かるたをめぐる過去の因縁と運命😢ちはやふるーめぐりー第7首「せをはやみ」都予選スタートで名人・綿谷新登場!
かるたをめぐる過去の因縁と運命
こんにちは
猫好き父さんです
めぐるが
競技かるたを
やることになったのは
偶然じゃなくて
必然
運命だったんですね
しかし
百人一首の世界は
奥が深いなあ
出演
當真あみ 原菜乃華 齋藤潤 藤原大祐 山時聡真 大西利空 嵐莉菜 坂元愛登 高村佳偉人 橘優輝 【広瀬すず 新田真剣佑 優希美青】 富田靖子 波岡一喜 上白石萌音
あらすじ
もうすぐ東京都予選!全国大会が行われるかるたの聖地・近江神宮を目指すめぐる(當真あみ)たち梅園かるた部は、他校の偵察を開始。みんなで手分けして出稽古に行くことに。一方、凪(原菜乃華)は、かるたを始めた動機を語る。綾瀬千早(広瀬すず)との出会い、そして幼馴染だっためぐるとの苦い思い出で…。 そしてついに始まる予選大会!開会式に登場したのは名人・綿谷新(新田真剣佑)で…!?
【監督】松本千晶
原作
【原作】末次由紀「ちはやふる」(講談社「BE・LOVE」所載)
音楽
【主題歌】Perfume「巡ループ」(Universal Music) 作詞/作曲/編曲:中田ヤスタカ(CAPSULE) 【音楽】横山克
小倉百人一首(おぐらひゃくにんいっしゅ)
小倉百人一首(おぐらひゃくにんいっしゅ)は、鎌倉時代初期の歌人、**藤原定家(ふじわらの さだいえ)**が選んだ和歌集です。百人の歌人の優れた和歌を、一人一首ずつ選び、百首にまとめたものです。
歴史と成立背景 📜
藤原定家は、京都・小倉山の山荘「時雨亭(しぐれてい)」で、友人の宇都宮頼綱(うつのみや よりつな)の依頼を受けてこの和歌を選びました。
選定基準:
**新古今和歌集(しんこきんわかしゅう)**などの勅撰和歌集(天皇の命令で編纂された和歌集)から、優れた歌を選んでいました。
時代の流れに沿って、古い時代の歌人から新しい時代の歌人まで、幅広く選んでいました。
美しい情景や、切ない恋心、人生の無常など、普遍的な感情を詠んだ歌が中心です。
百人一首は、もともと頼綱の山荘の襖(ふすま)に貼るための色紙として選ばれたと言われています。
なぜ広まったのか? 🃏
江戸時代に入ると、百人一首は歌かるたとして遊ばれるようになり、庶民の間で爆発的に広まりました。
教育: 多くの歌が、日本の歴史や文学を学ぶ上で重要な作品でした。
娯楽: 歌かるたは、子供から大人まで楽しめる正月の遊びとして定着しました。下の句(後半の句)を読み上げる「読み手」と、上の句(前半の句)に対応する札を取る「取り手」に分かれて、競い合います。
歌かるたの魅力
歌かるたは、単なる暗記ゲームではありません。
記憶力と瞬発力: 札を早く見つけるためには、上の句を聞いた瞬間に下の句を思い出す記憶力と、札を取る瞬発力が必要です。
競技としての側面: 現在では、競技かるたとして国際的な大会も開かれています。
百人一首は、千年以上も前の人々の暮らしや感情を、現代に伝える貴重な文化遺産です。
小倉山と小倉あんと福岡の小倉の関係
京都の小倉山(おぐらやま)と、お菓子の材料である小倉あん、そして福岡県の**小倉(こくら)**には、直接的な関係はありません。名前が同じなのは偶然です。
それぞれの言葉の由来や関連性を以下にまとめました。
京都の小倉山
小倉山は、京都市右京区にある標高295メートルの山です。紅葉の名所として知られ、古くから多くの歌に詠まれてきました。
歴史: 鎌倉時代の歌人、**藤原定家(ふじわらのさだいえ)が、この山の麓にあった山荘で小倉百人一首(おぐらひゃくにんいっしゅ)**を選定したことから、この名前が広まりました。
小倉あん
小倉あんは、粒あん(つぶあん)に蜜漬けにした小豆(あずき)を混ぜて作ったあんこの一種です。
由来: 江戸時代、京都の小倉山にある小倉百人一首を詠んだ歌にちなんで名付けられたという説があります。和歌の「小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ」(小倉山の峰の紅葉よ、もし心があるなら、もう一度、天皇の行幸を待ちなさい)という歌の、紅葉(もみじ)の葉と小豆の色が似ていることから、雅な名前として使われるようになったとされています。このことから、小倉あんと京都の小倉山には間接的な関係があると言えます。
北九州の小倉
福岡県北九州市にある小倉は、九州北部の中心地の一つで、古くから交通の要衝として栄えてきました。
歴史: 地名の由来は諸説ありますが、土地が倉(くら)のように低くくぼんでいる地形から名付けられたという説や、水草の「おぐら」が繁茂していたことから名付けられたという説などが有力です。
独立した地名: 小倉は、京都の小倉山や小倉あんとは全く異なる由来を持つ独立した地名です。
このように、それぞれの「おぐら」には異なる背景があり、偶然にも同じ名前になったと考えられます。
小倉百人一首以外の百人一首
私たちが「百人一首」と呼んで親しんでいるものは、鎌倉時代の歌人、藤原定家が京都の小倉山で選んだことから、正式には**「小倉百人一首」**と呼ばれます。これは最も有名で、歌かるたとしても広く普及したものです。
しかし、歴史を通じて様々な人物が、異なるテーマや時代に沿って、百人の歌人から一首ずつ選んだ**「異種百人一首」**が数多く編纂されました。
代表的な異種百人一首
百人一首(後鳥羽院版):
鎌倉時代に後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)が、自ら選んだ百人一首です。
小倉百人一首とほぼ同時期に成立したとされていますが、後鳥羽院の政治的な立場や歌に対する考えが反映されており、収録されている歌は小倉百人一首とは異なります。
武家百人一首:
江戸時代に編まれた百人一首で、和歌を詠んだ人物ではなく、武士に焦点を当てています。
戦国時代の武将や歴史上の英雄を百人選び、その人物にまつわる歌や、その人物が詠んだ歌を収録しています。
女百人一首:
和歌を詠んだ女性に限定して選定された百人一首です。
中には、宮廷で活躍した女流歌人だけでなく、庶民や遊女の歌が選ばれているものもあります。
これらの異種百人一首は、それぞれ異なる視点から日本の文学や歴史、文化を切り取っており、多様な「百人一首」の世界を伝えています。
歌かるた
歌かるたとは、日本の伝統的なカードゲームの一種で、百人一首の和歌を使ったかるた遊びのことです。
歌かるたの構成と遊び方 🃏
歌かるたは、2種類の札で構成されています。
読み札(よみふだ): 和歌の上の句(五七五)が書かれた札です。
取り札(とりふだ): 和歌の下の句(七七)が書かれた札です。
遊び方は、まず取り札を床に並べます。読み手が読み札の上の句を読み上げ、その下の句が書かれた取り札を、2人以上の取り手が競って探して取る、というルールです。
歌かるたのルーツ 📜
歌かるたの原型は、平安時代からあったとされる「貝合わせ」という遊びに由来すると考えられています。元々、百人一首は教養を学ぶためのものでしたが、江戸時代に歌かるたとして商品化され、庶民の間で正月遊びとして広く親しまれるようになりました。
歌かるたの魅力
歌かるたは、単なる遊びにとどまらず、日本の文化や言葉に触れる良い機会となります。
記憶力: 読み札の上の句を聞いた瞬間に、対応する下の句が書かれた取り札を思い出す記憶力が必要となります。
瞬発力: 札を見つけて取るための瞬発力も勝敗を分けます。
知的好奇心: 歌に込められた意味や背景を知ることで、さらに楽しむことができます。
現在では、小倉百人一首を使った「競技かるた」が、スポーツのように真剣に競い合う文化として定着し、「畳の上の格闘技」とも呼ばれています。
貝合わせ
貝合わせは、平安時代から伝わる日本の伝統的な遊びで、主に貴族の女性たちに楽しまれていました。ハマグリなどの二枚貝の内側に絵や和歌を描き、そのペアを見つけ出すゲームです。
遊び方の種類
貝合わせには、時代によっていくつかの遊び方がありました。現代で「貝合わせ」として知られているのは、主に「貝覆い(かいおおい)」と呼ばれる遊び方です。
貝合わせ(原形): 平安時代初期の遊びで、貝殻の色や形、珍しさ、あるいは貝を題材にした歌を詠んでその優劣を競う、一種の文学的な遊びでした。
貝覆い: 平安時代末期以降に広まった遊びで、現在の神経衰弱に似ています。
まず、たくさんのハマグリの貝殻をペアに分け、内側に同じ絵や模様を描きます。
片方の貝殻を**「地貝(じがい)」として床にずらっと並べ、もう一方の貝殻を「出貝(だしがい)」**として貝桶(かいおけ)に入れます。
遊び手は、出貝を一つ取り、そのペアとなる地貝を並べられた貝殻の中から探します。
ぴったりと合ったペアを多く集めた人が勝ちとなります。
貝合わせが持つ意味 🎎
ハマグリのような二枚貝は、元々対になっていた貝殻以外とはぴったりと合いません。このことから、貝合わせの貝や、それを収納する「貝桶」は、夫婦が一生涯添い遂げることを願う夫婦円満の象徴とされ、公家や大名家の嫁入り道具として非常に重要視されました。
貝合わせの遊び方や道具については、こちらの動画で詳しく解説されています。
かるた(歌留多)
「かるた(歌留多)」という言葉は、ポルトガル語の「carta(カルタ)」に由来し、「手紙」や「カード」を意味します。
これが日本に伝わり、主に「絵や文字が書かれた紙の札」を用いたゲーム全般を指すようになりました。
語源と日本への伝来 🃏
ポルトガル語: 「carta」は、現代ポルトガル語でも「カード」や「トランプ」を意味します。
日本への伝来: 室町時代末期から安土桃山時代にかけて、ポルトガル商人によって日本に伝わったとされています。当初は、トランプのような遊び方で楽しまれていたようです。
遊び方の発展 🌸
日本に伝わった「carta」は、独自の文化と融合し、様々な種類の遊びに発展しました。
貝合わせ: 元々、平安時代からあったとされる貝合わせ(二枚貝の内側の絵柄を合わせて遊ぶ)の遊びが、紙の札を使ったゲームへと変化しました。
歌かるた: 百人一首の歌を読み上げる「読み札」と、下の句が書かれた「取り札」を使って遊ぶものが最も有名です。
いろはかるた: 「犬も歩けば棒に当たる」のようなことわざや、いろは歌を使ったかるたです。
このように、「かるた」という言葉は、西洋から伝わったカード遊びが、日本の和歌やことわざといった文化と結びついて独自に発展した、幅広い遊びの総称となりました。
その他のかるた競技
はい、あります。私たちが一般的に「競技かるた」と呼ぶものは、小倉百人一首の和歌を使用するルールが全日本かるた協会によって定められているため、ほとんどがこの形式です。
しかし、地域や団体によっては、別の百人一首や、独自のルールで競技が行われることがあります。
1. 五色百人一首(ごしきひゃくにんいっしゅ)
これは、小倉百人一首を5つのグループに色分けしたものです。100枚の札を20枚ずつ、赤、青、黄、緑、桃の5色に分けます。
特徴: 札の枚数が少ないため、子供や初心者でも手軽に遊べるように考案されました。学校の授業や短時間の大会でよく使われます。
2. 下の句かるた(北海道かるた)
北海道で独自に発展したかるたで、競技性も高いのが特徴です。
特徴:
読み札が下の句: 小倉百人一首とは異なり、読み手が**和歌の下の句(七七)**を読み上げます。
木札: 札が厚い木でできており、非常に重厚感があります。
3. 歴史上の人物をテーマにしたかるた
和歌ではなく、歴史上の人物をテーマにしたかるたも存在します。
武家百人一首: 戦国時代の武将や歴史上の英雄を百人選び、その人物にまつわる歌や、その人物が詠んだ歌を収録したものです。
これらの「異種百人一首」は、それぞれ異なる視点から日本の文学や歴史、文化を楽しめるよう工夫されています。
出稽古(でげいこ)
競技かるたの世界では「出稽古(でげいこ)」は非常に一般的で、強くなるためには不可欠な練習方法の一つです。
出稽古が重要な理由
多様な戦い方を経験できる:
普段の所属会(かるた会)のメンバーは、お互いの癖や得意な攻め手をよく知っています。
出稽古に行くことで、初めて対戦する相手や、自分とは異なる戦い方をする相手と戦う機会を得られ、自分の弱点や課題を見つけやすくなります。
実戦経験の積み重ね:
競技かるたの試合では、読み手の声や、札を払う音、対戦相手の動きなど、普段の練習では経験できない緊張感があります。
出稽古は、公式戦に近い環境で練習する場となるため、本番でのパフォーマンス向上につながります。
モチベーションの向上:
他のかるた会の強豪選手と交流することで、新たな目標ができたり、刺激を受けたりすることができます。
これは、自身の技術だけでなく、精神的な成長にも繋がります。
強豪選手ほど、普段の練習に加えて積極的に出稽古を行い、様々な選手との対戦を通じて実力を磨いています。
#ちはやふる ーめぐりー
— ちはやふるーめぐりー【ドラマ公式】日テレ系毎週水曜よる10時~放送中🌸🍁🌙 (@chihaya_koshiki) August 21, 2025
毎週(水)よる10時〜放送中!
今週も、第7話の注目シーンを一挙にお届けします📽️✨
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