正義の味方ウルトラマンタイガだからね(o|o)【連続テレビ小説】風、薫る(79)第16週「新風吹くころ」
正義の味方ウルトラマンタイガだからね
こんにちは
猫好き父さんです
NHK秘蔵子というか
お抱え役者さんが
それも若い世代
たくさん出てきますね
あらすじ
ある日、店で順番を守らない大地主の羽田(西堀亮)を、りん(見上愛)は思わず注意をしてしまう。そこへ、新聞記者の横沢(井上祐貴)がやってきて…。一方、東京では、体調不良で倒れた文(内田慈)を直美(上坂樹里)が看護することに。
出演者
【出演】見上愛,上坂樹里,井上祐貴,内田慈,磯山さやか,水野美紀
原作・脚本
【脚本】吉澤智子,【原案】田中ひかる
音楽
【音楽】野見祐二
横沢「異議あり!問題あり!
— 朝ドラ「風、薫る」公式 (@asadora_nhk) July 15, 2026
いい大人が、恥ずかしくないのですか?」
飴屋で割り込みをした大地主・羽田銀次(西堀亮)に
はっきりとダメ出しをする横沢公輔(井上祐貴)。
キャラ強めの登場です。
👇横沢の更なるダメ出し……続きはこちらhttps://t.co/WyvgWSDGzv#朝ドラ #風薫る pic.twitter.com/2pEkcu7QKh
明治時代、現在の新潟県上越市にあたる「高田」を含む頸城(くびき)地方は、新潟県内、ひいては北陸地方における自由民権運動の最大の拠点の一つでした。
地主や知識人、熱い志を持った若者たちが結集し、非常に活発な言論・組織活動を展開したものの、のちに「激化事件」の一つとして歴史に刻まれる政府の未曾有の謀略・弾圧事件によって、その運動は決定的な打撃を受けることになります。
高田における民権運動の歩みと、その運命を大きく変えた出来事について整理して解説します。
📢 1. 高田・頸城地方における民権運動の盛り上がり
明治10年代、政府主導の専制的な政治に異議を唱え、国会の開設や基本的人権の確立を求める「自由民権運動」が全国で高まりました。
「明十社(めいじゅうしゃ)」の発足(1877年)
上越地方の民権運動をリードした中心人物・鈴木昌司(すずき まさじ)らによって、新潟県初となる民権結社「明十社」が高田で結成されます。彼らは演説会を開き、民権思想を広く普及させました。
「頸城自由党(くびきじゆうとう)」の結成
その後、板垣退助が結成した日本初の政党「自由党」の地方支部として、高田の活動家たちを中心に「頸城自由党」が誕生します。地主層だけでなく、若い志士や知識人も数多く参加し、北陸地方の民権運動の核となっていきました。
「金谷山(かなやさん)」での大運動会
日本スキー発祥の地として知られる高田の金谷山ですが、当時は民権運動の拠点でもありました。ここで大規模な「頸城自由党大運動会」などが開催され、人々は親睦を深めながら気勢を上げました。
⚖️ 2. 北陸民権運動を壊滅させた「高田事件」(1883年)
運動が最高潮に達しつつあった明治16年(1883年)3月20日、高田警察署と司法官憲による頸城自由党員の一斉検挙が行われました。これが、近代史において極めて悪名高い弾圧事件「高田事件」です。
🚨 事件の引き金と「でっち上げ」
官憲の密偵(スパイ)であった長谷川三郎という人物が、「北陸地方の自由党員が、有栖川宮(皇族)や政府大臣の暗殺、および内乱を計画している」という嘘の密告を行いました。
警察はこれを口実に、急進派の青年党員であった赤井景韶(あかい かげあき)の自宅を家宅捜索。そこで発見された、赤井が書いた「天誅(てんちゅう)党主意書」という激越なメモを政府転覆の確実な証拠として祭り上げ、鈴木昌司をはじめとする党幹部や、新潟の民権指導者であった山際七司(やまぎわ しちじ)ら合計37名を一斉に逮捕・拘留しました。
🎭 劇場を留置所にした大検挙
あまりに一度に多くの人間を逮捕したため、高田警察署の留置場だけでは全くスペースが足りなくなりました。そこで警察は、当時高田にあった「大漁座」という芝居小屋(劇場)を、臨時の即席監獄に改造して党員たちを閉じ込めました。彼らは移動の際、腰縄をかけられ黒い頭巾をかぶせられるという屈辱的な扱いを受けたといいます。
🏛️ 裁判の結末と悲劇
結果として、でっち上げられた容疑であったため、幹部らの多くは翌年にかけて「証拠不十分(不起訴・予審免訴)」で釈放されました。しかし、メモの起草者である赤井景韶だけは内乱予備罪などで重禁獄9年の判決を受け、服役中に脱獄を企て、逃走中に殺人を犯して最終的に死刑となる悲劇的な結末をたどりました。
この事件は、福島事件(1882年)などと並び、「高田裁判所の検事補や警察署長が、自由民権運動を根絶やしにするために仕組んだ挑発・弾圧事件」であったと現在では考えられています。
🪦 3. 運動の衰退と「鉄窓会(てっそうかい)」の絆
高田事件を契機に、組織をズタズタにされた新潟県および北陸地方の自由民権運動は、急激に衰退へと向かうことになります。
しかし、弾圧された人々の絆と信念は、形を変えて生き続けました。
「鉄窓会(てっそうかい)」の結成
高田事件で理不尽に牢獄に繋がれた被害者たちは、釈放後、お互いの苦労を労い信念を確かめ合う同窓会組織「鉄窓会」を結成しました。彼らは毎年、一斉検挙のあった3月21日前後に集まり、懇親を深めながら、地元の近代化や自由のために闘い続けました。
高田事件記念碑
事件時に拘留され、後に上杉村長や県会議長を歴任して地元の発展に大きく貢献した飯田良平(いいだ りょうへい)は、生存する事件関係者が少なくなった昭和12年(1937年)、事件が風化するのを防ぐために、ゆかりの地である金谷山に「高田事件記念碑」を建立しました。この碑は現在も金谷山にひっそりと佇み、かつて上越で自由を叫んだ人々の魂を伝えています。


















