道を歩けば石を投げられる、マツエ、スバラシクナイ👻【連続テレビ小説】ばけばけ(87)第18週「マツエ、スバラシ。」
道を歩けば石を投げられる、マツエ、スバラシクナイ
こんにちは
猫好き父さんです
これが
松江を去る
きっかけになるの?
あらすじ
町での噂話に落ち込む、トキ(髙石あかり)。心配する司之介(岡部たかし)やフミ(池脇千鶴)が声をかけるが、司之介は顔に怪我を負っていた。トキの指摘をはぐらかす司之介とフミに違和感を覚えるトキとヘブン(トミー・バストウ)。ぎこちない空気の中、玄関の外から物音が聞こえる。様子を見に行ったヘブンとトキは、そこで衝撃のモノを目のあたりにする。
出演
【出演】髙石あかり,トミー・バストウ,吉沢亮,北川景子,池脇千鶴,岡部たかし,堤真一,板垣李光人,岩崎う大,大西信満,杉田雷麟,日高由起刀,下川恭平,松島彩,行澤孝,あにやん,山根翔大,清水聡之朗ほか
【作】ふじきみつ彦
【音楽】牛尾憲輔
ラシャメン(羅紗綿)
明治時代における**「ラシャメン(羅紗綿)」、つまり外国人と交際・同居していた日本人女性に対する庶民の感情は、一言で言えば「軽蔑と羨望が入り混じった、非常に複雑で苛烈なもの」**でした。
現代の価値観では測りきれない、当時の時代背景と庶民の心理を紐解いてみましょう。
1. 「売国奴」としての激しい軽蔑
幕末から明治初期にかけて、庶民にとって外国人は未知の存在であり、「異形(いぎょう)」のものとして恐怖や嫌悪の対象でした。
穢れ(けがれ)の意識: 「異人に肌を許す」ことは、当時の価値観では血統の汚染や、日本という国そのものを貶める行為とみなされました。
蔑称としての呼び名: 「ラシャメン」という言葉自体、羊毛の織物(羅紗)と綿をかけた言葉で、「異人の毛にまみれた女」という強烈な皮肉と侮蔑が込められています。
物理的な迫害: 道を歩けば石を投げられ、罵声を浴びせられることは珍しくありませんでした。彼女たちは社会から隔絶された、一種の「アウトサイダー」として生きることを余儀なくされました。
2. 「成り金」に対する羨望と嫉妬
その一方で、ラシャメンの中には、外国人から高額の生活費や宝石、豪華な洋服を与えられ、一般の日本人では到底不可能な贅沢な暮らしをする者もいました。
物質的な格差: 以前お話しした「借金完済」に苦しむ庶民からすれば、異人に身を委ねるだけで富を得る彼女たちは、憎しみの対象であると同時に、喉から手が出るほど羨ましい存在でもありました。
「洋妾(ようしょう)」のステータス: 一部のエリート層や商人の間では、西洋の文化を取り入れる一環として、ラシャメンを「時代の最先端」として見る、ひねくれた好奇の視線もありました。
3. 文学や物語の中の悲劇性
庶民感情を映し出す鏡である「物語」の中では、彼女たちはしばしば悲劇のヒロインとして描かれました。
『蝶々夫人』の原型: 外国人が帰国すれば捨てられる運命にある彼女たちは、庶民から見れば「自業自得」でありながら、同時に「儚く哀れな女」として、講談や芝居の格好の題材となりました。
唐人お吉(とうじんおきち): 実在の人物である斎藤きちの生涯は、まさに庶民の「手のひら返し」を象徴しています。異人の妾として蔑まれ、最後は孤独の中で亡くなった彼女の物語は、後年、同情を誘う悲劇として何度もリメイクされました。
4. 視点と社会の変化
明治政府が近代化(文明開化)を急ぐ中で、ラシャメンは「恥ずべき日本の旧習」として隠蔽される対象となり、庶民の感情も「あからさまな軽蔑」から「触れてはいけない暗部」へと変化していきました。
💡 結論
明治の庶民にとってラシャメンは、**「自尊心を傷つける裏切り者」でありながら、「自分たちが得られない豊かさを体現する鏡」**でもありました。
それは、歌舞伎の女形が「型」という規律の中で美しさを守るのとは正反対の、**「規律(道徳)を捨てて、剥き出しの生存を選んだ女性たち」**への、残酷なまでの関心だったと言えるでしょう。
借金返済の新聞記事がきっかけで、人々に誤解が広まっていきました。
— 朝ドラ「ばけばけ」公式 放送中 (@asadora_bk_nhk) February 2, 2026
大切な人を傷付けられ、怒りを爆発させるヘブンさん。トキが必死で制します。#髙石あかり #トミー・バストウ#ばけばけ pic.twitter.com/n0PlbxF6Ge




















