これは訪問看護の原型?💛【連続テレビ小説】風、薫る(43)第9週「看病婦とアメ」
これは訪問看護の原型?
こんにちは
猫好き父さんです
訪問看護
初めて物語かな?
あらすじ
りん(見上愛)は個室の患者を多く受け持つようになり忙しい日々。ゆき(中井友望)とトメ(原嶋凛)は、患者の小野田(宮地雅子)の食欲がない様子が気になっていて…。そんな中、りん(見上愛)と直美(上坂樹里)は手術介助を学ばせてほしいとフユ(猫背椿)に再び頼み込むが、フユの家の事情が明らかになる。
出演者
【出演】見上愛,上坂樹里,生田絵梨花,菊池亜希子,中井友望,木越明,原嶋凛,じろう,【語り】研ナオコ
原作・脚本
【脚本】吉澤智子,【原案】田中ひかる
音楽
【音楽】野見祐二
訪問看護
日本における看護婦(現在の看護師)による「訪問看護」の歴史は、明治時代にその原型が生まれ、大正・昭和の公衆衛生活動を経て、平成時代に現在の「訪問看護ステーション」の仕組みとして確立されたという長い歩みがあります。
いつから始まったのか、その起源と発展の歴史を大きく4つの時代に分けて解説します。
1. 始まりの起源:明治時代(1890年代〜)
日本で「看護婦が患者の自宅を訪れてケアをする」という活動が最初に形になったのは、明治時代の中頃(19世紀末)です。
当時は現在の「訪問看護」という言葉ではなく、キリスト教系の宣教師や慈善団体、そして日本赤十字社などによる「慈善看病(慈善看護)」というボランティア活動として始まりました。
病院に通うお金がない貧困層の家庭を看護婦が私費やボランティアで訪問し、病人の世話や衛生指導を行ったのが、日本の訪問看護の最も古いルーツと言われています。
2. 組織化の始まり:大正時代(1910年代後半〜)
大正時代に入ると、ボランティアではなく「社会の仕組み」として訪問看護が組織化され始めます。
「聖路加国際病院」による先駆的な試み(1917年〜)
1917年(大正6年)、東京の聖路加国際病院の設立者であるトイスラー医師らの主導により、日本で初めて組織的な「公衆衛生看護(訪問看護)」の活動が開始されました。看護婦が地域住民の家庭を1軒ずつ訪問し、結核などの感染症予防、乳幼児の保健指導、妊産婦のケアなどを行いました。これが現代の保健活動や訪問看護の直接的な土台となっています。
3. 行政による制度化:昭和時代(1930年代〜)
昭和に入ると、国や自治体が主体となって全国へ広がっていきます。
「保健婦」の誕生と家庭訪問(1941年〜)
1941年(昭和16年)に「保健婦規則」が制定され、国家資格として保健婦(現在の保健師)が誕生しました。彼女たちの主な任務は、地域住民の家を回る「家庭訪問」でした。当時はまだ医療処置というよりも、結核予防や乳幼児の栄養改善といった「公衆衛生・保健指導」としての訪問が中心でした。
病院からの訪問(昭和40年代〜)
戦後、高齢化や脳卒中などの寝たきり患者の増加が社会問題になると、一部の先駆的な病院や診療所が、退院後の患者のために独自に看護婦を自宅へ派遣するサービスを始めました。
4. 現代の「訪問看護」制度の確立:平成時代(1992年〜)
私たちが今よく知る「誰もが公的な保険を使って利用できる訪問看護」が正式に始まったのは、1992年(平成4年)のことです。
「訪問看護ステーション」の誕生
1992年の老人保健法・医療法の改正により、「老人訪問看護制度」がスタートしました。これにより、病院に所属していなくても、独立した事業所として看護師が常駐する「訪問看護ステーション」を街中に開設できるようになりました。
介護保険制度の導入(2000年)
2000年に介護保険制度が始まると、訪問看護は「医療保険」だけでなく「介護保険」の枠組みでも利用できるようになり、高齢者が自宅で療養生活を送るための不可欠なサービスとして完全に定着しました。
💡 まとめ
最初のルーツ(原型):明治時代(1890年代〜)の慈善活動
組織的な仕組みの始まり:1917年(大正6年)の聖路加による公衆衛生看護
現在の保険制度としての開始:1992年(平成4年)の訪問看護ステーション法制化
このように、130年以上の時間をかけて、日本の訪問看護は「貧しい人への慈善活動」から「誰もが安心して自宅で医療ケアを受けられる国家制度」へと進化を遂げてきました。
フユの夫・康介の家に看護をしにきたりんと直美。
— 朝ドラ「風、薫る」公式 (@asadora_nhk) May 26, 2026
まず、洗髪し、布団を干し、枕を洗うことに。
👇康介「いやそれはぁ……助かる」https://t.co/JpI51kKl23
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見上愛 上坂樹里 じろう#朝ドラ #風薫る pic.twitter.com/sgU3DDbwEE




















