また殺されちゃった?徳川家治毒殺説😢べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(31)我が名は天
徳川家治毒殺説
こんにちは
猫好き父さんです
先日
こういうのは続くのかなあ?
利根川決壊も季節柄
妙に訴えるものがあるし
ただ、現実の方がひどいですね
あらすじ
江戸市中は利根川が決壊し大洪水になる。蔦重(横浜流星)は、新之助(井之脇海)やふく(小野花梨)を気にかけ米などを差し入れようと深川を訪れる。食料の配給が行われる寺で平蔵(中村隼人)に会い、幕府は復興対策に追われ、救い米どころか裕福な町方の助けを頼りにしていると知る。そんな中、江戸城では家治(眞島秀和)が体調を崩し月次御礼を欠席する。老中らが戸惑う中、意次(渡辺謙)は家治からある話を聞かされる…
【出演】横浜流星,染谷将太,橋本愛,中村隼人,井之脇海,小野花梨,井上祐貴,生田斗真,原田泰造,渡辺謙,眞島秀和,高岡早紀,風間俊介,古川雄大,相島一之,吉沢悠,映美くらら,【語り】綾瀬はるかほか
【作】森下佳子
【音楽】ジョン・グラム
徳川家治(とくがわ いえはる)
徳川家治(とくがわ いえはる)は、江戸幕府第10代将軍です。1737年に生まれ、1786年に亡くなりました。彼の治世は、側用人・老中として絶大な権勢を振るった**田沼意次(たぬま おきつぐ)**の政治と密接に結びつき、「田沼時代」として知られています。
生涯と人物像 🧐
徳川家治は、第9代将軍・徳川家重の長男として生まれました。幼名は竹千代。言語に障害があった父とは異なり、祖父である8代将軍・徳川吉宗から帝王学を直接学び、幼い頃から聡明で文武両道に秀でていたとされています。特に将棋は七段の腕前で、「将棋攷格」という詰将棋の本を著すほどの腕前だったと言われています。また、絵画や鷹狩りも嗜みました。
将軍就任当初は自ら政務に当たろうとする意欲を見せていましたが、次第に田沼意次に政治を任せ、自身は趣味に没頭するようになったと言われています。愛妻家でもあり、側室を持つことに積極的ではなかったと伝えられています。
政治(田沼時代)🏛️
家治の時代は、実質的に田沼意次が主導する政治が行われました。これは、家治の父である家重が意次を重用するよう遺言したことも背景にあります。
田沼意次の重商主義政策 💰
田沼意次は、幕府の財政難を立て直すため、これまでの農本主義から商業を重視する重商主義政策を推進しました。主な政策は以下の通りです。
株仲間の公認と冥加金・運上金の徴収: 同業者組合である株仲間を公認し、営業の独占を認める代わりに、冥加金(上納金)や運上金(営業税)を徴収して幕府の収入としました。
専売制の実施: 銅座などを設置し、銅、人参、朱、真鍮などの重要産物の専売を行い、利益を幕府に集中させました。
貨幣改鋳: 南鐐二朱銀(なんりょうにしゅぎん)のような、金貨と交換可能な銀貨を鋳造し、貨幣制度の統一を図り、経済活動を円滑にしました。
新田開発: 印旛沼や手賀沼の干拓事業を試み、農地拡大と治水を目指しました(しかし、これらの事業は完成に至りませんでした)。
蝦夷地開発計画: 蝦夷地の開拓計画を進め、国防意識や鎖国政策の緩和を視野に入れた先駆的な取り組みを行いました。
評価と課題 🤔
田沼意次の政策は、貨幣経済の発展を促し、一部の商人には恩恵をもたらしましたが、その一方で、役人と商人の癒着による賄賂の横行、専売制による農民の困窮、農村の荒廃といった問題を引き起こしました。また、この時代は天明の大飢饉や浅間山の大噴火といった未曾有の災害にも見舞われ、社会不安が増大しました。
家治は、これらの政策を田沼意次に一任したことで、「暗君」という評価を受けることもありますが、有能な人物を重用したという点では、その手腕を評価する声もあります。
晩年と死 😔
家治は、晩年、嫡男である徳川家基(いえもと)が18歳で急死するという悲劇に見舞われ、このことが彼をさらに政治から遠ざけたと言われています(家基の死には毒殺説も囁かれました)。
家治自身も病に伏せ、1786年に亡くなりました。彼の死後、田沼意次は失脚し、松平定信による「寛政の改革」へと時代は移っていきます。
寛永寺(かんえいじ)
東京都台東区上野にある**寛永寺(かんえいじ)**は、江戸幕府の安泰と江戸の町の守護を祈願して建てられた、徳川家ゆかりの重要な寺院です。
概要と歴史 📜
創建者: 江戸幕府第3代将軍・徳川家光
開山(初代住職): 天台宗の僧侶・天海大僧正
創建年: 寛永2年(1625年)
山号: 東叡山(とうえいざん)
特徴:
江戸城の北東(鬼門)に位置し、京都の比叡山延暦寺が京都御所の鬼門を守ったことに倣い、「東の比叡山」という意味で「東叡山」という山号がつけられました。
最盛期には、現在の上野公園一帯をすべて境内とする広大な敷地を誇り、徳川幕府の権威を象徴する存在でした。
歴代の住職は皇族が務めるなど、朝廷とも深い関係を築き、仏教界に大きな影響力を持っていました。
徳川将軍家との関係 🏯
寛永寺は、徳川家の祈願寺であるとともに、菩提寺としての役割も担っていました。歴代15人の将軍のうち、6人が寛永寺に眠っています。
寛永寺に墓所がある将軍
第4代 徳川家綱
第5代 徳川綱吉
第8代 徳川吉宗
第10代 徳川家治
第11代 徳川家斉
第13代 徳川家定
※ 最後の将軍・徳川慶喜の墓所は、寛永寺が管理する谷中霊園にあります。
幕末の動乱と現在の姿 🍃
江戸時代を通じて隆盛を誇った寛永寺ですが、幕末の**上野戦争(彰義隊と官軍の戦い)**の戦場となり、多くの伽藍(お堂や建物)が焼失してしまいました。
戦後、旧境内地の大部分は明治新政府に接収され、現在の上野公園となりました。現在、寛永寺として残っているのは、焼失を免れた一部の建物や、新たに再建されたものです。
現在も見ることができる主な場所
根本中堂: 戦後に再建された本堂。
旧本坊表門: かつての寛永寺の本坊(住職の住居)の門で、重要文化財です。
清水観音堂: 京都の清水寺を模して建てられ、舞台造りが特徴的なお堂です。
旧寛永寺五重塔: 上野動物園内にあり、重要文化財に指定されています。
このように、上野公園の散策は、かつての広大な寛永寺の境内を歩く歴史探訪でもあります。公園内にある上野東照宮や、寛永寺の管理する霊園など、多くの場所に徳川家とのゆかりを見つけることができます。
醍醐(だいご)
食べ物としての**醍醐(だいご)**は、古代の日本や中国で作られていた幻の乳製品で、その製法は現代には伝わっていません。
仏教の教えで使われる「五味」(牛乳を精製する五段階のプロセス)の最終段階に位置づけられるもので、最高の美味であり、病を治す薬としても考えられていました。
仏教における「五味」のプロセス 🥛
このプロセスは、牛乳から最も優れたものを生み出す過程を段階的に示しています。
乳(にゅう): 牛乳そのもの
酪(らく): 牛乳を煮詰めて発酵させたもの。現代のヨーグルトや凝乳に近いとされます。
生酥(しょうそ): 酪をさらに煮詰めて固めたもの。バターやチーズの原型に近いと言われています。
熟酥(じゅくそ): 生酥をさらに精製したもの。より濃厚なバターやチーズのようなものとされます。
醍醐(だいご): 熟酥から作られる、最も純粋で最上のエッセンス。
醍醐の正体とは? 🤔
現代の専門家が文献に基づいて推測するに、醍醐の正体は次のようなものではないかと考えられています。
バターオイル: 熟酥を溶かしたときに、表面に分離して浮き上がってくる透明な液体。
濃縮されたヨーグルトやチーズ: 乳酸菌の働きで発酵が進み、水分が抜けて濃厚になったもの。
いずれにせよ、醍醐は古代の宮廷や貴族、僧侶などごく限られた身分の高い人々しか口にできなかった、非常に貴重で高級な食品でした。
「醍醐味」という言葉の由来 🗣️
この「醍醐」が最高の味とされたことから、**「物事の最も深い味わいや面白さ」という意味で使われる「醍醐味(だいごみ)」**という言葉が生まれました。
現在では、古代の製法は失われてしまいましたが、「蘇(そ)」と呼ばれる、醍醐の前の段階にあたる乳製品については、文献に製法が残っており、再現されて販売されることもあります。古代の乳製品の味を試してみたい場合は、「蘇」を探してみるのも良いかもしれません。
徳川家治毒殺説
徳川家治が亡くなる直前に食べたものについて、史実として確定的な記録はありません。しかし、彼が亡くなった状況については、**「毒殺説」が広まったという歴史的事実が存在し、その噂の中心に「薬」や「食べ物」**が関わっていたとされています。
徳川家治の死と「毒殺説」
家治は、天明6年(1786年)8月に**水腫(すいしゅ)**という病を患い、療養していました。この時期、彼の病状は回復と悪化を繰り返していましたが、8月25日に急死します。享年50歳でした。
この急死が、彼を重用していた田沼意次(たぬま おきつぐ)の失脚と重なったため、反田沼派によって「田沼意次による毒殺ではないか」という噂が広まりました。
この毒殺説には、以下のような経緯が関係しています。
医師の交代: 病状が思わしくない家治のため、田沼意次が町医者を推薦し、その医師が調合した薬を服用した直後に、家治が急変し亡くなったとされています。
『翁草(おきなぐさ)』の記述: 江戸中期の随筆『翁草』には、大奥の女中たちの間で「田沼意次が毒薬を将軍に進上した」という噂が広まったことが記されています。
食べ物としての醍醐との関連
史実として家治が「醍醐」を食べたという記録は見つかっていませんが、近年放送されたテレビドラマ(NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』など)では、家治の死の直前に、側室が手ずから作った**「醍醐」**を口にして亡くなる、という描写がなされました。これは、醍醐が「最も優れたもの」であると同時に、製法が失われたことで「得体の知れないもの」としての神秘性や不気味さを持ち合わせていることから、フィクションにおける象徴的な表現として用いられたものと考えられます。
結論として、史実では家治が亡くなる直前に特定の食べ物を口にしたという確かな記録はありません。しかし、彼の死は不審な点が多く、政治的な思惑から毒殺説がささやかれたという史実は、彼の死を語る上で非常に重要な要素となっています。
月次御礼(つきなみおんれい)
**月次御礼(つきなみおんれい)**は、江戸時代に定められた、諸大名や旗本が将軍に拝謁するために江戸城に登城する定例日のことを指します。
制度の概要 🏯
登城日: 原則として、毎月1日、15日、28日でした。
目的:
将軍への日々の忠誠と敬意を示すこと。
将軍に拝謁することで、幕府と大名・旗本との主従関係を再確認すること。
幕府の年中行事や儀式とは別に、将軍が日々の政務を執り行う上で、家臣からの定期的な報告や意見具申を受ける機会を設けること。
儀式の内容 📜
月次御礼の登城日は、格式と序列が厳格に定められた儀式でした。
登城: 大名や旗本は、定められた時刻に江戸城大手門や内桜田門から登城しました。
拝謁: 城内の広間や特定の場所で、将軍に拝謁しました。
儀礼: 将軍に拝礼し、言葉を交わしたり、献上物(ただし、月次御礼では省略されることもあった)を捧げたりしました。
この儀式は、単なる挨拶だけでなく、将軍の権威を示す重要な場であり、大名たちの序列(家格)や幕府内での地位を明確にする役割も担っていました。
例外 🧐
特定の月の省略: 登城が頻繁になりすぎるのを避けるため、正月元旦や八朔(はっさく、旧暦8月1日)などの重要な年中行事が重なる月は、月次御礼が省略されることがありました。
将軍の都合: 将軍の健康状態や、他の公務がある場合には、登城日が変更されたり、中止されたりすることもありました。
月次御礼は、参勤交代と並んで、大名が幕府の統制下に置かれていることを象徴する制度でした。将軍に定期的に拝謁することで、物理的な距離があっても主従関係が維持され、幕府による全国支配が確固たるものとなっていたのです。
「よいか。天は見ておるぞ。天は、天の名を騙(かた)るおごりを許さぬ」
— 大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」日曜夜8時 (@berabou_nhk) August 17, 2025
配信は👉https://t.co/YQh3xKFYlG#大河べらぼう#眞島秀和 #生田斗真 #落合モトキ pic.twitter.com/RzBSH82hwy
前回までのべらぼう
ウルトラマンタイガ世直しに光臨(o|o)べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(30)人まね歌麿
劇団蔦重が総出演でお送りする仇討物語🌸べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~29 江戸生蔦屋仇討(えどうまれつたやのあだうち)
向こうは血花にさかすぞちらちらそわか👹べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(28)佐野世直大明神
なぜ佐野は刀を抜いたのか!😡べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(27)願わくば花の下にて春死なん
天明の米高騰と令和の米高騰🍚べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(26)三人の女
江戸の町民は浅間山の大噴火にどのように対応したのか?🌋べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(25)灰の雨降る日本橋
マジレッドとトッキュウ4号の相談に割って入る真咲美希💛べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(24)げにつれなきは日本橋
蔦重、日本橋に出る!って言ってた💛べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(23)我こそは江戸一利者なり
おならってウケるネタなんですねえ💛べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(22)小生、酒上不埒(さけのうえのふらち)にて
大文字屋市兵衛って死ぬ必要あったの?👹べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~21 蝦夷桜上野屁音(えぞのさくらうえののへおと)
徳川家治の将軍後継者問題🏯べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(20)寝惚(ぼ)けて候
黄金コンビ最後の仕事📚べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(19)鱗(うろこ)の置き土産
おかえり唐丸👧べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(18)歌麿よ、見徳(みるがとく)は一炊夢
田沼意次の功績🦊べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(17)乱れ咲き往来の桜
平賀源内と田沼意次の関係、その生涯と功績⚡べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(16)さらば源内、見立は蓬莱(ほうらい)
浜離宮恩賜庭園における鷹狩の歴史について🐥べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(15)死を呼ぶ手袋
ありがたやまの鳶烏🐥べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(14)蔦重瀬川夫婦道中
あ~、言ってしまった😢べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(13)お江戸揺るがす座頭金
これは面白そう!📹100カメ べらぼう 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」
蔦重が輝いて見える🍆べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(12)俄(にわか)なる『明月余情』
観劇の喜びと運命の悲しさ二つの涙🍆べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(11)富本、仁義の馬面
吉原は成り上がるための地獄👰べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(10)『青楼美人』の見る夢は
べらぼうトークショー 大河ドラマ“べらぼう”スペシャルトークin横浜
きっとわっちは一生忘れないよ😢べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(9)玉菊燈籠恋の地獄
バーカ、バカバカバカ!バカ蔦重🦊べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(8)逆襲の『金々先生』
吉原のために、熱いぜ蔦重🔥べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(7)好機到来『籬(まがき)の花』
鬼平うまいこと言うねえ?👹べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(6)鱗(うろこ)剥がれた『節用集』
きっと生きているよね唐丸🦊べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(5)「蔦(つた)に唐丸因果の蔓(つる)」
負けるな蔦重!😡べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(4)『雛(ひな)形若菜』の甘い罠(わな)
上手くリードしないとしゃべってくれないかも🌠土スタ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』特集▽ゲスト 横浜流星📺1/25 (土) 13:50 ~ 14:50
先が読めない面白さがある、横浜流星さんも新鮮📚べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(3)千客万来『一目千本』
人間関係がよくわからない📚べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(2)吉原細見『嗚呼(ああ)御江戸』
禰󠄀豆子を背負った炭治郎みたいだ👹べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ [新](1)「ありがた山の寒がらす」📚1/5 (日) 20:00 ~ 21:00