黄金コンビ最後の仕事📚べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(19)鱗(うろこ)の置き土産
黄金コンビ最後の仕事
こんにちは
猫好き父さんです
最後の最後で
分かり合えて
良かったですね
そして
いい仕事もしました
あらすじ
経営難に陥り店を畳むことにした鱗形屋(片岡愛之助)は、鶴屋(風間俊介)や西村屋(西村まさ彦)らと今後について協議していた。その場で、鱗形屋お抱えの作家・恋川春町(岡山天音)は、今後鶴屋で書くことが決まった。蔦重(横浜流星)は市中の地本問屋たちの勢いに対抗するため春町の獲得を狙い、作戦を練っていた。一方、江戸城では知保の方(高梨臨)が毒による自害騒ぎを起こし、意次(渡辺謙)は事情を探っていた…。
出演
【出演】横浜流星,染谷将太,福原遥,古川雄大,岡山天音,風間俊介,西村まさ彦,片岡愛之助,里見浩太朗,渡辺謙,高橋克実,高梨臨,奥智哉,中村蒼,本宮泰風,正名僕蔵,伊藤淳史,【語り】綾瀬はるかほか
【作】森下佳子
【音楽】ジョン・グラム
鱗形屋(うろこがたや)
鱗形屋(うろこがたや)は、江戸時代初期から中期にかけて繁栄した、日本の出版文化を代表する地本問屋(じほんとんや)、すなわち出版社です。その歴史は、江戸の庶民文化の発展と深く結びついています。
創業と変遷
- 創業: 明暦年間(1655~1658年頃)に加兵衛という人物が創業したとされています。初期は浮世絵や絵本などを手掛けていました。
- 「鶴鱗(林)堂」という屋号: 鱗形屋は、その出版物の奥付に「鶴鱗(林)堂」という堂号(どうごう)を記していました。これは出版元を示すシンボルマークのようなもので、その名前が示すように、鶴と鱗を組み合わせたような紋(屋号のシンボル)も使われたようです。
- 「鱗形屋孫兵衛」の時代: 二代目三左衛門を経て、三代目である鱗形屋孫兵衛の時代に最も隆盛を極めました。この孫兵衛が、鱗形屋の出版活動を大きく発展させ、江戸の出版界に大きな影響を与えました。彼の代は、元禄から宝暦年間(1688年~1764年)にかけ、特に多くの人気作を世に送り出しました。
主な出版物とその影響
鱗形屋は、幅広いジャンルの出版物を手掛け、特に以下の分野で革新的な役割を果たしました。
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吉原細見(よしわらさいけん)
- 吉原遊廓の公認のガイドブックであり、鱗形屋の看板商品の一つでした。
- 吉原の妓楼(ぎろう)や遊女の名前、位、揚代(あげだい:料金)などが詳細に記されており、当時の吉原文化を知る上で貴重な資料となっています。
- 毎年版を重ねるベストセラーであり、後の有力な出版人である**蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)**も、この吉原細見の編集に携わることで出版界に足がかりを築きました。鱗形屋は蔦屋重三郎の才能を見出し、彼に大きな影響を与えたとされています。
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草双紙(くさぞうし)
- 挿絵中心の娯楽読物で、江戸時代の庶民に広く親しまれました。内容や装丁によって「赤本」「黒本」「青本」「黄表紙(きびょうし)」といった種類に分けられます。
- 黄表紙の嚆矢(こうし:始まり)の刊行: 特に重要なのは、恋川春町(こいかわはるまち)が作画・作(著)した『金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)』(1775年刊行)を出版したことです。これは、それまでの赤本・黒本の子供向けの内容から、大人向けの諷刺や滑稽さを盛り込んだ黄表紙というジャンルを確立した画期的な作品であり、大ヒットしました。鱗形屋は、この新ジャンルのパイオニアとして、その後の黄表紙ブームを牽引する役割を果たしました。
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浮世絵版画
- 菱川師宣(ひしかわもろのぶ)などの初期の浮世絵師の作品も手掛けていました。美人画や役者絵、風景画など、当時の風俗や流行を伝える重要なメディアとして、浮世絵の普及に貢献しました。
- 錦絵(にしきえ:多色刷り浮世絵)の技術が確立される前の、墨摺絵(すみずりえ)や丹絵(たんえ)などの時代から、浮世絵版画の制作に関わっていました。
所在地と当時の環境
- 江戸時代には、出版業者が集まる中心地であった日本橋室町二丁目や大伝馬町三丁目(現在の東京都中央区日本橋大伝馬町付近)に店を構えていました。
- これらの地域は、書物や版画が活発に取引され、情報や文化の発信地となっていました。
衰退と影響
- 不正事件: 鱗形屋は黄表紙の隆盛を極めましたが、1775年(安永4年)頃に、手代が他社の版木を無断で借りて重版(海賊版)を行い、摘発されるという不正事件が発覚しました。これは当時の出版界では非常に問題視される行為であり、鱗形屋の信用を大きく損ねる結果となりました。
- 災難: その後も火災などの災難が続き、経済的にも打撃を受け、勢いを失っていきました。
- 廃業と継承: 最終的には廃業へと追い込まれ、その版権の一部は、元手代であり、後に「黄表紙のツタヤ」として鱗形屋以上の隆盛を誇る**西村屋与八(蔦屋重三郎)**や、他の地本問屋に引き継がれたとされています。
鱗形屋の歴史は、江戸の出版文化が形成され、発展していく過程を示す重要な事例です。特に、吉原細見による情報提供の先駆性や、黄表紙という新しい文学ジャンルを創出した功績は、江戸の庶民文化に与えた影響が非常に大きいと言えます。
恋川春町(こいかわ はるまち)
恋川春町(こいかわ はるまち)は、江戸時代中期に活躍した、戯作者(げさくしゃ)、浮世絵師、狂歌師という多才な顔を持つ人物です。特に、「黄表紙(きびょうし)」の祖として、江戸の出版文化と庶民の娯楽に大きな影響を与えました。
1. 意外な本業:武士としての顔
恋川春町の特異な点は、彼の本業が武士であったことです。
- 本名: 倉橋格(くらはし いたる)。通称は寿平(じゅへい)。
- 藩士: 駿河(現在の静岡県)小島藩(松平家)の藩士であり、江戸詰めの上級武士として、藩の江戸屋敷で留守居役や御年寄本役といった重職を務めていました。
- 筆名の由来: 彼の筆名「恋川春町」は、藩邸があった江戸の「小石川春日町」をもじったものと言われています。
つまり、昼間は堅い武士の仕事をする傍ら、夜には庶民向けの娯楽作品を手がけるという、二重生活を送っていたことになります。これは当時の知識層である武士の間では珍しくありませんでしたが、彼の活躍は特に目覚ましいものでした。
2. 黄表紙の創始者としての功績
恋川春町の最大の功績は、黄表紙という新しい文学ジャンルを確立したことです。
- 黄表紙とは:
- 江戸時代に流行した、挿絵入りの娯楽読物「草双紙(くさぞうし)」の一種です。
- それまでの草双紙(赤本、黒本など)が子供向けの説話や物語が中心だったのに対し、黄表紙は大人向けの内容で、当時の世相や風俗を機知に富んだ風刺や滑稽な筆致で描いた点が特徴です。
- 読者の知識や教養を前提とした、より知的で深みのある笑いを追求しました。
- 代表作『金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)』:
- 1775年(安永4年)に、鱗形屋孫兵衛を版元として刊行されました。
- この作品は、中国の故事「邯鄲の夢」を下敷きに、当時の江戸の流行や人間関係をユーモラスに諷刺しています。主人公の金兵衛が茶屋でうたた寝中に夢の中で大出世を遂げるという内容で、その斬新な発想と巧みな表現が庶民の心を掴み、大ヒットしました。
- 『金々先生栄花夢』は、黄表紙の記念碑的作品とされ、これ以降、黄表紙というジャンルが確立され、江戸の出版界に一大ブームを巻き起こしました。恋川春町は、自ら絵も描く「自画作」のスタイルを確立したことでも知られています。
3. 多才な文化人としての活動
黄表紙作家としての顔の他にも、多岐にわたる才能を発揮しました。
- 浮世絵師: 幼い頃から絵を学び、鳥山石燕(とりやま せきえん)に師事し、さらに勝川春章(かつかわ しゅんしょう)にも私淑するなど、一流の絵師としての素養も持ち合わせていました。彼の作品の挿絵は、洗練された画力で物語の世界をより豊かにしました。
- 狂歌師: 天明年間(1781~1789年)には、「酒上不埒(さけのうえのふらち)」という狂歌名で狂歌の世界でも活躍しました。狂歌は、世相や風俗を皮肉やユーモアを交えて表現する短歌形式の文学で、当時の知識人たちの間で流行していました。
4. その他の主な作品
『金々先生栄花夢』以外にも、多数の黄表紙作品を残しています。
- 『高慢斎行脚日記(こうまんさいあんぎゃにっき)』
- 『三升増鱗祖(みますますうろこのはじめ)』
- 『無益委記(むだいき)』
- 約100年後の江戸の未来を予想した作品として知られ、現在の視点から見ても興味深い内容が含まれています。
- 『鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)』
- 幕府の寛政の改革を風刺した内容で、これも大ヒットしました。
5. 悲劇的な最期
恋川春町の生涯は、華やかな創作活動の裏で、悲劇的な幕引きを迎えました。
- 寛政元年(1789年)に発表した黄表紙『鸚鵡返文武二道』が、当時の老中・松平定信が推進する寛政の改革の文武奨励策を風刺したと見なされ、幕府から呼び出しを受けることになります。
- 彼は病気を理由に出頭を拒みましたが、同年7月7日、わずか46歳で急逝しました。
- 幕府からの追及が迫る中での急死であったため、自害説も根強くささやかれています。武士としての本分と、自由な表現を追求する戯作者としての間で板挟みになり、苦悩の末の選択だったのかもしれません。
恋川春町は、武士という本業を持ちながら、絵師、狂歌師、そして黄表紙の創始者として、江戸の文化に多大な足跡を残しました。彼の作品は、当時の庶民の日常生活や社会への鋭い視点、そしてユーモアに満ちた表現で、現代にまでその魅力を伝えています。
池洲稲荷神社(いけすいなりじんじゃ)
池洲稲荷神社(いけすいなりじんじゃ)は、東京都中央区日本橋堀留町に鎮座する歴史ある神社です。ビルが立ち並ぶ都心の中にひっそりと佇んでおり、地元の人々に長く信仰されてきました。
由緒と歴史
池洲稲荷神社の創建年代は不詳とされていますが、その由緒には興味深い言い伝えがあります。
- 「池洲屋敷」由来説: 昔、旧・日本橋区の「通旅籠町(とおりはたごちょう)」という地域(現在の日本橋大伝馬町と日本橋堀留町にまたがる地域)に「池洲屋敷」という屋敷がありました。この屋敷には「生け簀(いけす)」、つまり魚を飼育する池沼があり、そこからお稲荷さま(稲荷神)が現れたと伝えられています。これが神社の名の由来となり、「池洲稲荷神社」と呼ばれるようになりました。
- 喜久井大納言建立説: 一説には、喜久井大納言という人物が池の洲に一宇(社殿)を建立したのが神社の始まりとも伝わっています。ただし、この人物や創建年代の詳細は不明です。
- 歴史の記録: 神社に残る石碑によると、天保2年(1831年)に社殿が改築された記録があるため、それ以前の創建であることがわかります。
- 災禍からの再建:
- 1923年(大正12年)の関東大震災で一度焼失しました。
- その後、昭和初期に再建されたものの、1945年(昭和20年)3月の東京大空襲を含む第二次世界大戦の戦災により再び焼失し、全てが烏有(うゆう:焼け跡に残る灰や炭)に帰しました。
- 現在の社殿は、戦後の復興期である1949年(昭和24年)5月に、地元の人々の尽力によって再建されたものです。
御祭神
池洲稲荷神社の御祭神は、**倉稲魂命(うかのみたまのみこと)**です。
- 倉稲魂命は、食物や穀物の神様、農業の神様として知られ、また商売繁盛や産業振興の神としても広く信仰されています。お稲荷様として親しまれる神様です。
所在地とアクセス
- 所在地: 〒103-0012 東京都中央区日本橋堀留町2丁目4-10
- アクセス:
- 東京メトロ日比谷線・都営浅草線「小伝馬町駅」から徒歩約3分
- 都営新宿線「馬喰横山駅」から徒歩約8分
- 東京メトロ日比谷線・都営浅草線「人形町駅」から徒歩約10分
- 大通りから少し入った路地裏に位置しており、ビルや建物の間にひっそりと佇んでいるため、注意して探す必要があります。「ルーグザバーバー」という理容室を目印にすると分かりやすいという情報もあります。
その他
- 御朱印: 神社の隣に社務所がありますが、御朱印がいただけるかどうかは明確ではありません。参拝前に確認することをおすすめします。
- 周辺の神社: 池洲稲荷神社の周辺には、椙森神社、出世稲荷神社、三光稲荷神社など、他の歴史ある神社も点在しており、合わせて巡ることも可能です。
- 「鱗形屋」との関連: 先ほどご説明した江戸時代の版元「鱗形屋」の店舗は、かつての通旅籠町(現在の日本橋大伝馬町、堀留町周辺)にあり、当時の書物には鱗形屋の店の隣に池洲稲荷が描かれていることから、歴史的に深い関わりがあったことがうかがえます。
池洲稲荷神社は、江戸時代から続く地域の守り神として、度重なる災禍を乗り越え、現在もこの地の歴史を見守り続けています。
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— 大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」日曜夜8時 (@berabou_nhk) May 19, 2025
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