ウサギバブルの崩壊🐇【連続テレビ小説】ばけばけ 第1週「ブシムスメ、ウラメシ。」(3)
ウサギバブルの崩壊🐇
こんにちは
猫好き父さんです
美味しい商売も長くは
続かないということですねえ
やれやれ
あらすじ
武士のプライドから働かずにいた司之介(岡部たかし)が、かつての部下・金成初右衛門(田中穂先)と商売をはじめることになった。祖父の勘右衛門(小日向文世)は、司之介が商売をはじめることに怒るが、トキ(福地美晴)とフミ(池脇千鶴)は、変わり始めた司之介を応援する。司之介の商売は順調で、松野家の食卓も明るさを取り戻していく。喜ぶトキのため、司之介は一気に商売を広げようと計画する。
出演
【出演】福地美晴,小日向文世,池脇千鶴,岡部たかし,さとうほなみ,渡辺江里子,田中穂先,仲野毅
【作】ふじきみつ彦
【音楽】牛尾憲輔
人身売買
明治維新後、政府は人身売買を法的には禁止しましたが、実質的な人身売買の構造(特に公娼制度における女性の拘束)は形を変えて存続し、長く温存されました。
明治新政府が「人身売買」を一掃しきれなかった主要な経緯と背景は以下の通りです。
1. 「芸娼妓解放令」と人身売買の建前上の禁止
太政官布告(1872年/明治5年):
明治政府は1872年(明治5年)に太政官布告として「人身売買禁止令」を出し、あわせて司法省達で**「芸娼妓解放令」**を発しました。これは、奴隷的な身分や年季奉公を禁止し、前借金(借金)を棒引きにして娼妓や芸妓を解放するものでした。
背景:
この布告は、外国船(マリア・ルス号)で奴隷的拘束を受けていた中国人が日本で解放された事件をきっかけに、「公然と奴隷制度を維持している」と国際的な非難を受けることを恐れた明治政府が、近代国家としての体面を保つために行った側面が強いものでした。
2. 公娼制度による人身売買の継続
建前と実態の乖離:
解放令によって人身売買は法律上禁止されましたが、売春そのものは禁止されませんでした。
「自由意志」の捏造:
翌1873年(明治6年)には**「貸座敷渡世規則」「娼妓渡世規則」**が制定され、遊女屋は「貸座敷」、遊女は「娼妓」と名を変えました。娼妓は「自由意志」で貸座敷を借りて売春稼業を行うという建前が作られました。
「前借金」による拘束の継続:
しかし、実際には貧困家庭から親に売られた女性たちが、多額の「前借金」を理由に業者に事実上拘束され続けました。娼妓たちは借金を返すまで廃業の自由がなく、実態は江戸時代と変わらない人身売買・奴隷的な状況が、**公的な制度(公娼制度)**の中で温存されました。
3. 公娼制度の廃止までの道のり
公娼制度は、廃娼運動(主にキリスト教系団体や女性団体)の長年の取り組みにもかかわらず、第二次世界大戦後のGHQ(連合国軍総司令部)の指令を受けるまで、国として完全に廃止されることはありませんでした。
「からゆきさん」:
また、国内だけでなく、貧困から売られて海外に渡った女性たち(からゆきさん)の問題も、明治から大正、昭和初期にかけて深刻な人身売買の一面として存在しました。
最終的な廃止:
1946年(昭和21年)にGHQの覚書によって公娼制度が名目上全廃され、1956年(昭和31年)に売春防止法が制定されることで、ようやく性売買を目的とした人身売買の構造は法的に終止符を打ちました。
このように、明治維新直後に人身売買は禁止されましたが、国家が公認・管理する公娼制度という形で、貧困と借金を背景とした女性の拘束(実質的な人身売買)は、長く日本の近代社会に存在し続けました。
武家地と町人地
明治維新(廃藩置県)後も、旧松江藩の城下町においては、武士が住んでいた地域(武家地)と町民が住んでいた地域(町人地)の空間的な区別は、都市の構造として長く残りました。
これは、明治維新によって身分制度は廃止されましたが、短期間で城下町の物理的な構造や人々の居住習慣、土地の利用方法が一変することはなかったためです。
松江の具体的な状況は以下の通りです。
1. 武家地の「痕跡」の長期的な残存
松江城下町は、江戸時代に堀や川を境にして、城郭の周辺に上級武士、その外側に中級・下級武士の武家地、そして大橋川沿いや一部の地域に町人地や寺院地が明確に配置されていました。
武家屋敷街の存続:
「武士」という身分はなくなりましたが、武家屋敷やその区画、道路の配置はそのまま残りました。特に塩見縄手(松江城の北側)のように、現在でも当時の武家屋敷が保存されている地域があるのは、この時代の空間構造が維持されたためです。
土地利用の変化は緩やか:
武士が去った後、これらの広大な武家屋敷地は、学校、役所、軍の施設、あるいは新しい邸宅地などに転用されていきました。しかし、もともとの区画や広さ、道路のパターンは、近代の都市計画が進むまで、旧武家地の「面影」として残っていました。
2. 都市の中核施設の配置
旧武家地や城の敷地は、新しい近代国家の主要な施設が配置される場所となりました。
県庁の設置:
廃藩置県後、松江藩庁(城内の御殿など)は島根県庁へと姿を変えました。三之丸(藩主御殿跡)など、城の中心的な場所は行政の中心地として利用され続けました。
軍事・教育施設への転用:
広大な武家屋敷跡には、小学校や中学校、兵営などの公共施設が建設されることが多く、これもまた武家地の境界を明確に残す要因となりました。
3. 町人地の継続的な発展
商業の中心としての継続:
大橋川を挟んだ町人地(白潟地区など)は、引き続き商業の中心地として発展していきました。町人地特有の細い街路や、商店の密集した景観も長く維持されました。
まとめ
明治維新は身分制度を解体しましたが、人々の生活空間を急に変えることはできませんでした。松江の城下町は、武家地と町人地という江戸時代の都市構造を基盤として、近代都市へと再編されていったため、空間的な区別(どこが武士の住居跡か、どこが町の中心だったか)は、都市のDNAとして長く継承されました。
ウサギバブル
明治維新(廃藩置県)後の明治初期の旧松江藩(島根県松江)において、ウサギをめぐる投機的な商売があったことが記録や創作作品を通して知られています。
これは、全国的な流行となった**「ウサギバブル」**の一環として松江でも発生し、一攫千金を狙う商売として、特に職を失った旧士族(武士)たちが手を出すケースが見られました。
明治初期の「ウサギバブル」と松江
1. 全国的な「ウサギブーム」の到来
明治時代の初期、特に明治5年(1872年)から明治6年(1873年)頃にかけて、珍しい毛色(特に「更紗(さらさ)模様」)のウサギの売買が投機的なブームとなり、その価格が異常に高騰しました。これが「ウサギバブル」と呼ばれる現象です。
価格高騰:
オスウサギの中には、**1羽が数百円(当時の平民の年収に匹敵する、あるいはそれを超える額)**で売買される例もありました。
松江での状況:
このブームは松江にも波及しました。例えば、現在放送中のNHK連続テレビ小説『ばけばけ』(小泉八雲の妻セツをモデルにした作品)の劇中では、松江の没落士族の父親が「1羽5円のウサギが最高で600円で売れる」と聞いて商売を始める描写があり、当時の松江でウサギが高値で取引されていた実態を反映しています。
2. 旧士族の新しい商売
明治維新で禄を失った旧武士たちは、新しい仕事を見つける必要に迫られていました。この「ウサギバブル」は、資本が少なくても一攫千金が狙えるとして、多くの旧士族を惹きつけました。
しかし、この投機熱は長くは続きませんでした。
3. バブルの崩壊
政府は投機熱を沈静化させるため、以下のような対策を打ち出し、ウサギの価格は暴落しました。
兎集会(ウサギの品評会・売買市場)の禁止
「兎税」の導入:
特に東京府などで、ウサギ1羽につき毎月高額な税金(兎税)を課したことで、投機目的の飼育は採算が取れなくなり、多くの投機家が破産に追い込まれました。
このように、明治初期の松江を含む全国各地で、ウサギは愛玩動物としてだけでなく、**投機対象の「商品」**として売買される商売が一時的に存在しました。
ずっと立ち尽くしていた司之介さんが、一歩踏み出したことが嬉しいフミさんです。
— 朝ドラ「ばけばけ」公式|9月29日(月)放送開始 (@asadora_bk_nhk) October 1, 2025
勘右衛門さんを演じる小日向さんが「フミさんは松野家の要」とおっしゃっていました。
フミさんの優しい笑顔が、松野家を支えてくれています。#池脇千鶴 #福地美晴#ばけばけ pic.twitter.com/C9dHl71OsM