マジレッドとトッキュウ4号の相談に割って入る真咲美希💛べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(24)げにつれなきは日本橋
マジレッドとトッキュウ4号の相談に割って入る真咲美希
こんにちは
猫好き父さんです
凄い顔ぶれでしたね
マジレッド
トッキュウ4号
真咲美希
スーパーヒーロータイムか!
あらすじ
吉原の親父たちの支援のもと、日本橋に店を購入する準備を始める蔦重(横浜流星)。しかし、丸屋のてい(橋本愛)は、吉原者の蔦重を受け入れず、店の売却を拒否する。蔦重は、東作(木村了)や重政(橋本淳)に何か打開策はないかとたずねるが…。一方、誰袖(福原遥)は抜荷の証を掴めていなかった。意知(宮沢氷魚)は、次の一手に東作と廣年(ひょうろく)を繋ぎ、琥珀を直接取り引きする話で誘いを謀る…。
【出演】横浜流星,染谷将太,橋本愛,福原遥,宮沢氷魚,えなりかずき,ひょうろく,生田斗真,高橋克実,渡辺謙,原田泰造,木村了,柳俊太郎,中川翼,安田顕,中村蒼,本宮泰風,正名僕蔵ほか
【作】森下佳子
【音楽】ジョン・グラム
マジレッド
マジレッドは、2005年2月13日から2006年2月12日まで放送されたスーパー戦隊シリーズ第29作**『魔法戦隊マジレンジャー』**に登場する、赤い魔法使いのヒーローです。
マジレッドの概要:
- 変身者: 小津家の末っ子である**小津 魁(おづ かい)が変身します。演じているのは俳優の橋本 淳(はしもと あつし)**さんです。
- 特徴: * 「燃える炎のエレメント! 赤の魔法使い、マジレッド!」が変身時の名乗り口上です。
- 炎のエレメントを司る守護天空聖者フレイジェルの力を授かっており、炎を使った攻撃と「マジスティックソード」を使った剣技が得意です。
- 特殊魔法は「練成魔法」で、「ジルマ・マジーロ」の呪文で物質の元素を組み替え、等価変換で別の物質を作り出すことができます。
- 魔法大変身により、炎の不死鳥である「マジフェニックス」になることもできます。
- 物語の途中で「レジェンドマジレッド」という強化フォームにも変身し、より強力な炎の力を操ります。
小津 魁(変身者)の人物像:
- 炎のように元気な小津家の三男で末っ子。
- 正義感が強く、曲がったことが大嫌いな性格。
- 燃える感情をストレートに表に出す純粋な熱血少年で、17歳の高校2年生(物語開始時)。
- スポーツが得意で、高校ではサッカー部に所属し、ポジションはフォワードでした。
- こうと決めたら、考えるより即行動に移すタイプで、勇気なら誰にも負けないと自負しています。
『魔法戦隊マジレンジャー』について:
- 「冒険! 勇気! それは魔法」というテーマが掲げられ、人間の勇気が魔法をもたらすというメッセージが込められています。
- 変身アイテムは携帯電話から変形する「魔法のステッキ」であり、スーツの衣装にはマントが採用されているなど、魔法使いらしい要素が盛り込まれています。
- 『アラジンと魔法のランプ』や『かえるの王さま』など、魔法が登場する童話を下敷きにしたエピソードも存在します。
- 小津家という家族が、家族の絆を深めながら世界の平和を守るために戦う姿が描かれ、多くのファンに愛されています。
マジレッドは、その情熱的で真っ直ぐなキャラクターと、炎を操る派手な魔法で、作品の顔として大きな存在感を放っていました。
トッキュウ4号
トッキュウ4号は、2014年2月16日から2015年2月8日まで放送されたスーパー戦隊シリーズ第38作**『烈車戦隊トッキュウジャー』**に登場する、緑色の戦士です。
トッキュウ4号の概要:
- 変身者: ヒカリが変身します。演じているのは、現在、数々のドラマや映画で活躍されている俳優の**横浜流星(よこはま りゅうせい)**さんです。
- 特徴:
- 名乗り口上は「まじめな車両!トッキュウ4号!」です。
- 武器は「トンネルアックス」で、その名の通りトンネルをモチーフにした斧型の武器を使いこなします。
- トッキュウジャーのメンバーは、乗り換えチェンジという能力で、それぞれのカラーの戦士に変わることができます。ヒカリは普段はグリーンですが、他のメンバーのカラーに乗り換えることも可能です。
- 「ハイパートッキュウ4号」という強化形態にも変身でき、胸部に黄金の蒸気機関車型アーマーを装着します。
- 人物像(ヒカリ):
- 冷静沈着で頭脳明晰な少年。
- 自分の欲望に忠実なタイプで、どんな武器も自在に操るテクニックに優れています。
- 気分が乗れば、リーダーのライトに次いで戦闘能力が高いと言われています。
- 常にクールで周りをよく見ており、時には冷静な視点から仲間のピンチを救うこともあります。
- 手先が器用で、けん玉が得意という一面も持っています。
『烈車戦隊トッキュウジャー』について:
- テーマ: 「イマジネーション(想像力)」が重要なテーマとなっています。
- 物語: 過去の記憶を失った若者たちが、イマジネーションを武器に、人々から闇を奪い取ろうとする悪の帝国「シャドーライン」と戦います。彼らの願いは、人々の平和と、失われた自分たちの記憶(故郷や家族の記憶)を取り戻すことです。
- モチーフ: 列車がモチーフとなっており、変身や戦闘に「烈車(レッシャー)」と呼ばれる特別な列車が使われます。
トッキュウ4号/ヒカリは、そのクールな魅力と高い戦闘能力、そして冷静な判断力で、チームの中でも重要な役割を担っていました。横浜流星さんにとって、特撮作品のメインキャラクターとしての出演は、その後の飛躍の大きな足がかりとなりました。
真咲美希
真咲美希(まさき みき)は、2007年2月18日から2008年2月10日まで放送されたスーパー戦隊シリーズ第31作**『獣拳戦隊ゲキレンジャー』**に登場する主要キャラクターの一人です。
人物像と役割:
- スクラッチ社の特別開発室室長: ゲキレンジャーの拠点となるスポーツ用品会社「スクラッチ社」の特別開発室の室長を務めています。スクラッチ社は表向きはスポーツメーカーですが、その実態はゲキレンジャーたちをサポートする秘密組織です。
- 激獣レオパルド拳(げきじゅうレオパルドけん)の使い手: 自身も獣拳の使い手であり、激獣レオパルド拳を習得しています。かつてはゲキレンジャーのマスター・シャーフーの弟子であり、理央やゴウとも同期でした。現在は一線からは退いていますが、その実力は健在で、劇中でも激獣レオパルド拳の構えや名乗りを披露する場面があります。
- ゲキレンジャーのサポート役: ゲキレンジャーの装備やメカの開発、メンテナンス、情報収集など、多岐にわたる技術的なサポートを行います。彼女の存在なしには、ゲキレンジャーは戦うことができません。
- 真咲なつめの母親: 娘の真咲なつめ(演:桑江咲菜)もスクラッチ社の開発室に出入りしており、ゲキレンジャーたちとは以前から顔なじみです。母娘ともに「ジャン語」(ゲキレッドのジャンが使う独特の言葉)を理解し、話すことができます。
- 演じているのは伊藤かずえさん: 長年女優として活躍されている伊藤かずえさんが演じています。彼女の存在感と演技力が、真咲美希というキャラクターに深みを与えています。
キャラクターとしての特徴:
真咲美希は、単なる科学者や司令官というだけでなく、かつては自身も獣拳使いだったという背景を持つ、非常に魅力的なキャラクターです。ゲキレンジャーたちの技術的なサポートをするだけでなく、時には彼らを精神的に支え、助言を与えるなど、母親のような役割も果たします。
また、2020年には『魔進戦隊キラメイジャー』の第27話に、娘のなつめと共に当時の役柄のまま約13年ぶりにゲスト出演し、ファンを喜ばせました。このことからも、真咲美希というキャラクターが多くの視聴者に愛されていることがわかります。
まとめると、真咲美希は『獣拳戦隊ゲキレンジャー』において、ゲキレンジャーの強力なバックアップを担い、彼らの戦いを影で支える重要なキャラクターと言えます。
【⚠総合テレビの本放送は夜7:14〜】
— 大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」日曜夜8時 (@berabou_nhk) June 22, 2025
第24回「げにつれなきは日本橋」
日本橋の店を狙う蔦重(#横浜流星)だが、てい(#橋本愛)から店舗売却を拒まれる。一方、誰袖(#福原遥)は抜荷の証しを得るため、東作(#木村了)と廣年(#ひょうろく)を繋ぐ。
👇相関図はhttps://t.co/mg2hlv4Xfi#大河べらぼう pic.twitter.com/m9eSoqhyVB
松前城
松前城(まつまえじょう)は、北海道松前郡松前町にある日本の城で、別名「福山城(ふくやまじょう)」とも呼ばれています。日本の城としては最北に位置し、かつ江戸時代に築城された最後の日本式城郭として非常に貴重な存在です。
歴史
- 前身「福山館」: 松前城の前身は、慶長11年(1606年)に松前氏5代当主・松前慶広(よしひろ)が築いた「福山館」と呼ばれる居館でした。この頃は、松前氏には正式な城郭の築造が許されておらず、天守もありませんでした。
- 築城の背景(幕末の北方警備): 嘉永2年(1849年)、当時ロシア船などが頻繁に日本近海に出没し、北方警備が急務となったため、江戸幕府は松前藩に城郭の築造を命じました。これにより、松前藩は城持ち大名に格上げされ、福山館を土台として本格的な城郭の築城が開始されました。
- 完成: 高崎藩の兵学者・市川一学の設計により、嘉永3年(1850年)に着工し、安政元年(1854年)に完成しました。これが現在の松前城です。
- 戊辰戦争と焼失: 明治維新期の戊辰戦争では、旧幕府軍との戦いの舞台となり、松前城は攻防の末に落城します。その後、明治8年(1875年)には開拓使の命令により、城内のほとんどの建物が取り壊されました。しかし、奇跡的に天守と本丸御門は破却を免れ、1941年(昭和16年)には国宝(当時の国宝保存法に基づく)に指定されます。
- 天守の再建: 昭和24年(1949年)の火災により、惜しくも国宝であった天守は焼失してしまいます。しかし、町民の強い願いと全国からの寄付により、昭和35年(1960年)に鉄筋コンクリート造で外観が復元され、翌年には「松前城資料館」として開館しました。
構造と特徴
- 最後の日本式城郭: 江戸時代末期に築かれたため、日本の城郭建築の集大成とも言える構造を持っています。長沼流兵学を反映した設計で、防御力が非常に高いとされています。
- 耐寒構造: 日本最北に位置するため、寒さや雪に耐えるための工夫が随所に見られます。例えば、天守や櫓、門の屋根には、瓦ではなく銅板が用いられていました。また、石垣も隙間のない「切込接(きりこみはぎ)」を採用し、土が凍って崩れるのを防ぐ工夫がされています。
- 現存遺構: 現存する建築物としては、国の重要文化財に指定されている本丸御門(大手門)が唯一当時の姿を残しています。この門は切妻造り、銅板葺きで、見事な石垣の上に築かれています。
- 復元天守: 現在見られる天守は、焼失後に外観が忠実に復元された鉄筋コンクリート製です。内部は松前城資料館となっており、松前藩に関する歴史資料や美術品が展示されています。
見どころ
- 松前公園: 松前城の敷地は「松前公園」として整備されており、特に桜の名所として有名です。「日本さくら名所100選」にも選定されており、約250種1万本もの桜が植えられています。早咲き・中咲き・遅咲きの品種が混在しているため、約1ヶ月にわたって桜のリレーを楽しむことができます。
- 本丸御門: 松前城で唯一現存する当時の遺構であり、国の重要文化財です。その重厚な造りは見応えがあります。
- 松前城資料館(天守): 復元された天守の内部は資料館となっており、松前藩の歴史や文化に関する展示が行われています。最上階からは津軽海峡や城下町を一望できます。特に、当時の松前城下の様子が描かれた「松前屏風」は必見です。
- 松前藩屋敷: 江戸時代の松前城下を再現したテーマパークで、当時の暮らしや文化に触れることができます。
- 寺町: 城の山側には、かつて多くの寺院が立ち並ぶ寺町がありました。現在でもいくつかの寺院が残り、歴史的な雰囲気を醸し出しています。
松前城は、幕末の激動期に日本の北辺を守るために築かれた歴史的な城であり、その背景や構造、そして美しい景観は訪れる人々を魅了し続けています。
松前廣年
江戸時代の武士であり、優れた絵師としても名を馳せた**松前廣年(まつまえ ひろとし)について。彼は、その画業においては蠣崎波響(かきざき はきょう)**という雅号で広く知られています。
生涯と経歴
- 生没年: 明和元年(1764年)5月26日 - 文政9年(1826年)6月22日。
- 出自: 松前藩(現在の北海道松前町周辺)の第7代藩主・松前資広(まつまえ すけひろ)の五男として、松前城(福山城)に生まれました。
- 蠣崎家への養子入り: 2歳の時に父が亡くなり、家老職を務める蠣崎将監広当(かきざき しょうげん ひろまさ)の養子となり、蠣崎家の家督を継ぎました。
- 画の修行: 幼い頃から絵に才能を示し、10歳の頃から江戸に滞在し、南蘋派の建部綾足(たけべ あやたり)に師事しました。建部綾足の死後、宋紫石(そう しせき)に学びました。20歳で松前に戻った後、京都から松前を訪れた大原呑響(おおはら どんきょう)と交流を深め、さらには円山応挙(まるやま おうきょ)にも師事し、円山派の画風を吸収しました。このことから「松前応挙」とも称されました。
- 家老としての活動と画業の両立: 松前藩の家老として、藩政に深く関わりました。特に、文化4年(1807年)に幕府の命令で松前藩が陸奥国梁川(現在の福島県伊達市梁川町)へ転封された際には、家臣団を率いて梁川に移り住み、藩の苦しい財政を支えるため、そして松前への復帰運動の資金を得るために、精力的に絵画制作を続けました。年間200点もの作品を描いた年もあったと言われています。
- 晩年: 松前への復帰を果たした後、家老職を息子の波鶩(はぼく)に譲り、画業に専念しましたが、その数年後に亡くなりました。
代表作
蠣崎波響の代表作として最も有名なのは、以下の作品です。
- 『夷酋列像(いしゅうれつぞう)』: 寛政元年(1789年)のクナシリ・メナシの戦い(寛政アイヌの乱)で松前藩に協力したアイヌの首長たちの肖像画12点からなる作品です。アイヌの人々の当時の姿を克明に描いた貴重な歴史資料としても評価されています。寛政3年(1791年)に京都で展示され、光格天皇が天覧したことで、その名が広く知られるようになりました。
その他、『桜花美人図』、『蓮蛙図』、『釈迦涅槃図』なども知られています。
人物像と評価
松前廣年(蠣崎波響)は、大名家の出身でありながら、絵師としても一流の才能を発揮した稀有な人物です。武士としての職務と絵画制作という芸術活動を両立させ、その人生は多岐にわたるものでした。
彼の作品は、南蘋派の精緻な描写力と、円山応挙から学んだ写実的な表現が融合した独自の画風が特徴です。特に『夷酋列像』は、歴史的価値だけでなく、絵画としての芸術性も高く評価されており、日本の美術史において重要な位置を占めています。政治と芸術の狭間で生きたその姿は、今日でも多くの人々に影響を与えています。
2025年NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』への登場
2025年に放送されるNHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』では、松前廣年(蠣崎波響)役を、お笑い芸人のひょうろくさんが演じることが発表されており、再び注目を集めています。ドラマでは、松前藩の江戸家老として、また画家として、どのような人物像が描かれるのか期待されています。
夷酋列像(いしゅうれつぞう)
夷酋列像(いしゅうれつぞう)は、江戸時代の絵師、蠣崎波響(かきざきはきょう、松前廣年)が描いたアイヌ民族の首長たちの肖像画です。寛政元年(1789年)のクナシリ・メナシの戦い(寛政アイヌの乱)で松前藩に協力した12人のアイヌの首長たちの姿が描かれています。
この作品は、当時のアイヌの人々の姿を伝える貴重な歴史資料であるとともに、絵画としても高い芸術性を持つことで知られています。蠣崎波響は、円山応挙に師事したこともあり、写実的で精緻な描写が特徴です。
この画像は、夷酋列像の一部です。
優れた絵の才能を持った武人
優れた絵の才能を持った武人、日本の歴史にはそのような人物が複数存在します。彼らは、武士としての本分である武芸や政治だけでなく、芸術の分野でも非凡な才能を発揮し、後世に名を残しました。
代表的な「文武両道」の武人画家たち
1. 蠣崎波響(かきざき はきょう)/松前廣年(まつまえ ひろとし)
この方は、先日も少し触れましたね。
- 時代: 江戸時代中期〜後期
- 出自: 松前藩主の五男として生まれ、後に家老職の蠣崎家を継ぎました。
- 画風: 円山応挙に師事し、写実的かつ情緒豊かな画風を確立。「松前応挙」とも称されました。
- 代表作: アイヌの首長たちを描いた**『夷酋列像』**は、文化的な価値はもちろん、歴史資料としても非常に重要です。武士として蝦夷地の統治に関わりながら、異文化への深い理解と共感を絵で表現した点が特筆されます。
- 特徴: 藩政を担う重職にありながら、絵画制作に没頭し、その腕前で藩の窮状を救おうとしたエピソードも伝わる、まさに文武両道を地で行く人物です。
2. 細川幽斎(ほそかわ ゆうさい)/藤孝(ふじきよ)
戦国時代から江戸時代初期にかけての武将で、歌人・文化人としても非常に高名です。
- 時代: 戦国時代〜江戸時代初期
- 出自: 室町幕府の奉公衆。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という三英傑に仕えました。
- 画風: 絵画の才能も持ち合わせ、特に「武者絵」の分野で名を馳せました。自身も武将であったため、武具の描写や合戦の様子に説得力がありました。
- 特徴: 古今伝授(古今和歌集の解釈を口伝で伝える秘伝)の継承者でもあり、歌道においては当代随一の権威でした。武勇と教養を兼ね備え、「兵法と歌道に並び称されるは幽斎のみ」と評されるほどでした。関ヶ原の戦いでは、敵軍に包囲されながらも、古今伝授の途絶を惜しむ天皇の勅命により命を救われたという逸話も残っています。
3. 佐久間象山(さくま しょうざん)
幕末の思想家、兵学者、政治家、そして画家でもありました。
- 時代: 江戸時代末期
- 出自: 松代藩士。
- 画風: 洋画にも関心を示し、油絵や写真術も研究しました。伝統的な日本画の枠にとらわれない、新しい表現を模索しました。
- 特徴: 「東洋道徳、西洋芸術」を唱え、西洋の科学技術を積極的に学んで日本の近代化を推進しようとした先駆者です。絵画もその一環として捉えられていたと考えられます。彼の描いた肖像画や風景画には、洋画の技法を取り入れようとした試みが見られます。
これらの武人たちは、単に戦場で刀を振るうだけでなく、筆を執ることで内面の精神世界を表現したり、時代の変化を敏感に捉えたりする感性を持っていました。彼らの作品は、当時の文化や思想を今に伝える貴重な遺産となっています。
江戸時代のメガネ
江戸時代にメガネがどれくらい普及していたかというと、現代のような「老若男女問わず広く一般的に使われていた」というレベルではありませんでしたが、ある程度は普及しており、特に特定の層では実用的に使われていました。
江戸時代のメガネの状況
1. 伝来と初期の使用者
メガネが日本に初めて伝わったのは、江戸時代よりも前の16世紀の戦国時代です。フランシスコ・ザビエルが1551年に大内義隆に献上したのが最初とされています。その後、室町幕府の足利義晴や、江戸幕府を開いた徳川家康もメガネを愛用していた記録が残っています。
2. 製造と普及の始まり
- 国内生産の開始: 17世紀(江戸時代初期)、鎖国によって海外からの輸入が厳しく制限される中で、長崎でメガネの国内生産が始まりました。その後、18世紀には大阪、京都、江戸へと製造拠点が広がっていきます。
- 「庶民」への広がり: 当時の貿易記録には、年間3万本以上のメガネが輸入されていた時期もあったとされています。庶民の暮らしを描いた風俗画などにも、裁縫や手紙を読む際、あるいは暗い場所で作業をする際にメガネをかけている姿が見られます。これは、メガネが職人たちの必需品として、また、細かい手作業をする人々の間で実用的に使われていたことを示しています。
- 専門店の登場: 17世紀末頃からは、京都、大阪、江戸にメガネを販売する店も現れました。ただし、メガネだけでは商売が成り立たなかったため、他の商品と一緒に売られていることが多かったようです。
3. 主な使用者と用途
江戸時代のメガネは、主に以下のような目的で使われていました。
- 老眼鏡(凸レンズ): 当時のメガネはほとんどが老眼鏡(遠視用レンズ)で、細かい文字を読んだり、手先の作業をする際に使われました。
- 実用品としての認識: ヨーロッパではメガネが「博学のシンボル」として知識人の肖像画に描かれることが多かったのに対し、日本では主に実用性が重視されていました。「老眼=細かい手仕事」という認識が強く、職人の間で道具として使われることが多かったのです。
- 武士階級での使用: 大名や家老といった武士階級の中にも、老眼などで視力が衰えた際に実務のために使用する者がいました。しかし、公式の場や目上の者の前では失礼にあたるという認識もあり、使用が避けられるケースもあったようです。
4. 形と素材
当時のメガネには、現在のように耳にかける**「つる」はありませんでした**。多くは手に持って使うタイプか、紐を通して耳にかけたり、鼻に挟んで使うタイプでした。素材は鼈甲(べっこう)や水牛の蹄、鯨骨などが用いられました。
まとめ
江戸時代のメガネは、現代のような誰もが当たり前に使う普及品ではありませんでした。しかし、特に老眼に悩む職人や読書をする人々、また一部の上流階級の人々が実用的な道具として使用しており、国内でも製造・販売が行われていました。明治時代に入り、西洋化の進展とともにさらに普及が進み、近代的なメガネへと発展していきます。
江戸時代のメガネの使われ方は、当時の人々の生活や文化、そして技術の発展をうかがい知る面白い側面ですね。
前回までのべらぼう
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