鶴はかつて食用だった!😎ブラタモリ 伊勢神宮への旅・第三夜▼徳川御三家の巨大港!超絶技巧の土産!
伊勢神宮への旅・第三夜
こんにちは
猫好き父さんです
伊勢神宮への旅・第三夜
驚きの回でした
まず、タモリさんの
鶴は美味しいらしいですねえ!
の発言、鶴って食べられるんですね
というか江戸時代は食べてたんですね!
という驚き
それと
伊勢型紙
伊勢型紙を作るのにも技術が必要でしょうが
伊勢型紙を使って布を染めるのにも
技術が必要だと思いましたが
まさか、ガイドブック付きで
販売されていたとは驚きです
画像は公式からの引用です
ブラタモリ
新シリーズスタート!4月は伊勢神宮へと至る“伊勢路”と呼ばれる道の中でも、江戸からお伊勢参りに向かった人々のメインルート、三重県桑名市から伊勢神宮までの90kmに及ぶ道を旅します!第三夜は、鈴鹿サーキットをタモリが激走!コースの中で見つけた謎の池の正体とは?さらに白子宿では、徳川御三家が作った巨大港を発見!江戸時代、地域の一大拠点となった町で、伊勢参りの大人気おみやげを作った驚異の職人技に迫ります
【出演】タモリ,【アナウンサー】佐藤茉那,【語り】あいみょん
かつて鶴が食用だった件
かつて鶴が食べられていたのは事実です。以下にその詳細をまとめました。
歴史
- 縄文・弥生時代: 貝塚などから鶴の骨が出土しており、食用にされていたと考えられています。特に低湿地に住んでいた人々が、そこに生息していた鶴を食べていた可能性があります。
- 平安時代~中世: 鳥食文化が根付く中で、鶴も食用とされていました。
- 江戸時代:
- 鶴は珍味として扱われ、「三鳥二魚」という5大珍味の一つに数えられていました(鶴、雲雀、鷭、鯛、鮟鱇)。
- 武家社会では、将軍や大名への献上品とされ、饗宴料理にも使われました。天皇の御前で鶴を捌く儀式も存在しました。
- 江戸の料理本には鶴を使った汁物などのレシピが残っています。
- 地域によっては、鶴を生きたまま塩漬けにして保存し、食用としていた記録もあります。
- ただし、タンチョウヅルは肉が硬く、あまり食用には適さなかったようです。主に食用とされたのはナベヅルなど他の種類の鶴でした。
- 庶民も、地域によっては鶴を食べていた記録があります。
- 明治時代: 明治時代頃までは、新聞記事などに鶴料理の記事や広告が見られます。
- 戦前・戦後: 食糧難の時代には、鶴が食用にされていたという話も一部で聞かれます。
食文化が衰退した理由
- 資源の減少: 鶴の生息数が減少し、貴重な鳥となったため。
- 保護意識の高まり: 鶴が国の特別天然記念物などに指定され、保護の対象となったため。
- 食生活の変化: 他の食料が豊富になり、あえて鶴を食べる必要がなくなったため。
現在では、日本では野生の鶴を捕獲・食用にすることは法律で禁止されています。かつては食用とされていた歴史があるものの、現代ではその食文化はほぼ消滅しています。
鷹狩と鶴の関係
「鷹狩(たかがり)」は、訓練した鷹などの猛禽類を使って鳥や獣を捕らえる狩猟方法です。日本においては古くから行われており、武家社会では将軍や大名などの間で盛んに行われました。
鷹狩と鶴の関係についてですが、鶴は鷹狩の獲物となることもありました。
鷹狩における鶴
- 貴重な獲物: 鶴は体が大きく、捕獲が難しいため、鷹狩においては特別な獲物とされていました。
- 将軍家への献上: 徳川将軍家には、鷹狩で捕らえた鶴を朝廷に献上する「鶴御成(つるおなり)」という習わしが年末の恒例行事としてありました。
- 訓練された鷹: 鷹は本来、自分よりも大きな鳥を襲うことを避ける傾向があるため、鷹匠は鶴を狩れるように特別に訓練した鷹を用いました。主に、ツルの中では比較的小型のナベヅルや、やや大きなマナヅルが獲物として狙われたようです。タンチョウヅルは体が大きすぎるため、鷹狩の対象としては難しかったと考えられています。
- 鷹狩の様子: 鳥見という役人が鶴の飛来状況を調査し、その情報をもとに鷹狩の日程が組まれました。将軍が鷹を放ち、数羽の鷹で連携して鶴を捕獲する様子が記録されています。捕らえられた鶴は、内臓を鷹に与え、塩漬けにして京都へ送られました。
- 鷹の種類: 鶴狩りに用いられた鷹の種類は特定されていませんが、オオタカなどが使われた可能性が考えられます。
鶴の保護という側面
興味深いことに、江戸時代の鷹狩は、鶴の「保護」という側面も持っていたと考えられています。
- 鷹場(鷹狩を行う場所)では、犬や猫の管理が徹底され、周辺地域を含めた銃砲の規制が行われました。
- 鶴の飼い馴らしや餌付けを行う役職も存在しました。
これらの措置は、結果的に鶴の渡来や定着を維持する上で効果があったと評価されています。ただし、保護によって鶴が人に慣れ、農作物被害を引き起こすなどの軋轢も生じたようです。
このように、鷹狩と鶴の間には、狩猟の対象としての関係だけでなく、当時の社会における権威の象徴や、結果的な保護といった複雑な関係性があったと言えます。
三重県鈴鹿市の白子宿について
白子宿(しろこじゅく)の概要
- 三重県鈴鹿市に位置する白子は、伊勢街道(お伊勢参り)の宿場町として古くから栄えました。
- また、白子港を中心に、伊勢湾の豊かな漁場を背景とした水産業の町としても発展しました。
- 現在では、近鉄名古屋線の白子駅があり、鈴鹿サーキットへのアクセス拠点としても知られています。
歴史
- 白子の地は古くから開けており、渡来人が住み着き「新羅(しらぎ)」と呼ばれていたものが転じて「白子」になったという説があります。
- 江戸時代に入ると、伊勢街道の宿場町として整備され、多くの旅人で賑わいました。本陣や脇本陣、旅籠などが軒を連ね、物資の集散地としても重要な役割を果たしました。
- 白子港は、江戸時代には廻船業が盛んで、伊勢湾沿岸の物資輸送の中継地として繁栄しました。
現在の様子
- 近鉄白子駅周辺は、再開発が進み、ホテルや商業施設などが集積しています。鈴鹿サーキットへのアクセスも便利です。
- 旧伊勢街道沿いには、古い町並みが一部残っており、往時の面影を偲ぶことができます。歴史を感じさせる建物や、古い商家などが点在しています。
- 白子港は現在も漁港として機能しており、新鮮な海の幸が水揚げされます。
主な見どころ
- 白子駅: 近鉄特急が停車する主要駅。駅周辺は商業の中心地となっています。
- 白子港: 歴史ある漁港。周辺には海鮮料理を楽しめる飲食店もあります。
- 旧伊勢街道の町並み: 一部残る古い建物を見学し、宿場町の雰囲気を味わうことができます。特に、枡形と呼ばれる街道が直角に曲がる場所などが当時の面影を残しています。
- 神社仏閣: 地域には、歴史のある神社仏閣がいくつか存在します。例えば、江島若宮八幡神社の常夜燈は、かつて白子港に出入りする船の灯台の役割も果たしていました。
- 松葉屋旅館: 創業昭和28年の老舗旅館で、昭和レトロな雰囲気を残しています。旧伊勢街道沿いにあり、長期滞在にも適しています。
アクセス
- 近鉄名古屋線「白子駅」下車すぐ。
- 東名阪自動車道「鈴鹿IC」から車で約20分。
鈴鹿サーキットを訪れる際には、少し足を伸ばして白子宿の歴史的な町並みを散策してみるのもおすすめです。
伊勢型紙について
伊勢型紙(いせかたがみ)とは
伊勢型紙は、三重県鈴鹿市(旧伊勢国白子、寺家、江島地区)を中心に生産されている、着物などの生地を染める際に用いる型紙です。千年以上の歴史を持つ日本の伝統工芸品であり、その繊細な手彫りの技術は国の重要無形文化財、そして型紙そのものは国の伝統的工芸品(工芸用具・材料)に指定されています。現在、国内で流通する型紙の99%が鈴鹿市白子地区で作られています。
歴史
伊勢型紙の起源は定かではありませんが、奈良時代に大陸から伝わった型染めの技術が発展したものと考えられています。いくつかの説があります。
- 奈良時代(神亀年間): 「孫七」という人物が型紙業を始めたという説。
- 平安時代~室町時代: 伝説に近い起源説がいくつか存在します。
- 戦国時代: 京都から逃れてきた公卿が、子安観音寺の門前で土産物として切り紙細工を売ったのが始まりという説。
- 江戸時代: 紀州藩の保護を受け、武士の裃に使われた小紋柄の需要が高まったことで大きく発展しました。型紙を彫る職人と染める職人の連携、そして型紙を販売する業者の活動によって全国に広まりました。
- 明治時代以降: 株仲間の解散、戦争による打撃などを経ながらも、技術は受け継がれてきました。しかし、近年は着物需要の低迷やプリント技術の普及により、手彫りの型紙の需要は減少傾向にあります。
特徴と技法
伊勢型紙は、**渋紙(しぶがみ)**と呼ばれる特殊な和紙を材料とします。これは、薄い美濃和紙を数枚重ねて柿渋を塗り、乾燥と燻煙を繰り返して作られ、丈夫で伸縮しにくい性質を持ちます。
熟練の職人が、様々な種類の彫刻刀を用いて手作業で細密な文様を彫り抜きます。主な彫りの技法には以下の4種類があります。
- 突彫(つきぼり): 小刀の刃先を使い、型紙を手前から向こうへ垂直に突くようにして彫る技法。絵画的な模様に向いています。
- 錐彫(きりぼり): 半円形の刃を持つ彫刻刀を回転させ、小さな丸い穴を連続して彫り出す技法。鮫小紋、行儀、通しなどの細かい文様に用いられます。
- 道具彫(どうぐぼり): 花や扇、菱形など、文様の形に作られた специальный な彫刻刀を使い、型紙を垂直に押し切る技法。
- 縞彫(しまぼり): 定規に沿って、小刀を手前に引いて直線や曲線を彫る技法。非常に均一な縞模様を彫るのに高度な技術が必要です。
用途
伊勢型紙は、主に着物や浴衣などの染色に用いられます。繊細で美しい文様を生地に正確に写し取るために、欠かせない道具です。
近年では、伝統的な用途だけでなく、その美しい意匠を活かして以下のような分野にも活用されています。
- 美術工芸品: 型紙そのものが装飾品や芸術作品として鑑賞されています。
- インテリア: 照明器具のシェード、衝立、額装品など。
- 雑貨: 扇子、名刺入れ、財布、コースターなど。
- 建築: 襖や壁紙のデザイン。
- 食品: 食品の装飾(抹茶パウダーなどをふるう際の型)。
現在と未来
着物需要の減少などにより、伊勢型紙の職人は減少していますが、その技術の価値は見直されつつあります。伝統を守りながら、新しい分野への応用も模索されており、その繊細な美しさは今後も受け継がれていくことが期待されています。
鈴鹿市には、伊勢型紙の資料館や工房などがあり、その歴史や技術に触れることができます。
【桑名→伊勢神宮】
— NHK PR (@NHK_PR) April 18, 2025
今週のブラタモリは旅の第三夜、タモリさんは鈴鹿サーキットを激走!
さらに白子宿では、徳川御三家が作った巨大港を発見!
さらにさらに伊勢参りの大人気おみやげのアレを作った驚異の職人技に迫ります
19(土)夜7:30[総合]https://t.co/M5bLagOiPF pic.twitter.com/s8Xh8Ls4dq