圧巻の火まつり🔥miletさんがナレーション🎤Dearにっぽん「デジタル村民とつくる未来~新潟・旧山古志村~」
Dearにっぽん「デジタル村民とつくる未来~新潟・旧山古志村~」
こんにちは
猫好き父さんです
メタバースに
過疎の村
そして
miletさん
画像は公式からの引用です
圧巻の火まつりでした
これがなくなるとは
さみしいことですね
50mもの巨大な火柱! 古志の火まつりで「日本一のさいの神」を見上げよう
初回放送日:2023年4月30日
19年前の地震で被害を受け、過疎化が止まらない新潟県旧山古志村。命運を賭けたのは、外の人たちに仮想空間で村民になってもらうという奇策。地域の未来は?
新潟県旧山古志村。19年前、新潟県中越地震が村を襲った。その後、高齢化が進み、人口減少に歯止めがかかっていない。この状況を打破しようと、地域づくり団体代表の竹内春華さんはある奇策に打って出た。「デジタル村民」を募り、仮想空間=メタバースなどで地域再生アイデアを出してもらうというものだ。3月、地域の誇り「古志の火まつり」がその歴史に幕を閉じた。デジタル村民が出した、未来へと続くアイデアとは。
明日4/30(日) 8:25〜 放送
— milet(ミレイ) (@milet_music) April 29, 2023
NHK総合『#Dearにっぽん 』
「デジタル村民とつくる未来〜
新潟・旧山古志村〜」
ナレーションをさせていただきました。
仮想空間(メタバース)を駆使し、村の過疎化からの脱却を目指します。アイデアひとつひとつに、この場所への強い愛を感じました。ぜひごらんください🍆 https://t.co/c5rqgau7ba
新潟・旧山古志村について:棚田、錦鯉、闘牛、そして復興の歩み
旧山古志村は、新潟県長岡市に編入された地域で、かつては独立した村でした。中山間地特有の美しい棚田の風景、世界的に有名な錦鯉の発祥地、そして勇壮な牛の角突き(闘牛)など、独自の文化と暮らしが息づいていましたが、2004年の新潟県中越地震で甚大な被害を受け、全村避難を経験したことで全国にその名を知られることになりました。
地理と歴史
地理: 長岡市の中央部に位置し、標高150mから450m程度の山々が連なる中山間地域です。谷筋ごとに小さな集落が点在しており、その間に棚田が広がります。土砂崩れが頻繁に発生する地質でもあります。
歴史: 縄文時代には既に人が住んでいた痕跡があり、村として史料に登場するのは江戸時代初期です。江戸時代後期には錦鯉の原型が作出され、牛の角突きも娯楽として定着しました。1956年(昭和31年)に周辺の村が合併して「山古志村」が誕生しましたが、2005年(平成17年)に長岡市に編入合併され、現在は「長岡市山古志地域」となっています。
旧山古志村の主な特徴・文化
旧山古志村は、独自の風土と人々の暮らしから生まれた、他にはない文化を持っています。
棚田の風景
山古志の棚田は、何世紀にもわたって人々の手で山肌を切り開いて築き上げられてきたものです。棚田のため池は、米作だけでなく、錦鯉の養殖にも利用され、山古志ならではの水鏡のような美しい景観を作り出しています。
錦鯉の発祥地
山古志は「錦鯉発祥の地」として世界的に有名です。食用として飼われていた真鯉の中から、江戸時代末期には紅白や頬赤などの色鯉が生まれ、明治期には黄写しや浅黄などの新種も作出されました。その美しさから「泳ぐ宝石」と称され、現在も世界中の錦鯉愛好家から高い評価を受けています。
牛の角突き(うしのつのつき)
1000年以上の歴史を持つとされる伝統行事で、国の重要無形民俗文化財にも指定されています。体重1トンもの巨体がぶつかり合う迫力ある闘いですが、牛が傷つかないように「勢子(せこ)」と呼ばれる男たちが牛の間に入って引き分けにするのが特徴です。
震災後もこの伝統は守り継がれ、地域を象徴する行事として親しまれています。
新潟県中越地震と復興の歩み
旧山古志村の歴史を語る上で避けて通れないのが、2004年(平成16年)10月23日に発生した新潟県中越地震です。
甚大な被害と全村避難: 震度6強(震源に近い川口町では震度7)の激震が山古志村を襲い、大規模な地すべりや斜面崩壊が3000箇所以上で発生。道路は寸断され、村は孤立状態となりました。特に、芋川が土砂でせき止められ「天然ダム」が複数形成されたことで、決壊の恐れが生じました。
地震発生から2日後の10月25日には、人口約2100人の全村民がヘリコプターで長岡市内の避難所に運ばれるという全村避難の措置が取られました。
「帰ろう山古志へ」: 全村避難後、多くの村民が村に戻れるのか不安を抱える中、当時の長島忠美村長(後に衆議院議員)が「帰ろう山古志へ」というキャッチフレーズを掲げ、村民の帰村への思いを繋ぎました。避難所や仮設住宅でも集落単位での生活を維持し、日頃の人間関係を保つ努力が続けられました。
復興と現在の姿: 避難指示は2007年4月1日にほぼ全域で解除され、多くの住民が村に戻ってきました。震災で壊滅的な被害を受けた棚田や錦鯉の養殖池も、時間をかけて復旧・復興が進められています。
震災から20年が経ち、人口は当時の約3分の1に減少しましたが、地域コミュニティは強く結びつき、新たな挑戦も始まっています。
デジタル村民とメタバース
近年、旧山古志村では、地域の活性化と持続可能性を目指して革新的な取り組みが行われています。
「デジタル村民」: 2021年には、錦鯉のデジタルアート(Nishikigoi NFT)を「電子住民票」として販売し、購入者を「デジタル村民」として認定するプロジェクトを開始しました。デジタル村民は、メタバース空間で交流したり、村の重要事項を話し合う「総選挙」に参加したりするなど、現実世界と連携した村づくりに参画しています。
メタバース空間での交流: 首都圏からも遠い中山間地域のハンディキャップを克服し、全世界とのつながりを生み出す新たな試みとして注目されています。現実の人口を超えるデジタル村民が、山古志の未来を共に考える存在となっています。
旧山古志村は、困難な災害を乗り越え、伝統文化を守りながらも、新しい技術を取り入れて未来を切り開こうとしている、稀有な地域です。
古志の火まつりについて:旧山古志村の冬を彩る伝統行事
「古志の火まつり」は、新潟県長岡市山古志地域(旧山古志村)で毎年3月初旬に開催されていた、冬の風物詩ともいえる伝統的なお祭りです。その年の無病息災、五穀豊穣、そして新潟県中越地震からの復興を祈願して行われていました。
歴史と目的
このお祭りは1988年(昭和63年)に、冬の山古志地域を盛り上げようと種苧原(たねすはら)地区で始まりました。各集落で「さいの神(どんど焼き)」が行われる小正月の行事を、地域全体で大規模に行う形で発展しました。
主な目的は、以下のような願いを込めることでした。
無病息災・五穀豊穣: 伝統的なさいの神と同じく、一年間の健康と豊作を祈願します。
震災からの復興祈願: 2004年の新潟県中越地震で甚大な被害を受けた山古志地域にとって、このお祭りは単なる伝統行事以上の意味を持ち、災害に負けない心意気と復興への願いを込める場となりました。震災後も長岡市内の会場に移して継続され、2008年には再び山古志地域での開催を実現し、復興をアピールし続けました。
特徴・見どころ
古志の火まつりの最大の特徴は、そのスケールの大きさです。
「日本一のさいの神」
高さ約25メートル、直径約10メートルという、8階建てのビルに相当する巨大な「さいの神」が作られます。
この巨大なさいの神に、その年の新成人たちが点火を行います。火がつけられると、真っ白な雪原に力強く舞い昇る高さ50メートルにも届くほどの火柱が夜空を焦がし、幻想的で迫力満点の光景が広がります。
雪中花火
さいの神の点火後には、雪中花火が打ち上げられ、夜空と燃え盛る炎を鮮やかに彩ります。雪景色の中での花火は、通常の夏の夜空とは一味違う幻想的な美しさがあります。
雪中闘牛大会
山古志のもう一つの伝統文化である「牛の角突き」が、雪の中で開催される「雪中闘牛大会」も人気のアトラクションでした。雪上で巨体がぶつかり合う迫力は圧巻です。
多彩なイベント
会場では、飲食テント村で山古志の特産品が味わえたり、ステージショー、雪上車乗車体験、ちびっこ広場、臨時アルパカ牧場など、子どもから大人まで楽しめる様々なイベントが催されていました。
会場
主に山古志地域の中でも山深い種苧原(たねすはら)にある「四季の里古志」周辺の特設広場を会場としていました。
祭りの休止と今後の展望
残念ながら、この「古志の火まつり」は、地域の人口減少と高齢化が進み、さいの神の材料となるカヤ集めや運営に関わる人手不足が深刻化したため、2023年3月11日の開催を最後に、35年の歴史に幕を下ろし休止となりました。
しかし、山古志地域では、まつりが生んだ交流を大切にしつつ、日本農業遺産に認定されている棚田や錦鯉を育てる棚池のライトアップなど、新たなイベントや魅力発信の取り組みが検討・実施されており、形を変えて地域の活性化を図ろうとしています。
古志の火まつりは、山古志の人々が自然と共に生き、災害を乗り越えてきた歴史、そして未来への願いを込めた、非常に意義深いお祭りでした。
milet×MAN WITH A MISSION「コイコガレ」MUSIC VIDEO(テレビアニメ「鬼滅の刃」刀鍛冶の里編 エンディングテーマ)


















