ウルトラマンタイガ世直しに光臨(o|o)べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(30)人まね歌麿
ウルトラマンタイガ世直しに光臨(o|o)
こんにちは
猫好き父さんです
歌麿も大変ですが
こちらは
もっと大変なことになりそう
松平定信は正義になるのか!
あらすじ
黄表紙の『江戸生艶気樺焼』が売れ、日本橋の耕書堂は開店以来の大盛況となった。蔦重(横浜流星)は狂歌師と絵師が協業した狂歌絵本を手掛けるため、“人まね歌麿”と噂になり始めた歌磨(染谷将太)を、今が売り時と判断し起用する。その後、蔦重は“歌麿ならではの絵”を描いてほしいと新たに依頼するも歌麿は描き方に苦しむ…。一方、松平定信(井上祐貴)は、治済(生田斗真)から、公儀の政に参画しないかと誘いを受ける…。
出演
【出演】横浜流星,染谷将太,橋本愛,藤間爽子,高岡早紀,冨永愛,生田斗真,原田泰造,片岡鶴太郎,渡辺謙,眞島秀和,相島一之,吉沢悠,井上祐貴,高梨臨,井之脇海,小野花梨,【語り】綾瀬はるかほか
【作】森下佳子
【音楽】ジョン・グラム
狂歌絵本
狂歌絵本は、江戸時代中期に流行した、風刺や滑稽な狂歌(きょうか)に、浮世絵師の美しい絵を組み合わせた豪華な本です。
当時は、裕福な町人や武士の間で狂歌サークルが盛んで、自分たちの狂歌を披露する場として、絵本が作られるようになりました。
狂歌絵本の特徴
1. 豪華で美しい装丁
狂歌絵本は、単純な読み物ではなく、美術品としての価値も持っていました。当時の最高峰の技術を持つ絵師が描いた多色刷りの美しい挿絵がふんだんに使われ、贅沢な装丁が施されました。
2. 風刺とユーモア
狂歌は、和歌の形式にのっとりつつも、当時の政治や社会、人々の日常を皮肉ったり、滑稽な表現で詠んだりする、大衆的なユーモアが特徴です。
3. 文化的コラボレーション
狂歌絵本は、狂歌を読む文人、絵を描く浮世絵師、そして出版を担う版元(出版社)という、異なる才能が協力して生み出す、当時のメディアミックスのような存在でした。
代表的な作品と人物
『狂歌絵本 都の錦』(みやこのにしき)
作者:喜多川歌麿(浮世絵師)、山東京伝(狂歌作者)など。
山東京伝は狂歌の第一人者であり、浮世絵師の喜多川歌麿や鳥文斎栄之(とりぶんさいえいし)らと協力して、数々の狂歌絵本を制作しました。
『潮干のくしけづり』
作者:喜多川歌麿など。
女性の風俗や化粧道具などを狂歌と共に描いたもので、歌麿の美人画の才能が存分に発揮されています。
狂歌絵本は、江戸時代の庶民文化の成熟を象徴するものであり、文学と美術が融合した独自のジャンルとして、高い芸術性を誇っていました。
松平定信
松平定信は、江戸時代中期に寛政の改革を主導した老中です。第8代将軍・徳川吉宗の孫にあたり、享保の改革を手本とした厳格な政治で、幕府の財政再建と社会の立て直しを目指しました。
生涯と老中就任
生没年: 1759年〜1829年
血筋: 徳川御三卿の一つ、田安徳川家に生まれ、第8代将軍・徳川吉宗の孫にあたります。
藩主としての実績: 陸奥国白河藩主となった後、天明の大飢饉に際して藩政を立て直し、その手腕が評価されました。
老中就任: 1787年、前任者の田沼意次が失脚した後、わずか28歳という若さで老中首座に就任しました。
寛政の改革の内容と評価
松平定信は、6年間にわたる改革で、天明の大飢饉後の混乱や、田沼時代に緩んだ風紀を引き締めようとしました。
改革の主な内容
財政再建:
倹約令: 大奥の予算削減や贅沢の禁止を徹底しました。
棄捐令(きえんれい): 旗本・御家人の借金を帳消しにし、武士の困窮を救済しようとしました。
七分積金(しちぶつみきん): 江戸の町人に対し、経費の7割を節約させ、その分を飢饉などの備蓄金として積み立てさせました。
思想・風俗の統制:
寛政異学の禁: 幕府の学問として朱子学を奨励し、それ以外の学問を禁止しました。
出版統制令: 政治批判や風俗を乱す出版物を厳しく取り締まり、作家の山東京伝らが処罰されました。
民生安定:
人足寄場(にんそくよせば): 無宿人を収容し、職業訓練を行う施設を設置しました。
囲米の制: 諸藩に飢饉に備えて米を貯蔵するよう命じました。
評価
厳しい倹約や統制は一定の財政再建には成功しましたが、その厳格さゆえに多くの人々の反発を招き、**「白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき」**という狂歌に詠まれるなど、民衆からは不満も買いました。最終的には、将軍・徳川家斉との対立もあり、1793年に老中を辞任しました。
文人としての側面
政治家としてだけでなく、文人としても才能を発揮しました。
著作: 日記や随想集である『花月草紙』などを著し、自身の思想や政治観、教養の深さをうかがわせます。
白河の関: 領地であった白河の地で、南湖(なんこ)という庭園を築き、身分を問わず人々が楽しめるようにするなど、文化的な功績も残しています。
溜間(たまりのま)
江戸城の**溜間(たまりのま)**は、江戸時代に将軍に謁見する大名たちが控える部屋の一つで、その中でも特に家格の高い大名に与えられた特別な控え室です。
この部屋に詰めることを許された大名は「溜間詰(たまりのまづめ)」と呼ばれ、幕府内で非常に高い格式と権威を持っていました。
溜間の位置づけと役割
場所: 江戸城の黒書院にあり、将軍の執務室である「中奥」に最も近い場所に位置していました。
権威: 溜間詰の大名は、儀式の際に現役の老中よりも上座に座るなど、その家格は老中をも上回るとされました。
役割: 幕政に関して将軍や老中から直接諮問を受けたり、意見を具申したりする幕政の相談役のような役割も担っていました。
溜間詰の大名
溜間詰となることができるのは、特定の家柄に限られていました。中でも以下の3家は代々この席に座ることが許された「定溜(さだめだまり)」でした。
会津藩 松平家: 将軍家と血縁関係のある親藩。
彦根藩 井伊家: 徳川譜代大名の中でも最高の家格を持つ家。
高松藩 松平家: 水戸徳川家の分家で、親藩の一つ。
この3家に加えて、時期や老中の経験者などに応じて、姫路藩の酒井家や桑名藩の松平家などが溜間詰となることもありました。
溜間は、将軍家と密接な関係を持つ大名が幕政に関与する重要な場であり、江戸幕府の政治構造を象徴する場所の一つでした。
枕絵(まくらえ)
枕絵(まくらえ)とは、江戸時代に描かれた性風俗を描写した浮世絵の一分野で、一般的には**春画(しゅんが)**とほぼ同義です。当時の性文化や生活の一端を伝える重要な資料であり、多くの著名な浮世絵師が手掛けました。
特徴と由来
詳細な描写: 枕絵は、男女の性行為の様子を生き生きと、そして非常に詳細に描いているのが特徴です。性器や性行為そのものを誇張して描くことも多く、これは子孫繁栄の縁起物や、ユーモアを込めた表現として受け入れられていました。
「枕元に置く絵」: 「枕絵」という呼び名は、夫婦の寝室である枕元に置かれ、新婚夫婦の性教育の教材として使われたり、子孫繁栄の縁起物として飾られたりしたことに由来するとされています。
贅沢な美術品: 大衆向けの娯楽であると同時に、多色刷りの美しい色遣いや、精緻な線描が施された芸術性の高い作品も多く、美術品としての価値も認められていました。
歴史と主な絵師
枕絵は、江戸時代を通じて盛んに描かれました。性に関するタブーが比較的少なかった当時の文化を背景に、多くの浮世絵師が枕絵を制作しています。
菱川師宣: 「見返り美人図」で有名な浮世絵の祖ですが、春画の分野でも多くの作品を残しました。
喜多川歌麿: 美人画の大家として知られていますが、枕絵においても洗練された構図と描写で、最高峰の作品を生み出しました。
葛飾北斎: 彼の代表作である『富嶽三十六景』とは対照的に、ユーモラスで奇抜な構図の春画も多数制作しています。
現代においては、春画は芸術作品や歴史資料として再評価されており、海外でも高い評価を得ています。しかし、その描写内容から、わいせつ物として裁判の対象になった歴史も存在します。
貸金会所令
貸金会所令は、江戸時代に田沼意次政権末期から松平定信による寛政の改革期にかけて、武士の困窮を救うために構想・実行された、公的な貸付制度を指します。
これは、財政難に苦しむ旗本や御家人たちが、札差(ふださし)と呼ばれる民間の金融業者から高利で借金を重ね、生活が立ち行かなくなっていた状況を改善するために設けられました。
貸金会所令の内容
貸金会所令の大きなポイントは以下の通りです。
公的な貸付機関の設立: 幕府が「貸金会所」と呼ばれる公的な金融機関を設け、旗本や御家人に対して低利でお金を貸し付けました。
財源の確保: 貸付に必要な資金は、主に江戸の町人たちに節約させたお金(七分積金など)や、札差から取り立てた金銭を元手としました。
この制度は、単に武士を救済するだけでなく、町の金融市場に幕府が介入し、安定を図るという側面も持っていました。
制度の歴史と評価
田沼時代: 最初の構想は、田沼意次政権下で、大名たちへの低利融資を目的として打ち出されましたが、田沼の失脚により実現には至りませんでした。
寛政の改革: 松平定信が老中になると、**棄捐令(きえんれい)**によって札差に貸付金を帳消しさせた後、札差の資金繰りが悪化し、武士への貸付を渋るようになりました。この混乱を収拾するため、改めて貸金会所の設立が進められました。
この制度は、武士の救済と金融市場の安定化という目的を持っていましたが、一時的な効果に留まり、根本的な財政問題を解決するには至りませんでした。特に、棄捐令によって多大な損害を被った札差からは反発も多く、公権力による経済への強引な介入として、賛否両論があった政策です。
天明6年(1786年)7月の利根川決壊
天明6年(1786年)7月の利根川決壊は、天明の大飢饉のさなかに関東地方を襲った大規模な水害です。この水害は、江戸時代最大の水害の一つとして記録されており、当時の社会に大きな影響を与えました。
洪水の背景と規模
この洪水は、天明3年(1783年)の浅間山大噴火が遠因の一つとなっています。噴火によって利根川水系に大量の火山灰や土砂が流れ込み、河床が上昇していたため、堤防が決壊しやすい状態になっていました。
天明6年7月(新暦8月)、関東地方を襲った集中豪雨により、利根川は各地で堤防が決壊。特に現在の茨城県や埼玉県、千葉県にあたる地域では、広範囲が「海のような」状態となり、甚大な被害をもたらしました。
被害と歴史的影響
江戸への影響: 利根川の濁流は江戸川を通じて江戸市中にも流れ込み、隅田川沿いの本所・深川などが広範囲にわたって浸水しました。本所周辺では水深が最大4.5メートルにも達し、多くの家屋が流失・倒壊しました。
死者と財産被害: この洪水による死者は3,900人以上、流失・倒壊した家屋は2万戸以上に上ったとされています。また、農地も壊滅的な被害を受け、すでに飢饉に苦しんでいた人々の生活をさらに追い詰めました。
政治的影響: この水害は、当時の老中である田沼意次政権への批判をさらに高める原因となりました。天災が続いたことと、田沼政権の重商主義的な政策に対する不満が結びつき、結果的に彼の失脚を招く一因となったのです。
天明6年の利根川決壊は、天明の大飢饉と共に、江戸時代の社会と政治に大きな転換点をもたらした出来事として記憶されています。
南湖公園
南湖公園は、福島県白河市にある、日本最古の公園と言われる歴史的な公園です。江戸時代の老中・松平定信によって築造されました。
歴史的背景と理念
南湖公園は、享和元年(1801年)に当時の白河藩主であった松平定信が、自身の領民のために築造しました。
「士民共楽(しみんきょうらく)」:
定信は、身分の区別なく誰もが楽しめる場所として南湖を造り、武士も庶民も共に楽しむことができるという画期的な理念を掲げました。これは、当時の厳格な身分制度の中では非常に先進的な考え方でした。
多目的利用:
南湖の水は灌漑用水として利用され、その収益は藩校の運営費に充てられました。また、干ばつ時の水源や、藩士の水泳・操船訓練の場としても活用されるなど、単なる公園以上の役割を果たしました。
公園の見どころ
南湖公園は、雄大な那須連峰を借景とした美しい景色が魅力です。
南湖: 公園の中心となる広大な湖で、遊歩道が整備されており、湖畔を散策できます。春は桜、秋は紅葉の名所として知られています。
翠楽苑(すいらくえん): 南湖の北側に位置する、池泉回遊式の美しい日本庭園です。
南湖神社: 公園の築造者である松平定信を祭神として祀っており、学問成就や縁結びの神様として信仰を集めています。
本日もご覧いただきかたじけ茄子🍆
— 大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」日曜夜8時 (@berabou_nhk) August 10, 2025
第30回「人まね歌麿」、ご感想、お待ちしています🦊
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