おちょやん、BGMが妖怪人間ベムに似てると思いませんか?💛朝ドラ「おちょやん」
おはようございます、猫好き父さんです。
おちょやん、BGMが妖怪人間ベムに似てると思いませんか?
音楽担当がサキタハヂメさんという方で同じなんですね
「おっしょはん、ユウレイは死んでます」
— 朝ドラ「おちょやん」放送中 (@asadora_bk_nhk) January 26, 2021
髪結いのたつ子さん、千代ちゃんを元気づけようとしてたんやな…けど…空振り…#杉咲花 #湖条千秋#朝ドラ #おちょやん pic.twitter.com/KrUrEEAO6O
NHK連続テレビ小説『おちょやん』(2020年〜2021年)と、実写版映画・ドラマ『妖怪人間ベム』(2011年・2012年)。一見すると、大正・昭和の大阪演劇界を描いた「朝ドラ」と、暗く哀哀たるダークファンタジーという対極のジャンルに思えます。
しかし、サキタハヂメさんが手掛けたこの2作品の劇伴(劇中音楽)を紐解くと、そこには彼の作品世界を貫く鮮烈な共通性と音楽的ロジックが存在します。
主要な3つの視点からその共通性を考察します。
1. 「孤独と哀愁」を抱えた主人公への肯定と讃歌
両作品の主人公は、どちらも「社会の底辺や外側に置かれた、悲劇的な宿命を背負う存在」です。
『おちょやん』竹井千代: 幼少期に親に捨てられ、奉公に出され、貧困と裏切りに翻弄されながらも喜劇女優として生きる。
『妖怪人間ベム』ベム・ベラ・ベロ: 人間になりたいと願いながらも、その醜い容姿ゆえに人々に疎まれ、陰日向で生きざるを得ない怪物。
サキタさんの音楽の最大の共通点は、悲劇的な展開であっても決して音楽を単なる「悲惨な演出」に落とし込まないことです。
どちらの作品においても、悲しみや泥臭さの底に「それでも健気に生きる命の愛おしさ・人間(存在)賛歌」のような温かい眼差しが流れています。哀切なメロディの中にどこか救いや可憐さが残るトーンは、両作品の精神的な屋台骨となっています。
2. 異質さを味方につける「楽器編成」と哀愁のトーン
サキタさんの代名詞であるミュージカル・ソー(演奏用ノコギリ)や、アコースティックな弦楽器・鍵盤楽器の使い方が、両作の雰囲気を決定づけています。
① 「異質」な存在を際立たせるミュージカル・ソーの音色
『妖怪人間ベム』: 人間と化物の狭間に揺れるベムたちの「おどろおどろしさ」と「切なさ・儚さ」を表現するのに、ノコギリのあの浮游感のあるポワーンとした高音(テルミンのようでもあり、人間の叫びのようでもある音)が完璧に機能していました。
『おちょやん』: 一見、陽気な喜劇の世界でありながら、千代がふと見せる「一途さ」や「 orphan(孤児)としての孤独感」、昭和初期のノスタルジーを醸し出すアクセントとして、ノコギリやマンドリンのようなアコースティックな擦過音・撥弦音が実に効果的に挿入されています。
② 無声映画(弁士)・クラシカルな劇伴アプローチ
どちらの作品も、「どこかアコースティックでレトロな郷愁」を帯びています。『おちょやん』では大正・昭和初期のチンドン屋や無声映画の伴奏音楽を思わせる質感、『ベム』では無声ホラー映画や19世紀末のヨーロッパを思わせるクラシカルな室内楽的アプローチが採られており、「ノスタルジックな音像の中に哀愁を閉じ込める」という手法が共通しています。
3. 「喜劇と悲劇」「光と影」の隣り合わせ(表裏一体感)
サキタハヂメさんの音楽の真骨頂は、「笑い(軽快さ)と涙(切なさ)が同じ紙の表と裏になっている感覚」の表現です。
『おちょやん』: 喜劇(道頓堀の笑い)を描くドラマだからこそ、コミカルで軽快なテンポの曲が多く存在します。しかし、その軽快な曲の裏にはどこか「悲哀」が潜んでおり、逆にシリアスな場面の曲にはどこか「可笑しみや愛嬌」が残されています。
『妖怪人間ベム』: 怪物の禍々しさやバトルシーンの緊張感を描きつつも、どこか哀愁漂うワルツやテンポのユーモラスな楽曲が入ることで、「怪物たちの人間味(愛嬌)」が際立ちます。
「泣きながら笑う」「おどろおどろしいのに愛おしい」という、相反する感情を同時に成立させるメロディメイキングこそが、両作をつなぐ最大の共通軸と言えます。
まとめ
『おちょやん』と『妖怪人間ベム』。一見全く異なる世界観でありながら、サキタハヂメさんはどちらの作品においても「日陰を歩む者への寄り添い」を音楽のコアに据えています。
ミュージカル・ソーに代表されるような「不完全で美しい音」を用いて、「悲惨な運命の中でも失われない、人間の気高さや愛嬌」を描き出した点において、この2作は紛れもなく同じ表現者の哲学から生まれた「兄弟のような劇伴作品」であると考察できます。
















