島津藩と会津藩と黒羽藩💛【連続テレビ小説】風、薫る(5)第1週「翼と刀」
島津藩と会津藩と黒羽藩
こんにちは
猫好き父さんです
その出自を考慮すると
ある意味
そうそうたるメンバーですね
朝ドラは
あくまでも
フィクションなのですが
大山巌と捨松が
実名そのままに出てきたので
史実と照らし合わせて
ドラマを観ていくのも
面白いかなと思います
出会いもあるかもしれませんね
あらすじ
安(早坂美海)の縁談がなくなり、美津(水野美紀)も畑へ出て、りん(見上愛)たち一家は厳しい生活を送っていた。そんなある日、りんに見合い話が舞い込む。自分の身の振り方に悩むりんは、ひょんなことから鹿鳴館の華・大山捨松(多部未華子)と出会うことに・・一方、直美(上坂樹里)も捨松と大山巌(髙嶋政宏)の結婚披露の記事を読み、アメリカに興味を持ち始めていた…
出演者
【出演】見上愛,上坂樹里,小林虎之介,早坂美海,髙嶋政宏,多部未華子,原田泰造,水野美紀,【語り】研ナオコ
原作・脚本
【脚本】吉澤智子,【原案】田中ひかる
音楽
【音楽】野見祐二
鹿鳴館
明治時代、日本が「文明国」として世界に認められるために築き上げた、華やかで少し切ない社交の殿堂**『鹿鳴館(ろくめいかん)』**。
現在放送中の朝ドラ**『風、薫る』**の舞台である明治10年代後半から20年代にかけて、日本の外交と文化の象徴となったこの建物の功罪を、**リチャージ(整理)**して解説します。
1. 鹿鳴館の誕生:不平等条約改正への「翼」
1883年(明治16年)、外務卿・井上馨の主導によって、現在の千代田区内幸町に完成しました。
目的: 当時、日本が欧米諸国と結んでいた不平等条約を改正するため、「日本も西洋と同じレベルの文明国である」とアピールするための外交拠点が必要でした。
建築の美: 英国人建築家ジョサイア・コンドルによる設計で、煉瓦造り2階建ての豪華な洋館でした。夜な夜な舞踏会が開かれ、シャンデリアの下で燕尾服とドレスが舞う光景は、まさに**トランスフォーメーション(変革)**の象徴でした。
2. 「鹿鳴館時代」の光と影
華やかな舞踏会の裏側には、当時の日本が抱えていた苦悩と無理がありました。
「化けの皮」の外交?:
表面だけ西洋の真似をしても、中身が伴っていないという批判もありました。フランスの風刺画家ビゴーは、猿が西洋の服を着て踊る絵を描き、この「欧化政策」を痛烈に皮肉りました。
女性たちの挑戦:
慣れないコルセットで締め上げ、慣れないダンスを踊る貴婦人たち。しかし、彼女たちにとっては、それが「日本という国を背負って立つ」ための戦いでもありました。
3. 『風、薫る』の視点:看護と社交
ドラマの中で、りん(見上愛)たちが目指す「看護の専門性」と、鹿鳴館に集う「上流階級の社交」は、実は地続きの物語です。
博愛の精神:
鹿鳴館で舞踏会を楽しんでいた貴婦人たちは、後に「日本赤十字社」の篤志看護婦として、戦地や災害現場で活動することになります。華やかなドレスを脱ぎ捨て、白い看護衣に身を包んだ彼女たちの**インビジブル(不可視)**な覚悟。
文明の定義:
「踊ること」が文明なのか、「命を救うこと」が文明なのか。ドラマの中で、りんが鹿鳴館の華やかさを耳にしながら、泥にまみれてコレラと戦う姿は、真の近代化とは何かを私たちに問いかけています。
4. 鹿鳴館の終焉
1890年頃には欧化政策への批判が高まり、鹿鳴館時代は幕を閉じました。建物自体も後に払い下げられ、1940年には取り壊されてしまいました。
遺されたもの:
建物はなくなりましたが、そこで培われた国際儀礼(マナー)や、女性が社会の表舞台に出るという文化は、現代の日本にも確実に受け継がれています。
💡 結論
鹿鳴館は、**「不平等な現実を打破するために、慣れないステップを踏みながら必死に『文明』を演じた、明治という時代の背伸びと情熱が詰まった儚い夢の跡」**と言えます。
明治時代の「鹿鳴館の華」として名高い大山捨松(おおやま すてまつ)と、その夫であり「陸の元帥」と呼ばれた大山巌(おおやま いわお)。
会津藩の家老の娘と、薩摩藩の軍司令官。かつての「仇敵」同士が結ばれたこの結婚は、単なる個人のロマンスを超え、明治という新しい時代の精神を象徴する出来事でした。
お二人の人物像と、その結婚が世の中に与えた影響を**リチャージ(整理)**して解説します。
1. 人物像:対照的な二人の「和魂洋才」
大山捨松(1860-1919):知性と慈愛の先駆者
サバイバーの原点: 8歳で会津戦争を経験し、鶴ヶ城に籠城。不発弾の処理を助けるなど、凄惨な現場を目撃したことが、後の「看護」への情熱に繋がります。
日本人女性初の学士: 11歳で岩倉具視使節団に加わり渡米。アメリカのヴァッサー大学を卒業し、アジア人女性として初めて学士号を取得しました。
「鹿鳴館の華」: 帰国後、流暢な英語とフランス語、洗練されたマナーで社交界をリード。しかしその本意は、日本の婦人の地位向上と社会奉仕(ボランティア)にありました。
大山巌(1842-1916):鷹揚なる「無私」のリーダー
西郷隆盛の従兄弟: 薩摩の加治屋町出身で、西郷隆盛・従道兄弟とは家族同然に育ちました。
「ガマ坊」の包容力: 昼行灯を装いつつ、実は非常に聡明。日露戦争では満州軍総司令官として、「責任は私が取るから好きにやりなさい」と部下に全幅の信頼を置く究極のリーダーシップを発揮しました。
極めてモダンな感性: 日本人で初めてルイ・ヴィトンの顧客名簿に名を連ねるなど、西洋文化に深い理解がありました。捨松の自立した活動を全面的に支えた「良き夫」でもありました。
2. 結婚が明治の世の中に与えた影響
① 「会津と薩摩」の和解の象徴
戊辰戦争で直接戦火を交えた両藩の象徴的な人物が結婚したことは、国民に「明治という新しい国が一つになった」ことを強く印象付けました。
反対を押し切った愛: 山川家(捨松の実家)は猛反対しましたが、巌の誠実さと、捨松自身の「新しい時代を作る」という覚悟が実を結びました。
② 欧化政策の「ロールモデル」
鹿鳴館時代において、二人は「理想の西洋的夫婦像」として振る舞いました。
「化けの皮」ではない本物: 単にドレスを着るだけでなく、西洋の論理とマナーを真に理解していた二人の存在は、日本が文明国であることを諸外国に知らしめる大きな**翼(外交力)**となりました。
③ 日本初の「慈善活動(ボランティア)」の導入
捨松は巌の地位を最大限に利用し、日本初の「慈善バザー」を鹿鳴館で開催しました。
看護と教育への貢献: 集まった資金で日本初の看護学校(現・東京慈恵会医科大学付属病院看護専門学校)の設立を支援。また、親友の津田梅子が創設した「女子英学塾(現・津田塾大学)」の理事として、女子教育の発展に尽力しました。
💡 朝ドラ『風、薫る』とのリンク
現在放送中の『風、薫る』の主人公・りん(見上愛)が、明治という転換期で自らの専門性(看護)を確立しようと奮闘する姿は、まさに大山捨松が歩んだ道そのものです。
「隅々まで掃き清める」誠実さ:
捨松はアメリカで看護師の資格も取得していました。彼女が日本で看護教育を推進した根底には、会津戦争で負傷者を助けられなかった悔しさと、科学的な衛生管理こそが命を救うという信念がありました。りんの戦いもまた、捨松たちが蒔いた種が花開いたものだと言えます。
💡 結論
大山捨松と巌の結婚は、**「過去の憎しみを乗り越え、西洋の知恵を日本の土壌に根付かせようとした、明治という時代の『勇気』と『愛』の結晶」**でした。
📺#朝ドラ 【#風薫る】#大山巌 と“鹿鳴館の華”と呼ばれた #大山捨松 に出会ったりん。
— 朝ドラ「風、薫る」公式 (@asadora_nhk) April 2, 2026
この出会いがりんの人生に大きな風を吹かせます。
来週もお楽しみに。#見上愛 #多部未華子 #髙嶋政宏#風薫るオフショット
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