再現ブラ三軒茶屋、いろいろ調べてみました😎ブラタモリ 東京・三軒茶屋▼三茶の発展は江戸の流行が鍵!?三軒の茶屋は今
ブラ三軒茶屋
こんにちは
猫好き父さんです
三軒茶屋は仕事で
キャロットタワーに数度行ったきりで
街を楽しむ余裕はありませんでした
興味深い歴史がある街なんですねえ
画像は公式からの引用です
ブラ三軒茶屋
旅の舞台は東京・三軒茶屋。賃貸検索ランキング都内ナンバー1という今大注目のエリア「三茶」。今回は数字の“3”を鍵に、街の誕生と発展の歴史に迫る。国道246号線と世田谷通りの三差路に謎の道標が!江戸っ子に大流行「大山詣り」の街道が三茶を発展させた?地名の由来となった3軒の「茶屋」驚きの痕跡を発見!狭い路地に飲食店がひしめく昭和レトロな「三角地帯」。そのルーツとなった戦後のヤミ市&路面電車の秘密とは?
出演
【出演】タモリ,【アナウンサー】佐藤茉那,【語り】あいみょん
三軒茶屋:レトロとトレンドが融合する街の魅力と歴史
三軒茶屋は、東京都世田谷区に位置し、「三茶(さんちゃ)」の愛称で親しまれる人気の街です。渋谷から電車でわずか2駅というアクセスの良さと、昔ながらのレトロな雰囲気、そして最新のトレンドが共存する独特の魅力を持っています。
地名の由来
三軒茶屋の地名の由来は、江戸時代中期にさかのぼります。
当時、現在の国道246号(大山道)と世田谷通り(登戸道)が分岐する「追分(おいわけ)」と呼ばれる地点に、旅人が休憩する3軒のお茶屋が並んでいたことに由来します。これらのお茶屋は、「信楽(後に石橋楼)」、「角屋」、「田中屋」の3軒でした。特に、大山詣(おおやまもうで)の客で賑わい、これらの茶屋が旅人の憩いの場となっていたことから、「三軒茶屋」という呼び名が定着しました。この呼び名は、文化文政の時代には既に一般的だったと言われています。
現在も茶沢通り沿いには、当時のお茶屋の一つ「田中屋」が陶器店「田中屋陶苑」として営業しており、三軒茶屋の歴史を今に伝えています。
街の魅力
三軒茶屋は、その利便性の高さと多様な魅力で、若者からファミリー層まで幅広い世代に人気があります。
抜群のアクセス
東急田園都市線で渋谷まで2駅(約4分)とアクセス抜群です。
東急世田谷線の始発駅でもあり、路面電車の風情も楽しめます。世田谷線は下高井戸駅までを結び、地域住民の足として活躍しています。
国道246号線や世田谷通りなど主要幹線道路も通っており、車でのアクセスも良好です。
多様な顔を持つ街
レトロな商店街: 駅周辺には「エコー仲見世商店街」や「すずらん通り」など、戦後の闇市から発展した昭和レトロな雰囲気が残る商店街があります。細い路地には個性的な飲食店が軒を連ね、ディープな三茶の魅力を感じさせます。
トレンドと融合: 一方で、おしゃれなカフェ、ビストロ、人気の飲食店も数多く点在し、常に新しいトレンドが生まれています。昔ながらの店と新しい店が共存する独特の雰囲気が魅力です。
複合施設「キャロットタワー」: 駅直結のランドマーク的存在であるキャロットタワーには、ショップ、レストラン、劇場(世田谷パブリックシアター)、展望台などが入っており、街のシンボルとなっています。26階の展望フロアは無料で、都心の眺望を楽しめます。
充実した生活環境
買い物: 24時間営業のスーパーマーケット(西友、ダイエーなど)をはじめ、ドラッグストア、コンビニエンスストアなどが駅周辺に充実しており、日常の買い物に困ることはありません。
子育て環境: 世田谷区独自の子育て支援が充実しており、子育て世代にも暮らしやすい環境です。
公園: 駅周辺から少し離れると、「世田谷公園」や「三軒茶屋公園」など、緑豊かな空間も点在し、散歩やリフレッシュにも適しています。
文化・芸術に触れる機会
キャロットタワー内の「世田谷パブリックシアター」では、演劇やダンスなど多様な公演が開催されています。
街中には小さなギャラリーや、個性的な書店なども点在し、文化的な刺激も得られます。
著名人が多く住む街としても知られ、クリエイティブな雰囲気があります。
再開発の動き
三軒茶屋駅周辺では、過去にも再開発が行われてきましたが、現在も「三茶Crossing」など、さらなる街の活性化と防災性の向上のための再開発計画が進行中です。古い建物の更新や道路整備、オープンスペースの確保などが進められ、今後も変化を続けることが予想されます。しかし、その中でも三軒茶屋ならではの庶民的な活気やレトロな雰囲気は大切に継承されていくことでしょう。
三軒茶屋は、利便性と独特の雰囲気が見事に融合した、一度訪れたら忘れられない魅力的な街です。
江戸時代の流行「大山まいり」:信仰と行楽が融合した旅
「大山まいり」とは、現在の神奈川県伊勢原市に位置する霊山「大山(おおやま)」への参詣のことで、江戸時代には庶民の間で大変なブームとなりました。年間20万人を超える人々が訪れたと言われ、これは当時の江戸の総人口の5分の1に相当するほどの規模です。2016年には「江戸庶民の信仰と行楽の地~巨大な木太刀を担いで「大山詣り」~」として日本遺産にも認定されています。
大山信仰の起源と「阿夫利(あふり)」
大山は古くから霊山として崇められてきました。特に、山頂から流れる清らかな水が農業に不可欠であったことから、雨乞いや五穀豊穣を祈願する山として、農民を中心に信仰を集めていました。「阿夫利(あふり)」という名前も、山頂に湧き出る水が「雨降る」に通じることに由来すると言われています。また、家内安全、商売繁盛、厄除けにもご利益があるとされ、幅広い層に信仰されました。
江戸時代に大流行した理由
大山まいりが江戸時代にこれほど流行したのには、いくつかの理由があります。
信仰と娯楽の融合:
手軽な行楽: 江戸から日帰りまたは1泊2日で気軽に行ける距離にあり、富士詣りやお伊勢参りに並ぶ人気の旅先となりました。信仰心を満たすだけでなく、旅そのものが一大レジャーとして楽しまれました。
御利益への期待: 雨乞いや商売繁盛、家内安全といった現世利益への信仰が篤かったため、多くの人々がご利益を求めて大山を目指しました。特に、鳶(とび)などの職人たちは、高い場所で仕事をするため、常に遠くに見える大山に特別な感情を抱き、商売繁盛や安全を願って参拝しました。
大人への通過儀礼: 男児が15歳になると大山に初参りに行き、一人前として認められるという風習もありました。
「講(こう)」の組織化:
共同参拝の仕組み: 個人での参拝だけでなく、「講」と呼ばれる信仰グループが各地で組織されました。講のメンバーはお金を出し合い、代表者が「代参(だいさん)」として大山へ出向き、お札を持ち帰って配るという仕組みでした。これにより、費用や労力の負担が軽減され、より多くの人々が参加できるようになりました。
御師(おんし)の活躍: 大山には、参詣者の世話をする「御師」と呼ばれる人々がいました。彼らは宿坊や土産物屋を営む傍ら、各地を巡って大山信仰を広め、講の組織化を促しました。
社会情勢の変化と庶民の購買力向上:
江戸時代中期以降、庶民の生活水準が向上し、経済的な余裕が生まれたことで、寺社への参拝を兼ねた旅行が盛んになりました。
道中の楽しみと精進落とし:
道中の賑わい: 大山への道(大山道)には、多くの茶屋や宿場が軒を連ね、参詣者は道中の景色や人々との交流を楽しみました。浮世絵にもその賑わいが描かれています。
滝での身清め: 山の中腹にある「良弁滝(ろうべんだき)」などでの滝行(滝垢離)は、身を清める大切な行事であり、特に職人たちにとっては互いの彫り物(入れ墨)を披露し合う場でもありました。
精進落とし: 参詣後は、江の島や鎌倉などの風光明媚な場所で「精進落とし」と称して飲食や娯楽を楽しみ、旅の締めくくりとしました。特に江の島は弁財天信仰と結びつき、大山とセットで巡るのが人気のコースでした。
メディアでの紹介:
落語の演目「大山詣り」や、葛飾北斎、歌川広重などの浮世絵師による作品にも大山や大山まいりの様子が描かれ、当時の人々の関心が高かったことを示しています。
「木太刀(きだち)」の奉納
大山まいりの特徴的な行事の一つに、職人たちが巨大な「木太刀」を担いで参拝し、大山阿夫利神社に奉納する習慣がありました。これは、職人たちがその技を磨き、商売繁盛を願う象徴的な行為でした。
大山まいりは、単なる信仰行為に留まらず、江戸庶民の生活や文化、そして娯楽が凝縮された、非常に多角的な意味を持つ旅だったと言えるでしょう。
大山まいりと三軒茶屋の発展の関係
江戸時代に大流行した「大山まいり」は、多くの人々が関東各地から大山を目指す大規模な巡礼・行楽でした。この大山まいりの主要なルートの一つが「大山道(おおやまみち)」、別名「大山街道」です。
大山道と三軒茶屋の位置
三軒茶屋は、この大山道が現在の世田谷通り(当時の登戸道)と分岐する「追分(おいわけ)」と呼ばれる重要な地点に位置していました。江戸方面から大山を目指す人々にとって、この分岐点は旅の道中における主要な目印であり、休憩場所としても最適でした。
茶屋の役割と街の賑わい
当時、この追分には「信楽(後に石橋楼)」、「角屋」、「田中屋」という3軒の茶屋が軒を連ねていました。これらの茶屋は、大山まいりの旅人たちにとって、道中の疲れを癒し、食事をとり、旅の情報交換をするための重要な拠点でした。
旅人たちの往来が活発になるにつれて、3軒の茶屋は常に賑わいを見せ、そのことがこの一帯に「三軒茶屋」という通称が定着するきっかけとなりました。現在の三軒茶屋という地名も、この3軒の茶屋に由来しています。
三軒茶屋の発展への影響
大山まいりの流行は、三軒茶屋の初期の発展に大きく貢献しました。
商業の活性化: 多くの参拝客が行き交うことで、茶屋だけでなく、土産物屋やその他の商店も集まるようになり、商業が活性化しました。
交通の要衝化: 大山道と登戸道の分岐点という立地は、地域の交通の要衝としての重要性を高めました。
街の形成: 旅人の休憩所としての賑わいが、徐々にこの地域に人々が定住し、街として発展していく基盤を築きました。
このように、大山まいりのブームとそれに伴う大山道の往来が、三軒茶屋に茶屋が集積し、それが地名の由来となり、ひいては街の商業的な発展と形成に不可欠な役割を果たしたと言えます。
三軒茶屋「三角地帯」の特徴と魅力
三軒茶屋駅の世田谷通り口を出てすぐの場所、国道246号と世田谷通りの分岐点に挟まれた一角に、通称「三角地帯」と呼ばれるエリアがあります。その名の通り、土地が三角形に近い形をしていることからこう呼ばれており、三軒茶屋の「ディープ」な魅力の象徴として知られています。
歴史的背景
この三角地帯は、戦時中の空襲で大きな被害を受けた後に、戦後間もなく闇市が形成された場所です。限られた敷地に多くの店がひしめき合うように建てられ、大きな賑わいを見せました。1950年には、当時としては珍しいアーケード型の「エコー仲見世商店街」もできました。この歴史が、現在の独特な雰囲気の基盤となっています。
特徴・特色
三角地帯には、以下のような特徴や特色があります。
迷路のような細い路地と密集した店舗
実際の土地の形状が三角形であることに加え、戦後の無計画な開発によって、エリア内は非常に細く入り組んだ路地が縦横に走り、その両側に小さな店舗が隙間なくひしめき合っています。
まさに「迷路」のような作りで、初めて訪れる人は道に迷うこともあります。この密集感が独特の活気と雰囲気を生み出しています。
昭和レトロな雰囲気
戦後の闇市から続く歴史を持つため、エリア全体に古き良き「昭和レトロ」な雰囲気が色濃く残っています。
古い看板や手書きのメニュー、使い込まれたカウンターなどが、ノスタルジーを感じさせます。
この独特のたたずまいは、若い世代には「新しい」魅力として、また昔を知る世代には「懐かしい」場所として、幅広い層に支持されています。
個性的な飲食店・バーの宝庫
三角地帯の最大の魅力は、多種多様な飲食店やバーが密集していることです。
小さなカウンターだけの居酒屋、隠れ家のようなバー、個性的な立ち飲み屋、こだわりの小料理屋など、ジャンルも様々です。
一軒一軒が小さいため、店主との距離が近く、常連客との会話が飛び交うアットホームな雰囲気の店が多いのも特徴です。
新しい店と古い店が混在し、訪れるたびに新しい発見があります。
「ディープな三茶」の象徴
キャロットタワーのような近代的なランドマークと対照的に、三角地帯は三軒茶屋の「ディープ」な側面を象徴するエリアです。
大衆的でありながらも、一歩足を踏み入れると独特の世界観が広がり、日常とは異なる体験を提供してくれます。
映画やドラマのロケ地として使われることもあり、その独特の雰囲気は多くのクリエイターにも愛されています。
人と人との距離の近さ
狭い空間に多くの人が集まるため、自然と人との距離が近くなります。隣の客や店主との会話が生まれやすく、一見さんでも気軽に楽しめるお店も多いです。
今後の展望(再開発)
現在、三角地帯を含む三軒茶屋駅周辺では、老朽化した建物の防災性向上や駅前の活性化などを目的とした再開発計画が進められています。この計画には、三角地帯も含まれており、将来的にはその景観や雰囲気が変化する可能性があります。しかし、その中でも三軒茶屋の個性や魅力は、形を変えながらも継承されていくことが期待されています。
三軒茶屋の三角地帯は、まさに「カオス」と「魅力」が同居する、唯一無二の場所です。
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— NHK@首都圏 (@nhk_shutoken) June 6, 2025
東京・三軒茶屋で
ブラタモリ
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賃貸検索ランキング都内ナンバー1!
いま大注目のエリア「三茶」
“三差路”に謎の道標!?
“3軒”の「茶屋」 驚きの痕跡…
数字の“3”を鍵に
街の誕生と発展の歴史に迫ります!
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