ある意味斬新な制服ではありますね〒【連続テレビ小説】風、薫る(119)第24週「環」
ある意味斬新な制服ではありますね〒
こんにちは
猫好き父さんです
雨も降ってないのに
この帽子は
でかすぎない?
画像は公式からの引用です
あらすじ
シマケン(佐野晶哉)の家を訪ねるという置き手紙を残して環(瀧七海)がいなくなった。慌てるりん(見上愛)だが、そこへ亀吉(三浦貴大)がやってくる。シマケンと再会した環は、将来の迷いや悩みを打ち明けていた。
出演者
【出演】見上愛,上坂樹里,佐野晶哉,木越明,瀧七海,村上穂乃佳,三浦貴大
原作・脚本
【脚本】吉澤智子,佃良太,【原案】田中ひかる
音楽
【音楽】野見祐二
郵便配達夫になったシマケン。
— 朝ドラ「風、薫る」公式 (@asadora_nhk) September 9, 2026
なんだか新鮮ですね。
👇制服姿で登場したシマケンを見るhttps://t.co/CUjrFRGF9q#朝ドラ #風薫る
佐野晶哉 瀧七海 pic.twitter.com/TyrWLtCGRV
郵便配達夫
明治時代(初期)における日本の郵便制度の創設(明治4年/1871年)と、郵便配達夫(当時の呼び名は「脚夫(きゃくふ)」や「郵便取扱役」)の制服、記号「〒」、給料事情について解説します。
1. 郵便配達夫の制服は何をモデルに作られたのか?
明治4(1871)年に郵便制度が始まった当初、配達員には規定の制服がなく、飛脚(ひきゃく)のような伝統的な着物姿(半纏に股引)で配達を行っていました。
しかし、近代国家としての体裁を整えるため、明治5(1872)年に日本で最初の郵便配達夫の制服が制定されました。
- モデル(参考にされたもの)主に西洋(ヨーロッパ)の軍服や警察官の制服をモデル(手本)にして作られました。前ボタンの詰襟(つめえり)ジャケットにズボン、丸型の帽子というスタイルで、黒または紺色の洋服仕立てでした。
- なぜ軍服風だったのか当時、洋服自体が非常に珍しかったため、洋装のノウハウがあったのは陸軍などの軍服でした。また、貴重な現金や重要書類を運ぶ配達夫に「国家公務(公の職務)を行っている」という権威と信頼感を持たせる狙いもありました。
2. 「〒」の記号はこのときからあったのか?
結論から言うと、郵便制度の開始当初(1871年)には「〒」マークはありませんでした。
「〒」マークが誕生したのは、制度開始から16年後の明治20(1887)年2月です。
マーク誕生の経緯
- もともとは「T」マークだった当時の逓信省(ていしんしょう:現在の総務省・日本郵政の前身)の英字頭文字「Teishin」から、最初は「T」をマークとして公示しました。
- 「〒」への修正しかし、公示直後に「国際的な郵便の不足料金を示す記号『T』(Taxeの略)と紛らわしい」「逓信省の『テ』の字を図案化したほうが良い」といった意見が出ました。
- 数日後の変更そこで、「T」の上に横棒を1本加えてカタカナの「テ」に似せた「〒」に変更し、改めて公示し直されました(1887年2月19日)。これが現在まで続く「〒」マークの始まりです。
3. 当時の給料(給料事情)はいくらくらいだったのか?
明治時代初期の郵便配達夫の給料は、月給で「1円50銭〜3円程度」(現在の物価感に換算すると約3万〜6万円前後)からのスタートでした。
明治時代を通じての給料事情と当時の物価比較です。
| 時期 | 配達夫の平均月給 | 当時の物価の目安 |
| 明治初期(1870年代) | 約1円50銭 〜 3円 | 米10kg:約50銭 ラーメン/蕎麦1杯:約1銭 |
| 明治中期〜後期(1890〜1900年代) | 約8円 〜 15円 | 小学校教員の初任給:約10〜12円 警察官の初任給:約12円 |
当時の労働環境と給料の位置づけ
- 決して高給ではなかった当時の職種としては、警察官や小学校教師と同等かやや低い水準であり、労働の過酷さ(徒歩で毎日何十キロも歩く)に対して「非常に恵まれた高給」というわけではありませんでした。
- 公務員としての安定感一方で、制服や鞄が支給され、国家の近代事業に携わる身分制の安定した職(官吏・公務員に準ずる立場)であったため、地域では一定の信頼と憧れを持たれる職種でもありました。


















