はじめの一歩💛【連続テレビ小説】風、薫る(54)第11週「凪(なぎ)にそよぐ」
はじめの一歩
こんにちは
猫好き父さんです
廃娼運動が
実質的に実を結ぶのは
第二次世界大戦後
なかなか
人間の業は深いということか
あらすじ
りん(見上愛)と直美(上坂樹里)の献身的な看護で、セツ(村上穂乃佳)の体調は回復していった。ある日、再び権田(梅垣義明)がやってくるが、権田の様子はどこか変わっていて…。一方、院長の多田(筒井道隆)はある計画を進めていた。
出演者
【出演】見上愛,上坂樹里,佐野晶哉,原嶋凛,早坂美海,梅垣義明,村上穂乃佳,筒井道隆,水野美紀
原作・脚本
【脚本】吉澤智子,【原案】田中ひかる
音楽
【音楽】野見祐二
権田「店辞めて構わねぇって言ってんだ」
— 朝ドラ「風、薫る」公式 (@asadora_nhk) June 10, 2026
シマケンが書いた新聞記事の影響で店の客足が途絶えたため、
これ以上記事を書かなければ夕凪は辞められることになりました。
👇セツからもある条件を出して……https://t.co/IQqR5tkb7p#朝ドラ #風薫る
見上愛 上坂樹里 村上穂乃佳 梅垣義明 pic.twitter.com/EKqSJT4ot1
明治時代に展開された「廃娼運動(公娼制度を廃止しようとする運動)」において、「明治時代を通じて、県全体で完全に遊郭が廃止・一掃されたのは群馬県のみ(わずか数か所)だった」というのが歴史的な事実です。
全国的な運動へと発展し、多くの府県の議会で廃止案が可決されたものの、政府や業者側の強い抵抗に遭い、明治の段階で「遊郭そのものを完全に消滅させる」まで至ったケースは極めて限定的でした。
明治期の廃娼運動と遊郭の廃業をめぐる具体的な規模や数字について、以下の3つのポイントで解説します。
1. 唯一「完全廃止」を成し遂げた群馬県の規模
1882(明治15)年、群馬県議会で全国にききがけて「公娼廃止の建議」が可決されました。業者側との10年以上にわたる激しい攻防の末、1893(明治26)年12月31日をもって群馬県内から公娼制度(遊郭)が完全廃止されました。
この時に廃業に追い込まれた(あるいは他県へ移転した)規模は以下の通りです。
廃止された遊郭(貸座敷)の数: 県内全体で数か所〜十数か所程度
当時の群馬県は全国的に見ると遊郭の規模が比較的小さく、前段階で貸座敷の数が数百戸程度だったため、地域一体となった運動によって完全に廃止することが可能でした。これにより群馬県は長らく全国唯一の「廃娼県」として知られることになります。
2. 全国的な動き:可決されたが「廃業」には至らなかった
明治20年代に入ると、キリスト教系の団体(婦人矯風会など)や自由民権運動の流れをくむ青年たちが全国で猛烈な運動を展開しました。
その結果、栃木県、福井県、石川県、岡山県など多くの府県議会で「遊郭の廃止(廃娼)」の建議が可決されました。しかし、これによって遊郭がすぐに廃業に追い込まれることはありませんでした。
理由: 地方議会で決議されても、最終的な執行権を持つ知事(当時は官選)や警察、あるいは政府(内務省)が「時期尚早」「税収が減る」などの理由で、条例の施行を拒否したり、先延ばしにしたりしたためです。
そのため、明治時代においては「運動によって議会は動かせたが、実質的に廃業に追い込まれた遊郭は(群馬県を除いて)ほとんどなかった」というのが実情です。
3. 明治後期の「遊郭大火」と「自由廃業」の広がり
明治末期になると、アプローチの異なる形で遊郭の廃業や全廃運動が盛り上がります。
① 遊郭の大火による廃業・移転の危機
1909(明治42)年から1911(明治44)年にかけて、東京の吉原遊郭、大阪の曾根崎遊郭や難波遊郭といった、日本を代表する巨大遊郭が相次いで大火事に見舞われました。
廃娼運動団体は「これを機に遊郭を再建させず、そのまま廃業に追い込もう」と大規模な署名活動を行いました。結果的にこれらは再建されてしまいますが、一部の業者がそのまま廃業するなどの影響を与えました。
② 「自由廃業」による娼妓の減少
1900(明治33)年、内務省が「娼妓取締規則」を制定し、本人の自由意志による「自由廃業」が法的に認められるようになりました。それまでは、遊郭の楼主(経営者)の同意がなければやめられなかったものが、警察に届け出ればやめられるようになったのです。
これにより、明治末期から大正時代にかけて全国で何万人という女性たちが遊郭を去り、実質的に規模が縮小して経営難から廃業する貸座敷も出始めました。
まとめ
明治時代、日清戦争以降の日本には約500か所の遊郭、約1万軒の貸座敷が存在していたとされています。
その中で、明治の廃娼運動によって「制度として強制的に遊郭がゼロになった」のは群馬県のみでした。本当の意味で全国の遊郭が一斉に廃業・解体へ追い込まれるのは、戦後のGHQによる公娼廃止指令(1946年)や、売春防止法の完全施行(1958年)を待つことになります。

















