廃娼運動💛【連続テレビ小説】風、薫る(50)第10週「疾風に勁草(けいそう)を」
廃娼運動
こんにちは
猫好き父さんです
日本の悪習
りんは
どのように立ち向かうんでしょうねえ
しかし
本筋じゃないですよね
あらすじ
直美(上坂樹里)が夕凪(村上穂乃佳)を看護していると、女郎屋の権田(梅垣義明)が現れ、夕凪を力づくで連れ戻そうとする。その時ヨシ(明星真由美)が病室に現れて…。りん(見上愛)は夕凪を救う手立てを考えるが…。
出演者
【出演】見上愛,上坂樹里,佐野晶哉,飯尾和樹,内田慈,梅垣義明,村上穂乃佳,坂東彌十郎,研ナオコ
原作・脚本
【脚本】吉澤智子,【原案】田中ひかる
音楽
【音楽】野見祐二卯三郎「その女郎ひとり助けても遊郭の仕組みは変わりません」
— 朝ドラ「風、薫る」公式 (@asadora_nhk) June 4, 2026
夕凪を助けるため相談に来たりんに厳しいことを言う卯三郎ですが、もっと大きな視点でのアドバイスをくれました。
👇卯三郎さんのアドバイスは?https://t.co/uoQRFazVeo[見逃し配信中]
見上愛 坂東彌十郎#朝ドラ #風薫る pic.twitter.com/uqI8XhmdP1
廃娼運動(はいしょううんどう)
「廃娼運動(はいしょううんどう)」とは、国家が売春を公認・管理するシステム(公娼制度)に反対し、その廃止を求めた社会運動です。
日本では主に明治時代から昭和初期にかけて、キリスト教指導者、女性解放運動家、知識人らが中心となり、人権擁護や女性の地位向上、社会道徳の確立を目指して激しい運動が展開されました。
その思想的な背景や、日本の歴史における具体的な歩みについて解説します。
⚖️ 1. 廃娼運動の思想的な背景
運動を推し進めた人々は、公娼制度(主に遊郭や芸妓・娼妓のシステム)に対して、以下のような観点から不当性を訴えました。
人道主義・人権蹂躙(じゅうりん)への反対
当時の娼妓(しょうぎ)の多くは、貧困に喘ぐ親が業者から「前借金(ぜんしゃくきん)」を受け取り、その返済のために娘を売り飛ばすという「人身売買」に近い構造でした。これは人間の尊厳を傷つける奴隷的な拘束であるとして、人道的な見地から激しく批判されました。
国際的・キリスト教的な道徳観
欧米のキリスト教的な一夫一婦制や純潔思想が日本に流入したことで、国が「性の売買」をお墨付きとし、そこから税金(平価税など)を徴収することに対する道徳的な反発が強まりました。
一親一得の権利(公娼制度の廃止)
女性解放運動の視点からは、男性の放蕩を容認し、女性のみを性の道具として搾取する不平等な社会構造を変革するための重要な一歩として位置づけられました。
⏳ 2. 日本における廃娼運動の歴史
日本の廃娼運動は、いくつかの時代的な波を経て、最終的に戦後の公娼廃止へと繋がっていきます。
① 明治初期:足がかりとなった「マリア・ルス号事件」
1872(明治5)年、横浜港に停泊中だったペルー船「マリア・ルス号」内の清国人(中国人)苦力を、日本政府が人道支援として解放する事件が起きました。
これに対しペルー側から「日本も娼妓という人身売買(奴隷制度)を容認しているではないか」と矛盾を突かれ、明治政府は国際的体裁を整えるため、急遽「芸娼妓解放令(牛馬切りほどき令)」を出しました。これにより形式上は借金が帳消しされ、前借金による身柄拘束は禁止されましたが、実際には業者が「貸座敷」と名前を変えて営業を継続したため、実質的な解決には至りませんでした。
② 明治中期〜後期:キリスト教徒と「マリアの会」
1880年代以降、本格的な組織運動が始まります。イギリスの廃娼運動の影響を受けたキリスト教指導者(矢島楫子など)や、日本キリスト教婦人矯風会(きょうふうかい)が中心となり、国会への請願運動を展開しました。
「自由廃業」の確立(1900年)
1900(明治33)年、娼妓が自分の意思で仕事を辞めることを認める「娼妓取締規則」が制定されました。それまでは業者の承諾(または借金の完済)がなければ辞められませんでしたが、新聞記者・山室軍平(救世軍)らの命がけの支援もあり、法的に「自由廃業」の権利が認められ、実際に多くの女性が遊郭を去るきっかけとなりました。
③ 大正・昭和初期:地方での勝利と全国的な高まり
大正デモクラシーの機運が高まると、運動はさらに大衆化し、政治的な広がりを見せます。新婦人協会(市川房枝ら)などの女性解放運動や、全国的な組織である「日本廃娼連盟」が結成されました。
地方自治体での公娼廃止
1920年代から30年代にかけ、地方議会への粘り強い働きかけにより、群馬県、埼玉県、秋田県、福井県など、いくつかの県議会で「公娼制度廃止」の決議案が可決されるという画期的な成果を上げました(※ただし、日中戦争から太平洋戦争への突入に伴い、戦時体制の中で運動は衰退・圧殺されることになります)。
④ 戦後:ついに迎えた「売春防止法」の制定(1956年)
長年の運動が実を結んだのは、第二次世界大戦後のことです。
1946(昭和21)年、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)からの指令により、ついに日本の公娼制度は法的に廃止されました。しかし、その後も「赤線(あかせん)」と呼ばれる半公認の地域で売春が続けられたため、市川房枝を中心とする女性議員らが国会で激しい立法闘争を展開。
ついに1956(昭和31)年、「売春防止法」が制定(施行は1958年)され、日本における「国が売春を管理・容認する時代」は正式に終焉を迎えました。
🌍 3. 国際的な視点
廃娼運動は日本独自のものではなく、19世紀後半にイギリスのジョセフィン・バトラーらが起こした運動が源流にあります。
国際連盟、そして現在の国際連合でも「人身売買及び他人の売春の搾取の禁止に関する条約(1949年)」などが採択されており、廃娼運動が掲げた「人間の尊厳を守り、性搾取をなくす」という理念は、現代の国際的な人権基準や、セクシャル・ウェルネス、ジェンダー平等の議論の基礎を築いた重要な歴史的プロセスとして評価されています。




















