これは凄い!面白い!▲NHKスペシャル 堺雅人が巡る古代エジプト!謎の王ブラックファラオの実像に迫る
これは凄い!面白い!
こんにちは
猫好き父さんです
ほんとに
驚きの連続
堺雅人さんの
この表情に偽りありません!
内容
堺雅人さんの旅は古代エジプトのさらに奥深くへ!スーダンとの国境に近い町で、謎の黒人王国の末裔たちと出会った。紀元前8世紀以降、ブラックファラオと呼ばれたエジプト王を5代輩出したクシュ王国だ。近年、ナイル川の水に沈んだクシュのピラミッドでダイビング調査が行われ、大量の黄金が出土。古代エジプトの繁栄を支え、エジプトの危機を救ったことも明らかになってきた。謎多きクシュ王国とブラックファラオの実像に迫る。
出演
【キャスター】堺雅人,鈴木奈穂子,【語り】瀬戸麻沙美
クシュ王国
クシュ王国は、紀元前1070年頃から紀元後350年頃まで、ナイル川上流(現在のスーダン)に存在した古代王国です。首都はメロエにありました。
クシュ王国の歴史 🌍
クシュ王国の歴史は、おおまかに3つの時代に分けられます。
1. ナパタ時代(紀元前1070年頃 - 紀元前270年頃)
エジプト文化の影響:
この時代、クシュは南に位置しながらも、北のエジプト文化の影響を強く受けていました。ナイル川の交易を通じて、エジプトの宗教(特にアメン神信仰)や建築様式がクシュに伝わりました。
「ブラックファラオ」の時代:
紀元前8世紀には、クシュ王国の王たちがエジプトを征服し、エジプト第25王朝を建国しました。彼らは「ブラックファラオ」として知られ、エジプト文化の復興に尽力しました。
2. メロエ時代(紀元前270年頃 - 紀元後350年頃)
独自の文化の発展:
エジプト第25王朝がアッシリアに敗れた後、クシュ王国は南方のメロエに首都を移しました。この時代、彼らはエジプト文化の影響から脱却し、独自の文化を築き上げました。
メロエ文字:
エジプトのヒエログリフから派生した独自の文字**「メロエ文字」**を発明しました。
鉄器文化:
メロエは、製鉄技術が非常に発達していたため、「アフリカのバーミンガム」とも呼ばれていました。この技術は、クシュ王国の経済的繁栄の基盤となりました。
クシュ王国の遺産 ✨
クシュ王国は、古代エジプト文明とは異なる独自の文化を築き、多くの貴重な遺産を残しました。
ピラミッド:
メロエ時代に造られたピラミッド群は、エジプトのものより小型で、傾斜が急なのが特徴です。現在もスーダンの砂漠に残っており、クシュの王や王妃の墓として使われました。
メロエ文字:
未だ完全に解読されていませんが、多くの碑文が残されており、当時の社会や歴史を知る上で重要な手がかりとなっています。
クシュ王国は、アフリカの歴史において重要な役割を果たし、エジプトとは異なる独自の道を進んだユニークな文明でした。
ブラックファラオ
「ブラックファラオ」とは、紀元前8世紀から紀元前7世紀にかけて古代エジプトを支配し、第25王朝を築いたヌビア人の王たちを指す通称です。彼らの肌の色が黒かったことから、この名で呼ばれています。
彼らは、エジプトを征服した単なる異民族の王ではなく、むしろエジプトの伝統と文化の正当な継承者として、その復興に尽力したことで知られています。
第25王朝のファラオたち
当時のエジプトは、権力が分裂し、政治的に不安定な状態にありました。一方、南に位置するヌビア王国(現在のスーダン)は、もともとエジプト文化の影響を強く受けており、特にアメン神信仰を熱心に信仰していました。
彼らは、エジプトの伝統的な信仰が失われつつある現状を憂い、信仰を取り戻すという使命感のもと、エジプトに侵攻しました。
ピイ(Piye):
第25王朝を創始した最初のブラックファラオです。彼はエジプト全土を統一し、エジプト王として即位しました。彼は征服者ではなく、エジプトの伝統的な儀式を重んじ、文化を保護する統治を行いました。
タハルカ(Taharqa):
第25王朝で最も有名な王の一人です。旧約聖書にもその名が登場し、大規模な建築事業を行ったことで知られています。彼が造らせた神殿やピラミッドは、ヌビア独自の急勾配なデザインが特徴です。
ヌビア人ファラオの統治の特徴
ブラックファラオたちの統治は、古代エジプトの歴史において非常にユニークな時代でした。
エジプト文化の復興:
彼らは、それまでのエジプトが忘れかけていた伝統的な宗教や芸術を復活させました。特に、巨大なピラミッドや神殿を建設することで、エジプトの栄光を取り戻そうとしました。
ピラミッドの再興:
彼らは、ギザのような巨大ピラミッドではなく、ヌビア独自の急勾配で小型のピラミッドを数多く造りました。これは、エジプトの伝統的な墓の様式とヌビアの文化が融合した結果です。
近年の研究では、ブラックファラオたちが単なる征服者ではなく、混乱したエジプトを立て直し、その文化と宗教を保護した功績が再評価されています。
ヌビアンブルー
「ヌビアンブルー」とは、古代エジプトの南に栄えた**ヌビア(クシュ王国)**で用いられた、独特の美しい青色を指す言葉です。
これは、エジプト文明で広く使われた世界最古の人工顔料**「エジプシャンブルー」**と技術的にはほぼ同じものですが、特にヌビア文明の遺跡や工芸品に見られる、鮮やかで深みのある青を指して使われることがあります。
起源と特徴 🎨
ヌビアンブルーは、エジプシャンブルーと同様に、シリカ(砂)、石灰、銅、アルカリ(ソーダ)を混ぜて高温で焼成することによって作られる合成顔料です。この製法は、古代エジプト人が紀元前2600年頃に開発したとされています。
色合い: 深く、鮮やかな青色。ラピスラズリのような宝石を思わせる高貴な色です。
耐久性: 光や熱に強く、色あせにくいという特性を持っています。このため、数千年を経た現在でも、当時の壁画や陶器に美しい色が残っています。
クシュ王国との関係 👑
ヌビアは、エジプトと地理的にも文化的にも密接な関係にあり、エジプシャンブルーの製法も伝わっていました。クシュ王国(紀元前1070年頃-紀元後350年頃)の時代には、この青色が彼らの文化の象徴的な色として広く使われました。
装飾品: ファラオの墓や神殿の壁画に描かれる神々や人物の装飾に使われました。
ピラミッド: ヌビアのメロエに多数残るピラミッドの内部装飾にも、この青色が多用されました。
陶器やガラス: ヌビアの陶器やガラス製品の釉薬としても使われ、独自の美しい工芸品が作られました。
ヌビアンブルーは、古代ヌビア王国の高度な技術と、洗練された芸術性を現代に伝える貴重な遺産です。
アメン
アメン(Amen、またはアモン、アムン)は、古代エジプト神話における重要な神の一柱です。その名は「隠された者」を意味します。
元々は、テーベ(現在のルクソール)という都市の守護神でしたが、エジプト新王国時代(紀元前16世紀~紀元前11世紀)に国家の主神へと昇格し、絶大な信仰を集めました。
太陽神ラーとの融合:アメン=ラー
アメンが国家神となった最大の理由は、既存の太陽神ラーと融合したことにあります。
中王国時代(紀元前21世紀~紀元前18世紀): テーベがエジプトの首都となると、アメンの信仰も広まり始めました。
新王国時代: テーベ出身のファラオがヒクソスを追放し、エジプトを再統一すると、アメンはエジプトに勝利をもたらした神として、その地位を確立しました。この時期に、アメンはラーと習合し、「アメン=ラー(Amen-Ra)」と呼ばれるようになりました。
神々の王: アメン=ラーは「神々の王」と見なされ、その信仰はエジプト全土に広まりました。ファラオたちは、自らの権威をアメン=ラーの力に結びつけ、テーベのカルナック神殿とルクソール神殿はアメン=ラー信仰の中心地として、莫大な富と権力を蓄積しました。
アメン信仰の興隆と改革
アメン信仰は、新王国時代を通じて政治的な影響力も増大させ、アメン神官団はファラオに匹敵するほどの権力を持つようになりました。
アマルナ革命: これに対抗したのが、第18王朝のファラオ、アメンホテプ4世です。彼は、アメン信仰を否定し、唯一神である太陽円盤の神アトンを主神とする一神教の信仰を強制しました。自らも名を「アトンに愛されし者」を意味するアクエンアテンと改め、首都をテーベからアマルナへ遷都しました。
アメン信仰の復活: しかし、この改革は国民に定着せず、アクエンアテンの死後、後継者であるツタンカーメン王の時代に、再びアメン信仰が復活しました。ツタンカーメンは即位名を「アトン神に愛される者」を意味する「トゥトアンクアトン」から、「アメン神に愛される者」を意味する「トゥトアンクアメン」へと改名しました。
このように、アメンは古代エジプトにおいて、信仰の中心であると同時に、政治の中心でもありました。
習合(しゅうごう)
クシュ王国(ヌビア)と古代エジプトの間には、神々が一体化する、または融合する**「習合(しゅうごう)」**という現象が顕著に見られました。これは、単に文化が伝播しただけでなく、両国の宗教が深く結びついたことを示しています。
アメン神の習合 🤝
クシュとエジプトの宗教的なつながりにおいて、最も重要な神はアメン神です。
エジプトからの伝播: エジプト新王国時代、テーベ(現在のルクソール)の守護神であったアメン神は、エジプトの国家神として信仰が拡大しました。エジプトがクシュを支配下に置くと、アメン信仰はクシュにも持ち込まれ、現地の信仰と融合していきました。
クシュの聖地ジェベル・バルカル: クシュの中心地であるナパタには、エジプトが築いたアメン神殿がありました。このジェベル・バルカル(聖なる山)は、クシュ人にとって最も神聖な場所となり、アメン神はクシュの守護神として深く崇拝されるようになりました。
「ブラックファラオ」の信仰: 後の第25王朝を築いたヌビアの王たち(ブラックファラオ)は、自らを「アメン神に選ばれし者」と見なし、エジプトの伝統的な信仰を復興させるという使命感を持っていました。彼らがエジプトを征服したのは、政治的な目的だけでなく、アメン神の正当な信仰を取り戻すためでもあったのです。
このように、アメン神はエジプトとクシュの双方で信仰されることで、両文明を結びつける精神的な基盤となりました。
土着の神との融合 🐏
クシュ人は、エジプトの神々をそのまま受け入れただけでなく、自分たちの土着の神々とエジプトの神々を融合させました。
ライオンの頭を持つ神アペデマク: クシュ王国独自の主要な神として、戦争を司るライオンの頭を持つ神アペデマクがいました。アペデマクは、エジプトのライオンの女神セクメトなど、エジプトの神々と関連付けられた可能性がありますが、その信仰はクシュ独自のものでした。
このように、クシュ王国では、エジプトの神々を受け入れつつも、独自の信仰を発展させていきました。これは、両国の文化が単に一方向的に伝播したのではなく、互いに影響を与え合い、新たな文化を生み出していたことを示しています。
ジェベル・バルカル
ジェベル・バルカル(Jebel Barkal)は、現在のスーダン共和国にある聖なる山であり、古代エジプトとクシュ王国(ヌビア)の歴史において、非常に重要な宗教的中心地でした。
2003年には「ジェベル・バルカルとゲベル・バルカル遺跡群の考古遺跡群」として、ユネスコの世界遺産に登録されています。
歴史と宗教的役割 🏔️
古代エジプトとの結びつき:
ジェベル・バルカルは、古代エジプト新王国時代(紀元前16世紀頃)に、ファラオのトトメス3世によって、アメン神を祀る神殿が築かれたことから、エジプトの重要な拠点となりました。この山は、エジプトの首都テーベにあるアメン神の聖なる山と類似していると見なされ、崇拝の対象となりました。
クシュ王国の聖地:
紀元前8世紀頃にクシュ王国が独立し、ナパタ時代を迎えると、ジェベル・バルカルはクシュ王国の宗教的・政治的な中心地となります。クシュの王たちは、ここで王位を象徴する儀式を行いました。
「ブラックファラオ」の拠点:
第25王朝を築き、エジプトを支配した「ブラックファラオ」たちは、ジェベル・バルカルのアメン神殿を精神的なよりどころとしていました。彼らがエジプトに侵攻したのは、アメン神の正当な信仰を取り戻すためという側面もあったほどです。
主な遺跡と特徴 🕌
ジェベル・バルカルとその周辺には、古代の繁栄を物語る多くの遺跡が残されています。
アメン神殿:
ジェベル・バルカルの麓には、巨大なアメン神殿の遺跡があります。この神殿は、エジプトのカルナック神殿と似た様式で建てられました。
ヌビアのピラミッド:
山の麓には、クシュ王国の王や王妃の墓として、多数のピラミッドが築かれました。これらはエジプトのピラミッドよりも小さく、傾斜が急なのが特徴で、ヌビア独自の建築様式を示しています。
王家の碑文:
神殿やピラミッドの内部からは、当時の歴史や王の功績が記された碑文が数多く発見されており、研究の重要な手がかりとなっています。
ジェベル・バルカルは、エジプトの文化が南へ伝播し、それが独自の文化と融合していった様子を今に伝える、貴重な歴史的遺産です。
アッシリア帝国
アッシリア帝国は、古代メソポタミア北部(現在のイラク北部)を起源とし、歴史上初めてオリエント世界を統一したとされる大帝国です。特に紀元前9世紀から紀元前7世紀にかけて、その強大な軍事力によって広大な版図を築き上げました。
強力な軍事力と過酷な統治
アッシリア帝国を特徴づけるのは、その圧倒的な軍事力と、それに基づいた恐怖による支配です。
鉄製武器と常備軍: ヒッタイト人から学んだ製鉄技術をいち早く軍事に応用し、鉄製の戦車や武器を大規模に導入しました。また、常に戦闘準備の整った常備軍を保持し、周辺国家を次々と征服しました。
強制移住政策: 征服した民族に対しては、反乱を未然に防ぐために、住民を強制的に他の土地へ移住させる**「強制捕囚政策」**を徹底的に行いました。旧約聖書に登場する「バビロン捕囚」も、このアッシリアの政策に倣ったものです。
残虐な見せしめ: 敵対した民族の指導者や兵士を串刺しにするなど、その残虐な行いをレリーフ(浮き彫り)に刻んで見せしめにしました。これにより、**「アッシリアの狼」**と恐れられました。
帝国最盛期と文化
アッシュルバニパル王(在位:紀元前668年頃 - 紀元前627年頃)の時代に、帝国は最盛期を迎えます。彼はメソポタミアからシリア、エジプトまでを支配し、その領土は史上最大となりました。
首都の変遷: 帝国の首都は、時代によってアッシュール、ニムルド、そして最も有名なニネヴェへと移されました。
ニネヴェの大図書館: 最後の都ニネヴェには、アッシュルバニパル王によって、当時の知識を集大成した大図書館が築かれました。ここから発掘された数万枚もの粘土板文書は、メソポタミアの歴史や文学、科学を知る上で貴重な資料となっています。
滅亡
あまりにも過酷な支配は、被征服民の強い反発を招きました。アッシュルバニパル王の死後、各地で反乱が勃発し、帝国は急速に衰退します。紀元前612年、新バビロニアとメディアの連合軍によって首都ニネヴェが陥落し、アッシリア帝国は滅亡しました。
ヒエログリフは、古代エジプトで使われた象形文字です。その名はギリシャ語で「聖なる彫刻文字」を意味し、主に神殿の壁や石碑、パピルスなどに刻まれました。
ヒエログリフの種類 📜
ヒエログリフは、一つの文字が複数の意味を持つ複雑なシステムでした。大きく分けて以下の3つの種類があります。
表意文字: 意味を直接表す文字です。例えば、太陽の絵は「太陽」そのものを意味します。
表音文字: 音を表す文字です。英語のアルファベットのように、特定の音に対応します。
限定符: 音の読み方ではなく、その言葉が何を表しているか(抽象概念、人物、場所など)を限定するための記号です。
これらの文字を組み合わせて、単語や文章を形成しました。
読み方の解読 🗝️
ヒエログリフは、紀元後4世紀頃に完全に使われなくなり、その読み方は忘れ去られました。しかし、19世紀初頭、フランスの学者ジャン=フランソワ・シャンポリオンによって解読されました。
ロゼッタ・ストーン: 解読の鍵となったのが、1799年にナポレオン軍がエジプトで発見した「ロゼッタ・ストーン」です。この石碑には、同じ内容がヒエログリフ、デモティック(民衆文字)、そしてギリシャ文字の3つの異なる文字で刻まれていました。
シャンポリオンの功績: ギリシャ文字が解読できたため、シャンポリオンはそれを手がかりに、ヒエログリフの表音文字としての性質を突き止め、長い間謎に包まれていたヒエログリフの読み方を解明しました。
この解読によって、古代エジプトの歴史や文化、宗教に関する膨大な情報が明らかになり、エジプト学の発展に大きく貢献しました。
NHK 総合 20日(水) 午後7:30
— NHKドキュメンタリー (@nhk_docudocu) August 19, 2025
NHKスペシャル 堺雅人が巡る古代エジプト!謎の王ブラックファラオの実像に迫る
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