10年後に復旧した熊本城を再訪して欲しいですね🏯ブラタモリ 熊本城復興SP▼78分拡大版・10年ぶりに熊本城へ、新発見も
10年後に復旧した熊本城を再訪して欲しいですね
こんにちは
猫好き父さんです
10年前に熊本城の放送回を観ました
まさかあの後で熊本地震が
起きるなんて思いもしませんでした
復旧にはまだまだ時間がかかりそうですね
10年後に復旧した熊本城を
またブラタモリで放送して欲しいですねえ
難しいかな
画像は公式からの引用です
ブラ熊本城再び
熊本地震の直前に訪れてから10年――タモリが、再び熊本城へ。10年前、番組で行った場所は今はどうなっているのか?膨大な石垣の積み直しや発掘調査の中で、次々と明らかになった新発見とは?先人の知恵と工夫を受け継ぎながら、復興の現場で奮闘する人々の思い、最前線から見えてきた熊本城の現在に迫ります。さらに被災前の熊本城の姿を記録した、10年前の貴重な番組映像もたっぷりお届け!78分の拡大版です。
出演者
【出演】タモリ,【アナウンサー】佐藤茉那,【語り】あいみょん
『ブラタモリ』(第34回)「熊本城 〜熊本城は“やりすぎ城”?〜」
2016年3月19日に放送された『ブラタモリ』(第34回)のテーマは、「熊本城 〜熊本城は“やりすぎ城”?〜」でした。旅のパートナーは桑子真帆アナウンサーです。
この放送のわずか約1ヶ月後(2016年4月)に熊本地震が発生したため、「震災前の美しい、ありし日の熊本城の姿を収めた極めて貴重な映像記録」としても、歴史的に大きな意味を持つ回となりました。
放送された主な内容と、タモリさんが解き明かした「やりすぎ」な仕掛けの見どころを振り返ります。
🏯 1. 旅のテーマ:「やりすぎ城」の謎
城づくりの名人として名高い戦国武将・加藤清正。彼が築いた熊本城には、敵を絶対に侵入させないための、現代の私たちが思わず「そこまでやるか!」と驚くような、用意周到すぎる(=やりすぎな)仕掛けが満載でした。タモリさんがその難攻不落の要塞のディープなエリアに挑みました。
🧱 2. 主な放送内容と見どころ
① 熊本城の象徴「武者返し(むしゃがえし)」の秘密
熊本城といえば、上に行くほど垂直に近くなる美しい石垣「武者返し」が有名です。
番組では、ただ登りにくいだけでなく「最初はなだらかで登れそうだと錯覚させ、敵を誘い込んでから、上部で絶望させて転落させる」という、清正による緻密な心理的トラップ(罠)のからくりが解説されました。
② 奇想天外な「闇り通路(くらがりつうろ)」
天守閣へと向かう途中、タモリさんたちは地下の薄暗い通路を通ります。これは「闇り通路」と呼ばれるもので、なんとお城の「本丸御殿」の真下を通る地下通路です。
御殿の地下をあえて通路にして敵を囲い込み、上からも攻撃できるようにした異例の構造に、タモリさんも大興奮していました。
③ 石垣に隠された「抜け穴」の謎
高さ10メートルほどの石垣の途中に、不自然なトンネル状の通路(石門)を発見します。当時は、有事の際の「脱出口(抜け穴)」としての役割が紹介され、清正のどこまでも抜かりない危機管理能力が浮き彫りになりました。
※この仕掛けは、のちの研究で「排水溝の役割も兼ねていた」など、さらなる新事実が判明することになります。
④ 城内だけじゃない!城下町に施された「やりすぎ」な道路
仕掛けは城の敷地内にとどまりません。タモリさんたちは城下町の通りにも繰り出します。
戦国時代の城下町は、敵の侵入を防ぐために「あえて見通しを悪くする(曲がり角を多くする)」のが常識でした。しかし、熊本の町には「あえて見通しの良い、まっすぐな大通り」が作られていました。 一見、敵に有利に見えるこの道路ですが、実は「攻めてきた敵を一直線上に並ばせ、城の高台から鉄砲や弓で一網打尽に狙い撃ちにするため」という、恐ろしい逆転の発想から生まれたからくりであることが明かされました。
💡 この放送が持つ特別な意味
この番組でタモリさんが絶賛した加藤清正の石垣や仕掛けは、放送から間もなくして起きた熊本地震で大きな被害を受けました。しかし、清正が築いた強固な基礎構造や「武者返し」の多くの部分は、地震の激しい揺れに耐え、まさに「難攻不落」の強さを証明することにもなりました。
現在、熊本城は長い歳月をかけて一歩一歩復興への歩みを進めています。2016年のこの放送は、傷つく前の熊本城の全貌と、先人たちの驚異的な知恵を当時のままに伝える、最高の教養エンターテインメント回でした。
熊本地震での熊本城の被害
2016年(平成28年)4月に発生した熊本地震は、最大震度7の激しい揺れが2度にわたって熊本地方を襲い、加藤清正の築城以来400年以上の歴史を誇る熊本城にも、歴史上かつてない規模の甚大な被害をもたらしました。
「難攻不落」と言われた名城がどのような被害を受けたのか、その実態と復興への歩みについて解説します。
💥 1. 主な被害の全貌
地震による激しい揺れは、天守閣だけでなく、城郭全体の石垣や重要文化財の櫓(やぐら)を大きく破壊しました。
① 天守閣の被害(大天守・小天守)
瓦が広範囲にわたって崩れ落ち、最上階の「鯱(しゃちほこ)」が両方とも落下・破損しました。
内部の柱や梁、壁にも亀裂が入り、構造自体が大きく歪む被害を受けました。
② 重要文化財の「櫓(やぐら)」の倒壊
熊本城内には江戸時代から残る重要文化財が13棟ありますが、その多くが被災しました。
東十八間櫓・五間櫓:石垣の崩落に伴い、建物ごと完全に倒壊してしまいました。
飯田丸五階櫓:建物を支えていた石垣の大部分が崩落。隅っこのわずか「石垣1列(一本)」だけで奇跡的に高層の櫓を支え続けた姿は、当時「奇跡の一本石垣」として世界中で大きな話題となりました。
③ 石垣の崩落(全体の約3割に被害)
熊本城の最大の武器であり、美しさの象徴でもあった石垣は、全53本の石垣のうち約3割(約3万平方メートル、石の数にして約10万個分)に及ぶ崩落や緩み、膨らみが発生しました。清正公の「武者返し」をもってしても、現代の連続した直下型地震の破壊力は防ぎきれませんでした。
🛠️ 2. なぜ「一本石垣」や多くの構造が耐えられたのか?
甚大な被害が出た一方で、熊本城の基本構造の多くは「完全崩壊」を免れました。そこには、400年前の加藤清正の知恵と、現代の最新技術の融合がありました。
清正流・石垣の「あそび」:
清正が作った石垣は、外側の綺麗な石の裏に「栗石(ぐりいし)」と呼ばれる無数の小さな小石が隙間なく詰め込まれていました。これが地震の揺れを逃がすクッションの役割を果たし、地盤の全崩壊を防ぎました。「奇跡の一本石垣」も、角(すみ)の石だけは「切込接(きりこみはぎ)」という極めて強固な噛み合わせで積まれていたため、最後まで崩れずに残ったのです。
瓦の「あえて落とす」設計:
天守閣の瓦がドサドサと落ちたのは、実は建物全体の重量を軽くして、柱や土台がポッキリ折れてしまうのを防ぐための先人たちの知恵(あるいは戦後の復元時の安全設計)でもありました。
🏗️ 3. 現在の復興状況とこれからの歩み
熊本城の復旧は、文化財としての価値を落とさないよう、「元の石を元の場所に戻す」という気の遠くなるような職人技の連続で行われています。
天守閣の復旧完了(2021年):
地震から5年後の2021年、天守閣の復旧工事が完了し、内部の一般公開が再開されました。最新の耐震技術(制震ダンパーなど)が組み込まれ、新しい鯱も屋根に設置されています。
石垣の「パズル」のような修復作業:
崩れ落ちた約10万個の石は、1個ずつナンバリングされ、地震前の写真や3Dスキャンデータと照合しながら、まるで巨大な立体パズルを解くように元の位置に積み直されています。
💡 完全復旧への道のり
天守閣はいち早く力強い姿を取り戻し、復興のシンボルとして人々を勇気付けていますが、城郭全体の完全な復旧(すべての重要文化財の櫓や石垣の修復)には、2052年度(地震から約36年後)までかかる見込みとなっています。
傷つきながらもなお威厳を保ち、少しずつ元の美しい姿を取り戻していく熊本城の姿は、現代の私たちに職人の知恵の偉大さと、防災への教訓を伝え続けています。
熊本城復旧基本計画
2016年の熊本地震で甚大な被害を受けた熊本城ですが、熊本市が定めた『熊本城復旧基本計画』に基づき、計画的な修復が進められています。
熊本城全体の完全復旧(重要文化財の櫓や全ての石垣の修復)に向けた最終ゴールは2052年度(令和34年度)とされており、約36年をかける長大なロードマップです。
このロードマップは、大きく「3つのフェーズ」に分かれて展開されています。それぞれの段階と現在の状況を解説します。
🏗️ 熊本城復旧の3段階ロードマップ
【第1段階】シンボルの早期復旧(2016年〜2021年)➔ 【完了】
被災直後、最優先されたのが市民の復興の象徴である「天守閣」の復旧でした。
主な成果:2021年春に天守閣(大天守・小天守)の復旧が完了。内部の一般公開がスタートし、最新の耐震技術を組み込んだ安全な見学ルートが整備されました。
【第2段階】主要な重要文化財・エリアの復旧(2022年〜2030年代前半)➔ 【現在進行中】
現在は、天守閣以外の「重要文化財(重文)の櫓」や「中心エリアの石垣」を、安全を確保しながら直していく非常に難度の高いフェーズにあります。
宇土櫓(うとやぐら)の解体・修理:
加藤清正が建てた「第3の天守」とも呼ばれる宇土櫓は、内部の破損が激しいため、一度建物を全て解体して組み直す「全解体修理」が行われています。2026年までに、変形した石垣や法面(のりめん)を安全に保つための一次工事が進められ、これから本格的な積み直しへと移行します。
「奇跡の一本石垣」飯田丸五階櫓の本体工事:
一本の石垣だけで奇跡的に耐えた飯田丸五階櫓は、安全な建物解体や石垣のマーク作業を経て、2026年度(令和8年度)からいよいよ本格的な本体の復旧工事へと着手されます。
見せる復興の推進:
修復中の宇土櫓などを外側から安全に見学できる「特別見学通路」が整備されており、「壊れた姿や修復の過程そのものを公開する」という独自のアプローチが現在も続けられています。
【第3段階】周辺の櫓・石垣の完全復旧(2030年代後半〜2052年度)➔ 【最終ゴール】
中心部の工事が落ち着いた後、城郭の周辺部にある残り多くの櫓や、まだ手をつけていない石垣の修復にじっくりと時間をかけていきます。
崩落した約10万個の石垣を「元の位置にパズルのように戻す」作業が最後まで続けられ、2052年度にすべての文化財的価値が元の姿に復元される計画です。
🛠️ なぜ36年もの歳月が必要なのか?
これほどの時間がかかる理由は、単に「建物を直す」のではなく、「歴史的・文化財的な価値を100%守りながら復元する」という極めて厳格なルールがあるためです。
石垣の1個ずつの検証
崩れた石垣は、3Dデータや過去の写真と照らし合わせ、1個ずつ「これが元々どこにあった石なのか」を割り出します。さらに、その石が再び再利用できる強度を持っているかを科学的にチェックするため、準備だけで膨大な時間を要します。
作業スペースの制約
熊本城は、入り組んだ三段構造の縄張り(設計)になっています。そのため、大型クレーンや重機を入れるための工事用道路(スロープ)を作るだけでも、現存する遺構を傷つけないよう細心の注意を払わなければならず、物理的に一気に工事を進めることができません。
💡 復旧計画のアップデート
熊本地震から10年が経過した現在、復旧の進捗(しんちょく)状況や、今後の「城内の段階的なエリア公開」の手法を再検証するため、『復旧基本計画』の改定に向けた検証業務なども進められています。
ただ立ち入りを禁止するのではなく、「今しか見られない400年前の職人の知恵」を観光資源として公開しながら進む熊本城のロードマップは、世界の文化財修復における先進的なモデルケースとなっています。
熊本城の復旧における「見せる復興(展示型復旧)」
熊本城の復旧における「見せる復興(展示型復旧)」とは、甚大な被害を受けた城内をただクローズ(立ち入り禁止)にして直すのではなく、「被災した痛ましい姿や、今しか見られない文化財の復旧プロセスそのものをリアルに公開し、観光・教育資源として活用する」という画期的な取り組みです。
単に工事現場を遠目から眺めるだけでなく、来城者が復興の歩みを間近で体感できるよう、以下のような具体的かつ妥協のない工夫が凝らされています。
1. 空中回廊「特別見学通路」の設置
「見せる復興」の最大の柱が、2020年に完成した全長約350メートルの「特別見学通路」です。復旧完了までの期間限定(2042年度までを予定)で設置された、地上約5〜7メートルの高さにある仮設の空中歩廊です。
工事動線との立体交差:
大型重機や工事車両が行き交うエリアの上を跨ぐように作られているため、「職人たちが作業するすぐ上から、安全に復旧現場を見下ろす」という、普段なら絶対に立ち入れない視点での見学を実現しています。
遺構を傷つけない設計:
特別史跡である熊本城の地面や遺構にダメージを与えないよう、石垣を大きく飛び越えるロングスパン構造などが採用され、建築・デザインの分野でも高く評価されています。
2. 職人の「伝統技法」を間近で観察できる
特別見学通路のすぐそばでは、重要文化財の櫓や石垣を直す職人たちのリアルな手仕事や、その準備工程の様子がダイレクトに公開されています。
石垣の「パズル」の保管場:
崩落した約10万個の石垣のうち、約2,500個がシリアルナンバーをつけられて整然と並ぶ「奉行丸(ぶぎょうまる)の石置き場」を上から見ることができます。これらを過去の写真と照合しながら元の位置に戻していくという、気の遠くなるようなプロセスを実感できます。
左官職人の作業や発酵の様子:
櫓の壁に塗る漆喰(しっくい)をすぐ近くの作業場で煮炊きしているため、煙が立ち上る様子や、土にわらを混ぜて1年以上寝かせる「壁土(かべつち)」の発酵プロセスを、シート越しに(時には独特の発酵臭とともに)肌で感じることができます。
3. 工事の覆い(素屋根)すらも見せる工夫
現在、全解体修理が行われている重要文化財「宇土櫓(うとやぐら)」などは、巨大な保護カバー(素屋根)で覆われています。
通常の工事現場であれば中が見えなくなるところですが、この素屋根の内部を有料エリアから「あえて中が透けて見える(シースルー)構造」にしています。これにより、解体・調査・組み立てが進む現場の熱量をそのまま来城者に届けています。
また、覆いの壁面には、地震前に堂々とそびえ立っていた当時の櫓の姿が映し出されており、過去と現在を対比できる演出もなされています。
4. 最新テクノロジー(耐震・AR)の見える化
歴史的な情緒を残すだけでなく、現代の最新技術がどう城を守っているかもオープンにされています。
耐震補強の露出展示:
2021年に復旧を終えた天守閣の内部では、地震の揺れを吸収する最新の「オイルダンパー」などの制振装置が、あえて見学者の目に見える形で露出して設置されています。これにより、歴史建築が現代の防災学習の場へとアップデートされています。
公式アプリによるAR(拡張現実)体験:
天守閣の最上階(6階展望フロア)などでスマホアプリをかざすと、明治初期に撮影された古写真の景色が、現在の復興中のリアルな景色に重なって表示されるシステムを導入しています。
💡 「見せる復興」がもたらす意味
この取り組みは、単に観光客を飽きさせないための仕掛けにとどまりません。
傷つき、壊れた姿を包み隠さずさらけ出すことで、「400年前の先人たちの知恵」と「現代の技術者たちの執念」のバトンタッチをリアルタイムで世界に発信し、復興への関心を風化させないための強力なシンボルとなっています。
400年越しの答え合わせ
熊本城の復旧工事は、傷ついた建物を直すだけでなく、「400年前の城のタイムカプセルを開けて、当時の最先端技術を科学的に検証する」という、歴史的・考古学的な大調査の側面も持っています。
壁を剥がし、石垣を1個ずつ解体していく中で、これまで定説とされていた歴史が覆ったり、加藤清正の本当の狙いが明らかになったりする「新事実」が次々と判明しています。主な事例をいくつかご紹介します。
🧱 1. 石垣の中に隠された「古い石垣」の発見(定説の覆り)
熊本城の石垣は、その美しいカーブや積み方から「すべて加藤清正が築いたもの」と考えられてきたエリアが多くありました。しかし、崩落した石垣の内部を調査したところ、驚くべき事実が判明しました。
「清正がゼロから作った」のではない事例:
天守閣の周辺など一部のエリアで、崩れた石垣の「真後ろ(奥)」から、さらに古い別の石垣が出土しました。これは、清正が城を築く前、中世にこの地を治めていた鹿子木(かのこぎ)氏や隈本城(古城)時代の遺構、あるいは清正自身が初期に作った石垣を、あとから「包み込むように(包石:つつみいし)」して現在の巨大な石垣へ拡張・補強した跡でした。
間違っていた認識:
「今見えている石垣の構造がすべて」と思われていましたが、実は「古い石垣の上にかぶせるように新しい石垣を積む」という、何重もの補強プロセスの歴史があったことが初めて視覚的に証明されました。
🪵 2. 宇土櫓の「創建時期」に関する新事実
加藤清正が建てた当時の姿をそのまま残す、現存天守クラスの重要文化財「宇土櫓(うとやぐら)」。これまでは「清正が熊本城を築城した際(1600年前後)に、最初からこの場所に建てたもの」と信じられていました。しかし、解体調査に伴う年輪年代測定などによって、新しい見方が浮き彫りになっています。
判明した事実:
櫓を構成する主要な木材(柱や梁)の伐採時期を最新技術で分析したところ、熊本城の本格的な築城期よりも少し古い時代や、別の場所から移築(リサイクル)された可能性を示すデータが検出されました。清正が関わった別の城(宇土城など)から解体して運んできたという伝承(移築説)が、単なる噂ではなく科学的な裏付けを持つものとして再評価されています。
🕳️ 3. 石垣の「抜け穴」の本当の正体
ブラタモリの放送時など、以前は「有事の際の脱出口(抜け穴)」や「隠し通路」として広く紹介されていた、石垣の途中にぽっかりと空いた不自然なトンネル(石門)。これも近年の詳細な構造調査によって、本来の目的が修正されました。
判明した事実:
この穴は、敵から逃げるための通路としての機能以上に、「城内の大量の雨水を一気に外へ逃がすための高度な排水・集水システム」であったことが判明しました。
情報がアップデートされた背景:
熊本城の広大な敷地に降る雨水は、土層を通り抜けて石垣の裏側に溜まると、水圧で石垣を内側から崩壊させてしまいます。清正はそれを防ぐため、石垣の奥に巨大な排水ルートを仕込んでいました。つまり「軍事的な秘密の穴」というロマンあふれる旧来の説明から、「城全体の崩壊を防ぐための超先進的な土木工学の結晶」へと情報の意味合いがアップデートされた事例です。
🪵 4. 豊臣秀吉への「忠義」と「裏の備え」
天守閣の内部や本丸御殿の構造を修復・調査する中で、清正が仕掛けた「二重の心理戦」の証拠がより明確になりました。
建築物の木材の組み方や、御殿の最奥にある格式高い部屋(昭君之間:しょうくんのま)の隠し通路などの構造を改めて検証した結果、清正がいかに「豊臣秀頼(秀吉の息子)をいつでもここに迎え入れ、徳川家康を相手に徹底抗戦するか」に全精力を注いでいたかが、建物の防衛設計のディテールから改めて実証されました。公には徳川に従うポーズを見せつつ、城の構造そのものが「秀吉への忠義」に満ちていたことが、修復現場の生々しい形跡から裏付けられています。
💡 まとめ
熊本城の復旧工事は、単なる「修繕」ではなく、歴史の教科書を書き換える「400年越しの答え合わせ」です。
2052年の完全復旧に向けて、これからも解体や発掘が進むたびに、「加藤清正の本当の凄さ」や、これまでの歴史の常識を覆す新しい大発見が飛び出してくるに違いありません。
熊本放送局時代の佐藤茉那(さとう まな)アナウンサー
NHKの佐藤茉那(さとう まな)アナウンサーは、2020年に入局し、最初の赴任先(初任地)が熊本放送局でした。2020年から2024年春までの約4年間を熊本で過ごしており、彼女にとって非常に思い出深い、アナウンサーとしての土台を作った場所です。
熊本放送局時代のアナウンサー活動や、ファンや地元の方々の間で有名なエピソードをいくつかご紹介します。
👩学 1. 『クマロク!』伝説の「セーラー服」姿
熊本放送局の夕方のニュース情報番組『クマロク!』では、リポーターやさまざまな企画を担当していました。
特に有名だったのが、番組内の「ことば塾」というコーナーです。佐藤アナはこのコーナーで毎回セーラー服姿の「講師」に変身し、正しい言葉遣いや日本語のアクセントを分かりやすく解説していました。新人時代の初々しさと弾けた演出は、地元の視聴者の間で大きな話題となりました。
⚾ 2. 女性アナウンサーとしては異例の「高校野球実況」
佐藤アナは、熊本局時代に高校野球のラジオ実況に挑戦しています。
2023年の「NHK旗高校野球大会」や「全国高等学校野球選手権熊本大会」の準決勝などで実況アナウンスを担当しました。スポーツ実況、特に野球の実況は高い専門スキルが必要とされるため、若手の女性アナウンサーが担当するのは全国的にも非常に珍しいケースです。彼女の確かなアナウンス技術と丁寧な試合描写は、野球ファンからも高く評価されました。
📝 3. 水俣病や災害報道と真摯に向き合った取材力
華やかなバラエティやリポートだけでなく、熊本が抱える歴史的・社会的な課題にも深く向き合いました。
特に、水俣病を語り継ぐ人々を取材したルポ「私の水俣日記」(ラジオ深夜便などで放送)では、自ら熱心に取材を重ね、被害者やその家族の言葉を丁寧にすくい上げました。また、2023年の大雨災害の際には熊本局から全国放送の特設ニュースで現地の緊迫した状況を伝えるなど、報道アナウンサーとしての実力もここで磨かれました。
🎹 4. 『街角ピアノ』で披露した腕前
趣味や特技が多彩な佐藤アナですが、熊本局時代にNHKの『街角ピアノ』関連の企画や地域イベントなどで、実際にピアノを演奏する姿を披露したことがあります。中・高時代に打ち込んでいたバトントワリングで培った表現力も相まって、彼女のマルチな才能が垣間見えるエピソードです。
💡 10年ぶりの『ブラタモリ』熊本城再訪へ
その後、広島放送局を経て東京アナウンス室へ異動し、『ブラタモリ』の旅のパートナーに抜擢された佐藤アナ。
『ブラタモリ』では、2016年の熊本地震直前にタモリさんが訪れて以来、10年ぶりとなる「熊本城の異例の再訪特番(2026年5月30日放送)」が組まれましたが、この大役に案内役として同行したのが他ならぬ佐藤アナでした。
彼女自身は「地震直後の熊本城は知らないのですが、住んでいた4年間、日々少しずつ復旧が進んでいるのを感じていました」と語っており、初任地である熊本への強い愛着を持ってタモリさんと一緒に再び熊本城のいまを見つめ直しました。
【 #ブラタモリ 78分拡大版 】
— NHK PR (@NHK_PR) May 29, 2026
🏯 熊本城 🏯
30(土)夜7:30[総合]
▼タモリさんからのメッセージを読む▼https://t.co/sOcSYPevGX
写真右から:
佐藤茉那(NHKアナウンサー)
タモリ
くまモン pic.twitter.com/SAddIl6cfG























