豆腐の角に頭をぶつけて死ぬ□べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(36)鸚鵡(おうむ)のけりは鴨(かも)
豆腐の角に頭をぶつけて死ぬ
こんにちは
猫好き父さんです
春町さん
切腹とは辛いですねえ
しかも最後の最後まで
ギャグをもってくるとは
粋というか悲壮というかですねえ
久しぶりに吉原遊郭も出てきて
オールールスターズみたいな
豪華な出演でしたね
あらすじ
蔦屋の新作『鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)』『天下一面鏡梅鉢(てんかいちめんかがみのうめばち)』が飛ぶように売れる。定信(井上祐貴)は、蔦重(横浜流星)の本に激怒し、絶版を言い渡す。喜三二(尾美としのり)は、筆を断つ決断をし、春町(岡山天音)は呼び出しにあう。そして蔦重は、南畝(桐谷健太)からの文で、東作(木村了)が病だと知り、須原屋(里見浩太朗)や南畝とともに、見舞いに訪れる。
出演
【出演】横浜流星,染谷将太,橋本愛,井上祐貴,岡山天音,尾美としのり,生田斗真,榎木孝明,高橋英樹,里見浩太朗,高橋克実,嶋田久作,矢島健一,えなりかずき,映美くらら,風間俊介,桐谷健太ほか
【作】森下佳子
【音楽】ジョン・グラム
鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶにどう)
「鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶにどう)」は、江戸時代に流行した風刺文学である**黄表紙(きびょうし)**の代表作の一つです。
概要
この作品は、天明2年(1782年)に**恋川春町(こいかわ はるまち)**によって著されました。黄表紙の中でも特に高い評価を受けており、当時の社会を鋭く風刺したことで知られています。
内容と風刺
「鸚鵡返文武二道」という題名自体が、作品の風刺性を表しています。
「鸚鵡返」: 相手の言葉を何も考えずにそのまま繰り返す「オウム返し」のこと。
「文武二道」: 学問(文)と武芸(武)の両方を修めるという「文武両道」のパロディ。
物語の主人公は、学問も武術も全く身につけていないのに、言葉だけは立派なことを言う武士です。彼は、将軍家光が唱えた文武両道の理想を、ただひたすらオウム返しのように口にするだけで、中身が伴っていない様子が描かれています。
この作品は、武士の形式的な倫理観や、見せかけだけの学問や武術を痛烈に批判しています。当時の人々は、この作品を通して、腐敗した武家社会の現実を笑い飛ばしたのです。
歴史的意義
「鸚鵡返文武二道」は、黄表紙が単なる滑稽本から、より高度な社会風刺へと進化していく転換点となった作品とされています。この作品の成功により、恋川春町は幕府の取り締まり(寛政の改革)の対象となり、著書は絶版、自身も取り調べを受けることになりました。
このように、この作品は当時の社会風潮を反映した傑作であり、江戸時代の文化と政治の関係を理解する上でも非常に重要な位置づけにあります。
天下一面鏡梅鉢(てんかいちめんきょううめがはち)
「天下一面鏡梅鉢(てんかいちめんきょううめがはち)」は、江戸時代の黄表紙(きびょうし)を代表する作品の一つです。
概要
この作品は、天明6年(1786年)に**山東京伝(さんとう きょうでん)**によって著されました。内容は、当時の社会風俗や世相を風刺したもので、黄表紙が持つ社会批評の側面を強く打ち出した傑作として知られています。
内容と風刺
物語の主人公は、町人でありながら武家への憧れを抱き、家紋を「梅鉢」に変えた男です。彼は、将軍が用いる最高位の紋である「葵紋」に似ているとして、周囲から大いに注目されます。
作品は、この男が「天下一」だと得意になる様子を通じて、当時の町人たちが武家文化を真似たり、身分制度を越えて自己を大きく見せようとする風潮を巧みに描いています。
「天下一面鏡」の意味: この言葉は、「世の中を映し出す鏡」という意味合いで使われています。主人公の行動は、当時の人々の滑稽な振る舞いや、浮ついた世相を映し出す鏡であるとされています。
「梅鉢」の象徴: 実際には、将軍の「葵紋」とは似ても似つかない「梅鉢」の家紋を、勝手に一流だと勘違いする主人公の姿は、見栄や虚飾に満ちた社会を痛烈に風刺しています。
歴史的意義
「天下一面鏡梅鉢」は、黄表紙が持つ鋭い風刺性を確立した作品の一つです。この作品で名声を高めた山東京伝は、後に発表した他の作品が幕府の厳しい取り締まり(寛政の改革)の対象となり、最終的に処罰を受けることになりました。
この作品は、当時の社会のあり方や人々の心情を、滑稽な物語の中に巧みに織り込んだ、江戸文化を理解する上で重要な作品とされています。
恋川春町の晩年
恋川春町の晩年は、彼が著した風刺作品が幕府の厳しい取り締まりの対象となり、その筆を折らざるを得なかった悲劇的なものでした。
寛政の改革による弾圧
恋川春町は、「鸚鵡返文武二道」などで人気を博しましたが、その後の作品『加増帯(かぞうおび)』などが、時の老中である松平定信が主導した寛政の改革の標的となりました。
処罰: 彼は呼び出しを受け、著書は絶版、自身も重い処分を受けることになりました。特に、彼の作品が時の権力者を風刺していると見なされたことが、厳しい処罰につながりました。
筆を折った晩年
この出来事以降、恋川春町は執筆活動から身を引かざるを得ませんでした。もともと彼は旗本(幕臣)の身分であり、幕府から処罰を受けることは、作家としての生命だけでなく、武士としての地位も危うくするものでした。
その後、彼は病に倒れ、筆を折ったわずか数ヶ月後の寛政3年(1791年)、43歳という若さで亡くなりました。
彼の死因には諸説ありますが、作品の弾圧による精神的なショックが影響したという見方が有力です。恋川春町の晩年は、江戸時代の風刺文学が、いかにして権力によって抑圧されたかを象徴する悲劇的な事例として知られています。
山東京伝(1761-1816)
山東京伝(1761-1816)は、江戸時代を代表する人気作家であり、浮世絵師でもあった人物です。本名は岩瀬醒(いわせ さとる)といい、洒落本(しゃれぼん)や黄表紙(きびょうし)といった文学ジャンルを確立した中心人物として知られています。
経歴と多才な才能
浮世絵師として: 若い頃は北尾重政に師事し、北尾政演(きたお まさのぶ)という名で浮世絵師として活動していました。美人画などを描いて人気を博しました。
黄表紙・洒落本作家として: 20代半ばから風刺の効いた黄表紙や、遊里の様子を粋に描いた洒落本を多数執筆しました。代表作には、ユーザー様もご存知の『天下一面鏡梅鉢』や、洒落本の傑作とされる『傾城買四十八手(けいせいかいしじゅうはって)』などがあります。
寛政の改革と晩年
京伝の人生は、当時の幕府による厳しい取り締まり(寛政の改革)によって一変しました。
弾圧と処罰: 彼は風俗を乱すとして、洒落本『士言罔(しげんもう)』が取り締まりの対象となり、著書は絶版、自身も手鎖(てぐさり)の刑に処されました。
その後の活動: この事件を機に、京伝は執筆活動から身を引かざるを得なくなります。その後は、浮世絵の絵師として、また自ら店を構えて煙草入れや櫛などをデザイン・販売する商売人としても成功を収め、多才な才能を発揮し続けました。
このように、山東京伝は単なる作家ではなく、時代の潮流を読み、様々な分野で才能を開花させた、江戸のクリエイターでした。
クナシリ・メナシの戦い
天明3年(1789年)に蝦夷地(現在の北海道)で起きた、クナシリ・メナシの戦い。これは、江戸時代後期に起きたアイヌの人々による大規模な蜂起でした。
蜂起の原因と背景
この反乱の主な原因は、和人(本州から来た人々)の厳しいアイヌ支配と、不当な交易、そして和人商人の横暴な振る舞いにありました。
搾取と不平等: 交易において和人はアイヌの人々を騙し、不当に安い価格で商品を買い叩くことが常態化していました。
人権侵害: 和人によるアイヌ女性への性的暴行や、非人道的な扱いが頻繁に行われていました。
飢饉と不満: 天明の大飢饉が起こり、アイヌの人々の生活が困窮する中で、和人に対する不満が頂点に達しました。
反乱の経過
天明3年(1789年)、国後島(くなしりとう)と目梨地方(めなしちほう)で、アイヌの人々が和人の商船や漁場を襲撃し、支配的な立場の和人を殺害する事件が発生しました。
これに対し、松前藩はただちに軍を派遣し、反乱を武力で鎮圧しました。蜂起の首謀者たちは処刑され、反乱は短期間で終息しました。
その後の影響
クナシリ・メナシの戦いは、それまでアイヌに対して放任的な姿勢だった幕府の政策を大きく転換させるきっかけとなりました。幕府は蝦夷地の重要性を再認識し、和人とアイヌの交易を管理する役割を強化し、ロシアの南下に対する警戒を強めることになります。
「ハッピーエンドでもないけどバッドエンドでもない、"春町らしい"の一言に尽きる」
— 大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」日曜夜8時 (@berabou_nhk) September 21, 2025
春町の最期をそう表した #岡山天音 さん。役を演じきっての心境を伺いました。
ドラマを見返す👇https://t.co/98VEEI4e5T#大河べらぼう pic.twitter.com/IVXW894qUC
前回までのべらぼう
歌麿良かったね💛べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(35)間違凧文武二道
粛清は厳しい😢べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(34)ありがた山とかたじけ茄子(なすび)
今の国会議員も江戸城の侍と同じで無能🍙べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~33 打壊演太女功徳(うちこわしえんためのくどく)
令和に打ちこわしが起きてもおかしくない🍙べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(32)新之助の義
また殺されちゃった?徳川家治毒殺説😢べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(31)我が名は天
ウルトラマンタイガ世直しに光臨(o|o)べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(30)人まね歌麿
劇団蔦重が総出演でお送りする仇討物語🌸べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~29 江戸生蔦屋仇討(えどうまれつたやのあだうち)
向こうは血花にさかすぞちらちらそわか👹べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(28)佐野世直大明神
なぜ佐野は刀を抜いたのか!😡べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(27)願わくば花の下にて春死なん
天明の米高騰と令和の米高騰🍚べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(26)三人の女
江戸の町民は浅間山の大噴火にどのように対応したのか?🌋べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(25)灰の雨降る日本橋
マジレッドとトッキュウ4号の相談に割って入る真咲美希💛べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(24)げにつれなきは日本橋
蔦重、日本橋に出る!って言ってた💛べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(23)我こそは江戸一利者なり
おならってウケるネタなんですねえ💛べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(22)小生、酒上不埒(さけのうえのふらち)にて
大文字屋市兵衛って死ぬ必要あったの?👹べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~21 蝦夷桜上野屁音(えぞのさくらうえののへおと)
徳川家治の将軍後継者問題🏯べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(20)寝惚(ぼ)けて候
黄金コンビ最後の仕事📚べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(19)鱗(うろこ)の置き土産
おかえり唐丸👧べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(18)歌麿よ、見徳(みるがとく)は一炊夢
田沼意次の功績🦊べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(17)乱れ咲き往来の桜
平賀源内と田沼意次の関係、その生涯と功績⚡べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(16)さらば源内、見立は蓬莱(ほうらい)
浜離宮恩賜庭園における鷹狩の歴史について🐥べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(15)死を呼ぶ手袋
ありがたやまの鳶烏🐥べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(14)蔦重瀬川夫婦道中
あ~、言ってしまった😢べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(13)お江戸揺るがす座頭金
これは面白そう!📹100カメ べらぼう 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」
蔦重が輝いて見える🍆べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(12)俄(にわか)なる『明月余情』
観劇の喜びと運命の悲しさ二つの涙🍆べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(11)富本、仁義の馬面
吉原は成り上がるための地獄👰べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(10)『青楼美人』の見る夢は
べらぼうトークショー 大河ドラマ“べらぼう”スペシャルトークin横浜
きっとわっちは一生忘れないよ😢べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(9)玉菊燈籠恋の地獄
バーカ、バカバカバカ!バカ蔦重🦊べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(8)逆襲の『金々先生』
吉原のために、熱いぜ蔦重🔥べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(7)好機到来『籬(まがき)の花』
鬼平うまいこと言うねえ?👹べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(6)鱗(うろこ)剥がれた『節用集』
きっと生きているよね唐丸🦊べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(5)「蔦(つた)に唐丸因果の蔓(つる)」
負けるな蔦重!😡べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(4)『雛(ひな)形若菜』の甘い罠(わな)
上手くリードしないとしゃべってくれないかも🌠土スタ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』特集▽ゲスト 横浜流星📺1/25 (土) 13:50 ~ 14:50
先が読めない面白さがある、横浜流星さんも新鮮📚べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(3)千客万来『一目千本』
人間関係がよくわからない📚べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(2)吉原細見『嗚呼(ああ)御江戸』
禰󠄀豆子を背負った炭治郎みたいだ👹べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ [新](1)「ありがた山の寒がらす」📚1/5 (日) 20:00 ~ 21:00