偶然なのか?母との再会、朝ドラと夜ドラ💛【連続テレビ小説】風、薫る(81)第17週「脈動」
偶然なのか?母との再会、朝ドラと夜ドラ
こんにちは
猫好き父さんです
朝ドラと
夜ドラで
奇跡の再会?
しかし
どちらも
喜べない
「なぜ捨てたのか?」
「なぜ捨てられたのか?」
画像は公式からの引用です
あらすじ
直美(上坂樹里)は文(内田慈)が自分の母親なのではないかと疑い始め、卯三郎(坂東彌十郎)に文の過去を聞きに行く。寛太(藤原季節)にも調べてもらうよう頼み込むが…。
出演者
【出演】上坂樹里,内田慈,藤原季節,水野美紀,坂東彌十郎
原作・脚本
【脚本】吉澤智子,【原案】田中ひかる
音楽
【音楽】野見祐二
直美はずっと気になっていたことを文に聞きました。
— 朝ドラ「風、薫る」公式 (@asadora_nhk) July 19, 2026
👇すると文は……。https://t.co/eNe7jXTjjA[見逃し配信中]#朝ドラ #風薫る
上坂樹里 内田慈 pic.twitter.com/11alqHYcK1
明治時代における捨て子(棄児:きじ)の数については、現代のように全国で統一された正確な統計データが残っているわけではありません。
しかし、当時の行政文書や警察の記録、法改正の経緯などから「都市部を中心に非常に多く発生しており、深刻な社会問題となっていた」ことが分かっています。
具体的にどれくらいの規模であったのか、記録に残るデータや背景をご紹介します。
1. 記録に見る「捨て子」の具体数
明治維新直後から明治中期にかけての東京や大阪などの大都市では、年間数百人規模の捨て子が公的に保護・記録されていました。
東京府の記録(明治初期〜中期)
東京府(現在の東京都)の警察や行政の記録によると、1870年代〜1880年代(明治初頭〜10年代)の東京市内だけで、年間100人〜300人前後の捨て子が発見され、行政に保護されていました。これは警察などに届け出があった「公的な件数」のみであり、人知れず亡くなった子や内々に拾われて育てられた子を含めると、実際の数はこれを大きく上回っていたと考えられています。
「棄児養育米(棄児給与法)」の申請数
明治4年(1871年)に太政官布告として「棄児取締規則(後に棄児給与法)」が定められ、捨て子を拾って育てる者に対して国や府から米や補助金が給付される仕組みができました。この給付申請の記録からも、全国の主要都市で常時相当数の捨て子が存在していたことが裏付けられています。
2. なぜ明治時代に捨て子が多く発生したのか?
江戸時代から明治へと時代が変わる中で、社会構造の激変が人々の生活を直撃しました。
① 貧困と過酷な経済情勢
明治維新による急速な近代化の一方で、農村の貧困や地租改正による農民の困窮が深まりました。また、激しいインフレや景気変動により、明日食べるものにも困る貧困層が大都市に流入しました。「育てたくても育てられない」という口減らし(極貧)が最大の要因でした。
② 工場労働と若年女性の置かれた環境
明治中期以降、製糸工場や紡績工場などで働く「女工」をはじめ、多くの若い女性が都市部で働くようになりました。そうした中で望まぬ妊娠・出産をした際、身寄りもなく、育てながら働くこともできず、やむなく施設や民家の玄関前に捨てざるを得ないケースが急増しました。
③ 「家」制度と私生児への偏見
明治民法によって「家」制度が強化される中、婚姻外で生まれた子(私生児)や、家の許しを得ない妊娠に対する世間の目は非常に厳しく、世間体や家族の存続のために捨て子にされるケースもありました。
3. 明治政府の対応と社会の変化
捨て子の多さを重く見た明治政府や民間団体は、保護のための制度や施設を相次いで作りました。
棄児給与法の制定(明治4年〜)
「捨て子を見つけた者は警察に届け出て、養育を希望する者には手当(米など)を支給する」という法律を作り、野外で放置されて亡くなる子どもを減らそうとしました。
「養育院」などの保護施設の誕生
明治5年(1872年)、東京府に「養育院」(後の東京都養育院、現在の東京都健康長寿医療センターのルーツ)が設置されました。渋沢栄一が長年院長を務めたことで有名ですが、ここには貧困者だけでなく、大量の捨て子や孤児が収容・保護され、教育や職業訓練が行われました。
民間孤児院の設立
明治20年代(1890年代)になると、石井十次による「岡山孤児院」をはじめとするキリスト教系や仏教系の民間孤児院が全国で作られ、政府の手が届かない捨て子たちの受け皿となりました。
まとめ
明治時代は、近代国家としての歩みを始めた華やかな側面の裏で、社会保障制度がまだ未発達だったため、大都市だけでも毎年数百人、全国規模で見れば常に膨大な数の捨て子が存在した時代でした。
そうした惨状を救うために作られた「養育院」や各種の孤児院、行政の給付制度は、日本の現代における児童福祉(乳児院や児童養護施設)の原点となっていきました。


















