なんということでしょうまさか伏見城が!🏯鶴瓶の家族に乾杯 宮澤エマが京都へ!秀吉ゆかりの伏見城&日本酒の酒蔵へ!
なんということでしょうまさか伏見城が!
こんにちは
猫好き父さんです
いくらぶっつけ本番とは言え
伏見城がないのは
あらかじめ知っていたでしょ!
しかし
鶴瓶さんは
なんであの茶店に入ったんですかねえ
そこくだりがなかったような
ぶっつけ伏見城
大河ドラマ「豊臣兄弟!」に出演する宮澤エマが秀吉ゆかりの京都市伏見区をめぐる旅の後半戦。廃業を乗り越え奇跡的に復活した酒蔵で大好きな日本酒を味わう!続いて、平安時代に湧き出た!?お水が有名な神社へ。34代目の禰宜さんにお話を聞き、普段は入れない本殿の鮮やかな造りに圧倒される。そして、ついに秀吉ゆかりの伏見城へ!思いを馳せる宮澤に地元の方から衝撃の一言が!鶴瓶は自称『伏見のジョン・レノン』に遭遇。
出演者
【司会】笑福亭鶴瓶,【出演】宮澤エマ,【アナウンサー】小野文惠,【語り】常盤貴子,三宅民夫
【配信中】#鶴瓶の家族に乾杯
— NHK大阪放送局 (@nhk_osaka_JOBK) July 13, 2026
「#豊臣兄弟!」出演中の #宮澤エマ が訪ねる京都伏見の旅・後編。奇跡的復活を遂げた酒蔵で日本酒を味わう!さらに秀吉ゆかりの神社やお城へ…しかし意外過ぎる真実が判明!?
▼配信https://t.co/lK9kTLCL8N
藤岡酒造(ふじおかしゅぞう)
京都・伏見にある藤岡酒造(ふじおかしゅぞう)は、伝統ある酒どころ伏見にあって、一度は途絶えた歴史を劇的な復活で繋ぎ、今や全国の日本酒ファンから絶大な支持を集める「小さくもきらりと光る、極上の手造り蔵」です。
看板銘柄である「蒼空(そうくう)」の誕生秘話や、酒造りのこだわり、そして訪れたら絶対に外せない酒蔵バーの魅力についてご紹介します。
📜 1. 悲劇からの復活劇:5代目の熱い挑戦
藤岡酒造の歴史は、ドラマのような復活のストーリーを持っています。
創業と突然の休止:明治35年(1902年)に創業し、大正時代に現在の伏見の地へ移転。かつては大きな生産量を誇る人気の酒蔵でしたが、平成6年(1994年)に3代目蔵元が急逝したことが引き金となり、平成7年の造りを最後に、一度は長い歴史の幕を閉じてしまいました(廃業・休止)。
7年目の奇跡の復興:しかし、「もう一度、伏見の実家で旨い酒を造りたい」と立ち上がったのが、当時まだ若かった5代目の藤岡正章(まさあき)氏でした。他蔵での修行を経て、休止から7年が経った平成14年(2002年)に、自らが杜氏(醸造責任者)を兼ねる形で、奇跡の復活を果たしました。
🍶 2. 代表銘柄「蒼空(そうくう)」に込められた想い
復活と同時に立ち上げられた新ブランドが、いまや入手困難な酒としても知られる「蒼空」です。
名前の由来:「見上げた空一面の青空のように、飲む人の心が爽やかに、穏やかで優しい気持ちになれるように」という願いが込められています。
味わいの特徴(シルキー・テイスト):藤岡酒造の井戸は、伏見の名水「白菊水(しらぎくすい)」の流れにおいて最も上流に位置しています。この最高品質の地下水で仕込まれるお酒は、「絹のように滑らかで優しい口当たり」が最大の特徴。造るお酒はすべて手間暇を惜しまない「純米酒」のみです。
ベネチア製のおしゃれなボトル:一般的な一升瓶や四合瓶(720ml)だけでなく、「蒼空」を象徴するのがイタリア・ベネチア製のガラス工房で作られた美しい「500mlのベネチアボトル」です。小家族でもおしゃれに飲みきれるサイズを、という現代のライフスタイルに合わせたこだわりが光ります。
🥂 3. 蔵の息遣いを感じる「酒蔵Bar えん」
藤岡酒造を訪れるなら、店舗に併設されている試飲・利き酒処「酒蔵Bar えん」は外せません。
ガラス越しに仕込み蔵が見える:なんとバーカウンターの正面が大きなガラス張りになっており、お酒が実際に醸造されている仕込み蔵(タンク)を眺めながら、しぼりたての「蒼空」を味わうことができます。
極上の空間:落ち着いた和モダンな空間で、限定の生酒や、季節ごとのお酒(ひやおろしや新酒など)を贅沢に飲み比べできます。お酒に合わせたおつまみも絶品で、酒好きにはたまらない大人の隠れ家のような空間です。
※営業時間やお休みの状況(水曜定休など)は事前に確認して訪問するのがおすすめです。
大量生産ではなく、「自分たちが納得のいく最高の品質を、目の届く範囲で丁寧に手造りする」という藤岡酒造のスタイルは、まさに現代のクラフト日本酒の理想形の一つです。
伏見の美しい水と5代目杜氏の情熱が生み出した「蒼空」は、一度飲むと忘れられない優しい美味しさですよ。
椿堂茶舗(つばきどうちゃほ)
京都・伏見の墨染(すみぞめ)にある「椿堂茶舗(つばきどうちゃほ)」と、その奥にひっそりと佇む茶房「竹聲(ちくせい)」は、お茶を愛する大人たちがこぞって訪れる、極上の隠れ家日本茶カフェです。
慌ただしい日常を忘れ、最高の一杯と向き合えるこの空間の魅力をご紹介します。
🍃 1. 明治創業の老舗「椿堂茶舗」
まずは、茶房を営む母体であるお茶屋さんについてです。
140年以上の歴史:明治12年(1879年)に伏見の深草大亀谷で創業した日本茶専門店です。東福寺や伏見稲荷大社などの御用達も務める由緒ある老舗です。
個性豊かなラインナップ:厳選された極上の宇治茶(抹茶、煎茶、玉露)はもちろんのこと、国産の和紅茶である「京都紅茶」や、国産烏龍茶の「和龍茶」など、個性あふれるお茶も取り扱っています。
🎋 2. 露地奥に佇む大人の隠れ家:茶房「竹聲(ちくせい)」
「椿堂茶舗」の店舗脇にある、丁寧に打ち水された細い石畳の路地(露地)を奥へと進むと、茶房「竹聲」の入り口が現れます。
名前の由来
江戸後期の文人・頼山陽が詠んだ「茶色竹聲(ちゃしょくちくせい)」という言葉から名付けられました。庭先で風にそよぐ竹の音(聲)を聴きながら、手元にある美しいお茶の色を愛でる、という極めて風流な意味が込められています。
五感で癒される空間
店内は、大正〜昭和初期にタイムスリップしたかのような静かでどこか懐かしい町家空間。美しく手入れされた坪庭(中庭)を臨む特等席があり、お庭を眺めながらゆったりとした時間を過ごせます。
「大人の空間」としてのこだわり
賑やかすぎない静かな時間を守るため、小さなお子様(乳幼児など)を連れての入店は遠慮してもらうルールを設けており、静寂の中でじっくりとお茶を味わいたい人にとって最高の環境が保たれています。
🍵 3. おすすめのメニュー
プロが淹れるお茶は、私たちが普段お家で飲むものとは全く異なる感動を与えてくれます。
上生菓子セット
店主が全国から厳選した銘茶や品評会受賞の宇治茶を、季節の上生菓子とともにいただけます。特にこちらのお抹茶は「苦い」という概念が覆るほど、ほんのりとした甘みと上品なコクが特徴です。
抹茶ぜんざい
薫り高い宇治抹茶を贅沢に注いだ、甘味好きにはたまらない人気メニュー。甘さと抹茶の深い渋みのコントラストが絶妙です。
📌 4. アクセスと基本情報
住所:京都府京都市伏見区深草北新町635
アクセス
京阪本線「墨染駅」から徒歩約2分(非常に駅近です!)
JR奈良線「JR藤森駅」から徒歩約10分
営業時間:12:00〜17:00(L.O. 16:30)
定休日:水曜日・日曜日・祝日
藤森神社や墨染寺など、伏見・深草エリアの歴史散策の途中にふらりと立ち寄るのにも最高のロケーションです。お茶の香りと、サラサラと鳴る竹の葉の音に包まれて、贅沢な「自分時間」を過ごしてみてはいかがでしょうか。
御香宮神社
京都・伏見にある御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ・ごこうぐうじんじゃ)は、古くから酒どころ伏見の氏神(産土神)として、また安産・子育ての神様として篤く信仰されている由緒正しい神社です。
その境内には、豊臣秀吉や徳川家康をはじめとする歴史上の偉人たちの足跡と、桃山文化の華麗な美しさが色濃く残されています。
御香宮神社の歴史や見どころ、外せない魅力をわかりやすく整理してご紹介します。
💧 1. 社名の由来:病を癒した奇跡の名水「御香水」
御香宮という美しい名前の起源は、平安時代の貞観4年(862年)にさかのぼります。
「香りの水」の伝説
この年、境内から突如として非常に香りの良い清水が湧き出しました。その水を飲むとどんな病もたちどころに治ったという奇跡が起き、この知らせを聞いた清和天皇から「御香宮(ごこうのみや)」の名を賜ったと伝えられています。
名水百選と酒造り
この湧き水は「石井の御香水(ごこうすい)」として伏見七名水の筆頭に数えられ、環境省の「名水百選」にも認定されています。現在でも境内には多くの方が容器を持参してこの名水を汲みに訪れており、誰でも自由にいただくことができます。
🏯 2. 秀吉・家康と「伏見城」をめぐる歴史
戦国時代から江戸時代にかけて、天下人たちと深く結びつき、現在の形へと整えられました。
豊臣秀吉による「鬼門除け」
天下統一を果たした豊臣秀吉が伏見城を築く際、城の鬼門(東北)の守護神として一度城領内へと移転させました(現在その跡地は「古御香宮」という御旅所になっています)。
徳川家康による復興と徳川御三家の産湯
関ヶ原の戦いの後、徳川家康の手によって神社は元の場所(現在の地)へと戻され、社殿が美しく再建されました。さらに、家康の息子たちである徳川御三家の祖(尾張・紀州・水戸の各藩主)は、いずれもこの御香宮の御香水を産湯として使ったという、徳川家との深い縁が残されています。
🎨 3. 境内を彩る華麗な「桃山文化」の見どころ
現在の主要な建造物は国の重要文化財に指定されており、極彩色の豪華な彫刻など、桃山時代から江戸初期にかけての力強い美しさを体感できます。
表門(重要文化財)
元和8年(1622年)、水戸徳川家の頼房が寄進したもので、かつての「伏見城の大手門」を移築したものと伝えられています。正面を飾る中国の教訓「二十四孝」の緻密な彫刻は必見です。
本殿(重要文化財)
慶長10年(1605年)に徳川家康の寄進によって建立された、非常に立派な本殿です。近年の大修理によって、当時の豪壮華麗な極彩色の輝きが見事に蘇っています。
拝殿(重要文化財)
寛永2年(1625年)に紀州徳川家の頼宣によって寄進されたもので、こちらも伏見城の車寄せを移築したと伝わります。五三桐の彫刻や龍神の彫刻が美しく施されています。
小堀遠州ゆかりの石庭
社務所には、江戸時代の名作庭家であり伏見奉行でもあった小堀遠州が、かつて伏見奉行所に作った庭園の石を移築して造られた、見事な枯山水庭園(有料)があります。
⚔️ 4. 歴史の転換点:「鳥羽・伏見の戦い」の薩摩軍本陣
幕末の慶応4年(1868年)に勃発した「鳥羽・伏見の戦い」において、御香宮神社は極めて重要な歴史の舞台となりました。
当社のすぐ南側には江戸幕府側の拠点である「伏見奉行所」があったため、新政府軍(薩摩藩)はここ御香宮神社を本陣(屯所)とし、奉行所に向けて大砲を打ち込みました。小高い丘の上にある神社が、軍事上の要衝となったのです。
幸いなことに、神社の社殿自体は戦火を免れて当時のまま現代に残ることとなりました。境内には、ここが激戦地であったことを示す「伏見戦跡の碑」がひっそりと佇んでいます。
🤱 5. ご利益と親しみやすい雰囲気
主祭神として神功皇后(じんぐうこうごう)をお祀りしており、神話の伝承から「安産・子育ての神様」として全国から多くのプレママやご家族が参拝に訪れます。
地元の人々からは親しみを込めて「ごこんさん」と呼ばれており、毎年10月に行われる「伏見祭(別名:花傘祭)」は、伏見九郷の総鎮守としてエリア最大級の熱気に包まれます。また、日本屈指の酒どころの氏神様らしく、境内には伏見の全銘柄の酒樽がずらりと積まれているのも、この地ならではの見事な光景です。
京都教育大学(きょうときょういくだいがく)
京都教育大学(きょうときょういくだいがく)は、京都府京都市伏見区にキャンパスを構える日本の一流の国立大学です。
「人を育てる知の創造と実践」を理念に掲げ、明治9年(1876年)創立の京都府師範学校をはじめとする長い歴史を持つ、近畿圏を代表する教員養成の単科大学です。地元では「京教(きょうきょう)」などの愛称で親しまれています。
大学の特徴や魅力をいくつかのかたまりに分けてご紹介します。
🏫 1. 専門性を磨く「13の専攻」と少人数教育
教育学部の「学校教育教員養成課程」の1学部のみですが、その中に国語、社会、数学、理科、音楽、美術、体育、発達障害教育、幼児教育など、分野ごとに13の専攻が設けられています。
高い専門性と免許取得:それぞれの専攻で高い専門性を磨きながら、小学校・中学校・高校、さらには特別支援学校や幼稚園など、複数の教員免許をスムーズに取得できるカリキュラムが整っています。
少人数ならではの密なサポート:学生数に対して教員の割合が高いため、きめ細やかな少人数教育が行われており、同じ夢を持つ仲間や教授陣とアットホームな環境で学べるのが大きな強みです。
🎒 2. 実践力を現場で培う「豊富な教育実習」
単に大学の講義室で理論を学ぶだけでなく、早くから学校現場に触れる「現場主義」のプログラムが充実しています。
充実の附属学校園:同じ伏見区内をはじめ京都市内に、幼稚園から、小学校、中学校、高校、そして特別支援学校まで、すべての校種にわたる6つの附属学校園を擁しています。
大学とこれら附属学校が一体となり、1年次などの早い段階から学校現場を訪問したり、実習を経験したりすることで、子どもたちと向き合う「確かな実践力」を4年間でじっくりと育てていきます。
📍 3. 緑豊かでアクセス抜群の「伏見・藤森キャンパス」
メインとなる「藤森(ふかくさふじのもり)学舎」は、非常に緑豊かで落ち着いた環境にあります。周辺には勝運の神様として知られる藤森神社などもあり、歴史の息遣いを感じられるエリアです。
抜群の交通アクセス
JR奈良線「JR藤森駅」から徒歩約3〜4分
京阪本線「墨染(すみぞめ)駅」から徒歩約7分
JRを使えば京都駅まで直通で約10分、京阪を使えば三条や祇園四条、さらには大阪方面へのアクセスも非常に良いため、学生生活やアルバイト、京都の街巡りにもとても便利なロケーションです。
🤝 4. 地域・世界とつながる特色あるプログラム
現代の教育課題に対応するため、先進的な取り組みも多数導入されています。
Diversity in Learning(多様な学び):不登校や発達障害、外国にルーツを持つ子どもなど、多様なバックグラウンドを持つ子どもたちを多角的に支援する研究や普及に力を入れています。
データサイエンス・AI教育:教育現場のデジタル化に対応するため、全学的に「数理・データサイエンス・AI」のリテラシー教育プログラムを導入し、未来の教育を支えるICTスキルを養います。
🎓 進路と未来
卒業生の多くは、京都府や京都市をはじめ、全国の公立・私立学校で教員として教壇に立ち、活躍しています。また、近年では高度な専門性を持って教育行政や一般企業(教育系・文具・児童関連など)へ進む道や、大学院へ進学してさらに研究を深める学生も多くいます。
歴史ある京都の文化に触れながら、次世代を育てる「教育」のプロフェッショナルを目指すには、これ以上ない最高の環境が整った大学です。
京都教育大学が輩出した有名芸能人
京都教育大学は教員養成を主目的とする単科大学ですが、実は非常に個性豊かな、第一線で活躍する有名芸能人(アーティスト、タレント、お笑い芸人)を輩出しています。
「教員免許を取得した知性」や「大学で学んだ専門分野」を武器に、芸能界で独自のポジションを築いている代表的な3名をご紹介します。
🎹 1. 岡崎体育(シンガーソングライター)
ユニークかつ中毒性の高い楽曲と、圧倒的なライブパフォーマンスで知られる音楽ソロプロジェクト岡崎体育さんは、京都教育大学の卒業生です(教育学部卒)。
学生時代のエピソード
大学時代には、のちに彼の代名詞となる「音楽への強いこだわり」の土台が築かれました。音楽系のサークル(軽音楽部)に所属し、当時はバンドを組んで熱心に音楽活動に没頭。この頃からすでにオリジナリティ溢れる楽曲制作を始めていました。
ここが凄い!
「知的なユーモア」と「確かな音楽センス」が同居する彼のスタイルは、どこかアカデミックな環境で育まれたバランス感覚を感じさせます。映画やドラマでの演技力にも定評があり、多才な魅力を放っています。
🎨 2. 宇治原史規(お笑いコンビ「ロザン」)
クイズ番組の常連であり、「高学歴芸人」の先駆者として知られるロザンの宇治原史規(うじはら ふみのり)さん。 ※彼は京都大学(法学部)卒業ですが、実は相方の菅広臣(すが ひろふみ)さんが京都教育大学の卒業生です。
コンビの結成と京教大
高校の同級生だった二人は、それぞれ京都大学(宇治原さん)と京都教育大学(菅さん)に進学しました。大学在学中である1996年に吉本興業のオーディションに合格し、「ロザン」を結成しています。
菅さんの教育学部での学び
菅さんは京都教育大学の教育学部で学び、卒業しています。彼の書く文章やトークの分かりやすさ、そして宇治原さんの高い学力を引き出すスマートな「いじり方」には、教育大学で培われた高いコミュニケーション能力が生きていると言われています。
🎬 3. おたこぷー(お笑いタレント/プー&ムー)
九州のバラエティ番組を席巻し、その独特すぎるギャグや動きで強烈なインパクトを残し続けているお笑いコンビ「プー&ムー」のおたこぷーさん。
異色のキャリア
熊本県出身の彼は、実は京都教育大学を卒業しています。
大学で学びながらも、お笑いへの情熱から芸能界入り。シュールで予測不能な動きを取り入れた「おたこ体操」などの一発ギャグで、福岡(吉本興業福岡事務所)を中心に絶大な人気を誇るローカルスターとなりました。教員養成の大学から、お笑いの最前線へ飛び出した非常に珍しい経歴の持ち主です。
単科の教育大学という比較的こぢんまりとした環境だからこそ、そこで過ごした濃密な時間や個性的な仲間との出会いが、彼らの芸能界での確固たる「武器」を生み出すきっかけになったのかもしれませんね。
あのねのね
京都教育大学卒の有名芸能人を語る上で、「あのねのね」の清水国明(しみず くにあき)さんと原田伸郎(はらだ のぶろう)さんを差し置くわけにはいきません。
まさに、京都教育大学が誇るレジェンド級の卒業生であり、日本の芸能史・フォークソング史に一世を風靡した偉大なデュオです。
彼らと京都教育大学にまつわるエピソードをご紹介します。
🎸 1. 大学のキャンパスで生まれた伝説のデュオ
「あのねのね」は、二人が京都教育大学の在学中に出会い、結成されました。
学生時代の出会い
清水国明さんと原田伸郎さんは、同大学の同じフォークソング愛好会(サークル)の先輩・後輩でした。意気投合した二人は、1973年にシングル『赤とんぼの唄』でメジャーデビューを果たします。
「あのねのね」の名前の由来
このユニークなグループ名は、大学のサークル内で「あのねのね……」と話し合っていた日常の他愛ないやり取りや、言葉遊びの中から自然と生まれたものと言われています。
💥 2. 時代を席巻したコミックソングとトーク力
当時、真面目なメッセージソングが主流だったフォーク界において、彼らのスタイルはあまりにも斬新でした。
『赤とんぼの唄』の大ヒット
「赤とんぼ羽を取ったら唐辛子〜♪」という、シュールで覚えやすいフレーズの楽曲が若者の間で爆発的なブームを巻き起こしました。
深夜ラジオのカリスマへ
教育大学出身ならではの、頭の回転の速さと抜群のトーク力を武器に、ラジオ番組(『オールナイトニッポン』など)のパーソナリティとしても大活躍。テレビのバラエティ番組の司会など、マルチタレントの先駆者となりました。
🎓 3. 教員養成の枠を超えた「生き方」のロールモデル
二人は単なる一発屋のタレントではなく、その後も大学で学んだベースを活かしながら、独自の道を切り拓いていきました。
清水国明さん:自然体験やアウトドア活動の第一人者として、キャンプ場の運営や環境教育、防災活動に尽力。
原田伸郎さん:現在も関西を中心にテレビ・ラジオのパーソナリティとして絶大な人気を誇り、書家としても活躍。
💡 岡崎体育さんとの不思議なつながり
実は、先ほどご紹介した岡崎体育さんが京都教育大学に入学した際、清水国明さんと原田伸郎さんはすでに伝説のOB。岡崎さんは大学時代、周囲から「あのねのねの後輩なんだから、面白い音楽をやるんだろう?」と期待(あるいはプレッシャー)をかけられたというエピソードを、のちにトークで明かしています。
京都教育大学の自由でアットホームな校風、そして音楽サークルの豊かな土壌があったからこそ、「あのねのね」という昭和のエンタメ界を揺るがす大スターが誕生したのですね。
伏見桃山城運動公園
は、京都府京都市伏見区にある、シンボルである城(模擬天守)とスポーツ施設が融合したユニークな市営公園です。
豊臣秀吉が築いた「伏見城」の跡地(伏見城内堀跡)に位置しており、歴史ロマンを感じる美しいロケーションの中で、多くの市民がスポーツやレクリエーションを楽しんでいます。
この公園の見どころや歴史、施設について詳しくご紹介します。
🏯 1. 公園のシンボル「伏見桃山城」の数奇な歴史
公園に足を踏み入れると、まず目を引くのがそびえ立つ見事な大天守と小天守(模擬天守)です。この城には、少しユニークな歴史があります。
「伏見桃山城キャッスルランド」の遺産:この模擬天守は、昭和39年(1964年)にこの場所で開業した一大遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」の目玉施設として建設されました。当時の技術を結集し、史実を参考に鉄筋コンクリートで美しく再現されたものです。
市民の運動公園への生まれ変わり:平成15年(2003年)に遊園地は閉園となりましたが、伏見のシンボルとして地域住民に愛されていたお城を残してほしいという強い要望を受け、京都市が跡地を買い取り「伏見桃山城運動公園」として再整備されました。
※現在、天守閣は耐震基準を満たしていないため内部に入ることはできませんが、お城を囲む美しい本丸広場や外観は無料で見学・散策することができます。
⚽ 2. 充実したスポーツ施設
現在は、豊かな緑に囲まれたスポーツの拠点として、子どもから大人まで幅広い世代に利用されています。
多目的グラウンド:野球やソフトボール、サッカーなどに利用できる広大なクレイグラウンドが整備されています(事前予約制・有料)。
多目的広場・市民土俵:芝生の広場や、相撲の稽古ができる本格的な土俵なども備わっています。
🌸 3. 四季の美しさと絶好の散策ルート
お城と自然が織りなす風景は、映画やドラマのロケ地としても度々使われるほど絵になります。
お花見と紅葉の名所:春になると、お城を背景にソメイヨシノや八重桜など美しい桜が咲き誇り、秋には見事な紅葉が境内を彩ります。
ウォーキングコース:隣接する「明治天皇 伏見桃山陵(桃山御陵)」の広大な参道や森と繋がっており、静かで厳かな空気を感じながらのウォーキングやランニングにも最適です。
📌 4. アクセス
住所:京都府京都市伏見区桃山町大蔵
アクセス:
近鉄京都線「桃山御陵前駅」または京阪本線「伏見桃山駅」から徒歩約15〜20分
JR奈良線「桃山駅」から徒歩約15分
※お城のある高台(桃山丘陵)に位置しているため、駅から歩く場合はなだらかな上り坂を登ることになります。有料駐車場も併設されています。
遊園地としての賑やかな歴史を経て、今は伏見の人々の健康な暮らしを支える憩いの場となった公園です。伏見のお寺や酒蔵巡りとあわせて、歴史を感じる散策に出かけてみるのはいかがでしょうか?
伏見城
京都・伏見に築かれたは、安土桃山時代から江戸時代初頭にかけて、日本の政治の中心地(首都機能)として機能した、歴史上極めて重要な城郭です。
豊臣秀吉の「終の棲家」として始まり、徳川家康の将軍宣下の舞台ともなったこの城は、実は戦災や地震によって「何度も造り直され、最終的に廃城となった」という非常に激しい歴史を持っています。
伏見城の歴史と、知っておくと面白いポイントについて分かりやすくご紹介します。
🏗️ 1. 「3つの伏見城」:その数奇な歴史
伏見城は、同じ場所にずっと建っていたわけではなく、時代や災害によって場所や姿を変え、大きく分けて「3回の建設」が行われました。
① 指月(しづき)伏見城:秀吉の隠居城
天正20年(1592年)、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が、自身の隠居所として伏見の指月という丘(現在の桃山町泰長老付近の)に築いたのが始まりです。
しかし、文禄5年(1596年)に畿内を襲った巨大地震「慶長伏見地震」により、完成間近だったこの城は、天守閣が倒壊するなど跡形もなく崩壊してしまいました。
② 木幡山(こはたやま)伏見城:豪壮華麗な豊臣の本拠
地震の直後、秀吉はすぐ北東にある頑丈な木幡山(現在のがあるエリア)へと場所を移し、すぐさま新たな城を再建します。これが2代目の伏見城です。
この城で秀吉は慶長3年(1598年)にその生涯を閉じました。その後、関ヶ原の戦いの前哨戦である「伏見城の戦い」において、徳川家康の忠臣・鳥居元忠らが死守したものの、西軍の猛攻によって炎上し、再び焼失してしまいます。
③ 徳川期の伏見城:家康による最後の再建
慶長6年(1601年)、天下を掌握した徳川家康によって、三度目の伏見城が木幡山に再建されました。
家康はここで征夷大将軍の宣下(将軍就任の儀式)を行い、江戸幕府が開かれた最初の数年間は、この伏見城が徳川の西国支配における最重要拠点(実質的な首都機能)として使われました。
その後、一国一城令や大坂の陣を経て、元和9年(1623年)に廃城が決定。建物は徹底的に解体され、全国各地へと移築されました。
🎨 2. 伏見城をめぐる歴史のロマンと「その後」
現在、お城の本体は残っていませんが、その華麗な遺構や歴史の爪痕は、今も各地に受け継がれています。
世界遺産へ受け継がれた「桃山文化」
伏見城のあまりに豪華な建物や門は、廃城に伴い多くの社寺へと移築されました。
二条城(唐門・二の丸御殿)や西本願寺(飛雲閣・唐門)、先ほどご紹介した御香宮神社(表門)などの国宝や重要文化財は、この伏見城から移築されたもの、あるいはその部材が使われたものと伝えられています。
悲劇の記憶「血天井」
「伏見城の戦い」で、徳川方の鳥居元忠ら約380名の家臣が切腹した際、その血が床板に深く染み込みました。
その凄惨な戦いを忘れず、犠牲者を供養するため、戦後にその床板が京都のいくつかの寺院(養源院、源光庵、正伝寺など)の「天井」として再利用されました。これが今も京都に残る有名な「血天井」です。
「桃山(ももやま)」という地名の由来
伏見城の廃城後、城跡には大量の「桃の木」が植えられました。春になるとあたり一面に美しい桃の花が咲き誇るようになったことから、このエリア一帯が「桃山」と呼ばれるようになり、のちに「安土桃山時代」という歴史の時代区分の名前にも採用されることになりました。
💡 現在の「伏見桃山城」との違い
現在、運動公園に建っているお城(模擬天守)は、昭和の遊園地「キャッスルランド」建設の際に、史実の伏見城を模して少し離れた内堀跡にコンクリートで建てられた観光用のレプリカです。
本物の伏見城の本丸があった跡地には、現在はが築かれており、宮内庁の管理となっています。
かつて戦国を終わらせた天下人たちが激しく争い、そして愛した「幻の都」伏見城。その豪華絢爛な歴史の断片は、今も京都の街のあちこちに静かに息づいています。


















