単なる超大物政治家ではない井上準之助氏🐡鶴瓶の家族に乾杯 俳優・平泉成が神奈川県大磯町で超大物政治家の子孫に遭遇
単なる超大物政治家ではない井上準之助氏
こんにちは
猫好き父さんです
井上準之助氏については
かなりサラッと
照会されていましたが
とんでもない
大物というか
日本の歴史にある意味
名前を刻まれるような
政治家だったんです
「井上さん」のお宅のアジサイを見るために
なんて気軽に訪ねられるような
お宅ではなかったのかも
奇跡でしたね
ぶっつけ大磯町
俳優・平泉成が神奈川県大磯町を訪ねる旅の後編。ガーデニングが趣味という平泉成は、人づてに聞いた「井上さん」のお宅のアジサイを見るために、訪ねることに。大磯は、吉田茂をはじめ政界の大物の邸宅が多いが、実はこのお宅も超大物政治家の子孫の家だった。恐縮しながら広大な庭を見学させてもらうことに…。さらに、海岸では釣り人と出会い、長年の趣味であるキス釣りを久しぶりに体験。鶴瓶は95歳の男性と出会って大恐縮…
出演
【司会】笑福亭鶴瓶,【出演】平泉成,【アナウンサー】小野文惠,【語り】常盤貴子,三宅民夫
井上準之助
井上準之助(いのうえ じゅんのすけ、1869年 - 1932年)は、大正から昭和初期にかけて活躍した日本の財政家・政治家です。日本銀行総裁を2度務め、大蔵大臣として金解禁を断行した人物として知られています。
生涯と経歴
大分県出身の井上は、東京帝国大学を卒業後、日本銀行に入行しました。ニューヨーク駐在などを経て、横浜正金銀行(現在の三菱UFJ銀行の前身の一つ)の頭取となり、その後、2度にわたって日本銀行の総裁を務めました。
政界には、大正12年(1923年)に第2次山本内閣で大蔵大臣として入閣したのが最初です。
金解禁と緊縮財政
井上準之助の最も大きな功績であり、同時に批判の対象ともなったのが、昭和恐慌の最中に実施した金融政策です。
当時の日本経済は、第一次世界大戦後の不況や関東大震災による震災恐慌の影響で混乱していました。井上は、外国との貿易で円の価値が不安定になっていることが原因と考え、国際的な信用を回復するためには、金本位制に復帰すべきだと主張しました。
この方針のもと、濱口雄幸内閣で大蔵大臣に就任すると、以下の政策を断行しました。
金解禁の断行: 昭和5年(1930年)、金の輸出を解禁しました。これにより、円の価値を戦前の水準に戻そうとしました。
緊縮財政: 金解禁を成功させるため、政府の歳出を大幅に削減し、予算を切り詰める徹底した緊縮財政を実施しました。
しかし、この時期に世界恐慌が日本にも波及し、井上の政策は日本のデフレーションをさらに加速させる結果となりました。多くの企業が倒産し、失業者が増大したため、井上財政は国民から激しい批判を浴びることになります。
最期と評価
昭和7年(1932年)、井上準之助は選挙応援の演説に向かう途中、血盟団員によって暗殺されました。これは、当時の不況に対する国民の不満や、右翼勢力の台頭を背景とした事件でした。
井上準之助の政策については、「世界の金融秩序に復帰しようとした、時代を先取りした優れた政策だった」という肯定的な評価と、「日本経済の実情を無視したことで、昭和恐慌を悪化させた」という否定的な評価があり、歴史家たちの間でも議論が続いています。しかし、強い信念をもって日本の財政再建に尽力した人物として、その功績は高く評価されています。
血盟団事件
血盟団事件は、1932年(昭和7年)に起きたテロ事件で、昭和初期の日本の政治状況を大きく揺るがした出来事の一つです。
事件の概要
この事件は、日蓮宗の僧侶である**井上日召(いのうえ にっしょう)**が主導し、彼に心酔した青年たちが実行犯となりました。
ターゲット: 「腐敗した政党政治家」や「富を独占する財閥」のトップを標的とし、「一人一殺(いちにんいっさつ)」を掲げて暗殺を企てました。
実行された暗殺:
1932年2月9日: 井上準之助元蔵相が、血盟団員の小沼正(おぬましょう)によって暗殺されました。井上準之助は金解禁を断行した際の緊縮財政で、国民から厳しい批判を浴びていました。
1932年3月5日: 三井財閥の総帥である団琢磨(だん たくま)が、菱沼五郎(ひしぬまごろう)によって暗殺されました。
事件の結末:
事件後、井上日召をはじめとする団員は逮捕されました。裁判では、彼らの行動の背景にある社会的な窮状が同情的に受け止められ、世論も彼らに寛容な姿勢を見せました。その結果、求刑よりも軽い刑罰が下されました。
事件の背景
血盟団事件が起きた背景には、当時の深刻な社会状況があります。
昭和恐慌と農村の疲弊: 1929年の世界恐慌の影響で日本経済も深刻な不況に陥り、特に第一次世界大戦後から悪化の一途をたどっていた農村部はさらに疲弊しました。貧困や失業が社会問題となり、政府や財閥に対する不満が渦巻いていました。
閉塞感と国家改造思想: 多くの若者たちは、既存の政治体制や社会構造に絶望的な閉塞感を感じていました。そのような中で、井上日召が説く日蓮主義に基づいた国家改造思想は、彼らにとって一つの救いとなりました。井上は、私利私欲に走る政治家や財閥を打倒し、天皇を中心とした健全な国家を樹立する必要性を訴えました。
事件が与えた影響
血盟団事件は、その後に続く昭和のテロリズムの序章となりました。
五・一五事件への影響: 血盟団事件のわずか2ヶ月後に、海軍青年将校らによって五・一五事件が発生し、犬養毅首相が暗殺されました。これらの事件は、軍部や右翼勢力によるテロリズムをエスカレートさせるきっかけとなりました。
政党政治の衰退: 立て続けの要人暗殺は、政党政治家への国民の信頼を失わせ、政党内閣の時代を終わらせる一因となりました。
軍部の台頭: テロ事件の背景にある国民の不満を巧みに利用した軍部は、世論の支持を背景に政治的な発言力を強めていきました。
血盟団事件は、日本の近代史において、テロリズムが政治に大きな影響を与え、民主主義が揺らぎ始めた時代の象徴的な出来事として記憶されています。
#平泉成 さんとの#神奈川県大磯町 の旅・後編
— 鶴瓶の家族に乾杯 (@nhk_kanpai) August 4, 2025
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平泉さんの旅のラストは
再び大磯の海へ🏄
そこでキス釣りに挑戦!
久々の釣りを楽しんでいました🎣
海がとても似合います✨#笑福亭鶴瓶#鶴瓶の家族に乾杯 pic.twitter.com/4yg7T8hDLK