庭の千草(にわのちぐさ)と乙女心🌸【連続テレビ小説】風、薫る(39)第8週「夕映え」
庭の千草(にわのちぐさ)と乙女心
こんにちは
猫好き父さんです
年月が過ぎて
双六の上りが変化しても
変わらないものは
変わらない
乙女心
あらすじ
りん(見上愛)は医局を訪ね、千佳子(仲間由紀恵)の主治医・今井(古川雄大)にある相談をする。一方の直美(上坂樹里)はりんに頼まれた買い物帰りに、思わぬところで寛太(藤原季節)と再会する。
出演者
【出演】見上愛,上坂樹里,古川雄大,平埜生成,藤原季節,仲間由紀恵
原作・脚本
【脚本】吉澤智子,【原案】田中ひかる
音楽
【音楽】野見祐二
りんの提案で、病室ですごろくをすることに。
— 朝ドラ「風、薫る」公式 (@asadora_nhk) May 20, 2026
千佳子は少しずつりんに心を開いてくれているようです。
👇すごろく対決をするふたりを見るhttps://t.co/s3w5UHEpO7
見上愛 仲間由紀恵#朝ドラ #風薫る pic.twitter.com/CoIYttWIcQ
双六の上りの変遷
明治初期から中期・後期にかけての「すごろく(絵双六)」の「上り(ゴール)」の変遷は、明治時代の女性の社会的地位や、国家が求める「理想の女性像」のパラダイムシフト(文化・意味のレイヤーの書き換え)をそのまま映し出す鏡の役割を果たしていました。
明治初期には「奥様」だった上りが、時代とともにどのように変化していったのか、その興味深い変遷をたどります。
1. 明治初期:上りは「奥様」(家を仕切るトップ)
明治初期に流行した女性向けのすごろく(娘出世双六など)では、少女が成長して様々な習い事や奉公を経て、最終的に裕福な商家や武家の「奥様(後妻や正妻)」になることが最高の上りとされていました。
背景:
まだ江戸時代の価値観が色濃く残るこの時期、「女性の出世」とは、個人の能力で社会進出することではなく、「身分の高い、あるいは裕福な男性の家に嫁ぎ、その家政(奥向き)を仕切る存在になること」でした。そのため、豪華な衣装をまとって家の中に鎮座する「奥様」の姿が、当時の女の子たちの憧れのゴールだったのです。
2. 明治中期:上りは「良妻賢母」(国家の求める理想像)
明治20年代〜30年代に入ると、上りは「奥様」という個人の贅沢やステータスを意味するものから、「良妻賢母(りょうさいけんぼ)」という、より教育的・道徳的な記号へと変化します。
背景(国家による教育ハック):
明治政府が「教育勅語」を発布し、国家体制を整備していく中で、女性には「家を贅沢に仕切るボス(奥様)」ではなく、「夫を支え、国家を背負って立つ立派な子どもを育てる母親(良妻賢母)」であることが強く求められるようになりました。
すごろくの変化:
この時期のすごろくのゴールには、子どもに勉強を教えている姿や、質素倹約に励む美しい母親の姿が描かれるようになります。エンタメ(玩具)を通じて、幼少期から「国家に貢献する理想の女性像」を無意識のうちに刷り込む、一種の人心掌握のツールとしてすごろくが機能し始めた時代です。
3. 明治後期:上りは「女学生」や「職業婦人」(社会進出の黎明期)
明治30年代後半〜40年代(明治の終わり)にかけて、すごろくのゴールは家の中を飛び出し、「近代的な教育を受ける姿」や「社会で自立する姿」へとドラマチックに変貌を遂げます。
「女学生」がゴールに:
女子高等師範学校や私立の女子大学が設立され、袴(はかま)を穿いて自転車に乗るような「女学生」が時代の最先端のアイコン(憧れの的)になりました。すごろくの上りも「結婚して奥様になること」ではなく、「高等教育を修めて卒業すること(女学生)」そのものがゴールに設定されるケースが登場します。
「職業婦人」への萌芽:
さらに明治末期になると、看護師(当時は看護婦)や通信手(タイピスト、電話交換手)、音楽家など、「自らの技術で社会に出て働く女性(職業婦人)」の姿が上りや、上りに直結する重要なマスとして描かれるようになります。
💡 結論:すごろくの変遷は「女性の自由へのベクトル」
明治時代のすごろくの上りの変遷をまとめると、以下のようになります。
【明治初期】 家の中の権力(奥様)
▼
【明治中期】 国家への貢献(良妻賢母)
▼
【明治後期】 個人の自立・知性(女学生・職業婦人)
娯楽メディアが人心(特に子どもたちの価値観)を方向付けるのに有効であることは前述の通りですが、明治のすごろくはまさに、「女の子たちが将来どこを目指して生きるべきか」という人生の夢リスト(羅針盤)を、時代ごとの社会の要請に合わせてアップデートし続けていたメディアだったと言えます。
「結婚して家に入るのが最高の成功」とされた時代から、わずか数十年の間に「勉強して社会に出るのが格好いい」とされる時代へ。すごろくという1枚の紙のゲームの中で起きていたこの変化は、当時の女性たちが手に入れようとしていた新しい生き方の希望そのものだったのかもしれませんね。
庭の千草(にわのちぐさ)
明治初期の教育改革と西洋音楽の導入を象徴する唱歌「庭の千草(にわのちぐさ)」は、切なくも美しい旋律と日本語歌詞の妙によって、1000年経っても色褪せない古典のように今なお愛され続けている名曲です。
先ほどお話しした「娯楽メディアによる人心掌握」や「明治時代の価値観の刷り込み」というテーマとも深く交差するこの曲について、その背景と構造を紐解きます。
1. 原曲はアイルランド民謡「夏の名残のバラ」
この曲のメロディは、もともとアイルランドの古い民謡(「ブラーニーの木立」などの諸説あり)をベースに、国民的詩人トマス・ムーアが作詞した『The Last Rose of Summer(夏の名残のバラ)』という楽曲です。
原曲の世界観:
夏の終わりに、仲間たちがみんな散ってしまい、庭にたった一輪だけ残された哀れなバラの美しさと孤独を歌った、非常にロマンチックで哀愁を帯びた曲です。
世界的な流行:
この曲はヨーロッパ中で大ヒットし、ドイツの作曲家フロトーのオペラ『マルタ』に挿入されたり、メンデルスゾーンがピアノ曲に編曲したりするなど、クラシック音楽の世界でも広く愛されていました。
2. 明治新政府による導入:最初のタイトルは「菊」
明治17年(1884年)、文部省が発行した日本最初の本格的な音楽教科書『小学唱歌集 第三編』に、この曲が掲載されました。
バラから「菊」への大胆なローカライズ:
当時の日本には、西洋の「バラ」を愛でる文化はまだ一般的ではありませんでした。そこで、文部省音楽取調掛の伊沢修二らが大まかな訳を作り、国学者・和学者である里見義(さとみ ただし)が極めて格調高い日本語の歌詞へと翻案しました。 西洋の「夏の終わりのバラ」を、日本の秋を象徴し、気高さの象徴でもある「秋の終わりに遅れて咲く白菊」へと見事に日本の情緒(文化・感覚レイヤー)に翻訳したのです。
タイトルが変わった理由:
発表当時の正式な曲名は「菊」でした。しかし、先ほどの「仰げば尊し」などと同様、人々が学校で習う中で、歌い出しの「♪庭の千草も〜」のフレーズがあまりにも強烈に脳の記憶レイヤーに定着したため、いつしか通称であった『庭の千草』が正式な曲名として定着していきました。
3. 歌詞に込められた明治の「人心ハック(徳性の滋養)」
この美しい歌詞の後ろには、明治政府が「歌(メディア)」を通じて国民に刷り込もうとした、ある明確な道徳教育(イデオロギー)が隠されています。
『庭の千草』 歌詞(一部)
庭の千草も 虫の音も 枯れて寂しく なりにけり
ああ白菊 ああ白菊 ひとり遅れて 咲きにけり
露にたわむや 菊の花 霜におごるや 菊の花
ああ哀れ哀れ ああ白菊 人の操(みさお)も かくてこそ
注目すべきは、2番の最後にある「人の操も かくてこそ」という一節です。
「操(みさお)」とは、自分が信じた正しい節操や、お国への忠義、道徳心を守り通す強い心を意味します。
周りの草花(千草)が秋の寒さで次々と枯れ果てていく中で、冷たい霜にも負けず、ただ一輪美しく凛と咲き誇る白菊の姿。それと同じように、「人間たるもの、世の中の流行や困難に流されることなく、気高く自らの正しい節操(操)を守り通すべきである」という強い教訓が込められています。
明治政府は、西洋の美しいメロディ(感覚レイヤー)で子どもたちをうっとりさせつつ、この「人の操も〜」という歌詞(文化的・道徳的レイヤー)を無意識のうちに脳に刷り込むことで、「国家を支える気高く従順な近代国民」を育てようとしたわけです。
💡 結論
明治の唱歌「庭の千草」とは、アイルランドの美しい音楽的インフラを借りつつ、日本の和歌のような伝統的自然観と、明治政府の道徳教育をパズルのように完璧に融合させた、きわめて洗練された「音楽メディア」の傑作です。
純粋に音楽として聴けば「もの悲しくも美しい秋の歌(生物・感覚の癒やし)」でありながら、そこには明治という国が歩み始めたばかりの「背筋を伸ばして生きよ」という強いメッセージが、白菊の凛とした姿に託されて息づいています。




















