小泉八雲が誕生するために👻【連続テレビ小説】ばけばけ(112)第23週「ゴブサタ、ニシコオリサン。」
小泉八雲が誕生するために
こんにちは
猫好き父さんです
まさかね
銀二郎さんの籍を抜いていなかったとはね
あらすじ
トキ(髙石あかり)と勘太と家族になるために、ヘブン(トミー・バストウ)は日本人になることを決める。2人が籍を入れるためには松江市役所での手続きが必要。トキとヘブンは、司之介(岡部たかし)、フミ(池脇千鶴)を連れ久しぶりに松江を訪れる。それは、錦織(吉沢亮)との再会を意味していた。松江を訪れた一行は、まずは宿をとりに懐かしの花田旅館を訪れる。
出演
【出演】髙石あかり,トミー・バストウ,吉沢亮,生瀬勝久,佐野史郎,池脇千鶴,池谷のぶえ,岡部たかし,円井わん,濱正悟,岩崎う大,野内まる,杉田雷麟,吉田正幸,片桐善埜,土井嶺
【作】ふじきみつ彦
【音楽】牛尾憲輔
日本の戸籍制度
日本の戸籍制度には、大きく分けて**「古代の始まり」と「近代の確立」**という2つの大きな転換点があります。
それぞれの時代背景と役割をスマートに**リチャージ(整理)**して解説します。
1. 古代:律令国家の誕生(7世紀)
日本で最初の全国的な戸籍が作られたのは、飛鳥時代のことです。
庚午年籍(こうごねんじゃく / 670年):
天智天皇の時代に作られた、日本最古の全国的な戸籍です。
目的: 氏姓(うじかばね)の確定や、徴兵・租税(税金)の管理が主な目的でした。
体幹(コア): 永久保存が命じられた重要な台帳でしたが、平安時代以降、律令制の崩壊とともに全国単位の戸籍は一旦姿を消してしまいます。
庚寅年籍(こういんねんじゃく / 690年):
持統天皇の時代に作られた、より精度を高めた戸籍です。
2. 近代:明治維新と国家基盤(19世紀)
私たちが現在使っている戸籍制度の直接のルーツは、明治時代にあります。
壬申戸籍(じんしんこせき / 1872年・明治5年):
明治4年に制定された「戸籍法」に基づき、翌明治5年に編製された日本初の近代的な戸籍です。
名称の由来: 編製年の干支が「壬申(みずのえさる)」だったことにちなみます。
トランスフォーメーション(変革): 江戸時代の「宗門人別改帳(しゅうもんにんべつあらためちょう)」というバラバラな記録を統合し、全国一律の基準で「国民」を把握するための基盤となりました。
注意点: 壬申戸籍には当時の身分(士族、平民など)が記載されており、差別問題に繋がる恐れがあるため、現在は各地方法務局で厳重に保管され、一般の閲覧は固く禁じられています。
3. 戦後のリブート(1948年・昭和23年)
現在の戸籍制度は、終戦後の昭和23年に大きな**リブート(再構築)**を経験しています。
「家」から「夫婦」へ:
それまでは「戸主」を筆頭とする大家族(家制度)が単位でしたが、新しい憲法のもとで「夫婦とその未婚の子供」を一つの単位とする現在の形に変わりました。
💡 結論
日本の戸籍は、**「670年に古代国家の礎として誕生し、1872年に近代国家として復活・確立された、世界でも稀な長い歴史を持つシステム」**です。
明治時代、外国人が日本の戸籍に入る(日本国籍を取得する)ための手続き
明治時代、外国人が日本の戸籍に入る(日本国籍を取得する)ための手続きは、現在の「帰化」とは異なる独自の制度や制限がありました。
特に、**「1899年(明治32年)の国籍法」**の成立前後で大きくルールが異なります。その歴史的な変遷をスマートに解説します。
1. 明治初期:結婚や養子縁組による「入籍」
国籍法ができる前の明治初期は、「帰化」という独立した手続きよりも、日本人家族の一員になることで戸籍に入るケースが主流でした。
内外人婚姻条規(1873年・明治6年):
外国人女性が日本人男性の妻になる場合:自動的に日本国籍を取得し、夫の戸籍に入りました。
外国人男性が日本人女性と結婚し、**「入夫(にゅうふ:女戸主の夫)」や「婿養子(むこようし)」**になる場合:政府の許可を得ることで日本国籍を取得し、戸籍に入ることができました。
トランスフォーメーション(変容):
当時の日本は不平等条約の改正を目指していたため、外国人が日本の法律(戸籍)に従うことを示すことは、国家の主権を主張する重要な意味を持っていました。
2. 明治32年(1899年):初代「国籍法」の誕生
本格的な近代法としての国籍法が施行され、手続きが明文化されました。
帰化の条件:
引き続き5年以上日本に住所があること。
20歳以上で、自国の法律で能力があること。
品行が善良であること。
独立して生計を立てられる財産や技能があること。
手続きの流れ:
希望者は内務大臣に願い出を行い、その許可を得る必要がありました。許可が下りると、官報に公示され、晴れて日本の戸籍に記載されました。
3. 日本人との結婚による「簡易的な取得」
国籍法施行後も、日本人と家族関係を持つ外国人には優遇措置がありました。
妻の入籍: 日本人と結婚した外国人女性は、届出だけで日本国籍を取得できました(当時は「夫の国籍に従う」という考え方が強かったためです)。
入夫・婿養子: 日本人家庭に婿入りする場合、内務大臣の許可は必要でしたが、通常の帰化よりも条件が緩和されていました。
💡 結論
明治時代の外国人が戸籍に入る手続きは、**「最初は『家族の一員(結婚・養子)』になることが近道であり、後に『内務大臣への願い出(帰化)』という法的ルールが確立された」**という流れです。
以前お話しした**小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)**も、この明治の制度を利用して日本人(小泉節子さん)の養子(入夫)となる形で日本国籍を取得し、戸籍に名を連ねました。
小泉八雲誕生のために
節子(セツ)さんが小泉姓に戻った(復籍した)最大の理由は、**ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が日本に帰化するための「手続き上の必要性」**にありました。
単なる「結婚のため」というよりは、**「夫を日本の戸籍に入れるための、家族を挙げた高度なトランスフォーメーション(再編)」**だったと言えます。その経緯をスマートに紐解きます。
1. 節子さんの「名字」の遍歴
節子さんは、もともと松江藩の士族・小泉家に生まれましたが、複雑な事情を経て名字が変わっています。
誕生: 小泉節子として生まれる。
養子: 幼少期に親戚の稲垣家へ養女に出され、「稲垣節子」となります。
復籍(小泉姓へ): 後の夫となるハーンとの生活が始まっていた1892年頃、一度小泉家へ戻り、再び「小泉節子」となりました。
2. なぜ「小泉」に戻る必要があったのか?
当時、外国人が日本国籍を取得して戸籍に入る最も確実な方法は、**「日本人の家の養子(入夫)になること」**でした。しかし、ここで大きな問題が発生しました。
稲垣家の事情: 最初、節子さんが養女だった稲垣家の跡取り(戸主)になる案もありましたが、稲垣家は当時すでに家督を継ぐべき男性がいたり、家格の維持が難しかったりと、ハーンを「婿養子」として受け入れるのが困難な状況でした。
小泉家の決断: そこで、節子さんの実家である小泉家が動き出しました。節子さんを一度実家の「小泉」に復籍させた上で、節子さんを「戸主(一家の主)」とした新しい分家を作りました。
ハーンの合流: 1896年、その節子さんの戸籍に、ハーンが「入夫」として入ることで、彼は正式に**「小泉八雲」**という日本名を持つ日本人になれたのです。
3. ハーンの「家族への想い」
ハーンがここまでして帰化を急いだのは、自分の死後、外国人のままでは妻子に財産を残せなかったり、彼らが法的に守られないことを恐れたためです。
リチャージ(決意): 長男・一雄の誕生が、彼に「何としても日本人になる」という強い決意をさせました。
チーム・小泉: 節子さんだけでなく、小泉家の親族全員が協力して書類を揃え、複雑な**リブート(戸籍の再編)**を完遂させたのです。
💡 結論
節子さんが小泉姓に戻ったのは、**「愛する夫を『小泉八雲』として日本の家族(戸籍)に迎え入れるための、法的な舞台を整えるため」**でした。
もし節子さんが小泉家に戻らなければ、私たちは今「小泉八雲」という名前ではなく、別の名前で彼を知っていたかもしれません。
松江市役所でも担当者が丁寧に説明をしてくれますが、やはり簡単にはいかないようです。
— 朝ドラ「ばけばけ」公式 放送中 (@asadora_bk_nhk) March 10, 2026
まさかの人物の名前に、思わず取り乱すヘブンさん。
担当の勝部さんもびっくりでした。#吉田正幸#ばけばけ #ばけばけオフショット pic.twitter.com/sHoSgQ6fzD




















