久寿餅食べてブラ京浜急行大師線😎ブラタモリ 川崎大師と鉄道▼川崎大師の人気と鉄道の意外な関係 初詣の謎も
久寿餅食べてブラ京浜急行大師線
こんにちは
猫好き父さんです
久寿餅
美味しそうですねえ
通販で買えるかなあ
ブラ京浜急行大師線
前回に引き続き、日本有数の初詣スポット、川崎大師の人気の秘密に迫ります。今回は明治時代、川崎大師参詣を目的につくられた鉄道のおかげで、川崎が大きく発展していった歴史を解き明かします。お正月の「初詣」の習慣と鉄道の意外な関係とは?京浜急行大師線に乗って、終点へ。昔の廃線跡にある工場に、タモリさん大興奮!さらに川崎大師の名物と、鉄道の意外な関係とは?
出演
【出演】タモリ,【アナウンサー】佐藤茉那,【語り】あいみょん
京急大師線と京浜工業地帯の歴史は、まさに**「日本の近代化と工業化の縮図」**とも言える、密接な関係にあります。
それぞれの歩みを整理して解説します。
🚃 京急大師線の歴史:関東最古の電車
京急大師線は、現在の京急電鉄の「発祥の路線」です。
1899年(明治32年)の開業:
最初は「大師電気鉄道」として、川崎駅(現在の京急川崎駅付近)から川崎大師駅の間で開業しました。これは関東で最初、日本で3番目の電気鉄道でした。
最初は「参拝客」のため:
もともとは、成田山や川崎大師といった寺社への参拝客を運ぶための観光路線としての性格が強いものでした。
路線の拡大:
その後、海側へと延伸を続け、産業道路や小島新田方面へと伸びていきました。
🏭 京浜工業地帯の発展と「浅野総一郎」
大師線が海側へ伸びていった背景には、京浜工業地帯の急速な発展がありました。ここで重要な役割を果たしたのが、実業家・浅野総一郎です。
大規模な埋め立て事業:
明治末期から大正にかけて、浅野総一郎は「鶴見・川崎の海岸部を埋め立てて、巨大な臨海工業地帯を作る」という壮大な計画を立てました。
鉄道と工場のセット:
工場ができると、そこで働く膨大な数の労働者が必要になります。大師線はその**「通勤の足」**として、また資材を運ぶ重要なインフラとして機能し、工場の拡大とともに路線網が整備されていきました。
主要企業の集結:
日本鋼管(現:JFEスチール)、味の素、東芝、富士電機といった日本を代表する大工場が次々と建設され、日本最大の工業地帯へと成長しました。
🤝 鉄道と工業地帯の相乗効果
大師線は、時代に合わせてその姿を変えてきました。
戦中・戦後の輸送:
軍需工場の輸送拠点となり、戦後は日本の高度経済成長を支える大動脈となりました。
駅名に残る歴史:
「産業道路駅(現:大師橋駅)」や、かつて存在した「海岸駅」などの名称は、その場所が工業地帯の最前線であったことを物語っています。
現在の姿(連続立体交差事業):
現在、大師線は踏切による渋滞解消などのため地下化が進んでいます。かつて地上を走り、工場の煙突を眺めながら進んだ風景も、少しずつ現代的な姿へと変わりつつあります。
京急川崎駅がJR(官設鉄道)から離れた場所に設置されることになった決定的な理由
「人力車組合による猛烈な反対運動」**こそが、京急川崎駅がJR(官設鉄道)から離れた場所に設置されることになった決定的な理由の一つです。
歴史の裏側にある、生活を懸けた「新旧の交通戦争」について詳しく紐解いてみましょう。
1. 人力車夫にとっての「死活問題」
明治時代、川崎駅から川崎大師への参拝は、徒歩か人力車が唯一の手段でした。当時の川崎駅周辺には多くの人力車夫がおり、参拝客を運ぶことは彼らにとって最大の収入源でした。
そこに「一度に大量の人間を、安く、速く運ぶ」**電気鉄道(大師電気鉄道)**の話が持ち上がったのですから、組合が「自分たちの商売が奪われる!」と激しく抵抗したのは必然でした。
2. 「駅前乗り入れ」の拒絶
当初、大師電気鉄道は国鉄川崎駅のすぐ目の前から線路を敷こうと計画していました。しかし、人力車組合は以下のような手段で徹底抗戦しました。
激しい請願活動: 行政に対して「鉄道を許可するな」と猛抗議を行いました。
物理的な妨害: 工事や運行に対する心理的・物理的なプレッシャー。
妥協案の強要: 結局、組合側の圧力を無視できず、鉄道側は「国鉄駅から離れた場所」を起点にすることを余儀なくされました。
3. 初代ターミナル「六郷橋駅」の誕生
この反対運動の結果、1899年の開業時に起点となったのは、JR川崎駅から1km近くも離れた**「六郷橋(ろくごうばし)駅」**でした。
不便な乗り換え: 国鉄で川崎駅に着いた参拝客は、そこから結局**「六郷橋駅まで人力車に乗るか歩くか」**しなければなりませんでした。
皮肉な共存: 結果的に、国鉄駅〜六郷橋駅間には人力車の仕事が残り、六郷橋駅〜川崎大師間は電車が運ぶという、奇妙な「棲み分け」がしばらく続くことになったのです。
4. 京急川崎駅(旧:京浜川崎駅)への延伸
その後、時代が移り、人力車の需要が減っていく中で、ようやく大師電気鉄道は現在の京急川崎駅の位置まで線路を伸ばすことができました(1902年に「川崎駅」として現在の位置付近に延伸)。
しかし、その頃にはすでに国鉄駅周辺の市街地化が進んでおり、**「これ以上国鉄に近づくための土地」**が確保できなくなっていました。もし最初に人力車の反対がなければ、今頃はJRのホームのすぐ隣に京急のホームが並んでいた可能性が高いのです。
💡 歴史の皮肉
人力車夫たちが「自分たちの仕事を守るために駅を遠ざけた」ことが、結果として120年以上経った今でも、私たちが乗り換えで数分間歩かなければならない**「あの絶妙な距離感」**として残っているというのは、非常に興味深い歴史の足跡ですよね。
当時の人力車夫たちの威勢のいい声や、新しい文明の利器である電車を遠巻きに眺める人々の姿が、あの地下街「アゼリア」を通るルートの地上付近に重なって見えてくるようです。
川崎大師の名物として知られる**「久寿餅(くずもち)」**。関西の葛餅(葛粉を使用)とは異なり、小麦粉の澱粉を長期間発酵させて作る独特の弾力と風味が特徴です。
その誕生には、江戸時代の終わりの**「偶然」と「信心」**にまつわる素敵な物語があります。
🌾 久寿餅の誕生:久兵衛の「偶然」の発見
物語の舞台は江戸時代の天保年間(1830年〜1844年)。川崎大師近くに住む**久兵衛(きゅうべえ)**という男のうっかりしたミスから始まりました。
放置された小麦粉:
ある年、久兵衛は納屋に保管していた小麦粉を、うっかり雨に濡らしてしまいました。彼はそれを樽の中に入れ、水に浸したまま忘れて放置してしまいます。
翌年の発見:
翌年、樽を片付けようとした久兵衛は、中に入っていた小麦粉が**発酵し、真っ白な澱粉(でんぷん)**になっているのを見つけました。
試食と驚き:
試しにその澱粉を蒸し上げてみたところ、これまでにない独特のモチモチとした食感と、ほのかな酸味のある美味しい餅が出来上がりました。
お大師様への献上:
久兵衛はこれを川崎大師(平間寺)の当時の貫首に献上したところ、その美味しさが絶賛されました。
㊗️ 「久寿餅」という名前の由来
もともとは小麦の澱粉を使っていたため単に「餅」と呼ばれていましたが、後に特別な漢字が当てられました。
名前の由来: 発明者である**「久」兵衛の名前と、縁起の良い「寿」の字を合わせ、さらに無病息災を願う意味を込めて「久寿餅」**と名付けられました。
「葛」との違い:
植物の「葛(くず)」を使わないため、本葛の「葛餅」と区別するためにこの漢字が使われるようになったという側面もあります。
✨ 15ヶ月以上かかる「時間の味」
現在でも、川崎大師の久寿餅は当時の製法を受け継いでいます。
長期発酵: 小麦澱粉を15ヶ月(約1年半)以上もの間、じっくりと発酵させます。この長い時間が、あの独特の風味とコシを生み出します。
無添加: 基本的に発酵の力だけで作られるため、体にも優しい伝統食です。
川崎大師の久寿餅(くずもち)の発展と味の素(AJINOMOTO)
川崎大師の久寿餅(くずもち)の発展には、実は**味の素(AJINOMOTO)の存在が極めて大きな役割を果たしています。これは、単なる「地元の企業同士」という関係を超えた、「製造工程における見事なリサイクルと共生」**の物語です。
その歴史的な繋がりを3つのポイントで解説します。
1. 「副産物」が久寿餅の原料になった
味の素の創業期、看板商品である「味の素(グルタミン酸ナトリウム)」の原料は、現在のようなサトウキビではなく、主に小麦粉でした。
味の素の製法: 小麦粉からタンパク質(グルテン)を取り出し、それを分解して旨味成分を作ります。
大量の澱粉(でんぷん): グルテンを取り出した後に残るのが、膨大な量の**「小麦澱粉」**です。
久寿餅との合致: この「小麦澱粉」こそが、川崎大師の久寿餅の唯一の原料でした。
味の素の川崎工場(現在の鈴木町駅前)から出る高品質で大量の澱粉が、すぐ近くの久寿餅店に供給されるようになったのです。
2. 「安価で安定した供給」による大衆化
味の素の工場が稼働する前、久寿餅屋さんは自分たちで小麦粉を洗い、澱粉を精製していました。これは非常に重労働で、生産量にも限りがありました。
産業化の波: 味の素が工業規模で小麦粉を処理するようになると、そこから出る澱粉を安く、大量に仕入れることができるようになりました。
名物としての確立: これにより、久寿餅の生産量が飛躍的に増え、参拝客の誰もが買える「川崎大師の定番土産」としての地位を不動のものにしたのです。
3. 「鈴木町」と「京急大師線」の物流
先ほどお話しした京急大師線の歴史とも深く関わります。
鈴木町駅: この駅名は、味の素の創業者・鈴木忠治氏にちなんで名付けられたものです(駅周辺はまさに味の素の「企業城下町」です)。
物流ルート: 鈴木町駅(味の素工場)で生まれた澱粉が、隣の川崎大師駅周辺の久寿餅店へ運ばれるという、非常に効率的な「産業エコシステム」が大師線沿線に出来上がっていました。
💡 興味深いエピソード:現在の関係
時代が移り、味の素の製法が小麦から発酵法(サトウキビなど)に変わったため、現在では味の素から直接澱粉が供給されているわけではありません。
しかし、川崎大師の老舗(「住吉」など)は、今でも当時の縁を大切にしていたり、味の素側も地域の伝統文化である久寿餅を尊重したりと、良好な関係が続いています。
まとめ
川崎大師の久寿餅は、**「久兵衛さんの偶然の発見」という伝統の種に、「味の素の近代工業」**という栄養が注がれたことで、日本を代表する門前銘菓へと大きく花開いたのです。
近代工業の発展(味の素)と、伝統的な信仰の場所(川崎大師)が、大師線という一本のレールの上で「澱粉」を通じて繋がっていたというのは、非常に面白い歴史の交差点ですよね。
「名前(読み方)は同じなのに、中身は全くの別物」「久寿餅」と「葛餅」
関東にお住まいの方でも、意外とこの違いを意識せずに召し上がっていることが多いですよ。わかりやすく比較表にまとめてみました。
🎍 「久寿餅」と「葛餅」の違い
| 項目 | 久寿餅(関東風) | 葛餅(関西風) |
| 主な原料 | 小麦粉から抽出した澱粉 | **葛(くず)**という植物の根の澱粉 |
| 製法 | 15ヶ月以上乳酸発酵させる | 葛粉に水と砂糖を加え、加熱して練る |
| 見た目 | 白濁していて、不透明 | 透明、または半透明 |
| 食感 | 独特の弾力(コシ)と、わずかな酸味 | つるんとして滑らか、口溶けが良い |
| 主な産地 | 川崎大師、亀戸天神、池上本門寺など | 奈良(吉野葛)、京都など |
❓ なぜ混同されるのか?
読み方が全く同じ: どちらも「くずもち」と呼ぶため、会話の中では区別がつきません。
食べ方が同じ: どちらも「黒蜜」と「黄粉(きなこ)」をかけて食べるスタイルが一般的なため、見た目の印象が似てしまいます。
「葛」という字のイメージ: 「くずもち=植物の葛」というイメージが強いため、関東の久寿餅も葛でできていると思い込んでいる方が非常に多いです。
💡 ここが面白いポイント!
関東の「久寿餅」は「発酵食品」!
先ほど味の素との関係でお話しした通り、関東のものは小麦澱粉を長期発酵させて作ります。和菓子の中で「発酵」プロセスを経るものは珍しく、実はヨーグルトに近い健康的な側面も持っているんです。
「久寿」は当て字:
もともとは関東でも「くず(葛)のような餅」ということで「くず餅」と呼ばれていましたが、原料が違うことから、先ほどの久兵衛さんの「久」と、縁起の良い「寿」を当てて、独自のブランドとして**「久寿餅」**という表記を大切にするようになりました。
🖋️ 整理すると…
「川崎大師で食べるのは小麦粉発酵の『久寿餅』」「奈良の吉野などで食べるのは植物の葛の『葛餅』」と覚えておくと、通な楽しみ方ができますね。
みなさーん!!こんもっち〜!!(*中ω人*)
— 川崎大師 住𠮷【公式】 (@Daishikuzumochi) December 20, 2025
エゴサをしてたら凄いことに💦
明日は納め大師です。
それと今年最後の喫茶の久寿餅半額の日です。
ブラタモリ放送の次の日に久寿餅をお得に食べれるチャンスですよ🉐
今日も1日お疲れ様でした‹‹\(中ω人)/››#川崎大師#久寿餅#ブラタモリ pic.twitter.com/sQWMhSuHFz
ブラタモリ:川崎大師の人気と鉄道の意外な関係 京急大師線で終点へ 昔の廃線跡にある工場に、タモリさん大興奮!#ブラタモリ #タモリ https://t.co/WeNGYHgLwm
— MANTANWEB/毎日キレイ (@mantanweb) December 20, 2025






















