今の国会議員も江戸城の侍と同じで無能🍙べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~33 打壊演太女功徳(うちこわしえんためのくどく)
今の国会議員も江戸城の侍と同じで無能
こんにちは
猫好き父さんです
ドラマの中で
打ちこわしを江戸城からみて
あれは祭りか?
と侍がいうシーンがありますが
それもほどに
生活感覚が違っているという
印象的なシーンでした
令和の今でも
状況は対して変わりません
まあ
小泉進次郎さんが
田沼意次だとは
言いませんけどね
あらすじ
天明7年、江戸で打ちこわしが発生する。新之助(井之脇海)たちは、米の売り惜しみをした米屋を次々に襲撃する。報を受けて混乱する老中たちに対し、冷静かつ的確に提言する意次(渡辺謙)。そんな中、蔦重(横浜流星)が、意次のもとを訪れ、米の代わりに金を配り、追々米を買えるようにする策を進言する。一方、一橋邸では治済(生田斗真)が、定信(井上祐貴)に、大奥が反対を取り下げ、正式に老中就任が決まると告げるが…
出演
【出演】横浜流星,染谷将太,橋本愛,中村隼人,井之脇海,新浜レオン,井上祐貴,生田斗真,原田泰造,渡辺謙,相島一之,冨永愛,映美くらら,島本須美,高岡早紀,中村蒼,有吉弘行,【語り】綾瀬はるかほか
【作】森下佳子
【音楽】ジョン・グラム
天明の打ちこわし
天明の打ちこわし(てんめいのうちこわし)について解説します。
これは、江戸時代後期の天明年間(1781年~1789年)、特に**天明7年(1787年)**に全国の主要都市で発生した、近世日本で最大規模の民衆による暴動(打ちこわし)です。
なぜ起こったのか?(背景と原因)
天明の打ちこわしは、単なる一揆ではなく、複合的な要因が絡み合って発生しました。
天明の大飢饉(てんめいのだいききん):
1782年頃から始まった全国的な異常気象(冷夏、洪水、干ばつ、浅間山の噴火など)により、農作物が壊滅的な不作となりました。特に東北地方の被害は甚大で、多くの餓死者を出しました。
これにより米の供給が激減し、米価が異常なまでに高騰しました。
幕府の政策への不満:
当時の政治を主導していた老中・**田沼意次(たぬまおきつぐ)**は、商業を重視する政策(重商主義政策)を進め、株仲間などを奨励しました。
この政策は経済を活性化させる一方で、商人たちの間で癒着や不正な利益追求が横行する原因ともなりました。
民衆は「米価高騰は、幕府と結びついた悪徳商人が米を買い占めているせいだ」という強い不信感を抱いていました。
都市部での貧困の深刻化:
米価の高騰は、農民だけでなく、米を買って生活する都市部の住民(武士、職人、日雇い労働者など)の生活を直接的に困窮させました。
多くの人々が食べるものにも事欠くようになり、社会的な不安と不満が極限まで高まっていたのです。
どのような出来事だったのか?(経過)
天明7年(1787年)5月、それまで蓄積されていた民衆の怒りがついに爆発します。
大坂(大阪)から始まる: 5月1日、米不足に苦しむ大坂の民衆が蜂起。米問屋や豪商の店を襲撃し、米俵を道にばらまいたり、家財を破壊したりしました。
江戸へ波及: 大坂での暴動の知らせはすぐに江戸へ伝わりました。5月12日、江戸でも数千人規模の民衆が蜂起し、米屋、質屋、酒屋など約3000軒(一説には7000軒以上)が打ちこわしの対象となりました。江戸での暴動は数日間にわたり、江戸市中を大混乱に陥れました。
全国への拡大: 江戸での大規模な打ちこわしは、全国各地に衝撃を与え、京都、堺、伏見、名古屋、駿府(静岡)など全国約40の都市と多くの農村で同様の打ちこわしや一揆が連鎖的に発生しました。
打ちこわしの特徴は、単なる略奪ではなく、「世直し」の意識があったことです。民衆は、不正に利益を得ていると見なした商人たちの家や蔵を破壊することで、社会の不正を正そうとしました。そのため、盗みは厳しく禁じられていたと言われます。
その後どうなったか?(結果と影響)
幕府の対応: 幕府は武力で暴動を鎮圧する一方、民衆の不満を和らげるために、米の放出(御救米)や価格の引き下げ令を出しました。
田沼意次の失脚: この全国的な大混乱の責任を問われる形で、田沼意次は老中を罷免され失脚しました。
寛政の改革へ: 田沼意次の次に幕政を担った**松平定信(まつだいらさだのぶ)**は、打ちこわしで示された社会の混乱を立て直すため、緊縮財政と風紀の引き締めを主とした「寛政の改革」を開始しました。
天明の打ちこわしは、飢饉と政治不信が結びついた時に、民衆がいかに大きな力で社会を揺るがすかを示した歴史的な大事件であり、江戸幕府の支配体制を大きく動揺させ、その後の政治改革へとつながる重要な転換点となりました。
御先手組
御先手組(おさきてぐみ)とは、江戸時代に存在した、将軍が外出する際に先導や警護を行う役割を担った武士団です。御先手鉄砲組(おさきててっぽうぐみ)とも呼ばれ、主に鉄砲や弓を武器としていました。
彼らの主な任務は、将軍の行列の安全を確保することでした。具体的には、以下のような役割を担っていました。
先導と警備: 将軍の行列の先頭に立ち、周囲の警戒や道の安全確認を行いました。
鉄砲と弓の扱い: 有事の際に備え、鉄砲や弓を扱って敵を制圧する役割を担いました。
儀式での役割: 将軍の行列だけでなく、儀式や式典においても、その威厳を示すための役割を果たしました。
御先手組は、幕府の組織の中でも重要な位置を占めており、特に将軍の身辺警護を任されるエリート集団でした。彼らが所属する組頭は「御先手組頭」と呼ばれ、旗本の中でも重要な役職でした。
御先手組と御後先組
よく似た名前で「御後先組(おあとさきぐみ)」という組織もありますが、こちらは将軍の行列の最後尾に位置し、行列の殿(しんがり)を務める役割でした。御先手組が先頭の警護を担当したのに対し、御後先組は後方の警護を担当しました。この二つの組織は、将軍の警護体制を構成する上で対をなす重要な存在でした。
長谷川平蔵
長谷川平蔵(はせがわ へいぞう、本名:長谷川宣以(のぶため))は、江戸時代中期の旗本です。
主な役割と功績
火付盗賊改役(ひつけとうぞくあらためやく): 寛政の改革期に、放火や盗賊、賭博などを取り締まる火付盗賊改役を務めました。
人足寄場(にんそくよせば)の創設: 無宿人の更生施設である人足寄場を設立しました。これは、犯罪者の更生に力を入れた画期的な取り組みでした。
人物像
青年時代は「本所の銕(てつ)」と呼ばれて、放蕩ぶりで知られていたとされます。
同僚の役人には、その世渡り上手な性格から嫌われることもあったようです。
一方で、庶民からは人情に厚い人物として人気がありました。
その卓越した手腕から、「今大岡(いまおおおか)」と称され、江戸市民からの信頼を集めました。
「鬼平」の愛称
長谷川平蔵は、池波正太郎の時代小説『鬼平犯科帳』の主人公「鬼平」のモデルとして広く知られています。
ただし、「鬼平」という呼び名は、池波正太郎が創作したものであり、実際にこのように呼ばれていたわけではありません。
天明の打ちこわし(1787年)が起こった際、長谷川平蔵は**御先手弓頭(おさきてゆみがしら)**という役職にあり、幕府の鎮圧部隊として動員されました。
当時の町奉行所が暴動の勢いを抑えきれなかったため、幕府は平蔵が所属する御先手組を含む精鋭部隊に出動を命じました。平蔵は、単なる武力鎮圧ではなく、暴徒を扇動する首謀者や、悪質な行為を働く者に狙いを絞って捕縛し、その活躍は目覚ましいものだったとされています。
この騒動を鎮圧した功績が認められ、平蔵は翌年に「鬼平犯科帳」で知られる火付盗賊改役に抜擢されることになります。
北町奉行所の対応
天明の打ちこわしに対する北町奉行所の対応は、当初は有効な対策を取れず、混乱を鎮静化させるのに苦慮しました。
対応の概要
奉行所の無力化: 天明7年(1787年)に江戸で発生した大規模な打ちこわしは、本所・深川から始まり、瞬く間に江戸市中に拡大しました。当時の北町奉行・曲淵景漸(まがりぶち かげつぐ)は自ら出馬しましたが、多勢に無勢で暴徒を鎮圧できず、群衆に嘲笑されるような状況でした。
不適切な発言: 曲淵奉行は、米価高騰に苦しむ町民に対して「犬でも食っていろ」と発言したという噂が広まり、さらなる反感を買ったとされています。この発言は、奉行所に対する人々の怒りを一層煽る結果となりました。
対応の後手: 幕府は貧困層に対して「お救い米」を支給するなどの対策を講じましたが、その対象は限定的で、米価高騰に苦しむ多くの人々に十分に行き渡らず、不満を解消するには至りませんでした。
この打ちこわしは、当時の老中・田沼意次(たぬま おきつぐ)政権の政治的失墜を招き、後に松平定信(まつだいら さだのぶ)が老中首座に就任して寛政の改革が始まるきっかけの一つとなりました。
蔦重の対応
天明の打ちこわし(1787年)において、出版人である蔦谷重三郎が直接暴動に参加したという史実は確認されていません。しかし、彼が出版した黄表紙が、当時の社会情勢や人々の心情を反映し、民衆の不満を代弁する役割を果たしたとされています。
黄表紙による社会風刺: 天明の打ちこわしが起こる数年前から、蔦谷重三郎は作家の恋川春町や山東京伝らを起用し、米価高騰や幕政の腐敗を風刺した黄表紙(絵入り短編小説)を多数出版していました。
「米の喧嘩」と表現: 打ちこわし騒動を「米屋との喧嘩」と表現するなど、庶民の側に立った視点で作品を制作し、人々の不満や怒りを「ケンカ」と捉える江戸っ子らしい気質を描写したとされています。
これらの出版物を通じて、蔦谷重三郎は民衆の不満を代弁し、社会の風潮に大きな影響を与えました。このことが、彼の出版人としての評価を高め、後の寛政の改革で幕府から出版統制の弾圧を受ける一因にもなりました。
新之助の最期のシーンはロケで収録しました。
— 大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」日曜夜8時 (@berabou_nhk) August 31, 2025
力の入ったお芝居に、カットがかかってもしばらく動けないお2人でした。
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