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ニューヨーク・ニューヨーク
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ニューヨーク・ニューヨーク
フランク・シナトラの名曲「ニューヨーク・ニューヨーク」に乗せて描くニューヨーク激動の物語。同時多発テロやコロナパンデミックなど、ニューヨークが危機に襲われる度に、市民はこの曲を街の応援歌として歌う。20世紀、この街は世界の人々を引き寄せる磁場となってきた。ベーブ・ルース、ジョン・レノン、ドナルド・トランプなど個性豊かな人物が編み上げた無数の物語によって、ニューヨークは唯一無二の都市となっていった。
【語り】糸井羊司
フランク・シナトラの「ニューヨーク・ニューヨーク (New York, New York)」は、単なる曲ではなく、彼自身のキャリアと、ニューヨークという街の象徴となった、最も有名なアンセムの一つです。
🎤 曲の基本情報と経緯
| 項目 | 内容 |
| 正式名称 | Theme from New York, New York |
| 歌唱 | フランク・シナトラ (Frank Sinatra) |
| 作詞・作曲 | ジョン・カンダー、フレッド・エブ |
| オリジナル | 1977年の同名映画(監督:マーティン・スコセッシ) |
| シナトラ版リリース | 1980年(アルバム『Trilogy: Past Present Future』収録) |
1. 誕生とシンデレラ・ストーリー
この曲は、元々1977年の映画『ニューヨーク・ニューヨーク』のために作られ、ライザ・ミネリが歌唱しました。ライザ・ミネリ版は、ジャズ風でどこか哀愁が漂う曲でした。
2. シナトラによる「再生」
フランク・シナトラは1979年にこの曲をカバーし、彼の晩年の代表曲として、世界的な大ヒットを記録しました。
アレンジの変更: シナトラはテンポを上げ、より力強く、劇的で、楽観的なビッグバンド・スウィングのアレンジに変えました。このアレンジこそが、世界中で知られる「ニューヨーク・ニューヨーク」の決定版となりました。
歌詞の解釈: 「もしここで成功できれば、どこでだってできる (If I can make it there, I'll make it anywhere)」という歌詞が、厳しい世界で成功を収めたシナトラ自身の人生と重なり、曲に圧倒的な説得力と輝きを与えました。
🏙️ 文化的な影響と象徴性
シナトラの「ニューヨーク・ニューヨーク」は、音楽の枠を超え、ニューヨーク市の非公式な市歌のような存在になりました。
1. スポーツ・アンセム
特に、ニューヨーク・ヤンキース(MLB)が試合に勝利すると、決まってこの曲が球場で流されます。また、ニューヨーク・レンジャース(NHL)やニューヨーク・ジェッツ(NFL)など、ニューヨークを本拠地とする多くのスポーツチームにとって、勝利の際の定番ソングとなっています。
2. シナトラの集大成
この曲は、シナトラが人生の後半で「復活」を果たし、キャリアの集大成として歌い上げた作品であるため、成功への野望、華やかさ、そして夢を追いかける情熱の象徴として、今もなお世界中で愛され続けています。
ライザ・ミネリのオリジナル版は映画の雰囲気を色濃く残していますが、フランク・シナトラ版は、ニューヨークという街の持つタフさ、そして限りない可能性を体現する曲として、不動の地位を築いています。
ベーブ・ルース(Babe Ruth、本名:ジョージ・ハーマン・ルース・ジュニア)は、「野球の神様」と称される、20世紀前半に活躍したアメリカのプロ野球選手です。彼は、野球のプレースタイルそのものを変え、メジャーリーグ(MLB)を人気スポーツへと押し上げた史上最も偉大なスポーツ選手の一人として知られています。
⚾ 偉大な功績とキャリアの変遷
1. 「元祖・二刀流」としてのデビュー
ルースは1914年にボストン・レッドソックスでメジャーデビューしました。キャリアの初期は、主に左投げの投手として活躍し、驚異的な成績を残しています。
投手としての実績: 通算94勝、最優秀防御率も獲得するなど、一流の投手でした。
二刀流の記録: 1918年には投手として13勝を挙げながら、打者として11本塁打を記録し、史上初めて「同一シーズンでの2桁勝利・2桁本塁打」を達成しました。この記録は、2022年に大谷翔平選手が達成するまで、100年以上破られることのない伝説の記録でした。
2. 打者への転向と野球の変革
1920年にニューヨーク・ヤンキースへ移籍したことを機に、ルースは打者に専念し、野球の歴史を塗り替えました。
ホームラン時代の到来: 彼は、当時主流だった「ボールを転がす」スモールボールから、「ホームランを狙う」というプレースタイルを確立しました。それまでホームランが珍しかった「デッドボール時代」に、圧倒的な本塁打数を量産し、「ライブボール時代」の到来を告げました。
本塁打記録: 1927年に史上初のシーズン60本塁打を達成し、生涯通算714本塁打という当時としては信じられない記録を打ち立てました(この通算記録は、後にハンク・アーロンに破られるまで長らくMLB記録でした)。
ヤンキースの象徴: ヤンキース移籍後、チームを7度のリーグ優勝と4度のワールドシリーズ制覇に導き、ヤンキースを世界的な強豪チームに育て上げました。ヤンキースの本拠地は、彼にちなんで「ルースが建てた家(The House That Ruth Built)」とも呼ばれました。
🌟 伝説的な逸話
ルースは、そのプレーだけでなく、豪快な人柄や残した数々のエピソードでも人々に愛されました。
予告ホームラン: 1932年のワールドシリーズで、打席に入ったルースが外野の方向を指さし、その直後の投球を予告通りにホームランにしたという伝説的なエピソードが特に有名です。
日本への貢献: 1934年の日米野球で来日し、日本の野球ファンに熱狂的に迎えられました。この日米野球が、日本でプロ野球が誕生する大きなきっかけの一つとなったと言われています。
彼は、1936年にアメリカ野球殿堂が創設された際、最初に選出された5人のうちの一人であり、今もなおMLB史上最高の選手として語り継がれています。
ニューヨーク・タイムズ(The New York Times、略称:NYT)は、1851年に創刊されたアメリカ合衆国の代表的な日刊新聞です。特に質の高い報道と論調で国際的に知られ、**「記録の新聞(The Newspaper of Record)」**とも呼ばれる、最も権威ある新聞の一つです。
🗞️ 概要と特徴
1. スローガン
ニューヨーク・タイムズのモットーは、紙面の一面に掲げられている「All the News That's Fit to Print(印刷に値するすべてのニュース)」です。これは、センセーショナルな報道を避け、正確で信頼性の高いニュースに徹するという同紙の編集方針を象徴しています。
2. 「記録の新聞」
「記録の新聞」と呼ばれるのは、同紙の報道が極めて包括的かつ詳細であり、国内外の出来事を後世に残すための信頼できる資料として見なされているためです。アメリカ国内だけでなく、世界中の特派員による国際報道にも定評があります。
3. 論調と文化
一般的に、ニューヨーク・タイムズは**リベラル(革新的・左派)**な論調を持つとされています。特に政治や社会問題に関する論評は強い影響力を持ちますが、その論調の偏りについて、保守派から批判を受けることもあります。
紙面は、かつてモノクロにこだわり続け、記事のスタイルは、人名に役職や称号を付けるなど、一貫して品格と権威を重んじた形式をとっています。
4. 受賞実績
同紙は、ジャーナリズム界で最も権威あるピューリッツァー賞を90回以上受賞しており、その報道の質の高さを証明しています。
🌐 デジタル化と世界的展開
伝統的な新聞社であるNYTですが、近年はデジタル時代への変革を積極的に進めています。
デジタル・ファースト戦略: 新聞の印刷・配達に依存するビジネスモデルから脱却し、デジタル購読者数を増やす「デジタル・ファースト」戦略に成功しています。
グローバルな読者: デジタル版は世界中の読者に購読されており、スペイン語版や中国語版のウェブサイトも提供するなど、国際的な影響力を拡大しています。
多様なコンテンツ: ニュース記事だけでなく、クロスワードパズル、料理、ゲームなどのデジタルコンテンツも提供し、多角的な収益源を確立しています。
ニューヨーク市の象徴であり、「世界の交差点(The Crossroads of the World)」とも呼ばれるタイムズ・スクエアについてご説明します。
🌃 タイムズ・スクエアの概要と特徴
1. 命名の由来
この広場は、元々「ロング・エーカー・スクエア(Longacre Square)」と呼ばれていました。
しかし、1904年にアメリカの主要新聞である**『ニューヨーク・タイムズ』が、本社ビルをこの広場の角(現在のワン・タイムズ・スクエア**)に移転させたことを記念して、当時の市長により「タイムズ・スクエア」に改名されました。
『ニューヨーク・タイムズ』はその後、本社を別の場所に移しましたが、広場の名前は現在もそのまま残っています。
2. 「世界の交差点」
タイムズ・スクエアは、ブロードウェイと7番街が交差するマンハッタンのミッドタウン中心部に位置します。このエリアは以下の要素が集中しているため、世界で最も人通りの多い商業エリアの一つとなっています。
巨大なネオンサイン・LEDディスプレイ: 周辺のビルを覆い尽くす巨大な広告看板は、昼夜を問わず鮮やかに光り輝き、未来的な景観を作り出しています。掲出料は非常に高額ですが、その視覚的なインパクトはタイムズ・スクエアの最も大きな特徴です。
ブロードウェイ劇場街: タイムズ・スクエア周辺には、40以上の劇場が集まるブロードウェイがあり、世界的に有名なミュージカルが毎晩上演されています。
歩行者天国: 近年、一部のエリアが恒久的な歩行者天国化され、テーブルや椅子が設置され、観光客がくつろげるスペースが設けられています。
3. 歴史と再活性化
タイムズ・スクエアは、かつて1970年代から1980年代にかけて、犯罪率の上昇や風紀の乱れにより、治安の悪い荒廃した地区として知られていました。しかし、1990年代半ば、ルドルフ・ジュリアーニ市長(当時)主導のもとで大規模な浄化作戦が実施され、アダルトショップなどが一掃されました。その結果、安全性が向上し、家族連れや観光客に親しみやすい現在の姿に生まれ変わりました。
4. 主な見どころとイベント
ワン・タイムズ・スクエア (One Times Square): 大晦日の年越しカウントダウンの際に、巨大なクリスタルボールが降下してくる建物です。このイベントは世界的に有名で、毎年数十万人が集まります。
TKTSブース: ダッフィー・スクエアにある、ブロードウェイミュージカルの当日券を割引価格で購入できる有名なチケットブースです。その上にある赤い階段状の座席は、広場全体を見渡せる人気の休憩・写真撮影スポットになっています。
ダッフィー・スクエア: 第一次世界大戦で活躍したフランシス・P・ダフィー神父の像が建つ広場で、TKTSブースと赤い階段があります。
旗艦店: M&M'sストアやハーシーズ・チョコレート・ワールド、ディズニーストアなど、有名ブランドの巨大な旗艦店が並び、ショッピングやエンターテイメントを楽しめます。
**ウォール街(Wall Street)**は、アメリカ合衆国ニューヨーク市マンハッタンの南端にある、わずか7ブロックほどの短い通りの名前です。しかし、この通りに世界有数の金融機関が集積していることから、転じて「アメリカの金融・証券業界全体」を指す代名詞となっています。
🏛️ ウォール街の核心
1. 世界金融の中心地
ウォール街は、ロンドンのシティなどと並び、世界経済の中心地の一つとして機能しています。この一帯には、以下の重要な金融機関が集中しています。
ニューヨーク証券取引所(NYSE): ウォール街に本拠を置く、世界最大の証券取引所です。
ニューヨーク連邦準備銀行: アメリカの中央銀行(FRB)の重要な拠点の一つです。
大手銀行・証券会社: ゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーなど、世界的な投資銀行や金融機関の本社・オフィスが集中しています。
2. 「ウォール街」の名前の由来
「ウォール街」という名前は、その通りの歴史に由来します。
壁(Wall): 17世紀、現在のニューヨークはオランダの植民地「ニューアムステルダム」でした。当時、入植者たちが先住民やイギリス軍の侵攻を防ぐため、この通りの位置に**高い木の壁(wall)**を築いたことに由来します。
その後、壁は取り壊されましたが、その場所にできた通りは「ウォール・ストリート」として名前が残りました。
3. 歴史的な出来事
ウォール街は、アメリカ経済の栄光と崩壊の歴史の舞台となってきました。
1792年:「ボタンの木の協定」
ウォール街に生えていたボタンの木の下で、24人の仲買人が集まり、証券取引のルールを定めたことから、現在のニューヨーク証券取引所(NYSE)の起源となりました。
1929年:ウォール街大暴落
世界恐慌の引き金となった株価の大暴落(ブラック・サーズデーなど)が発生した場所です。
2008年:金融危機(リーマン・ショック)
ウォール街の大手金融機関の破綻と救済は、世界的な金融危機(大不況)を引き起こしました。
4. 「ウォール・ストリート vs メイン・ストリート」
アメリカでは、「ウォール・ストリート」は、裕福な金融・投資業界やエリート層を指す言葉として、一般市民(工場や商店街など、実体経済を支える「メイン・ストリート」)と対比されることがよくあります。この対比は、金融業界と一般市民の間に存在する経済的な格差や政治的な影響力の違いを象徴しています。
ドナルド・トランプ
ドナルド・トランプ氏のキャリアとイメージは、ニューヨーク市と切っても切り離せない関係にあります。彼はニューヨークで生まれ育ち、その初期のビジネスをマンハッタンで展開したことで、全米、そして世界にその名を知られるようになりました。
🏗️ ニューヨークでのキャリア(1970年代〜2000年代)
トランプ氏とニューヨークの関係は、彼の青年期から不動産業界での成功に至るまで、深く結びついています。
1. 不動産王としての台頭
トランプ氏は、父親の不動産業を継ぎ、1970年代から80年代にかけてマンハッタンの大規模な不動産開発で名を上げました。
グランド・ハイアット・ホテル (Grand Hyatt Hotel): 倒産したコモドール・ホテルを市から安く買い取り、改装して高級ホテルとして再生させました。これはトランプ氏の出世作として知られています。
トランプ・タワー (Trump Tower): 1983年にマンハッタンの5番街に建設されたこの高層ビルは、彼の名前と豪華さを象徴する初期のランドマークとなり、彼自身の住居や事業の本拠地となりました。
トランプ・プレイス (Trump Place): ハドソン川沿いの大規模な複合開発です。
これらのプロジェクトを通じて、トランプ氏は「ニューヨークの華やかで豪快な不動産王」というイメージを確立しました。
2. エンターテイメントとメディアの中心地
ニューヨークはアメリカのメディアとエンターテイメントの中心地であるため、トランプ氏はその注目度の高さを最大限に利用しました。
彼の派手なライフスタイルと自信満々な発言は、ニューヨークのタブロイド紙やテレビ番組の格好のネタとなり、ビジネスとセレブリティの両面で有名人となっていきました。
後に人気テレビ番組『アプレンティス(The Apprentice)』のホストを務めた際も、舞台はニューヨークのトランプ・タワーであり、彼の「ニューヨークの成功者」としてのイメージを全国に広めるのに役立ちました。
🇺🇸 政治家としての関係性の変化
彼が政治家として活動し、大統領に就任して以降、ニューヨークとの関係は複雑化しています。
1. 本拠地としてのニューヨーク
大統領就任後も、トランプ・タワーは引き続き彼の公的な住居および選挙本部の一つとして使われました。そのため、トランプ・タワー周辺は一時的に厳重な警備の対象となりました。
2. ニューヨーク州・市の「対立」
ニューヨーク市は民主党支持者が圧倒的に多いリベラルな都市であり、トランプ氏の政治姿勢とは大きく対立しています。
トランプ氏が共和党の大統領候補として登場して以降、ニューヨーク州や市の政治家(市長や州知事など)は、彼の政策や行動に対してしばしば批判的な姿勢をとりました。
彼の支持基盤が地方や中西部に移るにつれ、彼はニューヨークのエリート層を批判の対象とすることもあり、かつて「不動産王」として彼を育てた街との間に距離が生まれました。
要するに、ドナルド・トランプ氏はニューヨークで生まれ、ニューヨークで成功し、ニューヨークを体現したことで世界的な名声を得ましたが、彼のキャリアの後半は、彼を育てたそのニューヨークのエリート層と対立するという、非常に皮肉な関係性を持っています。
ジョン・レノン
ジョン・レノンにとってニューヨークは、単なる居住地ではなく、人生の後半のすべてが詰まった、愛と悲劇の舞台となった特別な街です。
彼は1971年にオノ・ヨーコと共にニューヨークに移住し、1980年に亡くなるまでの約9年間をこの地で過ごしました。
🗽 ニューヨークでの生活と活動
1. 居住地:ダコタ・ハウス(The Dakota)
ジョン・レノンとオノ・ヨーコは、マンハッタンのアッパー・ウエスト・サイドにある歴史的な高級集合住宅、ダコタ・ハウスに入居しました。
平和と安息の地: 彼はここからセントラルパークを見下ろし、ビートルズ解散後の波乱に満ちた生活から離れ、精神的な安定と家庭生活を求めました。
活動拠点: ダコタ・ハウスは、彼らの主要な住居であると同時に、ヨーコのスタジオや家族の再会、音楽活動の拠点ともなりました。
2. 「主夫」としての生活と永住権闘争
1975年に息子ショーン・レノンが生まれると、ジョンは音楽活動を一時休止し、数年間、育児と家庭に専念する「主夫」として静かな生活を送りました。
この間、彼はアメリカ政府から国外退去を命じる裁判闘争(永住権獲得のための闘い)に直面し、その政治的な経験は彼の創作活動にも影響を与えました。最終的に、彼は1970年代後半に永住権(グリーンカード)を獲得し、心からニューヨーカーとなりました。
3. 音楽活動の再開
主夫生活を経てエネルギーを充電したジョンは、1980年にアルバム『**ダブル・ファンタジー (Double Fantasy)』**を発表し、音楽活動を再開しました。このアルバムはニューヨークでの穏やかな生活と家族への愛を歌ったもので、世界的なヒットとなりました。
💔 悲劇の場所
ニューヨークは、彼の人生の終着点ともなりました。
1980年12月8日、ジョン・レノンはレコーディングを終えてダコタ・ハウスの玄関前に帰宅した際、狂信的なファンによって凶弾に倒れ、その命を落としました。
セントラルパークの追悼エリア
ジョンの死後、ダコタ・ハウスのすぐ近く、セントラルパーク内の一角が、彼の功績を讃える追悼エリアとして整備されました。
ストロベリー・フィールズ (Strawberry Fields): 彼の曲名にちなんで名付けられたこのエリアの中心には、「IMAGINE」の文字が描かれたモザイクタイルが埋め込まれています。
ここは、今も世界中からファンが訪れ、花やメッセージを供える、平和を象徴する場所となっています。
ニューヨークは、ジョン・レノンが最も愛し、そしてその命を奪われた、光と影の両面を持つ街だと言えるでしょう。
「ニューヨーク・ニューヨーク」
— 映像の世紀バタフライエフェクト (@nhk_butterfly) October 6, 2025
今夜10時 NHK総合
生誕400年を迎えた #ニューヨーク の激動の物語です。
▼10月から配信はNHK ONEhttps://t.co/WR1rSK2sfA#フランク・シナトラ#ベーブ・ルース#ニューヨーク・タイムズ#タイムズ・スクエア#ウォール街#映像の世紀#バタフライエフェクト pic.twitter.com/QeLVjHIWWk




















