七面倒くさい患者😢【連続テレビ小説】風、薫る(70)第14週「ウソと誠」
七面倒くさい患者
こんにちは
猫好き父さんです
あらすじ
手術を終えた山本(本田大輔)の容体は良くなく、さらに妻のテイ(伊勢佳世)から病院にある知らせが届く。迎えた花火の日。山本から家に帰りたいと言われたりん(見上愛)は…
出演者
【出演】見上愛,上坂樹里,古川雄大,本田大輔,伊勢佳世,英茉,【語り】研ナオコ
原作・脚本
【脚本】吉澤智子,【原案】田中ひかる
音楽
【音楽】野見祐二
山本「最後にひとつ、嘘をつかせてほしい」
— 朝ドラ「風、薫る」公式 (@asadora_nhk) July 2, 2026
担当患者・山本の嘘とは、
そして、りんが出す答えは……
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見上愛 本田大輔 pic.twitter.com/99ufCSK2xs
日常会話で「本当に七面倒くさい(しちめんどうくさい)」と言ったりしますが、文字で見ると「なぜラッキーセブンの『七』なんだろう?」と不思議になりますよね。
この「七」は、数字の7を数えているわけではなく、意味を極限まで強めるための「飾り(接頭語)」として使われています。
言葉の成り立ちと、なぜ「七」が選ばれたのかを分かりやすく紐解いてみましょう。
1. 「七面倒くさい」の意味
意味はご存じの通り、「非常に面倒くさい」「ひどく煩わしくて、やる気が起きない」です。単に「面倒」というよりも、障害が多くて手順がいくつもあり、考えるだけでウンザリするようなニュアンスが含まれます。
2. なぜ「七(しち)」なのか?
理由は大きく分けて3つの説がありますが、どれも「たくさん」「これ以上ないくらい」という強調の意味から来ています。
① 「ひどく」「たくさん」を表す江戸の流行語
江戸時代、言葉の頭に「七(しち)」をつけて、後ろの言葉をめちゃくちゃ強調する表現が流行しました。
「七難しい(しちむずかしい)」= 非常に気難しい、偏屈だ
「七汚い(しちきたない)」= 非常に汚らしい
数字の「七」は、仏教の「七難(しちなん:7つの災い)」や、慣用句の「七転び八起き」のように、「数が多いこと・あらゆる方向」を象徴する数字として昔からよく使われていました。そこから「ものすごく数が多い = ひどい」という意味の接頭語になったとされています。
② 語呂(テンポ)が良かったから
もう一つの有力な理由が、日本語としての「音の響きの良さ(語調)」です。
単に「面倒くさい」と言うよりも、「しちめんどうくさい!」と頭に「しち」をつけた方が、口に出したときに勢いが出ますよね。江戸っ子たちが「あぁ、しち面倒くせえ!」と、鬱憤を吐き出すようにリズム良く言ったことで定着したという説です。
③ 「質(しち)」からの変化説
質屋(しちや)に物を預けるときの、「質(しち)に入れるための手続きが非常に面倒だったから」というユニークな説もあります。
当時の質入れは、品物の鑑定や書類のやり取りなど、色々と細かくて煩わしい手順が必要でした。その「質(しち)の手続きの面倒くささ」が、いつしか数字の「七」に置き換わって「七面倒」になったというお話です。
まとめると…
「七」という数字がたくさんある状態(数が多い=大変)を意味し、さらに江戸っ子たちの「語気の良さ」が合わさって生まれた、最大級の「めんどくさい」を表す言葉が「七面倒くさい」です。
明治の庶民にとって、牛鍋(ぎゅうなべ)は単なる「新しいグルメ」を通り越して、「これを食べなきゃ時代遅れ!」というレベルの、強烈な文明開化のシンボルでした。
それまで200年以上も「四つ足の獣(牛や豚)を食べるのは穢(けが)れている」とされてきた日本において、牛鍋を食べることは「古い因習を捨てて、新しい明治の世に飛び込む儀式」のようなものだったのです。
当時の庶民が牛鍋をどう捉えていたのか、その熱狂ぶりをいくつかのみどころから紐解いてみましょう。
1. 「食べない奴はトウヘンボク(唐変木)」
当時のベストセラー作家・仮名垣魯文(かながきろぶん)が書いた『安愚楽鍋(あぐらなべ)』という本に、当時の雰囲気を象徴する有名な一節があります。
「牛鍋食わぬは開化不進奴(ひらけぬやつ)」
(牛鍋を食べないような奴は、文明開化に乗り遅れたトウヘンボクだ)
この言葉通り、当時の若者や流行に敏感な町人たちは、「自分は最先端の人間だ」とアピールするために、こぞって牛鍋屋(明治5年頃には東京だけで500軒以上あったと言われます)に足を運びました。あぐらをかいて、熱気のこもった店内で牛鍋をつつくのが、最高にクールなステータスだったのです。
2. ぶっちゃけ「臭い」との戦いだった
とはいえ、何百年間もまともに牛肉を食べてこなかった庶民たちです。最初は「牛肉は臭い、獣の匂いがする」と、かなり抵抗感がありました。
そこで、当時の料理人たちが工夫したのが「味噌」です。 現代のすき焼きは醤油・砂糖・酒をベースにした「割り下」が主流ですが、明治初期の牛鍋は、お肉の臭みを消すために「濃い目のネギと味噌」で煮込むスタイルが一般的でした。
この濃厚な味噌味が、江戸前(東京)の濃い味好みの庶民の舌に大ヒット。「これなら美味いじゃねえか!」と、一気にハードルが下がりました。
3. 実は「安くてお腹いっぱいになる」B級グルメ
「最先端のシンボル」と聞くと高級品に思えますが、実は庶民が通った牛鍋屋は、今でいう「牛丼チェーン」や「大衆居酒屋」のような立ち位置でした。
明治初期、1人前の牛鍋はだいたい「4文(現在の価値で100円〜200円程度)」や、その後の通貨で「1銭前後の格安」で提供する店もありました。
長屋に住む大工や職人、学生といったお金のない庶民でも、ちょっと小銭を握りしめれば手の届く価格帯だったのです。安くて、スタミナがついて、しかも「文明開化を体験している」という満足感が得られる。まさにコスパ最強のB級グルメとして愛されました。
4. 明治天皇の一言が決定打に
庶民がここまで大手を振って牛肉を食べられるようになったのは、明治5年(1872年)に明治天皇が自ら牛肉を召し上がったというニュースが新聞で大々的に報じられたからです。
「天皇陛下が召し上がったのなら、穢れなんて言っていられない。むしろ国を挙げて推奨されているんだ!」と、人々の心理的なブレーキが一気に外れ、牛鍋ブームは爆発的なものとなりました。
一言でいうなら…
明治の庶民にとっての牛鍋は、現代でいうなら**「日本に初めて上陸した海外の超有名ファストフードや最新ガジェット」のようなワクワク感があり、同時に「これを体験すれば、自分も新しい時代の一員になれる」という誇りを感じさせてくれる存在**だったのです。
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