モラル・マジョリティとの戦い🎶ドキュランドへようこそ「私はマドンナ 後編 リスクなければ栄光なし」
リスクなければ栄光なし
こんにちは
猫好き父さんです
マドンナの強い精神性が
よくわかる
ドキュメンタリーでした
内容
タブロイド紙のターゲットになったマドンナ。大ヒットした「ライク・ア・プレーヤー」は宗教を冒とくしていると非難され、写真集「SEX」も物議を醸したが、「女だって好きにふるまっていい」という彼女のメッセージは、女性たちに大きな影響を与えている。「リスクなければ栄光なし」と語るクイーン・オブ・ポップ=マドンナの生き方を描く。
モラル・マジョリティ
「モラル・マジョリティ」(Moral Majority)は、1970年代後半から1980年代にかけてアメリカ合衆国で大きな影響力を持った、保守的なキリスト教徒による政治団体です。
概要と歴史
- 創設: 1979年、バプテスト派の牧師であるジェリー・ファルエル(Jerry Falwell)を中心に結成されました。
- 背景: 1960年代から1970年代にかけてのアメリカ社会で進んだリベラル化(公民権運動、女性解放運動、性の自由化など)に対し、伝統的なキリスト教の価値観を守ろうとする保守層の危機感が背景にありました。特に、1973年の「ロー対ウェイド判決」(人工妊娠中絶の合法化)や、同性愛者の権利拡大などが、保守層の反発を招きました。
- 目的: キリスト教的・伝統的価値観を政治に反映させ、社会の道徳的退廃を防ぐことを目的としました。
- 活動: テレビ伝道師のネットワークや草の根運動を通じて、多くの支持者を集めました。政治献金、ロビー活動、特定の候補者への支持表明など、積極的に政治に介入しました。
- 解散: 1989年に解散しましたが、その思想や活動は「キリスト教連合(Christian Coalition)」などの後続団体に引き継がれ、アメリカの宗教右派運動の基盤を築きました。
主な主張
モラル・マジョリティは、主に以下の政策や社会問題について強く主張しました。
- 人工妊娠中絶の反対(プロライフ): ロー対ウェイド判決に強く反対し、中絶の全面禁止を主張しました。
- 同性愛者の権利拡大反対: 同性婚や同性愛者の権利拡大に強く反対しました。
- 公立学校での祈り(宗教教育)の導入: 政教分離の原則に反するとされてきた公立学校での祈りを復活させることを主張しました。
- 家族の伝統的価値観の擁護: 伝統的な異性間の家族の形態を理想とし、それ以外の形態を批判しました。
- 国防力強化: 強力な国防力を擁護し、共産主義への強い対決姿勢を示しました。
- ポルノグラフィーの規制: ポルノグラフィーや性的表現の強いコンテンツを社会から排除すべきだと主張しました。
政治的影響
モラル・マジョリティは、1980年代のアメリカ政治に大きな影響を与えました。
- ロナルド・レーガン政権の誕生: 1980年の大統領選挙において、ロナルド・レーガン候補(共和党)を強力に支持し、彼の当選に貢献しました。彼らの活動は、レーガン政権の保守的な政策決定にも影響を与えたとされています。
- 共和党の保守化: モラル・マジョリティのような宗教右派の台頭は、共和党の政策をより保守的な方向へとシフトさせる要因の一つとなりました。特に、社会問題に関する共和党の立場は、この時期に大きく保守化しました。
- 「文化戦争」の激化: 彼らの活動は、アメリカ社会における「文化戦争」(社会問題や価値観をめぐる対立)を激化させる一因となりました。
現在
モラル・マジョリティ自体は解散しましたが、その思想や影響は、現在のアメリカ政治においても「宗教右派(Religious Right)」と呼ばれる勢力の中に息づいています。特に、福音派(Evangelical Christians)と呼ばれるプロテスタントの一派は、現在も共和党の重要な支持基盤となっており、人工妊娠中絶や同性婚などの社会問題において強い発言力を持っています。
モラル・マジョリティとマドンナの間の「戦い」
モラル・マジョリティとマドンナの間の「戦い」は、1980年代から1990年代にかけてのアメリカにおける「文化戦争」の象徴的な側面の一つでした。マドンナは、その音楽、ミュージックビデオ、そしてライフスタイルを通じて、伝統的な価値観や宗教的規範に挑戦し、モラル・マジョリティを始めとする保守的なキリスト教団体からの激しい批判にさらされました。
対立の核心
モラル・マジョリティは、伝統的な家族の価値観、性の純潔、キリスト教的道徳を擁護し、人工妊娠中絶の反対や同性愛者の権利拡大への反対を主張していました。一方、マドンナは、表現の自由、性の解放、フェミニズム、そして自身のセクシュアリティの肯定を貫きました。この両者の根本的な価値観の違いが、衝突の大きな原因となりました。
具体的な論争点
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「Like a Virgin」(1984年):
- この曲名自体が、性的純潔の概念を挑発するものでした。
- ミュージックビデオでは、マドンナがウェディングドレスを着て地面を這ったり、性的含意のあるポーズをとったりする描写があり、保守層から「冒涜的」「扇情的」と批判されました。
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「Like a Prayer」(1989年):
- この曲のミュージックビデオは、マドンナとモラル・マジョリティの対立を最も象徴する出来事の一つとなりました。
- ビデオでは、マドンナが燃える十字架の前で歌い、アフリカ系の聖人にキスをするシーン、警察に不当に逮捕された黒人男性を救うシーン、そしてゴスペル調のコーラスの中で恍惚とした表情を見せるシーンなどが含まれていました。
- これらの描写は、キリスト教団体から「冒涜的」「人種差別的」「神への侮辱」として猛烈な抗議を受けました。特に、ペプシ社がこの曲をCMに起用したものの、その後のMVの内容を受け、わずか1日でCMを取り下げ、スポンサーシップをキャンセルするという事態に発展しました。ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世(当時)も、マドンナのイタリア公演のボイコットを呼びかけるほどでした。
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「SEX」写真集(1992年)とアルバム『Erotica』:
- 前述の通り、『SEX』はヌード、ソフトコアポルノ、BDSMなど、当時の社会がタブー視していた性的表現を大胆に扱った写真集でした。
- 同時期に発表されたアルバム『Erotica』も、性的なテーマを深く掘り下げた内容であり、これらの作品群は、マドンナが「セックスシンボル」としてのイメージをさらに強調し、保守層からの批判を決定的なものとしました。
- モラル・マジョリティや他の保守的な団体は、「家族の価値観を破壊する」「公序良俗に反する」と厳しく非難し、販売中止や放送禁止を求める運動を展開しました。
マドンナの反論とスタンス
マドンナは、これらの批判に対し、一貫して自身の表現の自由を主張し、性的タブーや宗教的規範に挑戦する姿勢を崩しませんでした。彼女は、「アーティストは平穏を乱すために存在する」と述べ、自身の作品が社会に議論を巻き起こすこと自体を表現の一部と捉えていました。
彼女は、自身の性的表現が女性のエンパワーメントや自己肯定に繋がると考え、単なるショック療法ではなく、抑圧された性や人々の多様性を肯定するメッセージを込めていると主張しました。
影響と結末
モラル・マジョリティとマドンナの間の対立は、当時のアメリカ社会における保守とリベラルの文化戦争を浮き彫りにしました。
- モラル・マジョリティの影響力: 彼らは、保守層の支持を集め、共和党の政策形成に影響を与えることで、社会の道徳的規範を維持しようとしました。しかし、彼らの厳格な主張は、多様化する社会の現実との乖離も指摘されました。
- マドンナの影響力: マドンナは、保守層からの批判を受けながらも、その商業的成功と芸術的影響力を維持し、ポップカルチャーにおける表現の自由の境界線を押し広げました。彼女の挑戦的な姿勢は、多くの若者や、伝統的な規範に息苦しさを感じていた人々に支持され、女性アーティストの表現の幅を広げることに貢献しました。
最終的に、モラル・マジョリティは1989年に解散しましたが、彼らが提起した社会問題に関する議論は、形を変えて現在もアメリカ社会に残っています。マドンナは、その後のキャリアにおいても、社会的なメッセージや挑発的なパフォーマンスを続け、表現の自由の象徴的な存在であり続けています。この「戦い」は、芸術と社会、そして個人の自由と集団の規範との間の緊張関係を示す、重要な歴史的エピソードと言えるでしょう。
写真集「SEX」
マドンナが1992年に発表した写真集「SEX」は、その衝撃的な内容で世界中に大きな議論を巻き起こしました。彼女のキャリアの中でも特に物議を醸した作品の一つとして知られています。
「SEX」の概要
- タイトル: 『SEX』
- 著者: マドンナ
- 写真: スティーブン・マイゼル
- 発売日: 1992年10月21日
- 出版社: ワーナー・ブックス (Warner Books)
- 形式: アルミ製のケースに収められた、約475枚の写真とマドンナ自身によるテキストが収録されたハードカバーの写真集。CDアルバム『エロティカ (Erotica)』の付属品として同時期に発表された。
- 特徴: 成人向けの内容であり、ヌード、ソフトコアポルノ、性的な行為、同性間性行為、BDSM(サディズムとマゾヒズム)、アニリングスなど、当時としては非常に過激でタブー視されていた性的表現が多数含まれていました。性的ロールプレイ、緊縛、顔面騎乗、青姦、剃毛プレイといった内容も含まれています。
論争と影響
「SEX」は、その発売前から「噂」が先行し、出版されるや否や、世界中で大きな波紋を呼びました。
- 激しい賛否両論:
- 批判: 多くの批評家や一般の人々からは、「露骨すぎる」「単なるショック療法」「芸術性がない」「ポルノ」といった批判の声が上がりました。一部の書店は販売を拒否し、複数の団体がボイコット運動を行いました。マドンナの新しいアルバムの売上を押し上げるための計算された論争であると見なす批評家もいました。
- 擁護: しかし、一方で、マドンナの表現の自由、性に対するタブーへの挑戦、そして多様なセクシュアリティの肯定として評価する声もありました。特に、当時のLGBTQ+コミュニティにとっては、マドンナが彼らの存在をメインストリームで可視化したことへの感謝の声も聞かれました。
- 商業的成功: 批判をよそに、この写真集は商業的には大成功を収めました。全世界で3日間で初版150万部が完売したと言われています。これは、マドンナの知名度と、そのスキャンダラスな内容への世間の関心の高さを示しています。
- 日本での反響: 日本でも同朋舎出版から日本語版が発売され、大きな話題となりました。
- その後の影響: 「SEX」は、マドンナのキャリアにおいて、彼女が単なるポップスターではなく、社会的なタブーに挑戦し、議論を巻き起こすアーティストとしての地位を確立する上で重要な役割を果たしました。しかし、同時に、彼女のイメージが「ヌード」や「性」と強く結びつけられることになり、後にマドンナ自身が「私をイメージする時に、この"ヌード"だけが連想されないように祈っているわ。私はほかにも色々やってきたもの」と語るように、複雑な影響も残しました。
制作の裏側
「SEX」の制作は極秘裏に進められました。
- 制作に関わった20人は秘密保持契約にサインしました。
- 製本を担当した会社では、プリント作業中に8人の警備員を配置する徹底ぶりでした。
- 当初は「X」というタイトルが検討されていましたが、スパイク・リーの映画のタイトルと同名であったため変更されたとされています。
現在、「SEX」は絶版となっており、オンラインの古書サイトなどでは高値で取引されることが多く、コレクターズアイテムとなっています。この一冊は、1990年代初頭のポップカルチャーと社会の性の概念に大きな影響を与えた、歴史的な作品として位置づけられています。
マドンナの代表曲とセールス
マドンナは「クイーン・オブ・ポップ」として、その長いキャリアの中で数々のヒット曲とベストセラーアルバムを世に送り出してきました。彼女は全世界で3億枚以上のレコードを売り上げており、「史上最も売れた女性レコーディング・アーティスト」としてギネス世界記録にも認定されています。
以下に、マドンナの代表曲と主なアルバム、およびその推定売上についてまとめます。
マドンナの代表曲(シングル)
マドンナのシングルは、多くの国でチャート1位を獲得し、ポップカルチャーに多大な影響を与えてきました。いくつかの代表的なシングルとその売上は以下の通りです(売上は全世界での推定であり、ソースによって多少のばらつきがあります)。
- 「Like a Virgin」 (1984年)
- 言わずと知れたマドンナの代表曲の一つで、彼女を一躍スターダムに押し上げた楽曲。
- 全世界で約600万枚以上のセールスを記録。全米1位。
- 「Material Girl」 (1985年)
- 彼女の初期のイメージを確立した曲の一つで、ミュージックビデオも有名。
- 全世界で数百万枚のセールスを記録。全米2位。
- 「Into the Groove」 (1985年)
- 映画『デスペラートリー・シーキング・スーザン』の挿入歌。特にイギリスで大ヒットし、彼女のUKでの最大のヒットシングルの一つ。
- UKでは95万枚以上、世界で約500万枚のセールス。全英1位。
- 「Papa Don't Preach」 (1986年)
- 十代の妊娠と出産をテーマにした、社会的なメッセージ性も含む楽曲。
- UKで65万枚以上、世界で数百万枚のセールス。全米・全英1位。
- 「La Isla Bonita」 (1987年)
- ラテン調のメロディと異国情緒あふれる雰囲気で人気を博した。
- UKで45万枚以上、世界で数百万枚のセールス。全英1位。
- 「Like a Prayer」 (1989年)
- ゴスペルを取り入れた荘厳なサウンドと、宗教的なタブーに挑戦したミュージックビデオが話題に。
- 世界で590万枚以上のセールス。全米1位。
- 「Vogue」 (1990年)
- ヴォーギングダンスを世界中に広めた楽曲。彼女のダンスパフォーマンスの代表作。
- 世界で約590万枚のセールス。全米1位。
- 「Frozen」 (1998年)
- 『レイ・オブ・ライト』からのシングルで、エレクトロニックなサウンドと神秘的な雰囲気で新境地を開いた。
- 全英1位。
- 「Hung Up」 (2005年)
- ABBAの「Gimme! Gimme! Gimme! (A Man After Midnight)」をサンプリングしたディスコ調の楽曲。
- 全世界41ヶ国で1位を獲得し、900万枚以上の売上を記録した、マドンナの歴代シングルで最高のセールスを記録した曲の一つ。
マドンナの代表アルバムとその売上
マドンナは、複数のアルバムで数千万枚のセールスを記録しています。
- 『Like a Virgin』 (1984年)
- マドンナのセカンドアルバムで、彼女の商業的成功を決定づけた作品。
- 全世界で推定2,100万~2,500万枚以上のセールス。
- 『True Blue』 (1986年)
- マドンナ最大のヒットアルバムの一つで、全世界28カ国で1位を記録。
- 全世界で推定2,500万~2,800万枚以上のセールス。
- 『Like a Prayer』 (1989年)
- 音楽的にも高い評価を受けたアルバムで、前述の同名シングルが収録されている。
- 全世界で推定1,500万枚以上のセールス。
- 『The Immaculate Collection』 (1990年)
- 彼女初のベストアルバムで、初期のヒット曲が網羅されている。
- 全世界で推定3,000万枚以上のセールス。これは女性アーティストのベストアルバムとしては史上最高クラスの売上です。
- 『Ray of Light』 (1998年)
- エレクトロニック・ミュージックの要素を取り入れ、音楽的な評価も非常に高い作品。
- 全世界で推定1,600万~2,000万枚以上のセールス。
- 『Music』 (2000年)
- ダンス・ポップ路線を追求し、これも世界的なヒットとなった。
- 全世界で推定1,100万枚以上のセールス。
- 『Confessions on a Dance Floor』 (2005年)
- ディスコサウンドに回帰し、再び世界中のダンスフロアを席巻した。
- 全世界で推定900万~1,000万枚以上のセールス。
マドンナの総売上は、ギネス世界記録によると、2015年3月時点でアルバムとシングルを合わせて約3億3,500万枚以上とされています。彼女のキャリアは現在も続いており、その売上は今後も変動する可能性があります。
NHK Eテレ 23日(金) 午後11:00
— NHKドキュメンタリー (@nhk_docudocu) May 22, 2025
ドキュランドへようこそ「私はマドンナ 後編 リスクなければ栄光なし」
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