。
- 「宿坊体験」: 単なる宿泊施設としてだけでなく、写経や座禅、精進料理といった仏教体験を通して、心身のリフレッシュや自己と向き合う時間を提供する場として注目されています。
- イベント・ワークショップ: 特定のテーマ(例:写経合宿、断食体験、ヨガなど)に特化したイベントやワークショップを開催する宿坊も増えています。
- ユニークな宿泊施設として: 歴史的な建物や美しい庭園を持つ宿坊は、それ自体が観光の目的となることもあります。
- インバウンド対応: 外国人観光客向けの英語対応や、ベジタリアン・ヴィーガン対応の精進料理を提供する宿坊も増えています。
宿坊は、単に泊まる場所というだけでなく、日本の歴史、文化、精神性に触れることができる貴重な体験の場となっています。
御師(おし、おんし)
「御師(おし、おんし)」とは、特定の寺社に所属し、その寺社へ参詣する人々や信者のために、祈祷、案内、宿泊などの世話をする神職や僧侶を指します。特に、伊勢神宮や富士山、熊野三山、大山などでその存在が知られていました。
御師の主な役割
参拝者の案内と世話:
- 宿泊施設の提供(宿坊の経営): 参拝者を自宅に泊め、食事の提供や、山小屋の手配など、宿泊に関する一切の世話をしました。これが「御師の家」や「宿坊」と呼ばれる施設です。
- 道案内: 遠方から来た参拝者を寺社まで案内し、境内や参拝ルートの説明を行いました。
- 祈祷の取り次ぎ・実施: 参拝者の代わりに祈祷を行ったり、神前での祈祷を仲介したりしました。お札や護符の発行も行いました。
信仰の布教と勧誘:
- 「講(こう)」の組織化: 各地に出向いて「講」と呼ばれる信仰集団を組織し、その講のメンバーに参拝を勧めました。
- 神札の配布: 定期的に地方を巡回し、講員の一軒一軒を訪ねて、その一年の安全や繁栄を祈願したお札(神札)を配りました。
- 情報交換の場: 宿坊は、各地から訪れた参拝者同士の情報交換の場ともなり、信仰だけでなく、地域の情報や農作物の品種など、様々な交流が生まれました。
御師の歴史
- 起源: 平安時代頃から「御祈祷師」を略した形で使われるようになり、当初は神社に所属する社僧や、祈祷を専門とする宗教者を指しました。
- 発展: 鎌倉時代になると、貴族や武士が自己参詣の媒介として御師を依頼するようになり、その職能は祈祷だけでなく、参詣者の宿泊や案内、奉幣、神楽奉納など多岐にわたるようになりました。
- 最盛期(江戸時代): 江戸時代に入ると、庶民の間で「お伊勢参り」や「大山詣り」などが大流行し、御師の活動は最盛期を迎えました。伊勢神宮の御師は全国に2000人ほどいたとも言われ、その中には商人化して大きな富を築く者もいました。
- 明治維新以降: 明治維新の神仏分離令により、御師制度は解体され、多くの御師は平民に編入されました。これにより、多くは宿屋経営や百姓などに転じましたが、一部は宗教活動を維持しようとする動きもありました。
現代の御師
現代では、かつての御師のような形で活動している人は少なくなりましたが、一部の地域(富士山麓、武蔵御嶽山、大山など)では、その伝統を受け継ぎ、宿坊を営みながら参拝者の世話や信仰の案内を行っている「御師の家」が残っています。これらの宿坊は、歴史的建造物として保存されたり、現代風にリノベーションされてゲストハウスとして一般に開放されたりするなど、その形を変えながらも、日本の信仰文化を伝える貴重な存在となっています。
先導師(せんどうし)
「先導師(せんどうし)」は、主に**大山(神奈川県伊勢原市)**において、かつての「御師(おし)」の役割を引き継いでいる存在を指します。
「御師」の項目で説明したように、特定の寺社へ参詣する人々の世話や信仰の布教を行った人々が「御師」でしたが、明治時代の神仏分離令によってその制度は解体されました。しかし、大山ではその伝統が途絶えることなく、「先導師」という名称に改称され、現在もその役割を担う方々がいらっしゃいます。
先導師の主な役割と特徴
宿坊の経営:
- 大山の麓には、今も「先導師〇〇」という屋号を掲げる宿坊が多数存在します。これらの宿坊は、江戸時代から続く大山詣りの参拝者(特に「大山講」の人々)を受け入れ、宿泊場所を提供しています。
- 現代では、信仰目的の参拝者だけでなく、一般の観光客も宿泊できるようになっている宿坊も多くあります。
参拝の案内と世話:
- 参拝者が宿坊に到着すると、先導師が参拝前のお祓いや祈祷を行います。
- 大山阿夫利神社や大山寺への道案内、そして大山登山時のサポートも行います。
- 寺社参拝のしきたりや作法を教え、信仰心を深める手助けをします。
「講(こう)」との関係維持:
- 大山講を組織し、各地の講員との関係を代々引き継いでいます。
- 年に一度、各地の講を訪れて、お札(神札)を配布したり、初穂料(お供え物)を受け取ったりする「檀廻り(だんまわり)」という活動も行っていました。これにより、講の継続的な参拝を促し、信仰を広める役割を担いました。
- 講が利用する行衣(ぎょうい:白装束)や食器などを宿坊で預かり、次回の参拝時に使用できるように管理するといった、きめ細やかなサービスも行われていました。
大山信仰の伝承:
- 大山信仰の歴史や文化、伝統を現代に伝える重要な担い手です。
- 大山詣りの風習(例えば、木太刀を奉納する「納め太刀」など)を守り、後世に伝えています。
神職としての側面:
- かつての御師がそうであったように、先導師の中には自らの宿坊の中に小さな神殿を設け、簡易的な神事を行う者もいました。
大山における先導師の特異性
富士山など、他の信仰の山でも「先達(せんだつ)」という形で山案内人や信仰の指導者が存在しますが、大山の「先導師」は、宿坊経営と信仰伝承、そして各地の「講」との密接な関係という点で、非常に独特で重要な存在です。彼らの存在が、江戸時代から続く「大山詣り」という庶民信仰と広域観光の形を、現代まで脈々と受け継がせてきたと言われています。
現在の伊勢原市では、大山詣りが日本遺産に認定されたこともあり、先導師の宿坊は、その歴史と文化を体験できる貴重な場所として、再び注目を集めています。
玉垣(たまがき)
「玉垣(たまがき)」は、主に**神社や神域の周囲に巡らされている垣(柵)**のことを指します。その名前の「玉(たま)」には、「神聖なもの」「美しいもの」という意味が込められており、「神聖な場所を囲む美しい垣」という意味合いがあります。また、「瑞垣(みずがき)」や「斎垣(いがき)」などと呼ばれることもあります。
玉垣の主な役割
玉垣には、いくつかの重要な役割があります。
-
神聖な領域と俗世の区別:
最も重要な役割は、神様が鎮座する神聖な空間(神域)と、人間が暮らす俗世(現世)との境界を明確にすることです。玉垣で囲むことで、「ここから中は神様の領域であり、特別に清められた場所である」ということを示します。これにより、神聖性が保たれ、参拝者はその中に足を踏み入れる際に、身を引き締める気持ちになります。
-
結界としての役割:
玉垣は、単なる物理的な境界線ではなく、邪悪なものや穢れ(けがれ)が神域に侵入するのを防ぐ結界としての役割も持っています。
-
安全と保全:
物理的に社殿や神域を囲むことで、人や動物の無秩序な立ち入りを防ぎ、神社の施設や敷地を保護する役割も果たします。
-
信仰の象徴:
玉垣には、寄進した人の名前が刻まれていることがあります。これは、神様への信仰の証であり、社会的な貢献を示すものとして、古くから行われてきた慣習です。
玉垣の種類と材質
玉垣には様々な種類があり、その形状や材質によって呼び名が変わることがあります。
-
材質:
- 木製: 最も一般的で伝統的な材質です。ヒノキ、スギなどの木材が用いられます。素木(しらき)のままの「板玉垣」や、皮を削らずそのまま用いた「黒木玉垣」、朱色に塗られた「朱の玉垣」などがあります。
- 石製: 石造りの玉垣も多く見られます。御影石などが使われることが一般的です。耐久性が高く、重厚な印象を与えます。
- その他: 近年では、コンクリートや鋼製のものも見られますが、伝統的な神社では木製や石製のものが主流です。
-
形状:
- 板玉垣: 厚い板を並べて作られたもの。
- 角玉垣: 方形の木に貫(ぬき)を通し、格子状に組んだもの。
- 透垣(すきがき): 広く間を開けて作られた垣で、内部が透けて見えるもの。
- 瑞垣(みずがき): 伊勢神宮など、複数の垣が設けられている場合、最も内側の垣を特に「瑞垣」と呼ぶことがあります。伊勢神宮では、本殿に近い方から順に「瑞垣」「内玉垣」「外玉垣」「板垣」と四重に囲まれています。
玉垣は、単なる囲いではなく、神社の歴史や信仰、そして日本文化の奥深さを伝える重要な要素の一つと言えるでしょう。
宿坊「おゝすみ山荘」
宿坊「おゝすみ山荘」は、神奈川県伊勢原市の大山にある、非常に歴史ある宿坊です。特に、江戸時代から続く「大山詣り」の伝統を今に伝える「先導師宿」として知られています。
おゝすみ山荘の主な特徴と魅力
-
歴史と伝統:
- 創業約170年: 安政3年(1856年)に建てられた建物が現存しており、大山で唯一現存する江戸時代の宿坊建築です。館内には、当時の面影を色濃く残す障子、襖、欄間、柱などがあり、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような雰囲気を味わえます。
- 先導師の宿: 代々「先導師」を務める佐藤家が経営しており、現在37代目だと言われています。大山詣りの歴史や大山信仰に関する深い知識を持つ先導師から、直接話を聞くことができます。
- 「板まねき」: 館内には、かつて宿を訪れた全国各地の「大山講」の講名が記された「板まねき」が多数掲げられており、その歴史と信仰の広がりを物語っています。
-
先導師宿ならではの体験:
- 神殿での祈祷・神事: 宿坊の2階には立派な神殿があり、ご祈祷や拝礼、お祓いなどの体験が可能です。また、大山ならではの神事である「浄書(じょうしょ)」という体験もできます。
- 大山信仰の話: 先導師である宿主から、大山詣りの歴史や大山信仰の変遷について、貴重な話を聞くことができます。これは、一般的な宿泊施設では得られない、深い学びと体験となるでしょう。
-
料理:
- 大山豆腐料理: 清らかな大山の水と豊かな自然で育まれた大山豆腐を使った料理が自慢です。肉や魚を使わない、体に優しい精進料理に近い形式で提供されることもあります。契約農家から仕入れたオーガニック野菜など、地元の食材を活かした料理が楽しめます。
- ランチ営業: 宿泊者以外でも楽しめるランチ営業も行っており、限定食も人気を集めています。
-
文化財としての価値:
- 館内には、江戸時代より残る古文書や器なども展示されており、見学が可能です。建物自体が歴史的な価値を持つため、歴史や建築に興味がある人にとっても魅力的な場所です。
宿泊・アクセス情報
- 住所: 神奈川県伊勢原市大山490
- アクセス: 小田急線「伊勢原駅」からバスで「大山ケーブル」バス停へ。バス停からこま参道を登り、大山ケーブルカー駅へ。そこからケーブルカーで「阿夫利神社駅」下車、徒歩数分で宿坊街に到着します。
おゝすみ山荘は、単に宿泊するだけでなく、大山の歴史、信仰、そして文化を深く体験できる、特別な場所と言えるでしょう。
板まねき
「板まねき」は、主に大山(神奈川県伊勢原市)の宿坊や参道沿いの茶屋、土産物店に掲げられている、木製の札のことです。
「まねき」には布製のものと板製のものがありますが、「板まねき」はその名の通り、板に文字を彫ったり書いたりしたものです。
板まねきの役割と意味
-
「講(こう)」の歓迎と目印:
- 江戸時代に盛んだった「大山詣り」では、各地で組織された「大山講」という信仰集団が、団体で大山へ参拝に訪れていました。
- 宿坊側は、これらの「講」を招き入れること(歓迎)を意味して、宿の軒先や室内の長押(なげし:鴨居の上にある横木)などに「まねき」を掲げました。
- 「講」の人々にとっても、自分たちが宿泊する宿坊の目印となり、初めて訪れる場所でも迷わずにたどり着くための道しるべとなりました。
-
信仰の証と歴史の記録:
- 板まねきには、その宿坊に泊まった「講」の名前や、時には講員の名前、地域名などが記されています。
- これらは、各講が代々同じ宿坊を利用していたことを示し、宿坊と講との間に築かれた長年の信頼関係や信仰の絆を物語っています。
- 多くの宿坊では、古くからの板まねきが大切に保存されており、色あせた文字一つ一つが、遠い昔の人々の大山への信仰心や、宿坊の歩んできた歴史を今に伝えています。
- 歴史的価値を持つものとして、博物館に所蔵されている「大山講マネキ板」もあります。
-
大山信仰のデザイン要素:
- 大山信仰の特徴的な造形物の一つとして「板まねき」が挙げられます。木彫の技術が見事なものも多く、庶民信仰の息遣いを伝える貴重な資料でもあります。
「おゝすみ山荘」の板まねき
宿坊「おゝすみ山荘」でも、館内の広間や廊下の天井近くなどに、数えきれないほどの「板まねき」がずらりと掲げられています。これらは、まさに創業以来170年近くにわたって、全国各地から訪れた大山講の人々が泊まった証であり、宿坊の歴史と大山信仰の深さを肌で感じられる貴重な展示物となっています。
「板まねき」は、単なる飾りではなく、江戸時代の庶民の信仰、旅行、そして宿坊と講との関係性を物語る、生きた歴史資料と言えるでしょう。
大山豆腐(おおやまどうふ)
大山豆腐(おおやまどうふ)は、神奈川県伊勢原市に位置する霊山・大山の名産品として知られる豆腐です。その歴史は古く、大山詣り(大山参り)に訪れる人々をもてなし、支えてきた地域の食文化に深く根差しています。
大山豆腐の歴史と背景
大山豆腐の歴史は、大山信仰と密接に結びついています。 大山は古くから修験道の山として知られ、参拝者は肉や魚を断つ精進料理を食するのが習わしでした。その中で、良質な水源と豊富な大豆を活かして作られる豆腐は、貴重なタンパク源であり、参拝者にとって重要な食べ物となっていきました。
江戸時代には「大山詣り」が庶民の間で大流行し、多くの人々が大山を訪れました。この際、大山の宿坊や茶屋では、参拝者に精進料理を提供し、その中心にあったのが大山豆腐でした。大山ならではの清らかな水と、職人の技が組み合わさることで、その美味しさが評判となり、名物として定着していきました。
大山豆腐の特徴
- 清らかな水: 大山は「雨降山」とも呼ばれるほど水資源が豊富で、その伏流水は非常に清らかです。この質の良い水が大山豆腐の美味しさの源となっています。
- 上質な大豆: 豆腐作りの基本となる大豆にもこだわり、厳選されたものが使用されます。
- 伝統の製法: 熟練の職人が、昔ながらの伝統的な製法で丁寧に作ります。これにより、独特の風味ともっちりとした食感が生まれます。
- 豊かな風味と滑らかな舌触り: 一般的な豆腐に比べて、大豆の風味が豊かで、舌触りは非常に滑らかで弾力があるのが特徴です。
- 精進料理の主役: 現在でも、大山の宿坊や料亭では、大山豆腐を使った様々な精進料理が提供されています。湯豆腐、冷奴はもちろん、揚げ出し豆腐、豆腐田楽、豆腐ハンバーグなど、多様な料理でその美味しさを楽しむことができます。
現代の大山豆腐
現在でも、大山の参道沿いや伊勢原市内の飲食店では、大山豆腐を味わうことができます。特に、大山ケーブルカーの駅周辺には多くの食事処があり、地元の名物料理として豆腐料理を提供しています。お土産としても人気が高く、家庭で大山の味を楽しむことも可能です。
大山豆腐は、単なる食品に留まらず、大山の信仰と文化、そして地域の人々の暮らしに深く根差した、生きた歴史の証とも言えるでしょう。
行衣(ぎょうい)
行衣(ぎょうい)とは、宗教的な行事や修行、巡礼などの際に着用する特別な衣服のことです。特に、日本の仏教や神道の文脈で用いられることが多く、修行者や参拝者が身を清め、神仏に敬意を表すための装束としての意味合いが強いです。
行衣の主な特徴と役割
-
白色が一般的:
多くの場合、行衣は白色を基調としています。白は古くから「清浄」「無垢」「出発」「死と再生」などを象徴する色とされており、心身を清めて神聖な場所へ向かう際の適切な装いとされています。巡礼者が亡くなった際の死装束としても使われることがあり、俗世との決別と生まれ変わりを意味するとも言われます。
-
素材と形状:
- 素材: 吸汗性や速乾性に優れた綿や麻などの天然素材が使われることが多く、これは修行中の身体的な負担を軽減するためでもあります。
- 形状: ゆったりとした作りで、動きやすいシンプルな和装が多いです。着物のような打ち合わせ形式のものや、筒袖の羽織のような形など、用途や宗派によって多少異なります。
-
役割と意味合い:
- 清浄と浄化: 俗世の塵や穢れ(けがれ)を払い、心身を清めるための衣服として着用されます。
- 信仰の象徴: 行衣を身につけることで、自らが神仏への信仰を表明し、修行や参拝の決意を固める意味があります。
- 一体感の醸成: 同じ行衣を着用することで、参加者同士に一体感が生まれ、集団としての行動や連帯感を強めます。
- 自己と向き合う: 華美な装飾がなくシンプルな行衣は、外界の刺激を減らし、内面と向き合うことを促します。
-
着用される場面:
- 巡礼: 四国八十八箇所巡り、西国三十三所巡りなどの札所巡礼の際に着用されます。多くの場合、背中には金剛杖や納経帳を入れるための袋を背負い、杖をつきながら巡ります。
- 山伏修行: 山に籠もって厳しい修行を行う山伏が着用します。
- 大山詣り: 江戸時代の「大山詣り」でも、参拝者が白色の行衣を着用して大山に登ったことが知られています。これは、大山の宿坊が「講」のために行衣を預かり、提供していたケースもあります。
- 写経・座禅体験: 近年では、観光客向けの寺院での写経や座禅体験の際に、貸し出し用の行衣が用意されることもあります。
- 法事・葬儀: 一部の地域や宗派では、特定の法事や葬儀の際に、遺族や参列者が簡素な白衣を着用することがあります。
行衣は、単なる衣服ではなく、**精神性を高め、神仏とのつながりを深めるための重要な「道具」**としての意味合いを持っています。現代においても、伝統的な信仰活動や文化体験の場で、その役割は受け継がれています。
あす28日と7/5の「ブラタモリ」は…
— NHK横浜 (@nhk_yokohama) June 27, 2025
神奈川県伊勢原市・大山が舞台!
江戸時代に年間20万人が訪れたという
“超人気スポット”の謎に迫ります☺
旅のお題は
「粋でいなせな大山詣り~江戸っ子はなぜ大山へ~」
放送は、夜7時30分【総合】です。
詳しくは👇https://t.co/YVK8uCwsmH pic.twitter.com/pvofU6hyb5