田沼意次の功績🦊べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(17)乱れ咲き往来の桜
田沼意次の功績
こんにちは
猫好き父さんです
もう一人の主役とも言えるかもしれません
田沼意次
領民から慕われていたんですねえ
あらすじ
蔦重(横浜流星)は青本など10冊もの新作を一挙に刊行し、耕書堂の認知度は急上昇する。そんな中、うつせみ(小野花梨)と足抜けした新之助(井之脇海)と再会し、話の中で、子供が読み書きを覚えるための往来物と呼ばれる手習い本に目を付ける。一方、意次(渡辺謙)は、相良城が落成し、視察のため三浦(原田泰造)と共にお国入りする。繁栄する城下町を見て、ある考えを思いつく。
出演
【出演】横浜流星,安田顕,福原遥,宮沢氷魚,冨永愛,生田斗真,片岡愛之助,高橋克実,石坂浩二,渡辺謙,小芝風花,里見浩太朗,中村隼人,高梨臨,井之脇海,小野花梨,寛一郎,【語り】綾瀬はるかほか
【作】森下佳子
【音楽】ジョン・グラム
田沼意次の相良藩主(さがらはんしゅ)としての功績
田沼意次が**相良藩主(さがらはんしゅ)**として治めていた時期の功績は、彼が老中として幕政を主導した際の国家的な経済政策の思想が、地方の藩政においても実践されたものとして理解できます。
彼は、明和4年(1767年)に初めて相良藩主となり、その後も加増を重ねて最終的には5万7千石余りの大名となりました。相良藩は駿河国(現在の静岡県牧之原市周辺)に位置し、東海道に面した要衝でした。
相良藩主としての主な功績は以下の通りです。
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相良城(さがらじょう)の築城:
- 意次は、自身の居城として相良城を築城しました。これは、平地に築かれた近世城郭で、当時の最先端の築城技術が投入されたと言われています。
- 彼の出自は譜代大名(徳川家旧臣)の中でも特に高い家柄ではなかったため、自ら城を築くことは、幕府内での自身の権勢を象徴する意味合いも強く、その権力を背景にした大きな事業でした。城は、彼の政治的・経済的野心を示す象徴でもありました。
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藩政改革と殖産興業の推進:
- 彼は、藩主として相良藩の財政再建と経済振興に尽力しました。
- **殖産興業(しょくさんこうぎょう)**を重視し、年貢収入に頼るだけでなく、茶や塩、漁業といった特産品の生産や流通を奨励しました。これにより、商業・産業の育成を通じて藩の財政収入を増やすことを目指しました。
- 藩の財政を安定させ、領民の生活向上を図るための政策も行いました。
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新田開発と治水事業:
- 老中としての大規模な干拓事業(印旛沼、手賀沼など)と同様に、相良藩内においても新田開発を積極的に行い、耕地面積の拡大と米の増産、ひいては藩の年貢収入の増加を図りました。また、治水事業にも力を入れたと考えられます。
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人材の登用:
- 彼は、身分にとらわれず才能のある人材を積極的に登用したことでも知られており、これは相良藩の藩政においても実践されたと考えられます。
田沼意次が相良藩主として行ったこれらの功績は、彼が幕府の老中として推進した重商主義的な経済政策の具体的な実践例であり、自身の支配する領地でその思想を具現化しようとしたものです。相良藩は、彼の幕政における権勢の拡大とともに、その石高(領地の規模)も増え、重要な位置を占める藩となっていきました。
しかし、彼の失脚後、相良藩は田沼家から収公(領地没収)されることとなり、その栄華は短期間で終わりを告げました。
田沼意次(たぬま おきつぐ)の功績
**田沼意次(たぬま おきつぐ)は、江戸時代中期に第9代将軍徳川家重、第10代将軍徳川家治のもとで老中(ろうじゅう)**として権勢をふるった人物です。彼は、当時の幕府が抱えていた財政難を克服するため、重商主義的な経済政策を積極的に推進しました。
彼の功績は、従来の重農主義(農業中心の政策)から転換し、商業や産業の発展を通じて幕府の財政基盤を強化しようとした点にあります。
田沼意次の主な功績・政策:
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株仲間の奨励と公認、運上金・冥加金の徴収:
- 特定の商人や問屋の組合である「株仲間(かぶなかま)」を奨励し、公認しました。これにより、商工業者が独占的な営業権を得る代わりに、幕府に**運上金(うんじょうきん)**という税金や、**冥加金(みょうがきん)**という献金を納めさせました。
- これは、当時の貨幣経済の発展に対応し、商人から安定した財源を確保する画期的な試みでした。
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専売制の強化・導入:
- 銅、人参(薬用)、ろう(蝋)などの特定品目について、幕府による専売制(特定の業者に独占販売権を与える制度)を強化・導入し、流通を管理して利益を吸い上げ、幕府の財政収入を増やしました。
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鉱山の開発・振興:
- 金銀銅などの鉱山開発を積極的に行い、採掘量を増やしました。これにより、貨幣の材料を確保し、貨幣経済の活性化を図りました。
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蝦夷地(現在の北海道)の開発計画:
- ロシアの南下政策への対抗と、豊富な資源(ニシンなどの海産物や鉱物)の確保を目指し、蝦夷地(えぞち)の本格的な調査と開発を進めようとしました。アイヌとの交易ルートの整備や、入植地の開拓などが計画されました。これは、後の北海道開拓の先駆けとも言える構想でした。
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大規模な干拓事業:
- 新田開発を目的として、印旛沼(いんばぬま)や手賀沼(てがぬま)などの大規模な干拓事業を推進しました。これにより、耕地面積を増やし、年貢収入の増加を目指しました。しかし、これらの中には難工事や失敗に終わったものもあります。
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貨幣制度の改革:
- 金貨や銀貨、銅貨の混在する貨幣制度の整備を行い、新たな貨幣(南鐐二朱銀など)の鋳造や流通を促進し、商業活動を円滑にしようとしました。
評価と批判(功罪):
田沼意次の政策は、幕府財政の一時的な立て直しに貢献し、経済の活性化を図った点で画期的な功績と評価されます。彼は、新興の町人階級や商人とのつながりを重視し、実利を追求した現実的な政治家でした。
しかし一方で、株仲間などの特権付与は賄賂や汚職の横行を招き、庶民からは不満の声が上がりました。また、貨幣の改鋳によるインフレーションも民衆の生活を苦しめました。彼の政権末期に発生した天明の大飢饉も相まって、社会不安が高まり、最終的には失脚しました。
田沼意次は、功績と批判の両面を併せ持つ、江戸時代後期の日本の経済・社会に大きな影響を与えた、歴史的に評価が分かれる人物と言えます。
#大河べらぼう 次回は…
— 大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」日曜夜8時 (@berabou_nhk) April 20, 2025
5月4日(日)
第17回「乱れ咲き往来の桜」
蔦重(#横浜流星)は新之助(#井之脇海)と再会し、子どもが読み書きを学ぶ本、"往来物"に目を付ける。一方、意次(#渡辺謙)は落成した相良城を視察するためお国入りする。https://t.co/4MuTPma3cB
キャスト紹介や相関図は👆 pic.twitter.com/9BF9crXHNV
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