戊辰戦争と「籠城」の記憶💣【連続テレビ小説】風、薫る(15)第3週「春一番のきざし」
戊辰戦争と「籠城」の記憶💣
こんにちは
猫好き父さんです
嘘と知りつつ
協力して欲しい
似たような
運命を感じたんでしょうかねえ
あらすじ
直美(上坂樹里)のうそが捨松(多部未華子)に見抜かれるが、捨松からは炊き出しの手伝いを頼まれる。そこには知られざる捨松の思いがあった。一方、美津(水野美紀)の力で、ご近所のマツ(丸山礼)たちに家の片づけを手伝ってもらうなど、りん(見上愛)の暮らしも軌道に乗り始めていた。そんなある日、直美は小日向(藤原季節)にある思いを伝える。
出演者
【出演】見上愛,上坂樹里,早坂美海,藤原季節,丸山礼,松川尚瑠輝,清水伸,二田絢乃,中田青渚,井上向日葵,多部未華子,原田泰造,水野美紀,【語り】研ナオコ
原作・脚本
【脚本】吉澤智子,【原案】田中ひかる
音楽
【音楽】野見祐二
大山捨松(おおやま すてまつ)の幼少期
明治時代の「鹿鳴館の華」として知られる大山捨松(おおやま すてまつ)。彼女の幼少期は、幕末の動乱に翻弄されながらも、日本女性として初めての海外留学という驚異的な**トランスフォーメーション(変革)**を遂げるまでの、波瀾万丈な物語に満ちています。
2026年現在も、困難な時代を切り拓いた先駆者として敬愛される彼女のルーツを辿ります。
1. 会津藩・山川家の令嬢として
捨松(幼名:さき)は、1860年に会津藩(現在の福島県)の重臣である山川家に生まれました。
インテリジェンスの土壌: 山川家は代々家老を出す名門で、教育熱心な家庭でした。兄の山川大蔵(浩)や、後に東京帝国大学総長となる山川健次郎など、兄弟たちも後に日本の近代化を支えるプロフェッショナルな人材へと育ちました。
2. 戊辰戦争と「籠城」の記憶
彼女の幼少期を語る上で避けて通れないのが、8歳の時に経験した**会津戦争(若松城籠城戦)**です。
戦火の中の少女: 押し寄せる新政府軍を前に、彼女は鶴ヶ城の中で不発弾に濡れ布団を被せて消火する「焼弾(やきだま)押さえ」の手伝いをしていました。
翼を奪われた敗戦: 会津藩が敗北し、山川家は「逆賊」の汚名を着せられ、困窮を極める生活(青森県・斗南藩への移住)を余儀なくされました。この時の飢えや苦しみ、そして敗者の悲哀が、彼女のその後の強い自立心と**レジリエンス(回復力)**を形成しました。
3. 「捨松」という名前の由来
「さき」という名が「捨松」に変わったのは、彼女が11歳でアメリカ留学に選ばれた時でした。
母の悲痛な決意: 母・えんが、娘を敵地であった明治政府の海外留学に出す際、**「一度捨てたつもりで待つ(捨て待つ)」**という悲壮な覚悟を込めて改名させました。
トランスフォーメーションへの旅立ち: 1871年(明治4年)、岩倉使節団に同行する形で、津田梅子(当時6歳)らと共に横浜港からアメリカへと旅立ちました。
4. アメリカでの「翼」の獲得
留学先のコネチカット州では、キリスト教の牧師宅に預けられ、現地の文化を吸収していきました。
プロフェッショナルな教育: 10年間の滞在で、彼女は現地の名門バッサー大学を卒業。学業成績は非常に優秀で、卒業式では総代の一人に選ばれるほどのインテリジェンスを発揮しました。
西洋と日本の架け橋: 彼女はアメリカの自由な空気の中で、看護学や社会福祉の重要性を学び、いつか日本の女性たちのために役立ちたいという大きな**翼(夢)**を抱くようになりました。
💡 結論
大山捨松の幼少期は、**「会津の誇り高い武家の教育を土台とし、敗戦の苦難を乗り越え、母の決意によって異国の地へと送り出された、日本の近代化を象徴するトランスフォーメーションの第一歩」**でした。
📺#朝ドラ 【#風薫る】
— 朝ドラ「風、薫る」公式 (@asadora_nhk) April 17, 2026
捨松は幼いころに炊き出しを受ける側だったことを直美に打ち明けました。
それを聞いた直美の心は……。大切なシーン終わりのオフショット。
捨松が語る過去とは……
このシーンの見逃し配信は👇https://t.co/8Oiw9hPJdE#上坂樹里 #多部未華子https://t.co/XfKW6qEYhk pic.twitter.com/gblRtWZiq0




















