サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん イタリア世界遺産ミステリー3時間SP🌎12/28 (土) 18:56 ~ 22:00
こんにちは
猫好き父さんです
これ面白そうだから
絶対観たいんだけど
せめて
2時間枠で収まらない
だろうか?
いくら内容が良くても
長すぎると逆効果
離脱すんじゃないかな?
画像は公式からの引用です
ポンペイ
ポンペイは、紀元79年にイタリア南部のヴェスヴィオ火山の大噴火によって、一夜にして火山灰に埋もれてしまった古代ローマの都市です。この悲劇によって街全体が約1700年間、地中に眠り続けたことで、当時の人々の生活や文化が驚くほど良い状態で保存されました。
歴史と悲劇
ポンペイは、ローマ帝国の地方都市として発展し、紀元1世紀には約2万人の人口を抱えていました。裕福な商人やローマ貴族の保養地として栄え、円形闘技場や劇場、公衆浴場、多数の商店や邸宅が立ち並んでいました。
しかし、紀元79年8月24日(または10月24日説も有力)、街のシンボルでもあるヴェスヴィオ火山が突然大噴火を起こしました。この噴火は「プリニー式噴火」と呼ばれ、巨大な噴煙柱が空高く立ち上がり、大量の火山灰や軽石がポンペイに降り注ぎました。
そして翌朝には、時速100kmを超える高温の火砕流が街を襲い、逃げ遅れた人々を瞬く間に飲み込みました。街全体が厚い火山灰と火山礫に覆われ、ポンペイは地図上から姿を消したのです。
発掘と遺跡
ポンペイが再び脚光を浴びるのは、18世紀中頃になってからです。本格的な発掘調査が始まり、1863年には考古学者ジュゼッペ・フィオレッリによって、火砕流に埋もれて空洞になった部分に石膏を流し込むという画期的な手法が考案されました。これにより、最期まで逃げられなかった人々の姿がリアルに再現され、世界に大きな衝撃を与えました。
現在、ポンペイの遺跡からは、当時の生活を伝える様々なものが発見されています。
フレスコ画とモザイク画: 邸宅の壁に残された美しいフレスコ画や床に施されたモザイク画は、当時の芸術水準の高さを示しています。
街並み: 整然と区画された石畳の道路には、車輪の轍(わだち)が残り、当時の交通状況を今に伝えています。
公衆浴場や劇場: 市民の社交場であった施設がそのままの形で残っています。
商店やパン屋: 焼きたてのパンを焼く窯や、当時の日用品が発見されています。
ポンペイは、単なる廃墟ではなく、古代ローマの「生きた街」の姿を伝える貴重なタイムカプセルとして、1997年にユネスコの世界遺産に登録されています。
ヴェスヴィオ火山
ヴェスヴィオ火山は、イタリア南部、ナポリ近郊に位置する活火山です。世界で最も危険な火山の一つとして知られており、その歴史的な噴火によって、古代都市ポンペイやヘルクラネウムなどを埋没させたことで世界的に有名になりました。
歴史的な噴火
西暦79年の大噴火
ヴェスヴィオ火山を最も有名にしたのは、西暦79年8月24日(または10月24日という説も有力)に起きた大噴火です。この噴火は、当時のプリニウスが記録に残したことから「プリニー式噴火」と呼ばれ、巨大な噴煙柱が成層圏まで達しました。
ポンペイの悲劇: 大量の火山灰と軽石が降り注いだ後、時速100kmを超える高温の火砕流が発生し、ポンペイ、ヘルクラネウム、スタビアエなどの都市を襲いました。火砕流に巻き込まれた人々は、瞬時に蒸発し、その体の形をそのまま残した空洞(キャスト)が発見されています。この噴火によって、ポンペイの街は完全に埋没し、約1,700年もの間、地中深く眠り続けました。
その後の噴火活動
ヴェスヴィオ火山は、79年の大噴火以降も繰り返し噴火を続けています。
1631年の大噴火: 約6000人の犠牲者を出した大規模な噴火でした。
1944年の噴火: 最後の噴火であり、溶岩が11日間にわたって流れ続け、多くの住民が避難しました。この噴火は第二次世界大戦中という混乱した時期に発生し、連合軍の爆撃機にも被害をもたらしたとされています。
現在のヴェスヴィオ火山
1944年以降、ヴェスヴィオ火山は大規模な噴火を起こしていませんが、現在も活火山であり、静かに活動を続けています。山頂の噴火口からは、わずかに噴煙が上がっているのが見られることもあります。
世界で最も危険な火山と言われる理由は、その周辺に約300万人が居住するナポリという大都市があるからです。もし再び大規模な噴火が起きた場合、甚大な被害が予想されるため、イタリア当局は厳重な監視体制を敷いており、大規模な避難計画も策定されています。
ヴェスヴィオ山は、ポンペイ遺跡とともに、過去の災害を今に伝える貴重な歴史的遺産であり、観光地としても多くの人々が訪れています。
ジュゼッペ・フィオレッリ(Giuseppe Fiorelli, 1823-1896)
ジュゼッペ・フィオレッリ(Giuseppe Fiorelli, 1823-1896)は、イタリアの考古学者です。19世紀後半にポンペイの発掘を指揮し、それまでの無秩序な発掘方法を科学的かつ体系的な手法へと変革したことで知られています。彼の功績は、現代考古学の基礎を築いたと評価されています。
主要な功績
フィオレッリの最大の功績は、以下の3つの革新的な手法を導入したことです。
石膏像作成法: 火山灰に埋もれた遺体や有機物が腐敗してできた空洞に石膏を流し込み、当時の人々の姿をそのままの形で再現する手法を考案しました。これにより、最期を迎えた瞬間の人々の様子や表情、身につけていた衣服までが鮮明に蘇り、ポンペイの悲劇を世界に伝えることになりました。これは「フィオレッリ法」とも呼ばれています。
層位学的発掘: それまでの無差別な発掘とは異なり、地層(層位)ごとに丁寧に発掘を進める手法を導入しました。これにより、発見された遺物や建造物がどのような文脈で存在していたかを正確に記録できるようになり、遺跡全体の構造や歴史を詳細に理解できるようになりました。また、建物を上から掘り進めることで、崩壊を防ぎながら発掘を進めることが可能になりました。
街の区画整理: 街を「レギオ(地区)」「インスラ(街区)」「ドムス(家屋)」という体系的な区画に分け、それぞれに番号を振る方法を確立しました。このシステムは現在もポンペイ遺跡の調査や観光案内で用いられており、遺跡全体の管理と記録を飛躍的に向上させました。
これらの功績により、フィオレッリは単なる宝物探しだったポンペイの発掘を、科学的な研究へと昇華させました。彼の方法は、その後の多くの考古学発掘に影響を与え、考古学を学術分野として確立する上で重要な役割を果たしました。
山本・リシャール登眞さん
山本・リシャール登眞さんは、テレビ番組『サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん』に出演する「世界遺産博士ちゃん」として知られる、若い研究者でありタレントです。
プロフィールと主な功績
世界遺産検定マイスターの史上最年少取得者: 2016年、わずか11歳で世界遺産検定の最高位である「マイスター」に史上最年少で合格し、大きな注目を集めました。
テレビでの活躍: 『サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん』では、その豊富な知識を活かして「世界遺産博士ちゃん」として、歴史や文化、自然遺産について専門的かつ分かりやすく解説しています。また、TBSの『日立 世界ふしぎ発見!』では、解答者やミステリーハンターとしても活躍しています。
学歴: 2005年、フランス・リヨン市生まれ。現在は京都市在住で、高校卒業後、東京大学の文科一類に進学し、法学部で学んでいます。
専門分野: 世界遺産アカデミー認定講師も務めており、特に世界遺産の持つ「平和の砦」や「多様性」「普遍性」といった側面に焦点を当てて研究しています。
著書: 2022年には、初の著書『WOWファクター ~心の中の平和のとりで~』を出版しました。この本では、世界遺産が単なる観光地ではなく、私たち自身の「人間らしさ」を映し出す存在であるという彼の考えが語られています。
世界遺産に対する考え方
彼は、世界遺産を単に美しい建造物や自然景観として見るのではなく、それがどのようにして生まれ、どのような歴史的背景を持っているのかを深く探求することを重視しています。特に、世界遺産が戦争や紛争を乗り越えて「平和の象徴」となり、文化や民族間の相互理解を促進する役割を持っていることに強い関心を持っています。彼の活動は、多くの人々に世界遺産の奥深い魅力を伝え、その保護と継承の重要性を啓発する上で大きな役割を果たしています。
今週の博士ちゃんは…👨🎓
— サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん(テレビ朝日) (@hakasechan_5ch) December 24, 2024
【イタリア世界遺産SP】
ローマ帝国・滅亡ミステリーに
世界遺産大好き女優 #杏 さんと迫る❗️
約2000年前…
火山灰によって埋もれた街🌋
🇮🇹世界遺産『ポンペイ』へ…🏰
さらに❗️今大注目👀
東京大学の最新発掘現場に特別潜入⚠️🚨
12/28(土)よる6:56~3時間SP📺 pic.twitter.com/uNLbIG2F0x
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