明治の女性にとっての結婚とは?👰【連続テレビ小説】風、薫る(56)第12週「旅立ち」
明治の女性にとっての結婚とは?
こんにちは
猫好き父さんです
経済的自立だけが
結婚ではないけど
この時代はそれが
とても重要なのかも
あらすじ
安(早坂美海)と宗一(上杉柊平)の結婚に向け、両家の顔合わせの日を迎える。慌ただしく準備をするりん(見上愛)と美津(水野美紀)だが、環(英茉)は元気がなく、安も何か思い悩んでいるようで…。一方のバーンズ(エマ・ハワード)は、捨松(多部未華子)のもとを訪れていた。
出演者
【出演】見上愛,佐野晶哉,早坂美海,林裕太,上杉柊平,多部未華子,筒井道隆,水野美紀,【語り】研ナオコ
原作・脚本
【脚本】吉澤智子,【原案】田中ひかる
音楽
【音楽】野見祐二
結婚することを迷い始める安と結婚をしてほしいと願う美津。
— 朝ドラ「風、薫る」公式 (@asadora_nhk) June 14, 2026
論点がずれた言い合いが始まってしまいましたが、
👇そこに…誰かが…https://t.co/3ctTDdGFwE
美津と安のシーンをもう一度#朝ドラ #風薫る
見上愛 水野美紀 早坂美海 英茉 pic.twitter.com/61Ic0CqQc5
明治時代という激動の時代において、女性にとっての「結婚」は、現代のような「個人の幸福」や「恋愛の成就」とは全く異なる、「家」と「生存」をかけた極めて切実な意味を持っていました。
明治政府が制定した法律(明治民法)や当時の社会情勢を踏まえると、明治時代の女性にとっての結婚には、主に以下のような4つの意味がありました。
1. 「家(いえ)」を存続させるための義務
明治中期(1898年)に施行された明治民法によって、日本は強力な「家制度(いえせいど)」を中心とする社会になりました。 この制度において、結婚は「個人と個人の結びつき」ではなく、「家と家の結びつき」でした。
「戸主(こしゅ)」の許諾が必要
結婚する際、女性側の戸主(父親など)と男性側の戸主の許可が絶対条件でした。女性個人の「この人と結婚したい/したくない」という意思はほとんど反映されず、家の格(家柄)や利益、親の命令によって結婚相手が決まるのが普通でした。
跡継ぎ(男児)を生むプレッシャー
妻として婚家に入った女性の最大の任務は、その家の血筋を絶やさないために「男の跡継ぎを生むこと」でした。もし子供(特に男の子)が生まれなければ、「家に不忠である」として、一方的に離縁(離婚)される大義名分にすらなりました。
2. 法律によって「無能力者」となる契約
現代の感覚からすると驚くべきことですが、明治民法において、結婚した女性(妻)は法律上の「妻の能力制限(一種の制限行為能力者)」に置かれました。
妻が自分の財産を処分したり、借金をしたり、訴訟を起こしたり、何かの契約を結んだりするときには、すべて「夫の許可」が必要でした。
法律上、妻は夫の庇護下に置かれる存在であり、一人の独立した大人としての権利を大きく制限されることになったのです。そのため、結婚とは「夫の支配下に入る(従属する)こと」と同義でもありました。
3. 経済的に生き延びるための「唯一の就職口」
では、なぜ女性たちはそれほど不平等な結婚を受け入れたのでしょうか。それは、当時の社会では「結婚しなければ女性は経済的に生きていけなかったから」です。
明治時代、女性が自立できるだけの職業(事務職や専門職など)は極めて限定的でした。
一部の裕福な家庭の女性を除けば、実家にいつまでも独身で居続けることは「親不孝」「家の恥」とされ、経済的にもお荷物になってしまいます。そのため、女性にとって結婚とは、生活の安定と衣食住を確保するための「最大の、そして唯一に近い就職口」だったのです。
4. 社会的な「一人前」としての証明
当時は「男は外で働き、女は家庭を守る」という性別役割分担が美徳とされた時代です。
女性は結婚して初めて「主婦(主(あるじ)の婦)」となり、家庭を切り盛りする責任ある立場として、地域社会からようやく「一人前の女性」として認められました。
逆に、一定の年齢を過ぎても独身でいる女性は「行き遅れ」などと呼ばれ、本人だけでなく家族までもが社会的に冷たい目で見られる時代でした。世間体や周囲からのプレッシャーから逃れるためにも、結婚は必須の通過儀礼だったのです。
一方で、大正・昭和へとつながる変化の兆しも
このように書くと、明治の女性はただ耐えるだけの悲惨な存在に見えますが、明治後期になると徐々に変化が訪れます。
女子教育の普及によって知識を身につけた女性たちが現れ、平塚らいてう等による女性解放運動や、前述の「廃娼運動(公娼制度への抵抗)」などを通じて、「女性の尊厳や自由な生き方」を叫び始める芽が生まれたのも、まさにこの明治時代でした。
明治の女性たちにとっての結婚は、自由を制限される苦しさがありつつも、あの激動の時代を「家」の一員として、そして「母・妻」として命を繋ぎ、生き抜くための、最も現実的で切実な選択肢だったと言えます。

















