もう後戻りはできない🚢【連続テレビ小説】あんぱん 第11週「軍隊は大きらい、だけど」(54)
もう後戻りはできない
こんにちは
猫好き父さんです
これが
別れの盃になってしまうとは
二人は知る由ないことで
あらすじ
嵩(北村匠海)が入隊して2年後の夏。久しぶりに会った千尋(中沢元紀)は、海軍の士官になっていた。ショックを隠せない嵩に、千尋は海軍予備学生に志願したことを説明する。「もう後戻りはできん」と淡々と話す千尋は、嵩にある古びた手帳を渡す。
出演
【出演】北村匠海,中沢元紀,奥野瑛太,櫻井健人,薄平広樹,板橋駿谷,萩原亮介,久村優太郎,三浦和也,田中穂先,清水天琴,永瀬ゆずな,木村優来,平山正剛,妻夫木聡
【作】中園ミホ
日本海軍(大日本帝国海軍)の階級制度
日本海軍(大日本帝国海軍)の階級制度は、陸軍とは異なる独自の名称と序列を持っていました。戦前の帝国海軍における最終的な階級制度は、大まかに士官、准士官、下士官、兵に分かれていました。
士官(将校)
士官は、海軍兵学校や海軍機関学校、海軍経理学校などの出身者が中心で、艦艇の指揮や部隊の運用、機関、経理など、海軍の中核を担いました。
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将官(General Officers / Flag Officers)
- 大将(たいしょう):陸軍の大将に相当。海軍の最高位。
- 中将(ちゅうじょう):陸軍の中将に相当。
- 少将(しょうしょう):陸軍の少将に相当。
- 大佐(たいさ):陸軍の大佐に相当。
- 中佐(ちゅうさ):陸軍の中佐に相当。
- 少佐(しょうさ):陸軍の少佐に相当。
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尉官(Company Officers / Junior Officers)
- 大尉(たいい):陸軍の大尉に相当。
- 中尉(ちゅうい):陸軍の中尉に相当。
- 少尉(しょうい):陸軍の少尉に相当。
准士官
准士官は、下士官からの叩き上げや、専門技術を持った者が昇進する階級でした。士官を補佐し、現場での指導的役割を担いました。
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特務士官(昭和17年以降は「兵科准士官」などと改称)
- 特務大尉(とくむたいい)
- 特務中尉(とくむちゅうい)
- 特務少尉(とくむしょうい)
- これらの「特務」が付く階級は、主に下士官から昇進した者が就く階級で、同じ大尉でも兵学校出身の正規の士官とは区別されていました。
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兵曹長(へいそうちょう):陸軍の准尉に相当。下士官の最上級で、准士官に分類されることもあります。
下士官
下士官は、兵を指導し、実務の中核を担う存在でした。
- 上等兵曹(じょうとうへいそう)
- 一等兵曹(いっとうへいそう)
- 二等兵曹(にとうへいそう)
兵
兵は、入隊したての者から経験を積んだ者までを含みます。
- 水兵長(すいへいちょう)
- 上等水兵(じょうとうすいへい)
- 一等水兵(いっとうすいへい)
- 二等水兵(にとうすいへい)
補足事項:
- 兵科・機関科・主計科など: 海軍には、兵科(航海・砲術など)、機関科、主計科、軍医科など、様々な職種に応じた区分があり、それぞれに対応する階級が存在しました。例えば、「機関大尉」「主計中佐」など、階級名の前に職種名が付くことがありました。
- 呼称: 軍隊内での呼称は、階級をそのまま呼ぶか、「〜殿」「〜閣下」といった敬称を用いるのが一般的でした。
- 陸軍との比較: 日本の陸軍と海軍は、それぞれ独自の階級制度を持っていましたが、概ね同等の序列となるように設定されていました。ただし、一部名称が異なっていたため、注意が必要です。
この階級制度は、海軍の組織運営と規律を保つ上で重要な役割を果たしていました。
海軍少尉
海軍少尉は、大日本帝国海軍における尉官(下級士官)の最下位の階級でした。その役割と責任は多岐にわたりましたが、主に以下のようなものでした。
海軍少尉の主な役割と責任
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士官としての基礎的実務と経験の習得:
- 海軍兵学校や海軍機関学校などの士官養成機関を卒業後、最初に任官する階級であり、士官としての実務経験を積み、知識と技能を深める期間でした。
- 上官の指導のもと、艦艇の運用、部隊の指揮、機関の管理、経理事務など、それぞれの専門分野における基礎を徹底的に学びました。
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当直士官としての役割:
- 艦艇や基地における当直勤務(艦橋当直、機関室当直など)を担当しました。
- 当直士官は、定められた時間帯において、艦艇や施設の安全な運航・運用、命令の実行、緊急時の初動対応など、現場の直接的な指揮・監督責任を負いました。特に航海中や戦闘時においては、上官の命令を正確に実行し、状況を速やかに報告する重要な役割がありました。
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分隊長・分隊士としての兵の指導と管理:
- 艦艇では、少数の兵をまとめる「分隊」の長や、その補佐役である「分隊士」を務めることが多かったようです。
- 兵の訓練、規律の維持、生活指導、士気の向上などに責任を持ち、兵との直接的な接点を通じて、部隊の結束を強める役割がありました。
- 兵の個人指導や相談に応じることも重要な職務でした。
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専門分野における実務:
- 兵科少尉: 砲術、水雷(魚雷)、航海、通信、対潜など、それぞれの専門分野において、上級士官の指示のもと、実務を担当しました。例えば、砲術少尉であれば砲塔の操作指導や射撃準備、航海少尉であれば海図作成や航海計器の管理など。
- 機関科少尉: 艦艇の機関(エンジン、ボイラーなど)の運転、保守、点検に関する実務を担当しました。
- 主計科少尉: 艦艇や部隊の食糧・物資の管理、給与計算、予算執行などの経理・補給業務を担当しました。
- 軍医少尉: 医療行為や衛生管理を担当しました。
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命令の伝達と報告:
- 上官からの命令を正確に理解し、下級者(下士官や兵)に適切に伝達する役割を担いました。
- 現場の状況や任務の進捗を正確に上官に報告する責任がありました。
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規律と士気の維持:
- 士官として、自ら模範を示し、部隊全体の規律を維持し、士気を高める役割が求められました。
海軍少尉は、将来的には中堅、上級の士官へと昇進していくキャリアの第一歩であり、この階級での経験がその後の軍人としての基礎を築く上で極めて重要視されていました。そのため、実務を通じて多岐にわたる経験を積み、海軍士官としての資質を磨くことが、海軍少尉の最大の責務であったと言えます。
日本海軍予備学生(海軍予備学生)とは
「海軍予備学生」とは、大日本帝国海軍において、主に高等教育機関(大学、高等専門学校など)に在学中、または卒業した一般の学生を、有事の際に海軍士官(将校)として任用するための制度でした。これは、平時の限られた士官養成だけでは戦争遂行に必要な数の士官を確保できないという、戦時体制下における人材確保の緊急策として導入・拡大されました。
制度の歴史と背景
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制度の創設:
- 予備学生制度自体は、平時から有事に備えて予備役将校を養成する目的で存在していましたが、日中戦争の長期化、そして太平洋戦争(大東亜戦争)の勃発により、正規の海軍兵学校出身士官だけでは圧倒的に数が不足する事態となりました。
- 特に航空戦力の拡大に伴い、操縦士や偵察員といった航空士官の急速な増強が求められました。そこで、一般の大学生や旧制高等学校生を「短期現役士官」として養成する道が緊急に開かれました。
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対象と選抜:
- 主に文科系・理科系の大学・旧制高等学校・高等専門学校の在学生および卒業生が対象となりました。
- 知識レベルが高く、柔軟な思考力を持つ彼らは、短期間で士官として必要な知識・技能を習得できると期待されました。
- 入隊志願者の中から、学力試験、身体検査、面接などによって厳しく選抜されました。多くの若者が愛国心や国防への使命感から志願しました。
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訓練と任官:
- 選抜された予備学生は、短期間(通常は数ヶ月から1年程度)の集中的な海軍士官としての基礎教育と専門教育を受けました。
- 専門教育には、通常の艦艇乗務を行う「兵科」、航空機を操縦する「飛行科」、機関の運用・整備を行う「機関科」、経理・補給を担当する「主計科」、医療を担当する「軍医科」などがありました。特に飛行科は、特攻隊員となる者が多く、悲劇的な運命を辿ることも少なくありませんでした。
- 厳しい訓練を修了すると、海軍少尉または海軍主計少尉、海軍機関少尉などに任官され、最前線に送られていきました。
海軍予備学生の特徴と意義
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知識層の動員:
- 従来の軍人とは異なり、高い教養と知性を持つ一般の学生が多数入隊した点が大きな特徴です。彼らは、文学、哲学、科学、芸術など、多様な分野のバックグラウンドを持っていました。
- これにより、海軍組織に新たな視点や思考がもたらされた側面もありました。
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短期養成と即戦力化:
- 正規の海軍兵学校が数年かけて士官を養成するのに対し、予備学生は短期間で実戦に投入できる即戦力として期待されました。これは、戦局が切迫する中で兵員不足を補うための緊急措置でした。
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精神的葛藤と悲劇性:
- 多くの予備学生は、本来の学業や将来の夢を中断して入隊しました。彼らは軍人としての訓練を受けながらも、その知性ゆえに戦争の不合理さや自身の置かれた状況に深く葛藤する者も少なくありませんでした。
- 太平洋戦争末期、特に飛行科の予備学生の多くは特攻隊員に志願、または任命され、祖国のために尊い命を散らしました。彼らの残した遺書や手記は、戦争の悲劇と人間の尊厳を今に伝える貴重な資料となっています。
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戦後の影響:
- 生き残った元海軍予備学生たちは、戦後、それぞれの分野で日本の復興と発展に大きく貢献しました。政界、経済界、学術界、文芸界など、多方面でリーダーシップを発揮し、戦後の日本社会に大きな影響を与えました。彼らの多くは、戦後も「同期の桜」として固い絆を維持しました。
海軍予備学生制度は、戦時下の日本が国家の存亡をかけて実施した人材動員の一環であり、多くの若者の人生に深い影響を与え、その悲劇性と同時に、彼らの知性と気概が現代にまで語り継がれています。
海軍予備学生は、太平洋戦争中の大日本帝国海軍において、特に戦局の激化に伴う士官(将校)不足を補うために、大学や高等専門学校(高専)などの高等教育機関に在籍する学生や卒業生を対象として設けられた予備士官養成制度です。
海軍予備学生制度の沿革と特徴
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制度の創設と拡大:
- 発端(昭和9年/1934年): 最初は「海軍航空予備学生」として、航空戦力の強化のため、大学・高専卒業者から志願者を募り、航空士官を養成する目的で始まりました。少数精鋭での採用でした。
- 戦局激化による拡大(昭和16年/1941年以降): 太平洋戦争開戦が迫り、戦局が激化すると、従来の兵学校出身者だけでは海軍全体に必要な士官数を確保できなくなりました。このため、航空科だけでなく、兵科(艦艇の指揮・砲術など)、機関科、整備科など、他の分野にも「海軍予備学生」制度が拡大適用されました。
- 「学徒出陣」との関連(昭和18年/1943年): 昭和18年(1943年)には、戦局の悪化に伴い「在学徴集延期臨時特例」が制定され、文科系学生の徴兵猶予が停止されました。これにより、多くの大学生・高専生が徴兵の対象となり、その中から海軍予備学生として大量に採用されることになりました。これが一般に「学徒出陣」と呼ばれる現象の一つです。
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採用対象と学歴:
- 大学の学部または予科、高等学校高等科、専門学校、あるいはそれと同等以上の学力を持つと認められた者。
- 従来の兵学校出身者とは異なり、一般の学校で高度な教育を受けていた者が対象でした。
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教育期間と任官:
- 採用された予備学生は、各海兵団や航空隊、術科学校などで短い期間(通常は1年程度、戦局後期にはさらに短縮)の厳しい軍事教育と専門訓練を受けました。
- 短期間で集中的な訓練を受けた後、海軍少尉(予備少尉)に任官し、直ちに第一線の部隊(艦艇、航空隊、基地など)に配属されました。
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「ペンを剣に代えて」:
- 文学、哲学、科学、芸術など、様々な分野の学問を志していた学生たちが、国家の危機に際して学業を中断し、軍務に就かざるを得なかった状況は「ペンを剣に代えて」と形容されました。彼らは純粋な学究肌の者が多く、軍人としての訓練経験が少ないながらも、知的好奇心や愛国心から志願、あるいは徴兵という形で海軍に入隊しました。
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多大な犠牲:
- 短期間の訓練で第一線に投入されたため、戦局の末期には特に、特攻作戦などで多くの予備学生出身者が戦死しました。彼らは、海軍兵学校出身の正規の士官とは異なる背景を持ちながらも、戦争末期の海軍を支える重要な存在となりました。
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著名な出身者:
- 作家の阿川弘之(兵科予備学生第2期)や島尾敏雄(兵科予備学生第3期)、映画監督の松林宗恵(兵科予備学生第3期)など、戦後、各界で活躍した多くの著名人が海軍予備学生の出身です。彼らの手記や作品には、予備学生としての体験が色濃く反映されています。
海軍予備学生制度は、戦時下の日本が、高等教育を受けた若者たちを、急速に拡大する戦力の中核として活用しようとした歴史的な背景を示すものです。彼らの多くは、若くして戦場の厳しい現実と向き合い、大きな犠牲を払いました。
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— 朝ドラ「あんぱん」公式 (@asadora_nhk) June 11, 2025
卒業が半年繰り上げになり、海軍予備学生に志願したと話す千尋。
もう後戻りはできない、みんなを守るために立派に戦うと決意をあらわにします。
🔻千尋の様変わりした様子に戸惑う嵩は…https://t.co/eTa0Qt9vTD#北村匠海 #中沢元紀#朝ドラあんぱん pic.twitter.com/WlaDAwwhuA
前回までのあんぱん
嵩は生かされる運命なのか?💛【連続テレビ小説】あんぱん 第11週「軍隊は大きらい、だけど」(53)
どうして嵩はそこでそういうミスをするかな~間抜け!🐎【連続テレビ小説】あんぱん 第11週「軍隊は大きらい、だけど」(52)