まさか歩いて新潟まで行ったの?🚂【連続テレビ小説】風、薫る(77)第16週「新風吹くころ」
まさか歩いて新潟まで行ったの?
こんにちは
猫好き父さんです
まさかとは
思うけど
歩いたんですかねえ
あらすじ
直美(上坂樹里)たちと話して決心したりん(見上愛)は、院長の多田(筒井道隆)と話す。一方瑞穂屋では、シマケン(佐野晶哉)が美津(水野美紀)と卯三郎(坂東彌十郎)の話を聞いて…。
出演者
【出演】見上愛,上坂樹里,佐野晶哉,生田絵梨花,古川雄大,多部未華子,髙嶋政宏,筒井道隆,水野美紀,坂東彌十郎,【語り】研ナオコ
原作・脚本
【脚本】吉澤智子,【原案】田中ひかる
音楽
【音楽】野見祐二
りんは新潟へ。
— 朝ドラ「風、薫る」公式 (@asadora_nhk) July 14, 2026
明日からまた、新たな風が……
お楽しみに!
👇りんの決意を見守ってください🍃https://t.co/jQ077mg7ta#朝ドラ #風薫る
見上愛 pic.twitter.com/E31YgVsrqr
明治時代に東京(上野)から新潟県上越市(高田・直江津)へ移動する手段は、「鉄道(汽車)」が主役でした。
しかし、明治時代といっても「明治のいつ頃か」によってルートや難易度が劇的に変わります。
上越市への鉄道ルート(のちの信越本線)の整備プロセスに沿って、3つの時期に分けて移動手段をご紹介します。
🚂 1. 明治26年(1893年)4月以降:直通ルートの完成(一番便利!)
【移動手段:上野駅から直江津駅・高田駅まで汽車(直通)】
明治26年4月に、群馬と長野の県境にある最大の難所「碓氷峠(うすいとうげ)」にアプト式鉄道が開通したことで、東京(上野駅)から直江津や高田までが一本のレールで結ばれました。
ルート:上野駅 ➡(高崎線)➡ 高崎駅 ➡(信越線・碓氷峠)➡ 軽井沢駅 ➡ 長野駅 ➡ 直江津駅・高田駅
所要時間:明治中期の客車で、上野から直江津までおよそ10〜12時間程度。
この時期以降に高田女学校(1888-1897年)の閉校期、あるいは大関和さんが東京と高田を行き来した際は、この直通の汽車をメインに利用していました。
⛰️ 2. 明治21年(1888年)〜明治26年(1893年)4月まで:碓氷峠を手押し車や徒歩で越える時代
【移動手段:汽車 ➡ 人力車・馬車・徒歩(峠越え) ➡ 汽車】
高田女学校が開校した1888年(明治21年)から数年間は、東京側からも、新潟(直江津)側からも途中まで線路が伸びていましたが、中間の「碓氷峠」の区間(横川駅〜軽井沢駅の間)だけ鉄道が繋がっていませんでした。
そのため、この時期に上越(高田)を目指す人々は、以下のような「乗り継ぎ」を行っていました。
東京(上野駅)から汽車に乗り、群馬県の横川駅まで行く。
横川駅から、険しい碓氷峠を越えて長野県の軽井沢駅まで移動する。
この峠越えの手段は、徒歩、馬車(馬車鉄道)、あるいは当時整備されていた「碓氷馬車鉄道」や人力車などを利用しました。
軽井沢駅に到着後、再び汽車に乗り、長野駅経由で直江津駅・高田駅へと向かう。
非常に手間と体力を要する旅でしたが、これでも以前に比べれば画期的に早くなっていました。
🚶♂️ 3. 明治21年(1888年)より前:過酷な徒歩と乗合馬車の時代
【移動手段:徒歩、宿場町ごとの乗合馬車、川船】
上越にまだ1マイルも鉄道が通っていなかった明治20年以前は、江戸時代とほぼ変わらない命がけの旅でした。
陸路(街道をゆく):中山道や三国街道を通り、徒歩や乗合馬車、人力車を乗り継いで三国峠などを越えました。東京から高田まで歩けば、早くても片道5日〜1週間以上はかかりました。
水路の併用:利根川などの川船(蒸気船や高瀬舟)を利用して群馬県付近まで北上し、そこから山を越えるルートをとることもありました。
💡 補足:なぜ上越(直江津)は早くに鉄道が通ったのか?
日本初の鉄道は明治5年(1872年)の新橋〜横浜間ですが、実は新潟県で最初の鉄道は、新潟市ではなく明治19年(1886年)に開通した「直江津〜関山」間でした。
明治政府は、日本海側で穫れる大量の米や、当時非常に重要だった石油・鉱物などの物資を東京(太平洋側)へ素早く運ぶため、日本海側の玄関口として「直江津」を重視し、国策として直江津を起点に長野・東京方面へ向けて線路を敷いていったという歴史があります。


















