元始、女性は太陽であった🌸【連続テレビ小説】ブラッサム(6)第2週「父からの、解放」
元始、女性は太陽であった
こんにちは
猫好き父さんです
木竜麻生さん
いい味出してますねえ
こういう役って似合いますよね
画像は公式からの引用です
画像は公式からの引用です
あらすじ
大正2年、高等女学校の四年生となった葉野珠(石橋静河)。女学校では「良妻賢母」育成のための教育が徹底されており、岩田屋の手伝いをする親友の梅(松本穂香)は、そんな珠のことをうらやましがる。しかし、珠やその同級生・角田忍(木竜麻生)たちは女性が自由に生き方を決められない現状に対し、それぞれに割り切れない思いを抱いていた。ある日、忍がその皆の秘めた思いを表現するための「同人誌」を作ろうと提案して…。
出演者
【出演】石橋静河,国仲涼子,渡部篤郎,松本穂香,八嶋智人,木竜麻生,華優希,中井千聖,楠見薫
原作・脚本
【作】櫻井剛
音楽
【音楽】fox capture plan
小学校に上がった英男と俊子は、珠の作る物語を楽しみにしています。 身近な人を笑顔にする物語を紡ぎ、思いを巡らせる瞬間は珠にとっても大切な時間です🌸 📱#ブラッサム はNHK ONEで配信中 https://t.co/ltM1JuD65w #石橋静河 https://t.co/ASKyWfZp9T
— 朝ドラ「ブラッサム」公式 (@asadora_bk_nhk) October 5, 2026
イワンの馬鹿
『イワンの馬鹿(イワンのばか、原題:Сказка об Иване-дураке и его二兄弟)』は、ロシアの文豪レフ・トルストイが1886年に発表した民話風の民衆小説(寓話)です。
一見するとシンプルな童話のようですが、トルストイが晩年に到達した思想(非暴力・無抵抗、労働の尊さ、脱・金権主義)が凝縮された深い名作です。
1. あらすじ(要約)
ある国に、兵士の兄セミョーン、太っちょの兄タラス、そして「馬鹿」と呼ばれる末っ子のイワンという3人の兄弟がいました。
- 長兄セミョーン:武力や権力を重んじる兵士。
- 次兄タラス:金儲けや財産を重んじる商人。
- 末弟イワン:愚直で無欲、ひたすら地道に畑を耕す農夫。
悪魔の親玉は、この兄弟の仲を裂いて不幸に落とそうと、3匹の小悪魔を送り込みます。
- 武力好きの長兄は、小悪魔の手回しで戦争を起こさせられ、兵士を奪われて自滅します。
- 金好きの次兄は、小悪魔に買収され欲望を肥大化させられた末、お金の価値がなくなって破産します。
- 愚直なイワンは、小悪魔の嫌がらせ(お腹を痛くさせる、土を固くするなど)を受けても黙々と働き続けます。それどころか、根負けした小悪魔から病気を治す薬草や兵士を出す根っこ、金貨を出す葉っぱなどを手に入れますが、イワン自身はそれらを自分の利益のために使おうとしません。
やがてイワンはその無欲さと誠実さから王様に気に入られ、娘と結婚して国の王となります。
2. 「馬鹿の国」の誕生と悪魔の敗北
王様になったイワンの国では、スマートな知恵比べや財産の競い合いではなく、「手で働く者だけが食べられる」というシンプルなルールが徹底されました。
悪魔の親玉はみずから変装してイワンの国に乗り込み、言葉巧みに「手で働くより頭(言葉)で働くほうがスマートだ」と説き、国民を扇動しようとします。しかし、イワンや国民たちは悪魔の言葉の意味を理解できず、ただ「頭で働くなら、なぜ手にタコができないのか?」「ご飯を食べないで喋り続けて疲れないのか?」と純粋に不思議がるだけでした。
結局、誰一人として悪魔の企みに乗らず、悪魔は自滅して地中に消えていきます。こうしてイワンの「馬鹿の国」には、争いも貧困もない平和が訪れました。
3. 作品が持つテーマとトルストイの思想
トルストイはこの作品を通じて、当時の近代的思考や強欲な社会制度に対する強い批判を込めています。
| 登場人物 / 象徴 | 象徴しているもの | トルストイのメッセージ |
| 長兄セミョーン | 軍隊・武力・国家権力 | 武力による支配は破滅をもたらす。 |
| 次兄タラス | 資本主義・貨幣経済 | 金銭への執着は人間を不幸にする。 |
| 末弟イワン | 無欲・肉体労働・純真さ | 汗を流して働くことこそが人間の真の道。 |
| 悪魔 | 知恵の悪用・欺瞞・誘惑 | 屁理屈や欲望は、愚直な誠実さの前には無力。 |
4. なぜ「馬鹿」と呼ばれるのか?
物語タイトルの「馬鹿(дурак)」は、侮蔑の意味ではなく、「狡猾さや計算高さを持たない純粋な人」という意味での「馬鹿」です。
賢いとされる人々(兄たちや悪魔)は、他人の上前をはねたり、損得勘定で動いたりしますが、イワンは騙されても腹を立てず、目の前の仕事を愚直にこなします。結果として、計算高く立ち回る「賢い人」たちが自滅し、何も求めない「馬鹿」が最も豊かな平和を手にするという皮肉と教訓が描かれています。
今読んでも、現代社会の格差や消費社会、戦争への批評として非常に深く響く一冊です。
平塚らいてう(ひらつか らいちょう)
平塚らいてう(ひらつか らいちょう)(本名:平塚 明〈はる〉、1886年〜1971年)は、明治・大正・昭和の3つの時代を駆け抜け、日本の女性解放運動の先駆けとなった思想家・運動家・ジャーナリストです。
日本のフェミニズム(女性解放運動)の象徴であり、彼女が創刊した文芸誌『青鞜(せいとう)』の創刊辞にある言葉は、日本史に残る金言として今も広く知られています。
1. 伝説的な名言:「元始、女性は太陽であった」
1911年(明治44年)、25歳だった平塚らいてうは、女性による女性のための日本初の文芸誌『青鞜』を創刊しました。その創刊号に寄せたイントロダクション(創刊の辞)の冒頭がこちらです。
「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依存して生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い光の月である。」
かつて日本神話の天照大神(アマテラスオオミカミ)に象徴されるように自主的で輝いていた女性たちが、家父長制や社会の抑圧によって「他人に従う月」になってしまっている現状を憂い、「隠された我が太陽を今や取り戻さねばならぬ」と強い言葉で呼びかけました。
2. 『青鞜』の発刊と「新しい女」たちの波紋
『青鞜』には、伊藤野枝(いとう のえ)や与謝野晶子(よさの あきこ)ら多くの女性作家・運動家が集まりました。
- 自由な生き方の追求単なる文章の発表にとどまらず、恋愛の自由、女性の自我の覚醒、社会の古い価値観に対する疑問を投げかけました。
- 社会からの大バッシング「女性が声を上げるなど生意気だ」「家庭を壊す」と世間やメディアから猛烈な批判を浴び、「新しい女(あたらしいおんな)」という言葉でからかわれたり、誌面が発禁処分を受けることもありました。しかし、らいてうたちは屈することなく議論を深めていきました。
3. 市川房枝らとの「新婦人協会」と参政権運動
『青鞜』の活動後、らいてうの関心は文芸から「具体的な社会・法制度の変革」へと移っていきます。
1920年(大正9年)、市川房枝(いちかわ ふさえ)や奥むめお(おく むめお)らとともに「新婦人協会」を設立しました。
- 治安警察法第5条の修正運動当時、女性は政治集会に参加することすら法律(治安警察法)で禁止されていました。らいてうたちは署名運動や国会への働きかけを粘り強く行い、1922年に女性の政治集会参加の自由を獲得しました。これが後の女性参政権運動の大きな基盤となりました。
- 母性保護論争与謝野晶子らと交わした「女性の経済的自立と母性の保護(国が育児や母性を保護すべきか否か)」を巡る大論争(母性保護論争)は、現代の育児手当や女性の働き方改革の議論にもつながる重要な思想的対立でした。
4. 昭和・戦後の平和運動
戦後、日本女性に参政権が与えられた後も、らいてうは社会運動を止めませんでした。
- 世界平和への貢献反核運動や平和運動に深く関わり、1953年には「日本婦人団体連合会(婦団連)」を結成して初代会長に就任しました。
- 対米・対世界へのメッセージ朝鮮戦争やベトナム戦争の時代、二度と子どもたちを戦争に送り出さないための「母親たちの平和運動」を主導し、亡くなるまで平和と女性の権利擁護のために声を上げ続けました。
5. 平塚らいてうの人物像と魅力
らいてうは、単なる厳格な運動家ではなく、若い頃から独自の美意識と探求心を持った情熱的な女性でした。
日本女子大学校(現在の日本女子大学)で学び、禅の修行をして「らいてう(雷鳥)」というペンネームを得たエピソードや、当時の社会的通念にとらわれない事実婚の実践など、生涯を通じて「自分らしく生きる」ことを体現した人物です。
現代の多様性(ダイバーシティ)やジェンダー平等を考えるうえでも、常に原点として立ち返られる重要な存在です。
良妻賢母(りょうさいけんぼ)の育成
大正2年(1913年)、当時の高等女学校において提示された教育目的の根幹は、明治期から続く「良妻賢母(りょうさいけんぼ)の育成」をより洗練・現実化させ、国家や家庭を支える女性を育てることにありました。
特にこの時代は、明治末期から大正初期にかけての社会変動や、平塚らいてうらの『青鞜』運動に象徴される「新しい女」の台頭(個性の覚醒や女性解放運動)に対し、文部省(当時)が「伝統的家族観の維持と女子教育の引き締め・充実」を図った重要な時期にあたります。
1. 法令上の根拠:「高等女学校令」と大正2年の改正
高等女学校の目的は、明治32年(1899年)に制定された「高等女学校令」第1条に明確に規定されていました。
「高等女学校ハ女子ニ必須ナル高等普通教育ヲ為スヲ以テ目的トス」
この「女子に必須なる高等普通教育」の中身こそが、実質的には「家庭に入り、夫を助け、子供を養育し、家憲を守る女性(良妻賢母)」の養成を意味していました。
さらに、大正2年(1913年)前後には以下のような時代的背景に基づき、その教育目的やカリキュラムが再整理されました。
2. 大正2年当時の主な教育目的と重点方針
① 「良妻賢母」育成の徹底と実践化
単なる知識の習得ではなく、「家庭生活を円滑に営む実務能力」と「道徳的品性」を備えた女性の育成が最大の目的でした。
裁縫・家事・育児・衛生などの実業的な授業が重視され、女子の美徳とされた「貞淑」「順従」「節操」といった道徳的資質が修身(道徳教育)を通して徹底的に叩き込まれました。
② 実業教育(裁縫科など)の重視
大正初期には、より生活に直結した知識や技術を教えるために「実科高等女学校」や「実科(裁縫科など)」が増設・推奨されました。家庭の経済を支え、自給自足的な家政を切り盛りできる実効的なスキルが重視されたためです。
③ 秩序と国家意識の維持(「新しい女」への牽制)
大正2年頃は、平塚らいてうらの『青鞜』創刊(明治44年)や西欧思想の流入により、若い女性たちの間に「自我の覚醒」や「恋愛の自由」を求める動きが広がりつつあった時期です。
これに対し文部省や各学校は、過度な個人主義や西洋化を警戒し、「日本伝統の家制度を守り、国家に貢献する母となること」を高女教育の正統な目的として強く再確認しました。
3. 当時の女子教育の社会的意味
| 側面 | 当時の高等女学校の役割・実態 |
| 対象層 | 中流階級以上の良家・裕福な家庭の娘が中心(エリート教育の一種)。 |
| 卒業後の進路 | 大半は進学や就職ではなく、家庭に入ること(結婚)が前提。 |
| 自己実現との葛藤 | 国家や学校が求める「良妻賢母像」の一方で、受講した生徒たちは高度な知性や教養を得たため、かえって個人の自我や社会的立場の矛盾に目覚めていくきっかけともなりました。 |
大正2年の高等女学校は、「近代的な知性と教養を授けつつも、出口としては従来の『家』や家庭を支える『良妻賢母』へと着地させる」という、近代国家としての女子教育の完成形を目指していた時期と言えます。


















