難しい決断💛【連続テレビ小説】風、薫る(76)第16週「新風吹くころ」
難しい決断
こんにちは
猫好き父さんです
あらすじ
捨松(多部未華子)からの提案に思い悩むりん(見上愛)。直美(上坂樹里)は、りん、美津(水野美紀)、環(英茉)にある提案をする。
出演者
【出演】見上愛,上坂樹里,英茉,水野美紀
原作・脚本
【脚本】吉澤智子,【原案】田中ひかる
音楽
【音楽】野見祐二
直美、環のお母さん宣言🙋♀️
— 朝ドラ「風、薫る」公式 (@asadora_nhk) July 13, 2026
りんが新潟で働いている間、環を東京で責任を持って育てると約束しました。
👇このシーンをもう一度https://t.co/UGFJq1YidF#朝ドラ #風薫る
上坂樹里 英茉 pic.twitter.com/kqKyMBtcXg
高田女学校(1888年〜1897年)
新潟県の上越市(旧高田市)にかつて存在した「高田女学校(1888年〜1897年)」は、明治時代中期、地方における女子教育の先駆けとして設立されたキリスト教(プロテスタント)系の私立女学校です。
わずか9年間という短い歴史でしたが、当時の最先端であるキリスト教主義の女子教育や、日本の看護の歴史に大きな足跡を残した人物との関わりなど、非常に中身の濃い歴史を持っています。
以下にその特徴や歩み、そして歴史的な意義を整理してご紹介します。
⛪ 1. 設立の背景と「女子学院」とのつながり
高田女学校は、明治21年(1888年)4月に開校しました。
女子学院の分校(姉妹校)
東京の高名なミッションスクールである「桜井女学校」(のちの新栄女学校との合併により現在の「女子学院」となる)の系列校として誕生しました。修業年限は4年で、開校当時は54名の生徒が在籍していました。
キリスト教主義と英語教育
当時、日本全国で女子教育やキリスト教伝道の熱が高まっており、宇都宮女学校やスミス女学校(現在の北星学園)などと並んで地方に設立されたミッション系女学校の一つでした。宣教師や、東京の女子学院を卒業した優秀な日本人女性たちがこぞって教壇に立ち、キリスト教の教えや最先端の英語・音楽などの専門教育を行いました。
🩺 大関和(ちか)と高田女学校
彼女は明治期に西洋式の近代的な看護を修めた日本初の「トレインド・ナース(正規の訓練を受けた看護師)」の一人であり、「明治のナイチンゲール」と称されるパイオニアです。
高田女学校や高田地域との関わり
1888年〜1890年(東京での活躍)
桜井女学校の看護婦養成所を第1期生として卒業後、帝国大学医科大学第一医院(現・東大病院)の初代外科看護婦長に就任。
1890年(高田女学校への赴任)
大学病院を退職後、新潟県の「高田女学校」に舎監兼伝道師として赴任。ここで学生たちの指導やキリスト教の伝道にあたりました。
1891年〜(知命堂病院での伝説的な活躍)
高田で暮らす中で、以前の恩師である医師・瀬尾原始と運命的な再会を果たし、彼が開院した「知命堂病院」の初代看護長に就任。地元の医療衛生の改善(特に感染症対策やトイレの衛生指導など)や、後進の看護婦育成に身を捧げました。
📺 2026年現在の朝ドラのモデルにも
2026年春から放送されているNHK連続テレビ小説『風、薫る』で、見上愛さん演じる主人公・一ノ瀬りんのモデルになっているのが、まさにこの「大関和(ちか)」さんです。
彼女がひとりで高田女学校の舎監を務め、さらに地元の知命堂病院の看護長として歴史を切り拓いていったのが史実です。
📉 3. わずか9年での閉校とその理由
志高く始まった高田女学校ですが、明治30年(1897年)4月、10年に満たない活動期間でその幕を閉じることになります。
授業料無料の公立校・仏教系学校との競合
当時はキリスト教への警戒感(排外主義)が強まり始めた時期でもありました。さらに、地域に授業料が無料である公立学校や、仏教系の女子学校などが設立されたことで生徒数が激減。深刻な経営難に陥りました。
宣教師たちの撤退とキリスト教布教の沈静化
1897年の閉校を期に、学校を支えていた外国人宣教師やキリスト教徒の日本人教師たちも高田の地を去ることになり、一時的にこの地域におけるキリスト教伝道活動は大きく縮小することとなりました。
⚠️ 歴史の混同に注意
新潟県上越市(高田)の女子教育の歴史を調べる際、よく以下の学校と混同されることがあります。
新潟県立高田北城高等学校(旧・中頸城郡立高田高等女学校 / 1900年創立)
上越高等学校(旧・女子裁縫学校、高田実科女学校 / 1904年創立)
これらは後に設立された公立・私立の学校であり、明治20年代に存在したキリスト教系の「高田女学校(1888-1897)」とは歴史的な系譜が異なる別の学校です。
💡 歴史の地層に眠るマイルストーン
わずか9年で廃校になってしまった高田女学校ですが、そこで蒔かれた「女性の自立」「キリスト教の人道主義」「近代的な医療・看護への意識」という種は、大関姉妹たちの活動を通じて上越の地や日本の看護界へと確実に受け継がれていきました。短命ながらも、明治の地方女子教育史においてキラリと光る、非常に重要な学校です。


















