行ったことがない!😎ブラタモリ 日本有数の初詣スポット川崎大師 その人気の秘密に迫る
行ったことがない!
こんにちは
猫好き父さんです
川崎には
実は住んだことがことがあるのだけれども
川崎大師には
実は行ったことがありません
あ~、行っておけばよかった(笑)
ブラ川崎大師
厄除けで有名な、神奈川県の川崎大師。お正月には、数多くの参拝客でにぎわう日本有数の初詣スポットです。その人気の秘密を、2回にわたってタモリさんが解き明かします。平安時代、漁師が海中で発見した“光るご本尊”の正体とは?江戸時代、徳川将軍の参拝をきっかけに厄除け人気が高まったって…一体どういう事?本堂から外に出ると、Uターンしている謎の参道…驚きの理由は、東海道と川崎宿にあった!?
【出演】タモリ,【アナウンサー】佐藤茉那,【語り】あいみょん
「川崎大師(かわさきだいし)」は、正式には「金剛山金乗院平間寺(こんごうざんきんじょういんへいけんじ)」といい、神奈川県川崎市にある真言宗智山派の大本山です。
関東地方では「厄除けのお大師さま」として広く親しまれ、全国から篤い信仰を集める有名なお寺です。
🏯 川崎大師の概要と特徴
1. 厄除けの根本道場
川崎大師は、なんといっても**「厄除け」**のご利益で最も有名です。
御本尊: 厄除弘法大師(やくよけこうぼうだいし)尊像(弘法大師 空海)を祀っています。
由緒: 平安時代末期(1128年)、無実の罪で故郷を追われた平間兼乗(ひらまかねのり)が、夢のお告げに従い海中から弘法大師の尊像を引き揚げ、高野山の尊賢上人とともに寺を建立したのが始まりとされています。兼乗が厄年だったことから、厄除けにご利益があるとして信仰が広まりました。
歴史的背景: 江戸時代には、第11代将軍徳川家斉が厄除け祈願のために公式参拝したことで、庶民だけでなく武士階級にまで信仰が広まりました。
2. 護摩祈祷(お護摩)
川崎大師では、毎日欠かすことなく**護摩祈祷(お護摩)**が修行されています。
意味: 護摩は、仏の智慧の火で煩悩(苦の根源)を焼き尽くすことを表します。
ご利益: 厄除けはもちろん、家内安全、商売繁昌、病気平癒、心願成就など、様々な開運の祈願に効験があるとされています。
3. 関東有数の霊場
初詣: 毎年正月三が日には、300万人近い参詣者が訪れる、全国でも有数の初詣スポットとして知られています。
大本山: 関東三山(成田山新勝寺、高尾山薬王院、川崎大師)の一つで、真言宗智山派の大本山という重要な位置づけにあります。
📍 境内の主な見どころ
大本堂: 寺院の中心となる建物で、厄除弘法大師などが祀られています。
大山門: 1977年に建立された総門で、四方には四天王像が奉安されています。
八角五重塔: 八角形が特徴的な美しい塔で、経典や曼荼羅が安置されています。
経蔵: 中国最後の木版大蔵経である「乾隆版大蔵経」を収蔵しています。
仲見世通り: 境内へ続く参道には、名物の**とんとこ飴(飴きり)**や、だるまなどの縁起物を扱う店が軒を連ね、賑わっています。
川崎大師は、長い歴史と厚い信仰に支えられた、厄除けと開運の祈りの中心地です。
川崎大師の開創伝説(縁起)
川崎大師の公式な縁起は、以下の通りです。
主人公と時代背景:
時代: 平安時代末期の大治3年(1128年)
主人公: **平間兼乗(ひらまかねのり)**という名の武士(後に漁師)。無実の罪で故郷の尾張国(現在の愛知県)を追われ、川崎の地で漁師として貧しく暮らしていました。
夢のお告げと厄年:
兼乗は当時42歳の厄年でした。度重なる災難に苦しんでいた兼乗は、ある夜、夢枕に立った高僧(弘法大師)から「海の中から尊像を引き揚げ、これを供養して人々の功徳を願えば、厄災は福に転じ、諸願も叶う」というお告げを受けました。
海中からの発見:
兼乗がお告げに従って海辺に出ると、網を投げるたびに海中に沈んで引き揚げられないものがありました。
最後にもう一度網を入れると、ついに海中深く沈んでいた弘法大師(空海)が自ら刻んだと伝えられる尊像を引き揚げました。
寺院の建立:
兼乗はすぐに海辺に小さな庵を結び、この尊像を祀りました。
その後、諸国を遊行していた高野山(こうやさん)の**尊賢上人(そんけんしょうにん)**が立ち寄り、尊像の霊験に感銘を受けました。
尊賢上人と兼乗は協力して本格的な寺院を建立し、兼乗の姓にちなんで「平間寺(へいけんじ)」と名付けました。これが川崎大師の始まりです。
この伝説から、御本尊の弘法大師像は「厄除けのご利益がある」として信仰されるようになり、「厄除弘法大師」として全国に広まりました。
したがって、この「漁師が海中で発見した」という話は、川崎大師の信仰の根幹をなす最も重要な由来なのです。
川崎大師(平間寺)が将軍の厄を払ったという逸話は、江戸時代に実在した将軍が深く信仰し、厄除けの霊験を天下に知らしめるきっかけとなった、非常に重要な出来事です。
🏯 将軍による厄除け祈願の逸話
川崎大師の格式を一気に高めたのは、江戸幕府の将軍による参拝です。
1. 参拝した将軍
参拝したのは、江戸幕府の第11代将軍である**徳川 家斉(とくがわ いえなり)**です。
時期: 寛政8年(1796年)
2. 参拝の経緯(厄年と家斉)
徳川家斉は、歴代将軍の中でも特に子宝に恵まれた人物として知られていますが、一方で長寿の将軍であり、たびたび厄年を迎えました。
家斉が42歳の厄年を迎えるにあたり、災いを避けるため、広く名声を得ていた川崎大師の厄除けの霊験に頼ることになりました。
家斉は、公式に川崎大師へ厄除けの祈願を行いました。これは、将軍が個人的な信仰を超えて、幕府の威信をかけて公的に参拝したことを意味します。
3. その後の影響
将軍が直接、川崎大師に厄除けを祈願し、その後に無事に過ごしたという事実は、当時の人々に以下のような影響を与えました。
信仰の拡大: 将軍という天下人ですら頼る霊場であるということが広まり、庶民の間での信仰が爆発的に増加しました。
格式の上昇: 川崎大師は、公的な認知と庇護を得て、寺院としての格式と名声が飛躍的に高まりました。これにより、「厄除けのお大師さま」というブランドが確固たるものとなりました。
4. 証拠の品
川崎大師には、家斉公が参拝の際に奉納した**「大香炉(おおこうろ)」**が現存しており、この歴史的な事実を今に伝えています。
この逸話により、川崎大師は単なる一地方の寺院から、関東を代表する厄除けの根本道場としての地位を確立しました。
川崎大師の名物である「飴」は、正式には「とんとこ飴(とんとこあめ)」や「せき止め飴」などと呼ばれ、川崎大師の参道(仲見世通り)の活気ある風景を象徴する存在です。
🍬 川崎大師名物「とんとこ飴」の特徴
1. 独特な製法と音
この飴の最も大きな特徴は、その製造過程にあります。
音: 仲見世通りを歩くと聞こえてくる、**リズミカルな「トントントン」**という独特な音が名前の由来です。
製法: 熟練の職人が、飴を伸ばして包丁で切る際に、台座に載せた大きな包丁を交互に打ち下ろします。この際に、リズムに合わせて包丁が台座に当たる音が「トントコトントコ」と響き渡ります。この様子は、参拝客の目を楽しませる名物パフォーマンスにもなっています。
2. 縁起とご利益
切り飴: 飴を縁起よく切り分ける様子から、**「厄を断ち切る」「運を開く」**などの縁起物として親しまれています。
せき止め: 喉に良いとされる生姜やニッキ(シナモン)などが練り込まれていることが多く、特に咳止めや喉の痛みに効くと言い伝えられ、「せき止め飴」としても有名になりました。
3. 主な飴の種類
仲見世通りには何軒もの老舗の飴屋が並んでおり、それぞれ少しずつ味や配合が異なりますが、主にとんとこ飴として販売されているのは以下の種類です。
生姜入り飴: 生姜のピリッとした風味があり、最も一般的なせき止め飴のタイプです。
ニッキ(桂皮)入り飴: シナモンのような独特な香りが特徴で、上品な味わいです。
抹茶飴、きな粉飴: その他、様々な風味を加えた飴も売られています。
4. 仲見世通りの活気
川崎大師の仲見世通りは、この飴屋の「トントン」という音と、職人の手際よい飴切りの様子、そして立ち込める甘い香りが一体となって、非常に賑わいのある独特な空間を創り出しています。
川崎大師を訪れた際は、ぜひ仲見世通りでこの伝統の音と味わいを楽しんでみてください。
川崎大師の仲見世通りや参道が、かつての**東海道(とうかいどう)**との関係で「U字型」または「クランク状」になっているという話は、地理的な配置と歴史的な経緯に基づいた興味深い事実です。
これは、主要な街道である東海道から、**あえて寺院へと向かう参道を少し「曲げて」**造ることで、寺院の重要性を高めるという意図があったためと考えられています。
🛤️ 川崎大師と東海道、参道の関係
1. 東海道との位置関係
川崎大師(平間寺)は、江戸時代に日本の大動脈であった東海道(旧東海道)から少し奥まった場所に位置しています。
東海道(旧東海道): 現在の京急川崎駅付近を通り、多摩川を渡って江戸に向かう主要なルートでした。
川崎大師: 東海道の川崎宿から南東へ約1.5kmほど離れた場所にあります。
2. 参道が「U字」または「クランク」になる理由
参詣者が東海道から川崎大師へ向かう経路は、以下のような形をとります。
① 集客と商業の意図
東海道を行く旅人にとって、川崎大師は**「少し寄り道」**をして参拝する場所でした。
参道が東海道に対して真っ直ぐではなく、一度横に逸れてから、再び門前に向かって曲がるような形をとることで、旅人に「聖地へ向かっている」という意識を強く持たせるとともに、参道沿いの店(仲見世)に多く立ち寄らせる商業的な効果も狙っていたと考えられます。
② 寺院の格式の保持
主要街道の賑やかさから寺院を隔離することで、聖地としての静けさと威厳を保つ役割もありました。
街道から直接寺院が見えないように配置することで、一歩境内に入ると俗世間と切り離されたような、厳かな雰囲気を演出することができます。
3. 現在の参道の経路
現在、川崎大師への最も一般的な経路は、京急大師線を利用して川崎大師駅から仲見世通りを通るルートです。
しかし、旧東海道の川崎宿方面から歩いて向かうと、かつての東海道から川崎大師へと向かう道筋が、現在もややクランク状に曲がりながら寺院の門前へとつながっている様子を見て取ることができます。
この曲がりくねった経路は、単なる地形的な制約だけでなく、江戸時代の人々が街道から聖地へと向かう際の心理的な移行や、賑わいを生み出すための工夫が詰まった、歴史的な名残と言えます。
『ブラタモリ』日本有数の初詣の名所へ…廃線跡にある工場にタモリ大興奮「また来たい」【コメントあり】(写真 全4枚)https://t.co/kmpQ3CiuMe
— オリコンニュース (@oricon) December 12, 2025
#タモリ #ブラタモリ























