【訃報】ご冥福をお祈りいたします、アントニオ猪木さん死去、79歳
こんにちは、猫好き父さんです。
不死身の人はいないのでいつかは来ることなのでしょうけど。
天寿を全うされたのだと思います。
子供のころアントニオ猪木さんのプロレスに熱狂しました。
ご冥福をお祈り申し上げます。
画像は東京新聞さんからの引用です。
アントニオ猪木さん(本名:猪木寛至、1943年2月20日 - 2022年10月1日)は、「燃える闘魂」のキャッチフレーズで知られる日本の伝説的なプロレスラー、実業家、政治家です。
プロレス界だけでなく、格闘技、政治、外交など多岐にわたる分野で大きな功績を残し、その破天荒な言動とカリスマ性で国民的スターとして活躍しました。
🥊 プロレスラーとしての功績
猪木さんは、日本のプロレス界においてジャイアント馬場さんと並び称されるスーパースターであり、その後の格闘技界に決定的な影響を与えました。
1. 新日本プロレスの創設と「ストロングスタイル」
新団体旗揚げ: 1972年、新日本プロレスを設立。
ストロングスタイル: 「キング・オブ・スポーツ」としてプロレスを格闘技の頂点に位置づけようとし、従来のショー要素の強いプロレスに対し、「強さ」と「真剣勝負」を追求するストロングスタイルという独自のファイトスタイルを確立しました。
2. 異種格闘技戦の開拓
猪木さんの最大の功績の一つは、後の総合格闘技の礎を築いた異種格闘技戦です。
モハメド・アリ戦: 1976年、プロボクシング統一世界ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリと世紀の対決を行い、世界中で大きな話題となりました。この一戦は引き分けに終わりましたが、格闘技の歴史に残る一戦として知られています。
その後も、ウィリー・ウィリアムス(空手家)など、様々な格闘家との対戦に挑み、「プロレスこそ最強」であることを証明しようとし続けました。
3. 代表的な必殺技とキャッチフレーズ
必殺技: 卍固め(まんじがため)、コブラツイスト、延髄斬りなど。
キャッチフレーズ: 「燃える闘魂」「道」
🏛️ 政治家・外交官としての活動
猪木さんは、プロレスラーとして史上初めて国会議員となり、政治や国際外交の分野でも異色の活動を展開しました。
1. 参議院議員としての活動
初当選: 1989年、「スポーツ平和党」を結成し、参議院選挙比例代表で初当選。史上初のレスラー出身国会議員となりました。
名フレーズ: 選挙時のキャッチコピー「国会に卍固め、消費税に延髄斬り」は流行語となりました。
活動実績: 参議院議員を合計2期務めました。
2. イラクでの人質解放交渉
特に、湾岸戦争直前の1990年に、日本人が「人間の盾」として人質にされていたイラクに渡り、交渉によって人質解放に尽力したことは、政治家・猪木を象徴する出来事です。
📣 晩年と「闘魂」のメッセージ
晩年は難病(心アミロイドーシス)との闘病生活を送りましたが、YouTubeなどで病室から元気な姿やメッセージを発信し続けました。
名言: 「元気があれば何でもできる!」「迷わず行けよ、行けばわかるさ」「1、2、3、ダーッ!」といった数々の言葉は、プロレスファンのみならず、多くの人々に勇気と活力を与えました。
顕彰: 死去後、その多大な功績に対し、従四位および旭日中綬章が授与されました。
アントニオ猪木さん死去、79歳 「燃える闘魂」でプロレスブームをけん引、参議院議員としても活動#アントニオ猪木 #訃報 #おくやみ #プロレス #燃える闘魂
— 東京新聞編集局 (@tokyonewsroom) October 1, 2022
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