また同じ過ちを犯すかもしれない😢NHKスペシャル シミュレーション昭和16年夏の敗戦後編・ドラマ×ドキュメント
また同じ過ちを犯すかもしれない
こんにちは
猫好き父さんです
ドラマでは
みんなが
天皇にしろ
東條英機にしろ
日米開戦には反対だった
ように描かれているが
じゃ、なにが悪かったのか?
「今更、止めることができない」って
戦争することを
日本国民が願っていたような
描写になってるけど
「空気」だからとめようがない?
ところで、なんかこの話はどこかで聞いたようなきがしたなあと
記憶を辿っていたら、虎に翼でこのエピソードは
星航一さんが激白していたなと
【連続テレビ小説】虎に翼 第18週七人の子は生すとも女に心許すな?(90)
シミュレーション
猪瀬直樹のロングセラー「昭和16年夏の敗戦」を原案に創作を加えたドラマと、総力戦研究所の史実を伝えるドキュメンタリーを2夜連続で放送。日米開戦前夜の1941年夏、首相直属の総力戦研究所で日本とアメリカが戦った場合のあらゆる可能性がシミュレートされた。官僚・軍人・民間から選抜された若きエリートたちが導き出した結論は日本の“圧倒的な敗北”だった―。戦後80年の夏に送るこん身のNHKスペシャル。
【出演】池松壮亮,仲野太賀,岩田剛典,中村蒼,三浦貴大,國村隼,佐藤隆太,江口洋介,佐藤浩市
【原案】猪瀬直樹
【監督】石井裕也
【音楽】岩代太郎
猪瀬直樹の著書『昭和十六年夏の敗戦』
猪瀬直樹の著書『昭和十六年夏の敗戦』は、1983年に刊行されて以来、版を重ねるロングセラーとして知られるノンフィクションです。正式なタイトルは『昭和十六年夏の敗戦』であり、「敗戦」という言葉が入っている通り、太平洋戦争開戦前の日本の状況を詳細に分析した作品です。
書籍の概要とテーマ
この作品は、太平洋戦争開戦の年である昭和16年(1941年)の夏に焦点を当てています。当時、日本はアメリカとの開戦を回避する最後のチャンスがあったにもかかわらず、なぜ戦争へと突き進んでしまったのか、その「敗戦」の原因を多角的に検証しています。
主なテーマは以下の通りです。
情報の伝達と意思決定の失敗: 政府、軍部、そして情報機関の間で情報が共有されず、意思決定プロセスが機能不全に陥っていた状況を描いています。正確な情報がトップに届かず、誤った認識に基づいた判断が下されていった過程を明らかにします。
官僚機構の硬直化: 縦割り行政や縄張り意識が強く、各部署が連携することなく、バラバラに行動していた様子を指摘しています。その結果、外交交渉の機会を逸し、開戦を止められなかった構造的な問題に光を当てています。
個人の責任と集団の無責任: 多くの人々が「誰かが何とかしてくれるだろう」と責任を回避し、主体的に行動しなかった「空気」を鋭く分析しています。この集団的な無責任が、結果として国全体の破滅的な選択につながったと論じています。
なぜロングセラーとなったのか
『昭和十六年夏の敗戦』が長年にわたって読まれ続けているのは、単なる歴史の解説書にとどまらない普遍的なテーマが含まれているからです。
現代社会への教訓: 情報過多な現代において、組織や個人がどのように情報を扱い、意思決定を行うべきか、というテーマは時代を超えて示唆に富んでいます。企業や行政組織における硬直化や、個人の無責任がもたらす悲劇は、現代社会にも通じる問題として読者の共感を呼びます。
圧倒的な資料の裏付け: 著者の猪瀬は、膨大な文献や証言を丹念に調査し、事実に基づいた緻密な分析を行っています。その説得力の高さが、多くの読者に評価されています。
この本は、歴史的な事実を学ぶだけでなく、現代の組織や社会、そして個人のあり方を深く考えさせる力を持った作品として、現在でも多くの読者に愛され続けています。
近衛文麿(1891年 - 1945年)
近衛文麿(1891年 - 1945年)は、日本の政治家で、第二次世界大戦前の日本の重要な時期に、三度にわたって内閣総理大臣を務めました。貴族の出身で、公爵という最高の地位にあり、昭和初期の政界で中心的な役割を果たしました。
政治キャリアと主な業績
第1次近衛内閣(1937年 - 1939年): 日中戦争の勃発(盧溝橋事件)に直面し、戦争の拡大を防ぐことができず、長期化への道を進みました。この内閣では「国民精神総動員」運動が推進され、国家による国民統制が強化されました。
第2次近衛内閣・第3次近衛内閣(1940年 - 1941年): 第二次世界大戦が激化する中、日本がドイツ・イタリアと軍事同盟を結ぶ日独伊三国同盟を締結しました。また、戦争遂行のための新体制として、政党を解散して大政翼賛会を設立し、一国一党体制への移行を進めました。
太平洋戦争開戦と近衛の役割
近衛は、日米交渉を通じて太平洋戦争の開戦を回避しようと試みましたが、軍部の強硬な姿勢や自身のリーダーシップの弱さから、最終的に交渉は決裂しました。特に、1941年夏の**「昭和十六年夏の敗戦」**と評される時期には、開戦か非開戦かで揺れ動き、決断を下せないまま総理の座を辞任しました。
戦後の運命
第二次世界大戦後、GHQ(連合国軍総司令部)からA級戦犯として逮捕が命じられると、逮捕される前に自殺しました。彼は戦時中の日本の指導者の一人として、戦争への道を進ませた責任を問われることとなりました。
近衛文麿は、その華やかな経歴と、時代の流れを止められなかった悲劇的な結末から、日本の近代史を語る上で欠かせない人物として、現在も多くの議論の対象となっています。
東條英機(1884年 - 1948年)
東條英機(1884年 - 1948年)は、日本の陸軍軍人、政治家です。第二次世界大戦中の日本の指導者の一人であり、特に太平洋戦争開戦時の内閣総理大臣を務めたことで知られています。
経歴と「カミソリ東條」
陸軍でのキャリア: 陸軍大学校を卒業後、ドイツ駐在武官などを務め、頭脳明晰で事務処理能力に長けていたことから「カミソリ東條」という異名を持ちました。
陸軍大臣: 第二次・第三次近衛内閣で陸軍大臣を務め、軍部の中で強い発言力を持つようになりました。
内閣総理大臣としての役割
1941年(昭和16年)10月、日米交渉に行き詰まった近衛文麿内閣の後に、現役陸軍大将のまま第40代内閣総理大臣に就任しました。
太平洋戦争の開戦: 首相就任後も日米交渉は続けられましたが、最終的に決裂。1941年12月8日の真珠湾攻撃によって太平洋戦争が勃戦しました。
権力の一元化: 首相在任中は、陸軍大臣、内務大臣、さらには軍需大臣や参謀総長までを兼務し、政治と軍事の権力を一手に握る独裁的な体制を築きました。
戦後の運命
辞任と敗戦: 戦局の悪化に伴い、1944年(昭和19年)7月に首相を辞任しました。
逮捕と裁判: 終戦後、連合国軍にA級戦犯として逮捕を命じられ、逮捕直前に拳銃で自殺を図りましたが失敗しました。
死刑判決: 極東国際軍事裁判(東京裁判)で「平和に対する罪」を問われ、1948年11月に死刑判決を受け、同年12月に絞首刑が執行されました。
東條英機は、太平洋戦争開戦時の最高責任者であり、日本の運命を決定づけた人物として、現在も様々な議論の対象となっています。
戦犯
第二次世界大戦後、連合国が日本の戦争犯罪人を裁くために設けた極東国際軍事裁判(通称:東京裁判)では、戦争犯罪を以下のA級、B級、C級の3つに分類しました。
A級戦犯(平和に対する罪)
主に戦争を計画、準備、開始、遂行した指導者層が対象となりました。
定義: 侵略戦争の計画・遂行に関わった罪。
主な例: 東條英機、近衛文麿(起訴前に自殺)などの政治家や軍の指導者。
裁判の場所: 東京で行われた極東国際軍事裁判で裁かれました。
B級戦犯(通例の戦争犯罪)
戦争法規や国際法に違反した行為、例えば捕虜の虐待や殺害などを行った現場の軍人が対象となりました。
定義: 捕虜や民間人に対する不当な行為、虐待など。
主な例: 各地の捕虜収容所長や司令官など。
裁判の場所: 日本国内(横浜など)やアジア各地(マニラ、シンガポールなど)の軍事法廷で裁かれました。
C級戦犯(人道に対する罪)
一般市民に対する虐殺や奴隷化など、人道に反する行為を行った者が対象となりました。
定義: 非戦闘員への虐殺や強制労働など、人道に反する罪。
主な例: B級と重複するケースが多いですが、特に市民への残虐行為に関与した者が含まれます。
裁判の場所: B級戦犯と同様に、各地の軍事法廷で裁かれました。
一般的に、「戦犯」という言葉はA級からC級までを総称しますが、それぞれの罪の性質や裁かれた場所が大きく異なりました。この分類は、ナチス・ドイツを裁いたニュルンベルク裁判の規定に準じて定められたものです。
総力戦研究所が日米開戦前に実施したシミュレーションの結果
総力戦研究所が日米開戦前に実施したシミュレーションの結果は、実際の太平洋戦争の経過と驚くほど一致していました。
総力戦研究所の予測
1941年に行われたシミュレーション演習では、各界のエリートが集められ、当時の日本の国力や軍事力を詳細に分析しました。その結果、以下の結論が導き出されました。
緒戦の勝利は可能: 開戦直後は、奇襲攻撃などにより日本が優位に立つことが見込まれる。
長期戦での敗北: しかし、アメリカの圧倒的な物量には耐えられず、戦争は長期化し、日本の国力は疲弊する。
ソ連の参戦: 戦争終盤にはソ連が参戦し、日本は敗北を喫する。
実際の太平洋戦争との一致
この予測は、実際に起きた太平洋戦争の経過とほぼ合致していました。
緒戦の勝利: 1941年12月の真珠湾攻撃や東南アジア各地での日本軍の快進撃は、まさに緒戦の勝利でした。
長期戦と国力疲弊: しかし、アメリカの工業生産力は日本のそれをはるかに上回り、戦争が長期化するにつれて日本の補給線(シーレーン)は寸断され、資源や食料が不足し、国力は限界に達しました。
ソ連の参戦と敗戦: 1945年8月、ソ連が日ソ中立条約を破棄して参戦。この事態が日本の降伏を決定づける一因となり、最終的に日本の敗戦となりました。
総力戦研究所の予測は、原爆投下を除き、これらの主要な展開を正確に捉えていたことがわかります。この研究所の結論は、当時の政権中枢にも報告されましたが、開戦を回避する決定には至りませんでした。
実際の太平洋戦争の経過と対比
総力戦研究所のシミュレーション(机上演習)と実際の太平洋戦争の経過は、驚くほど多くの点で一致していますが、異なる点も存在します。以下に具体的に対比します。
総力戦研究所のシミュレーション概要
1941年、近衛文麿内閣のもとで設立された総力戦研究所は、若手エリート官僚や軍人(30代中心)を集め、日米が開戦した場合の国家の総力を挙げたシミュレーションを行いました。このシミュレーションは、当時の日本の国力や国際情勢を客観的なデータに基づいて分析したものでした。
**シミュレーションが導き出した結論は「日本必敗」**であり、その要旨は以下の通りです。
緒戦は勝利するが、米国の圧倒的な生産力が軌道に乗るにつれて戦局は悪化する。
戦争は長期戦となり、日本の国力はそれに耐えられない。特に石油などの資源と船舶(輸送力)の消耗が致命的となる。
戦争3年目にはソ連が対日参戦する可能性が高い。
最終的にドイツは敗北し、日本は孤立。国民の厭戦気分が高まり、国内が混乱する中で敗戦に至る。
シミュレーションと実際の戦争経過の対比
シミュレーションの予測と、1941年12月の開戦から1945年8月の敗戦までの実際の経過を比較すると、その的確さに驚かされます。
類似点:驚くほど正確だった予測
シミュレーションの予測 | 実際の太平洋戦争の経過 |
緒戦の勝利 | 真珠湾攻撃の成功に続き、マレー沖海戦、フィリピンやシンガポールの攻略など、緒戦において日本軍は快進撃を続けた。 |
長期化と国力・輸送力の枯渇 | 1942年のミッドウェー海戦での敗北を転機に、日本は戦局の主導権を失う。米国の圧倒的な工業生産力(航空機や艦船の生産数で数十倍の差)の前に、日本の消耗は激しくなる。特に、米潜水艦の通商破壊作戦により日本の輸送船団は壊滅的な打撃を受け、資源や兵員の輸送が困難になり、前線の維持が不可能になった。 |
ソ連の参戦 | ドイツ降伏後の1945年8月9日、ヤルタ協定に基づきソ連が対日宣戦布告。満州へ侵攻し、日本の敗戦を決定的なものにした。 |
ドイツの敗北と日本の孤立 | 1945年5月にドイツが無条件降伏。日本は枢軸国で唯一の国となり、連合国との絶望的な戦いを続けることになった。 |
最終的な敗北 | 物量、国力の差は埋めがたく、最終的にポツダム宣言を受諾し、無条件降伏に至った。 |
<center>第二次世界大戦における日本の最大版図</center>
相違点:予測と異なった現実
シミュレーションの予測 | 実際の太平洋戦争の経過 |
敗戦までの期間 | シミュレーションでは「3年程度で敗戦」と予測されたが、実際には約3年8ヶ月と、より長く戦争が継続した。これは、国民を総動員した徹底抗戦や、後述する特攻などの予測を超えた戦術によるものと考えられる。 |
国民の動向 | シミュレーションでは、生活苦から国民の厭戦気分が高まり、国論が分裂することが敗因の一つとされた。しかし実際には、厳しい情報統制と精神主義的なプロパガンダの下で「一億玉砕」が叫ばれ、国民は敗戦間際まで戦争遂行に協力させられた。 |
想定外の事象 | シミュレーションでは予測されていなかった原子爆弾の投下や、神風特攻隊に代表される組織的な体当たり攻撃が行われた。これらは戦争の様相をより悲惨なものにした。 |
なぜシミュレーションは活かされなかったのか
これほど的確な予測であったにもかかわらず、シミュレーションの結果は当時の東條英機首相兼陸軍大臣をはじめとする政府・軍部の中枢に黙殺されました。東條は報告会で以下のように述べ、結果を一蹴したと伝えられています。
「諸君の研究の労を多とするが、これはあくまでも机上の演習であり、実際の戦争というものは君達が考えているようなものではない。日露戦争では、わが国は勝てるとは思わなかった。しかし勝ったのである」
このように、客観的なデータに基づく分析よりも、過去の成功体験(日露戦争)や「大和魂」といった精神論が優先され、「必敗」の分析結果は顧みられることなく、日本は無謀な戦争へと突入していきました。総力戦研究所のシミュレーションは、その的確さゆえに、歴史の教訓として今なお重い意味を持っています。
【こんや放送】
— NHKスペシャル(日)夜9時 (@nhk_n_sp) August 16, 2025
シミュレーション ~昭和16年夏の敗戦~
後編 17(日)夜9時~[総合]
1941年、日米戦開戦後の戦局を占うために
緊急招集された若きエリートたち。
日本必敗の“現実”を伝えようとする彼らが目にした結末は。
2夜連続放送の後編。
出演 #池松壮亮 #仲野太賀 #岩田剛典 ほか#戦後80年 pic.twitter.com/togvEkvsVn






