9.11同時多発テロの時は世界が終わると思った💥クローズアップ現代 放送100年SP テレビが伝えた“あの日”と未来
9.11同時多発テロ
こんにちは
猫好き父さんです
9.11同時多発テロのときは
子供が不治の病で入院したときで
朝から病室でテレビを観ていたら
世界貿易センターに飛行機が突っ込んでいて
外では平成13年台風第15号の影響で
嵐になっており
世界が終わってしまうのではと思いました
その後
東日本大震災とか
新型コロナもあって
最近では
能登半島の地震と
疫病とか天災・人災いろいろありますが
それでもどうにか
人類は乗り切っているような
画像は公式からの引用です
内容
貴重な映像で振り返る放送100年。全国のお茶の間を釘付けにした「あさま山荘事件」。近隣住民を犯人視する報道があった「松本サリン事件」。生中継の映像から世界が変わった「9.11同時多発テロ」。激動の時代の舞台裏で制作者たちは何を考えていたのか?当事者への独自取材からつむぎ出されるいくつものメッセージ・・・「視聴者にどう伝えるのか」模索してきたテレビ報道の伝え手たちとともに、これからの時代を展望する。
出演
【出演】藤井貴彦,長野智子,三宅民夫,【キャスター】桑子真帆
「あさま山荘事件」「松本サリン事件」「9.11同時多発テロ」…。
— NHKクローズアップ現代 公式 (@nhk_kurogen) March 23, 2025
激動の時代の舞台裏で制作者たちは何を考えていたのか?
日本人の記憶に刻まれる“あの日”の出来事を現代の視点から徹底取材。テレビの未来を語り尽くす。 #放送100年https://t.co/YceLeaxXOJ
クロ現 今夜7:30 放送&配信








9.11同時多発テロ
2001年9月11日にアメリカ合衆国で発生した同時多発テロ事件は、世界史に残る悲劇的な出来事でした。
事件の概要:
- 4機の民間航空機がハイジャックされ、うち2機がニューヨークの世界貿易センタービル(WTC)のツインタワーに、1機がワシントンD.C.の国防総省(ペンタゴン)に激突しました。
- 4機目の航空機は、乗客と乗員の抵抗により、ペンシルベニア州シャンクスビルに墜落しました。
- これらの攻撃により、約3,000人が犠牲となり、甚大な物的損害が発生しました。
事件の背景:
- 国際テロ組織アルカイダが、アメリカ合衆国の外交政策に対する不満を背景に、このテロを計画・実行しました。
- アルカイダの指導者、ウサマ・ビン・ラディンは、アメリカ合衆国がイスラム世界に介入していると非難し、アメリカ合衆国への攻撃を呼びかけていました。
事件の影響:
- この事件は、アメリカ合衆国および国際社会に大きな衝撃を与え、対テロ戦争の開始につながりました。
- アメリカ合衆国は、アルカイダを支援していたアフガニスタンのタリバン政権を攻撃し、国際社会も対テロ対策を強化しました。
- 航空保安対策が大幅に強化され、世界中の空港でセキュリティチェックが厳格化されました。
- また、国際関係、特に欧米とイスラム世界の関係に大きな影響を与え、その後の世界情勢を大きく変えました。
事件の教訓:
- この事件は、テロリズムの脅威が現実のものであることを世界に示しました。
- 国際社会は、テロリズムに対抗するために、協力して取り組む必要性を再認識しました。
- また、異文化間の相互理解と対話の重要性が改めて認識されました。
この事件は、多くの犠牲者を出した悲劇的な出来事として、私たちの記憶に深く刻まれています。
あさま山荘事件
あさま山荘事件は、1972年2月19日から2月28日にかけて、長野県北佐久郡軽井沢町にある河合楽器製作所の保養所「浅間山荘」において、連合赤軍の残党が人質をとって立てこもった事件です。
事件の概要
- 連合赤軍は、1969年の大学紛争を背景に、共産主義革命を目指した新左翼の武装組織です。
- 山岳ベース事件と呼ばれる仲間内での凄惨なリンチ殺人を起こし、警察の捜査を逃れる為に、1972年2月19日、浅間山荘に人質をとって立てこもりました。
- 警察は、2月28日に突入作戦を開始し、激しい銃撃戦の末、犯人全員を逮捕し、人質を救出しました。
- この事件は、テレビで連日生中継され、全国民が固唾をのんで見守る異例の事態となりました。
事件の背景
- 1960年代後半から1970年代初頭にかけて、日本の学生運動は激化し、一部は過激化しました。
- 連合赤軍は、その過激派の一つであり、共産主義革命を目指して武装闘争を行っていました。
- しかし、内部でのリンチ殺人事件などにより、組織は崩壊寸前となり、警察の追跡から逃れるために浅間山荘に立てこもりました。
事件の影響
- この事件は、日本の学生運動の終焉を象徴する出来事となりました。
- また、テレビ中継が長時間にわたって行われたことで、メディアと事件報道の関係についても議論を呼びました。
- 警察突入時の「鉄球作戦」やその後の凄惨な山岳ベース事件の報道により、国民に大きな衝撃を与えました。
事件の経過
- 1972年2月19日:連合赤軍残党が浅間山荘に立てこもる。
- 1972年2月28日:警察が突入作戦を開始し、犯人全員を逮捕、人質を救出。
事件の結果
- 警察官2名、民間人1名が死亡。
- 警察官26名、報道関係者1名が負傷。
- 連合赤軍残党5名が逮捕。
この事件は、日本の社会に大きな衝撃を与え、多くの教訓を残しました。
松本サリン事件
松本サリン事件は、1994年6月27日に長野県松本市で発生した、オウム真理教による無差別テロ事件です。
事件の概要
- 発生日時:1994年6月27日午後10時40分頃
- 場所:長野県松本市北深志地区の住宅街
- 実行犯:オウム真理教の信者
- 方法:猛毒の神経ガス「サリン」を散布
- 被害:死者8名、負傷者660名
事件の背景
- オウム真理教は、教祖の麻原彰晃(本名:松本智津夫)が設立した宗教団体です。
- 教団は、終末思想や超能力を説き、信者を増やしていました。
- 教団は、以前からサリンなどの化学兵器を製造し、事件を起こしていました。
- この事件は、教団が起こした最初のサリン事件であり、後に発生する地下鉄サリン事件の前兆となるものでした。
事件の経過
- 実行犯たちは、サリンを積んだ改造車を住宅街に乗り入れ、噴霧器でサリンを散布しました。
- サリンは、住宅街にいた住民を襲い、多数の死傷者が出ました。
- 警察は、当初、住民同士のトラブルと見て捜査を進めましたが、後にオウム真理教の関与が浮上しました。
- 教団幹部や実行犯が逮捕され、事件の全容が解明されました。
- 教祖の麻原彰晃を含む教団幹部らの死刑が執行されました。
事件の影響
- 松本サリン事件は、日本社会に化学兵器の脅威を認識させました。
- 警察の捜査体制や、テロ対策の強化が図られました。
- オウム真理教は、社会から孤立し、後に地下鉄サリン事件を引き起こし、解散しました。
- この事件は、無差別大量殺人という点で、日本犯罪史上まれに見る凶悪事件として人々の記憶に残っています。
その他
- 事件に関する情報は、警察庁や公安調査庁のウェブサイトなどで公開されています。
- この事件の被害者や遺族の方々は今も心身の苦しみを抱えています。
この事件は、決して風化させてはならない出来事として、私たちの記憶に深く刻まれています。
平成13年台風第15号(2001年9月8日~9月12日)
平成13年台風第15号(2001年9月8日~9月12日)は、9月4日に南鳥島の南海上で発生し、発達しながら北上し、関東南部に上陸、東海から関東山沿いを中心に大雨をもたらした台風です。
概要
- 台風15号は、9月4日に南鳥島近海で発生し、発達しながら北上しました。
- 9月11日から12日にかけて関東地方を通過し、東海地方や関東地方の山沿いを中心に記録的な大雨となりました。
- 関東地方では、広範囲にわたり暴風や高潮、大雨による被害が発生しました。
被害状況
- 死者・行方不明者:19名
- 負傷者:425名
- 住家被害:全壊34棟、半壊1,524棟、一部損壊3,665棟
- 浸水被害:床上浸水2,270棟、床下浸水6,297棟
- その他、農業・林業・水産業被害、停電被害、鉄道の運休、航空機・フェリーの欠航など、広範囲にわたり甚大な被害が発生しました。
気象状況
- 台風15号は、関東地方に上陸した台風としては異例の強さでした。
- 特に、栃木県の奥日光では期間降水量が895mmに達するなど、記録的な大雨となりました。
- この大雨により、河川の氾濫や土砂災害が多発しました。
主な影響
- 関東地方を中心に、広い範囲で暴風や大雨による被害が発生しました。
- 河川の氾濫や土砂災害により、多くの家屋が浸水したり、倒壊したりしました。
- 鉄道や道路などの交通機関も大きな影響を受け、多くの人が足止めされました。
教訓
- 台風15号は、都市部でも甚大な被害が発生する可能性があることを示しました。
- 事前の情報収集や早めの避難など、防災対策の重要性が改めて認識されました。
- また、河川の氾濫や土砂災害に対する備えも重要であることがわかりました。
この台風は、都市部においても台風による甚大な被害が発生する可能性があることを改めて認識させられる災害となりました。