大日本帝国憲法(明治憲法)発令【連続テレビ小説】風、薫る(66)第14週「ウソと誠」
大日本帝国憲法(明治憲法)発令
こんにちは
猫好き父さんです
病院の外は
大騒ぎだったようですが
ドラマ的に
サラッと行きましたね
あらすじ
りん(見上愛)はツヤ(東野絢香)が辞めてから、以前にも増して仕事に打ち込む。直美(上坂樹里)は団子屋でシマケン(佐野晶哉)を見かけ、りんの近況を伝えると、シマケンはある物を直美に託す。そんなある日、見習い生のヒデ(池田朱那)が突然…。
出演者
【出演】見上愛,上坂樹里,佐野晶哉,甲斐翔真,池田朱那,猫背椿,若林時英,水野美紀,【語り】研ナオコ
原作・脚本
【脚本】吉澤智子,【原案】田中ひかる
音楽
【音楽】野見祐二
新たな患者・山本辰治が入院することになり、担当は見習い生の土居ヒデが務めることになりました。りんは看護婦取締として見守ります。
— 朝ドラ「風、薫る」公式 (@asadora_nhk) June 28, 2026
👇見習い生たちもたくましくなりましたhttps://t.co/7DjFR5yzDa#朝ドラ #風薫る
見上愛 池田朱那 本田大輔 pic.twitter.com/ESifwJjGRc
1889年(明治22年)2月11日、明治天皇から総理大臣の黒田清隆へと手渡される形で「大日本帝国憲法(明治憲法)」が発布されました。
この憲法発布の瞬間、日本の街や国民がどのような状況だったかというと、一言で言えば「内容はよく分からないけれど、とにかく日本が近代国家の仲間入りをしたお祝いだ!」という、空前絶後の大熱狂に包まれていました。
当時の具体的な時代背景と、教科書にはあまり載っていないリアルな国民の反響を紐解いていきましょう。
1. 憲法発布にいたる時代背景
明治政府が憲法を作らなければならなかった背景には、「内と外からの強いプレッシャー」がありました。
【外からの圧力】不平等条約の改正
当時の日本は、欧米列強から「関税自主権がない」「領事裁判権を認める」という不平等条約を押し付けられていました。これらを改正してもらうには、欧米諸国から「日本は野蛮な国ではなく、ちゃんと法律に基づいた近代的な国(立憲国家)ですよ」と認められる必要があったのです。
【内からの圧力】自由民権運動の激化
国内では、「藩閥(薩摩・長州)が勝手に政治を進めるな!」「国民の手で国会を開き、憲法を作ろう!」という自由民権運動が凄まじい盛り上がりを見せていました。政府はこれを弾圧しつつも、「早急に政府主導の憲法を作って国会を開かないと、国が暴動でひっくり返る」という強い危機感を抱いていました。
そこで伊藤博文を中心に、君主(天皇)の権限が強いドイツ(プロイセン)の憲法を模範に、極秘裏に憲法の起草が進められたのです。
2. 当時の国民の反響:お祭り騒ぎの「憲法景気」
憲法の中身は、発布される当日まで完全な最高機密として伏せられていました。しかし、新聞などが「もうすぐ日本に凄い憲法ができるらしい」と煽ったこともあり、国民の期待値は最高潮に達します。
当日の東京は、まるで現在のオリンピックやワールドカップで優勝したかのようなお祭り騒ぎでした。
街中の大熱狂とイルミネーション
東京中の街頭には日の丸の旗が掲げられ、万歳三唱の声が響き渡りました。夜になると、東京新橋や銀座の街には、当時まだ珍しかった「電灯」によるイルミネーションや、無数の提灯(ちょうちん)が灯され、不夜城さながらの賑わいを見せました。
「憲法」を冠した大ヒット商品
商人たちもこの商機を逃しません。街には「憲法」という文字が入ったグッズや食べ物が溢れかえりました。
憲法提灯(お祝い用の提灯)
憲法帽子・憲法シャツ(お祝いのロゴ入り衣服)
憲法饅頭(まんじゅう)・憲法おこし(爆発的に売れたお菓子)
人々は「憲法」という言葉の意味を深く理解していないまま、「憲法を食べて、憲法を着て、憲法を掲げて」お祝いしていたのです。
当時のエピソード:「憲法って、どんな素晴らしい絹織物?」
自由民権運動の闘士として知られる植木枝盛の記録や当時の風刺によると、ある田舎の人が「おい、今度上野で『ケンポウ』という素晴らしい織物の展覧会があるらしいぞ」と勘違いして東京へ向かったという笑い話が残っています。それほど「ケンポウ」という言葉だけが独り歩きしていました。
3. なぜ国民は中身を知らないのに喜んだのか?
これほど国民が熱狂したのには、単なるお祭り騒ぎを超えた「誇り」の感情がありました。
当時の日本人は、欧米列強から「東洋の遅れた小国」と見下されていることに強い悔しさを抱いていました。それが、アジアで初めて本格的な「憲法」を持つ国になれた(=欧米と肩を並べた)ということで、「これで我が国も一流国の仲間入りだ!」という強い愛国心と自負が、あの熱狂を生み出したのです。
また、民権派にとっても、政府主導とはいえ「念願の国会が翌年(1890年)に開かれること」が確定したため、大きな勝利として受け止められました。
4. 熱狂の裏にあった「一握りの冷ややかな視線」
この大熱狂の最中、冷静に事態を見つめていた知識人もいました。
後に一万円札の顔となる思想家・福沢諭吉は、発布当日の様子を新聞(時事新報)で、「まるでお祭りのようで誰も中身を議論していない」と冷ややかに評しました。さらに、憲法の内容が天皇の権力を非常に強く定めたものであることを知ると、将来の日本の行く末を懸念する手紙を友人に送っています。
また、この日の朝、憲法発布に異を唱える暴漢によって、文部大臣の森有礼が暗殺されるという血生臭い事件も起きており、華やかなお祝いの裏には、近代化を急ぐ日本の激しい歪みも隠されていました。

















